第34話 撃てる者、撃てない者
医務室の白い蛍光灯を背にして廊下へ出ると、誠の胸には小さな戸惑いが残っていた。ひよこの朗らかな声はまだ耳に残り、彼の頬を温める。
だが廊下を進むうちに、そんな柔らかな気分は次第に薄れていく。
空気が変わるのだ。
扉の向こうから金属の匂い、油の匂い、そして遠くで規則的に鳴る銃声が届く。
現場の匂いは、その場にいる者たちの緊張と誇りを伝えてくる。
さっきまで聞いていた柔らかな声が、銃声のリズムに押し流されていくような気がした。
ここは決して医療施設などではない。あくまでも武装警察部隊に籍を置くシュツルム・パンツァーパイロットとしての自分を必要としている組織なのだという現実が、響く銃声を聞くたびに嫌でも思い知らされる。
そして、射撃が何より苦手な誠にとっては銃声はその『もんじゃ焼き製造マシン』と呼ばれる乗り物酔い体質と並ぶトラウマの一つとなっていた。
「射撃か……僕は苦手なんだよな……各専門教育課程に振り分けられる前の射撃指導教官からは『たとえ事務仕事が苦手な兵站担当の軍人になるとしてもこの射撃能力じゃ使い物にならない……というか地球圏の軍人達に笑われる』とか言われたぐらいだし……利き目が右目だったり左目だったりするからそもそも照準をつけようとしてもそれが無理だし……」
射撃が苦手な誠だが、ここは武装警察で、いついかなる時でも射撃の必要性は常にあるのだという思いが湧き上がると無意識に足を速めた。音は彼を誘うように遠くから断続的に鳴り、的の破裂音が夏の空に溶けていく。出入口の土嚢の列を回り込むと、訓練場が視界に入った。
レンジの向こう、的が整列し、数列の土嚢が風に擦れる。
そこではあの島田の言うところの自己中心派の『メカ姉ちゃん』ことかなめが一人、淡々と銃を構えていた。
彼女の背筋はまっすぐで、動作は無駄がなく機械のように正確だが、その一つ一つに『人の』手つきがある。
かなめは連射を続け、弾が的を刻むたびにかすかな鉄の匂いが立ち上る。
誠が近づくと、かなめは黙ったまま射撃を止めて振り向き、彼にイヤープロテクターを投げつけた。大きめのヘッドホンのようなそれを額に載せると、外界の音は幾分遠のき、弾丸の衝撃ではなく、機械と人間の呼吸が際立って聞こえるようになる。
「オメエは本当に軍人向きじゃねえな。素人だってこんな銃声を聞かされたらそれが有害だってことくらい理解できるぞ。生身じゃ耳やられる……オメエは生身だ。アタシみたいに射撃音を自動的にシャットアウトする機能はねえ……それでもつけてろ……アタシの射撃音で耳をやられて除隊なんて言うのは迷惑な話だ。どうせ消え去る人間に『難聴』で公務災害になりましたなんて言う去り方をされるのはアタシとしても気分が悪いんだ。そのくらいは考えろ」
かなめの言葉は短い。だが声の奥には誠から見ても一目で分かるような実戦で培った自信と、自分のペースを乱されたくないという厳しさが隠れている。
彼女の姿は職人的だ。銃の手入れ一つ、構えの角度一つに至るまで、無駄がない。誠はその手つきに見惚れつつも、口元で必死に平静を装った。
「射撃訓練ですか、熱心ですね……でも、今時、拳銃での銃撃戦なんてそうはありませんよ。軍の学校でも拳銃じゃライフルには勝てないって習いましたから。確かに西園寺さんの拳銃の扱いは僕が教えてもらった教官よりもはるかに実戦的なんでそれに対応していることは分かるんですが……そんな出動がうちにはありえるんですか?」
誠の銃の知識など軍に入ってからのものしかないので、教官の受け売りの言葉を口にした。
「まあ、一般の部隊じゃそうだろうな。でも、うちは『特殊な部隊』なんだ……閉所での戦闘では小さい火器が絶対有利ってこともあり得るんだ。アタシの敵を殺す時の手口は大概拳銃一辺倒でね。そもそもライフルが必要になるような任務は数えるほどしか経験してねえんだ。その任務ははっきり言って『楽』だったな。ライフルで戦争している奴はこんなに楽な戦争をしているのかとその時は心底呆れたよ。だからアタシは拳銃での訓練を止めるわけにはいかねえんだ。その為に備えて拳銃の訓練はアタシは欠かさねえ。銃弾が行きかうのは軍隊の居る場所だろうが武器を持った犯罪者の居る場所でも同じだ。だからアタシは確実にその敵を無力化する。それだけだ」
