第24話 策士の憎悪
「隊長は何かというとその小遣い3万円の話を持ち出すんだな。そんなに娘に金を握られる生活が不満か?そんなに言うならアタシがオメーの代わりにアイツに……ああ、あの頑固娘には何を言っても無駄か。だが、それで済む問題でもねーだろ。オメーのやり方は、いつ見ても卑怯だ。だが卑怯であることを恐れないところがオメーの常に勝ち続ける理由だ。少なくともアタシに対してはそーだった。世の中は残酷だし、アタシはそれを知ってる。だからこそ、人を守る。オメーは人を弄ぶが、守る時には手厚い。そこが、オメーとアタシの似ているところだな。同じ世間様には顔向けできねーひでー行いで後ろ指さされても当然の存在。そんな部隊の隊長と副隊長か……神前の野郎もとんでもねーところに来ちまったもんだ」
自嘲気味なランの言葉が終わると二人は沈黙した。扉の向こうからは、遠くで誰かが笑う声が響き、廊下の空調が弱く唸る。外の蒸し暑さと隊長室の燻った空気が混じり合い、時間がゆっくりと溶けていく。
嵯峨がふと、棚に置かれた古い写真立てに手を伸ばす。写真の中には、若い頃の嵯峨がどこかの演説会場で拳を突き上げる姿が写っていた。目元に刻まれた皺が、かつての理想と現在の堕落を同時に物語る。
「昔はな、軍人の癖に戦争反対なんて青臭いことを言ってた。陸軍大学校で反戦演説までぶったよ。けど年を食って分かった。正義なんて言葉だけじゃ、誰の腹も膨れない。正義で部下を死なせることもある。卑怯な策で部下を生かすこともある。だったら俺は、卑怯でも生き残る策を選ぶ。その信念だけは捨てるわけにいかねえ……あの頃の俺を知ってるたった一人の友達が言うには俺は変わっているようで変わっちゃいないそうだ。見た目も、考え方も……世間慣れした策のキレの良さだけが変わったところだと奴は俺を言ったよ。まあ、アイツの見た目は立派な中年の将軍様になってたな。話してみるとアイツの中身もアイツと初めて会った時からたいして変わっちゃいなかったがね」
ランはその写真を見て、静かに息を吐いた。目の中に、ほんの一瞬だけ哀しみが揺れる。
「アタシもな。昔は力で全部解決できると思ってた。今は違う。力があるってだけで人を幸せに出来る訳じゃねー。だが、力を持ってるからこそ、責任が付いて回る。それをあの神前の馬鹿に教えるのがアタシらの仕事なんだろーな。隊長、アタシたちはいつも矛盾だらけだ。いつ誰に殺されても文句の言えねー存在だ。だがまー、それがアタシらの生き方ってもんだ……違うか?」
急に真顔になったランは嵯峨を見つめてそう言った。二人は顔を見合わせて、ついどちらともなく笑った。笑いは乾いていて、少し寂しげだが誠実だった。
笑みを浮かべるランに突然、嵯峨は静かに頭を下げ、空いた左手で祈るような仕草をした。
「話は変わるが、お前さんの俺に負けた時に誓った『不殺不傷』というご立派な信条を神前が一人前になるまで……一旦、中断ということにしてくれないかな?これまでのアイツの教育方針だが……そん時に俺はこの『特殊な部隊』を『戦闘集団』にすると言った……司法局実働部隊は名目上は『武装警察』……つまりお巡りさんなんだ。ただ、神前の目覚めを俺と神前のお袋さんが急ぐには……ちょっと訳があってね……」
頭を下げた嵯峨はそう言うと静かにランを見つめた。ランは先の大戦での虐殺行為を強制されたことを思い出して苦笑いを浮かべた。
何も好き好んで無抵抗の市民や捕虜を虐殺したわけではない。だが、その事実は消しようがなかった。
ランが東和共和国に亡命した理由も『不戦中立』を国是としていたところにあった。彼女は東和陸軍に入る時の条件も『戦闘には参加しない』という軍人としては奇妙に見える一文がその契約書に含まれていたのを思い出した。
そんなランに嵯峨はあざ笑うような下品な笑顔で見つめながら頭を下げた。
「俺の得意の『土下座外交』って奴だよ。頼むわ。人間、生きてりゃなんとかなるもんだ。すべての人間は『生きなおせる』ってのが俺のポリシーだ。お前さんには『英雄』を作れとはいわねえよ。むしろアイツには『英雄』なんていう救いようのない人殺しなんざなってもらいたくねえくらいだ。アイツなりに成長してくれればそれでいい、駄目ならやり直す。それが人生さ」
嵯峨の言葉にランは子供のような顔に戻り、ニヤニヤ笑いながら嵯峨を見つめた。
「『不殺不傷』を置いておいてくれってことは……軍関係の『英雄』を自称する『修羅』は斬っていーってことだな?」
そう言うとランは黙って嵯峨をにらみつけた。
