第25話 タライと紙吹雪の運航部
誠は一度服についた隊長室の埃を払い落とすと階段を駆け下りた。きれい好きの誠にとってはあのような部屋に出入りする日常がこれから訪れるとなるとそれだけで憂鬱になった。そんな誠の感情とは無関係にコンクリートの冷気が靴底に伝わり、廊下の蛍光灯はいくつかがチカチカと瞬いている。扉の上にかかった小さな札は、折れかけたプラスチック製だが、『運航部』と黒字で凛と書かれていた。その文字が、ここがどこか……単なる事務室ではないことを誇示しているように見えた。
「ここか……『運航部』……例の運用艦とやらを運行する……ブリッジクルーとかが居るのかな?」
誠は扉を押し開いた。誠の目は、一瞬で色に飲み込まれた。中には女性士官ばかり、その髪の色彩が、誠に一瞬ここはアニメフェスティバルのコスプレ会場なんじゃないかという錯覚にとらわれた。
「失礼します!うご!……痛い……」
陽気な音と、金属の何かが当たる大きな音が同時に頭に激しい痛みが走った。痛みに反射的に頭を抱えた誠の視界に、アルミのたらいが跳ねるのが見え、次の瞬間にはクラッカーが破裂して室内に紙吹雪が舞った。歓迎の仕草らしいが、やり過ぎだと顔をしかめる余裕もないほど唐突だった。
『司法局実働部隊運航部にようこそ!』
……これまで業務に集中するふりをしていた女性たちの合唱が頭を抱えてうずくまる誠の耳に響いた。どこまでも能天気で誠の事など何も考えていない彼女達の屈託のない明るい声が誠の耳に響く。
こんな歓迎の方法を予想だにしていなかった誠にはただ立ち上がって笑顔満面のコミックマーケットのアニメキャラのコスプレイヤーがするようなカラフルな髪の色の女性ばかりに囲まれている自分の状況に当惑していた。
その中で一番好奇心旺盛そうな表情を浮かべて最初に出てきたのはピンクの髪の女性が笑顔で誠に笑いかけて来る。髪の色は自然界のそれでは到底あり得ない鮮やかさで、オタクで電車に乗っても酔うレベルの乗り物アレルギーの誠ですら毎年通うコミックマーケットのコスプレイヤーのアニメキャラに似せて染めるというレベルでは説明がつかないような鮮やかなピンク色に目を引かれた。
「何、緊張した顔をしているのよ!そんな事よりこっちこっち!」
彼女は手を差し伸べ、誠を部屋の奥へと引き入れる。
そのやり取りは滑らかで、しかし誠の頬にはまだ汗が残っていた。
ピンク髪の彼女は、誠の混乱などまったく気にしていなかった。
人を引っ張る力だけは妙に強い。
悪意はない。
たぶん、考えもない。
そのくせ左手の薬指ではない指に、やけに高そうなペアリングが光っている。
「私はサラ。サラ・グリファン少尉でーす!運航部の癒やし担当ってことでよろしく!」
彼女は自分でそう言って、自分で納得したようにうなずいた。
たぶん正式な担当ではないことは初めてここに来た誠にも理解できた。
「なにを……タライが落ちてきたような気がするんですけど」
誠はピンクの髪の女性に手を引かれながら広めの部屋に引き込まれた。中は単なるオフィスで、端末が並ぶその雰囲気はこの東和ではいかにも先進的な雰囲気を感じさせるものだった。だがモニターの配置、機材の配列、小さなパネルに貼られた手書きのチェックリスト……普通の事務室とは異なる、『艦のブリッジ』を模した作業環境が、微妙な緊張感を作っている。小さなフィードバック音が絶えず鳴り、壁の一部には見たこともない大型戦闘艦の船橋図が貼られていた。そこに描かれた線は正確そのものだ。
「ごめんね……私もさすがに今回はやめようって言ったんだけどね。ごめんね」
誠がピンクの髪の女性に引っ張られながら声がした方を振り向く。
そこには苦笑いを浮かべた水色のショートカットの女性士官が誠に向けて手を合わせて謝罪していた。
水色の髪の女性は、謝る姿勢が妙に板についていた。
たぶん、この部屋で誰かが何かをやらかすたび、最初に頭を下げる役なのだろう。
本人のせいではない。
だが、本人が謝る。
そういう顔をしていた。