誠の問いに、かなめは一瞬だけ眉を動かしてから、遠目に射撃レンジを示した。かなめの狙っていたのは拳銃用のレンジではなく一般のライフル用のレンジだった。
「凄いですね」
「凄いんじゃねえ。必要だからやってるだけだ」
かなめは誠を見なかった。
褒め言葉を受け取る気も、距離を縮める気もないらしい。
そんな自分に無関心そうなかなめの連射の速度は誠がこれまで見たどの教官のそれよりも早かった。
それ以前に拳銃用のレンジの数十倍の射程を前提としたライフル用のレンジで拳銃の射撃訓練をしていること自体が誠には信じられなかった。
そしてそのまま隣のレンジに置かれた望遠鏡で弾の着弾を確認しようとした。誠ははるか視線のかなたに着弾したかなめの弾痕を追って目の前にあった双眼鏡を手にした。
レンズの中で十発以上の着弾が的にあったことがわかった。とても生身で不可能なのはこれまでの射撃訓練の名人級と呼ばれる教官のそれの比でない命中精度から理解できた。教官たちもたとえライフルだったとしても、時間をかけて撃つボルトアクションでなければ不可能な集弾性をかなめは拳銃で成し遂げていた。
「凄い……全弾、的に入ってますね……このレンジの距離って何メートルですか?こんな射撃は拳銃じゃ無理だって僕は教わりましたよ」
拳銃の有効射程は30メートル以内。ライフルの有効射程は500メートル以内。それ以外は光学機器を駆使しての精密射撃でようやく千メートルを超える。それより遠い敵になればアンチマテリアルライフルの出番だというのが誠の軍で与えられた知識だった。
「200メートルだな。生身の兵隊ならライフルで裸眼でどうにか狙えるような距離ってとこだ。目が悪い兵隊ならそれも無理だ。でもサイボーグのアタシには拳銃で余裕な距離だ。銃口を向ければサイトを見なくても着弾点が分かるんだ。銃は撃つたびに銃身が熱で歪んでいくもんだが、この銃のその癖も全部アタシの電子の脳には入力済みだからいくら撃とうが確実に当たる。便利なもんだろ?機械の体は……便利だから色々面倒な仕事も押し付けられたもんだ」
誠は返事ができなかった。
かなめの説明は理屈としては理解できる。
だが、自分の手で同じことができる気はまるでしなかった。
銃を構えた時、誠の視界はいつも遅れる。照準は迷い、指は固まり、撃つ前から外す未来だけが見える。
かなめが当然のように語る『撃てる者の常識』は、誠には遠すぎた。
かなめは戸惑った様子の誠を一瞥すると銃をホルスターに差し込んだ。
かなめの表情には得意の銃の腕を褒められたことで気をよくしている様子が見えたので誠は少し安心した。
かなめは誠の感心した様子に気分を良くしたようで再びホルスターから銃を取り出すと手にした拳銃を見せびらかすように誠の前で構えた。
「これがアタシの拳銃の相棒だ。名前はスプリングフィールドXDM40。うちがぶち当たるのは普通の軍隊じゃ考えられないほどの特殊な場所だ。戦闘艦内部での至近距離での拳銃だって状況次第で主戦力になる。だから訓練は抜かりなくやる……オープンフィールドではライフルは意味があるが、閉所戦闘では自由に動かせる範囲がでかい拳銃は十分な戦力になるんだ……もっともランの姐御や叔父貴に言わせると拳銃なんか閉所戦闘ではただ相手が即死することを前提としたこけおどしってのが理屈みたいだけどな、ランの姐御は『関の孫六』、叔父貴は『粟田口国綱』なんていう日本刀を吊り下げていやがる……確かに銃じゃ即死に至らない銃撃は単なる無駄で敵に反撃を食らう可能性はあるが、なんでそんな江戸時代や戦国時代みたいな刀を持ち歩かなきゃいけねえんだよ……理解に苦しむわ」
彼女は手にした拳銃を誠から見えやすいように動かしてみせる。スプリングフィールドXDM40。それが彼女の相棒だという。誠は銃の輪郭を目で追う。黒いスライド、重量感のあるフレーム。かなめは拳銃を愛でるように扱い、まるで手の内に機体の一部を抱えているかのような顔つきだ。