「私はパーラ・ラビロフ中尉。運用艦『ふさ』の副長……というか、だいたいアメリアの後始末係……をやらされてる」
パーラにはこの部屋にいる他の女性達とは違って初対面の人間の頭にタライを落とすことが、いかに失礼なことかを理解できる理性があるんだと知って少し安心する誠だった。
「パーラったらいつもこういう時は常識人ぶっちゃって。私の情操教育がちゃんと効いてないのね?そんな事じゃあいつまでたっても普通の人間にはなれないわよ。それにやっちゃったものは仕方がないじゃない。あと見た感じあまりリアクションも面白くなかったしね。隊長とランちゃんが『いいツッコミ担当が来る』って言ってたけど面白くなかったわよ、今のツッコミ」
そう言いながら誠に向けて手を振るのは、どうやらこの部屋の責任者らしい大きな机を前に立っている長身の誠に匹敵するこれまで誠が出会ったどの女性よりも長身の紺色の長い髪の少佐だった。糸のように細い目をさらに細めて誠を見つめた。
「私の名はアメリア・クラウゼよ。階級は少佐。ここ『運航部』の部長ってことになってるわね。まあ、うちは運用艦『ふさ』のブリッジクルーを想定して編成された部なわけ……つまり誠ちゃんの操縦する元々航続距離が絶望的なシュツルム・パンツァーを戦場に運んでそこで戦闘指揮とかを担当するのがここにいる変な色の髪の女の子のお仕事ってわけよ。そして私がその責任者で運用艦『ふさ』の艦長ってこと。これからもよろしくね♪」
少佐と言う階級と似合わない軽い態度と妙に馴れ馴れしい口調に誠は戸惑いしか感じなかった。そんな不安そうな誠の表情がさもアメリアのつぼにはまったらしく細い糸目をさらに細めてアメリアは誠を自分の運航部の大きな机のそばまで導いた。
「ランちゃんは不器用だから説明しないでしょうけど、うちは『ふさ』のブリッジクルー。あなた達を戦場に運んで、情報と連携と感情までまとめて動かすのが仕事よ」
アメリアはそこでにっこり笑った。
「それにしても、直属の上司があんなにかわいい『人外魔法少女』だなんて、誠ちゃん的にはオタク冥利に尽きるんじゃない? 変身できないことだけ本気で悔しがってるけど」
アメリアの笑顔は、反省している人間のものではなかった。
面白かったか。
面白くなかったか。
彼女の判断基準は、たぶんそこにしかない。
ただ、その指先だけは恐ろしく正確だった。
笑いながら、会話しながら、端末の処理を一つも間違えない。
ふざけているのに、仕事は速い。
それがかえって厄介だった。
目の前のいたずら好きな糸目女と銃に異常な執着を持つ女サイボーグに恐れをなして5人は去った。
言葉はさらりとしているが、その背後には『この隊がいかに特殊な環境で常識人には合わない環境だった』という言い訳じみた風が漂う。
誠は具合が悪くなりかけた胸の内を押さえ、椅子に腰かける。
歓迎の賑やかさが一転して静かな観察に変わる様は、まるで獲物を見定めるかのようだった。
ふとアメリアのやけに馴れ馴れしい態度から離れようと周囲を見回すと、そこにいる全員の髪の色が違っていた。水色、エメラルド、ピンク、紺、そして淡い銀色……どれも人為的な彩度を帯び、自然の色合いを越えている。顔立ちはどれも整っていて、体の動きは洗練されている。
だが、最も印象的だったのはその笑顔を浮かべながら片手間に打ち込む端末の入力速度だった。全員が面白おかしい闖入者である誠を歓迎してタンバリンを叩いたり鈴を手にして振り回したりしている人物もいたものの、誠がアメリアとの会話を始めるとすぐにそれぞれ与えられた仕事に集中する切り替えの早さとその瞳の鋭さは、一般的な人間よりも遥かに早く、かつ広域に周囲を読むようだった。その精度に誠は圧倒されると同時に、薄い違和感を覚えた。
ただ、一人ピンクの髪の誠をこの部屋に引っ張って来た女子隊員は何の仕事も与えられていないようで自分の机に着くとのんびりとポテトチップスを食べ始めたのが妙に浮いているように誠には見えた。
相変わらずこの中で一番馴れ馴れしい態度の運航部部長のアメリアはそのまま席に移動してモニターを操作しながら作業中だったシステムの終了動作を常人では考えられない速度で行うのに誠は目を見張った。
「さっきも言ったけど、うちは『ふさ』のブリッジクルー。軍隊が出れば政治問題になる場所で、警察組織として動くための運用艦の完成を担当する隊員の所属するところよ……ああ、その顔を見るとランちゃんはそんなこと言ってないみたいね。まあ、ランちゃんは戦闘馬鹿のかわいらしい『人外認定設定の魔法少女』だからそんな小難しい理屈なんか説明しないでしょうからね。でも、ランちゃん……かわいいでしょ?直属の上司があんなにかわいいどう見てもアニメに出て来る『魔法少女』だなんてオタク冥利に尽きるんじゃないの?誠ちゃんがバトル系魔法少女マニアだってことは隊長から聞いてたから……まあ、ランちゃんはあの性格からして主役は張れないわね……いわゆるライバルキャラの噛ませ犬役。そして続編でヒロインの相棒として同じくかませ犬としてどてっぱらを貫かれても突撃をやめない力任せの究極の噛ませ犬……ああ、このことはランちゃんには言わないでね♪ランちゃんも自分の噛ませ犬属性は自覚しているみたいだから♪」
端末を終了させたアメリアはおしゃべり大好きと言うような感じで誠に向けてそう言ってきた。その発言の妙にリアリティーのある内容からして誠と同じく相当なアニメオタクであることだけは同じ魔法少女アニメ好きとして共感を覚える誠だった。
『あの『駄目人間』……まったく僕に関する情報については余計なことをあっちこっちに言いふらして遊んでるんだな……でもこの人のアメリア少佐の観察眼……僕の思った通りだ……この人は出来る……『魔法少女アニメマニア』として。確かに……確かに僕はクバルカ中佐をアニメに出て来る『魔法少女』としてしか認識していなかったのは事実だからな。あの見た目と年齢。すでに『人外魔法少女』認定されて当然だと思うんだけど……』
誠はそんなことを考えながら誠は目の前のどう見ても誠より年上の長身の紺色の髪の女性を眺めていた。
「まあ、ランちゃんは変身できないから『魔法少女』失格だってこの前酔った時に泣いて悔しがっていた……ああ、このこともランちゃんには言わないでね。それとあの人が昼休みに一人になって必死に変身する魔法が使えるようになるかを考えているというのも言わない方がいいわよ。あの人、副隊長で私の査定とかする立場の人だから私の査定に響くのは嫌なの。それより、誠ちゃんも東和宇宙軍でパイロットとして訓練を受けてきたわけでしょ?当然、戦場と言う場所においては動かすのは機体だけじゃない。情報、連携、そして人の感情まで含めて『艦』を動かすのよ。それが出来て初めて艦長と呼べる……まあ、その辺は任せておいてね♪なんと言っても私はこう見えてもIQ250もあるんだから」
軽い調子で次々と話題を変えるアメリアの言葉についていくのが精いっぱいの誠の前でアメリアは糸目を細めてニコニコとほほえんでいた。
『IQ250って……この人が言うと、妙に信憑性があるのが腹立たしい』
その糸目で瞳が見えないので何を考えているのかさっぱりわからないアメリアの態度を見て誠はそんなことを考えていた。
「まあ、誠ちゃんはこれまで来た男の子と違って、上官だってことで褒めたりおべんちゃらを使ったりしないのね……私のIQの話をするとこれまでの男子は全員持ち上げるような話をしてきたもの。そんな事を言うのなら隊長はそんな検査受けたことはないけどたぶん私よりもIQは上だと思うわよ。まあ、隊長は意地でもそんな検査は受けないでしょうけど。まあ、これまで来た子は全員元地球人で、それに対して誠ちゃんは遼州人。反応が違うのは当然か……ちょうど私達みたいに……まあ、誠ちゃんにはあの5人と私達の区別は髪の色が違うくらいかもしれないけど」
アメリアの言葉に少し違和感を感じた誠は口を開こうとするがアメリアはそれを制するように手を誠の口の前に差し出す。