それよりも誠はかなめがどうやら嵯峨を『叔父貴』と呼んでいることが気になって、その事について詳しく聞きたかったが、かなめとの距離がまだつかめない中でそのような親戚関係のことにどう口を挟めばいいのか分からずにいた。
かなめは淡々とした口調で言うが、その瞳には誇りがある。機械化された身体は彼女に‘精度’を与えた。彼女の指先の技術が、それを示している。
誠は双眼鏡で的を覗く。紙の的にいくつもの小さな穴が並び、中心を取り囲むように着弾の群れが見える。的の白が赤茶けている箇所もあり、そこに収まった弾痕は冷たくも力強い。誠は、かなめの『仕事』に対する静かな狂気を感じた。冷徹さと愛情が同居している。人造の身体であっても、彼女の技術は紛れもなく『人間』の領域だった。
ただその精度の裏側に、何発分の『人間の命』が積み上がっているのかを考えないようにしている自分に、誠は薄く気づいていた。
かなめは誠が黙り込んでいるのを見ると銃を仕舞って、ふと訓練場の端に置かれた古い木製ストックのライフルを指差した。
彼女はその古めかしい銃を手に取り、軽くマガジンを装着する。
構え、呼吸、引き金を引く。一連の動作は流れるように美しく、次の瞬間には連射の音が続く。弾は風を切り、的を一列に抉るように当たる。
「拳銃の射程外のオープンフィールドでの狙撃の時はこのSVT-40を使う……第二次世界大戦のときはこの銃を使う女の狙撃兵を恐れてドイツ軍の兵隊がソ連の女性兵士を見るとそれだけで逃げ出したような伝説の銃だ」
第二次世界大戦時に使われたというSVT-40と言う名の銃。かなめが言う通り、見るからに武骨で木製ストックの時代遅れともいえる見た目はサイボーグのかなめが使うには誠には少し不自然に見えた。
「その目、古い銃は性能が悪いとか思ってる、銃を知らねえ素人の顔だな。デザインが現代的じゃねえとでも言いてえのか?銃は当たってなんぼの『兵器』なんだ。サバゲマニアのオタクじゃねえんだから人間工学がどうだのなんて言うデザインなんてものは単なる使い勝手くらいのもんだ。ほかにもアタシは与えられた作戦内容で銃を使い分ける。アタシは実戦経験はあの緑色の髪の女の小隊長殿よりも豊富でね。ケースバイケースで銃を使い分けるくらいの経験は積んでるんだ。さっきオメエも言ってたじゃねえか。状況によってはライフルの方が拳銃より有利なのは事実なんだから。ガンスリンガーならそのくらいの常識は持ってる。まあオメエには関係のねえ話だがな」
そう言ってかなめは上官である小隊長のカウラに向けて嫌味を言って見せた。誠には凶悪な殺人者のようにも見えるかなめらしいと思えてなぜかその言葉に安心感を覚えた。
「軍隊なら楽だ。制服を着た敵が、こっちに銃口を向けてくれる」
かなめはガンラックに銃を戻しながら言った。
「でも、武装警察の現場はそうはいかねえ。顔見知り以外、誰が敵か分からねえこともある。撃つべき相手か、撃っちゃいけねえ相手か。それを読めねえ奴は、味方を撃つ」
誠は喉の奥が乾くのを感じた。
「そして敵には撃たれる。終わりだ。そんなのは戦闘じゃねえ。ただの虐殺ショーだ」
かなめの言葉には戦場の匂いが混じる。だが同時に、研ぎ澄まされた職人気質、妥協を許さぬ段取りの良さ、同僚に対する淡い配慮もにじむ。誠は彼女の佇まいに、いつしか敬意を覚えていた。
狙撃銃での射撃を終えたかなめは、指先で銃口を拭い、ゆっくりと古めかしい銃をガンラックに納めた。そのしぐさは儀礼にも似ている。周囲の整備場や倉庫へ向かう足取りは軽く、作業着の男たちがちらりと顔を向ける。彼らにとって、機体と銃は生活そのものであり、それを扱う者の腕前は即ち『信用』だ。
かなめはその信用を持っていた。
誠には、まだ何もなかった。
銃も、腕も、現場で誰かに背中を預けてもらえるだけの確かなものも。
ただ、撃てない自分が、撃てる者の背中を見ているだけだった。