「いいぜ。死んでご立派な『護国の神』にでもなりゃあいい。それが俺達の仕事だ。『英雄』は自分の引き起こした『悲劇』の責任を感じて『切腹』でもしてろってところかな……俺の育った国、甲武国は『サムライの国』を自称しているが腹も切れない『サムライ』に何の意味がある?『サムライ』の教科書である『葉隠』には『武士道とは死ぬことに見つけたり』との一文があるぜ。俺は公家だからそんな自殺希望は持ったことはないけど、『サムライ』だったら今すぐ死んで当然で死ぬのが『サムライ』の今すべきことなんだろ?俺のさっき言った昔なじみが居るんだが、国持大名の武家貴族の癖に『俺はサムライに生まれたくって生まれたんじゃないんや!』とか俺が切腹しろと言ったらそう答えやがった。まあ、俺が公家だから『サムライ』が嫌いでそう言っているのは半分は事実だけど」
嵯峨はそう言って冷めたお茶を飲んだ。 そしていかがわしい雑誌の下から、一枚の写真を引き抜いた。
それまで酒と煙草と冗談で濁っていた隊長室の空気が、そこで変わった。
ランもすぐに気づいた。
嵯峨が、その男を嫌っている。
嫌っている、という程度ではない。
そこにはランが初めて見る嵯峨の『憎悪』の表情があった。
嵯峨はそれをランから見えるように、長髪の美丈夫の顔写真をつまみ上げた。
「こいつが復活したおかげで……神前には迷惑をかけそうだ……こいつさえいなければ神前の野郎には平和に暮らしてもらえたのに……こいつが俺達の運命を変えた男……俺がこの『特殊な部隊』を立ち上げた理由を作った男だ。そもそもコイツの相手は地球圏の連中には無理な話だ……コイツとマジでやりあうにはどうしても俺やランや神前のような存在が必要だ……いや、それでも足りないくらいだ。ああ、コイツ一人を相手にするんならお前さん一人でも十分だが……コイツも馬鹿じゃないだろうからそんな間抜けた一対一の決闘なんて申し込んでくることなんて期待できないからね」
その写真の男を見る嵯峨の目つきはこれまでの眠そうなそれとは明らかに異なっていた。
敵意と憎悪に満ちた鋭い眼光がそこにはあった。
「この男は俺達とは『力』に対する認識が違うんだ。この男は、力を責任だと思わない。権利だと思っている。そこが俺達とは決定的に違う」
嵯峨は写真を指で弾いた。
「力を持つ者が好きに奪っていい。弱い者は従えばいい。そういう顔だ。迷いがない。だから救いがない」
嵯峨の声から、いつもの軽さが消えていた。
殺すべき敵を前にしても、嵯峨はたいてい笑っていた。
相手を憎むより先に、どう崩すかを考える男だった。
だが、この写真を見た時だけは違った。
策士の目ではなかった。
ただ一人の人間として、明確に憎んでいる目だった。
ランはその表情を見て、初めて嵯峨を少し怖いと思った。
これまでにない明らかに大量殺戮を経験した少女の目に嵯峨は眉をひそめた。
だが、それを見たランは一度目を閉じると再び柔らかい笑みを浮かべた。
「わかってるよ。こいつ、『力のあるものだけが生き残るのが正しい世界』だとかテメー勝手な理想を掲げて200年前に自分の国を滅茶苦茶にしたせいで、無理やり手に入れた皇帝の地位を追われた『廃帝ハド』は同じ力を持つアタシ達『遼州人』が倒す。こいつにはアタシ等、『力』を持つものじゃなきゃ対抗できねーからな。アタシは地球人は嫌いだが……力のねー連中がいくら自慢の科学をもってしてもこいつには対抗できねー。それどころかコイツ自身が地球の科学を学んで地球人を支配する気満々でいるんだ……アタシ等、この宇宙の科学とは無縁な『力』を持つ遼州人がどうにかしねー限り『廃帝ハド』は止められねー」
かわいらしい少女の顔に不敵な笑みが浮かんだ。
「廃帝ハドは殺す。これは策じゃない。俺の決定だ」
嵯峨の言葉には迷いも相手に対する哀れみも無く冷酷の一言に尽きる響きを湛えていた。そんな嵯峨の冷酷な言葉を聞くとランはかつての殺戮者の笑顔を浮かべて静かにうなずいた。
「そしてもう一つ。進歩を望まない遼州人の本能を利用して、この東和共和国を『アナログ世界』に止めている連中だ。地球圏から進歩的なものが入ってこないよう監視し、その一方で、地球人には考えつかない技術で地球圏まで監視する。科学の進歩で自滅しかけている地球圏から、富を巻き上げることだけを考えている連中だ。地球圏の特権階級より、よほど質が悪い『永遠に続く1984年』に住んでる『ビッグブラザー』の信者は殺して地獄に落とせばいい。人の命を何とも思わない地球人を食い物にするなんて……遼州人にもとんでもない化け物がいたってことだ」
そう言う嵯峨の笑いはより残酷さを帯びてきていた。
「その二つが俺達『遼州人』の『特殊な部隊』の本当の目的だ」
嵯峨の自分への視線に気づいたランは、静かにうなずいた。
「そのための『剣の戦士』には神前がぴったりなんだ。そのために『力』に目覚めれば……そんときゃ、俺達と同じ『法術師』だ。そうなったらあいつは逃げたくても逃げられなくなる……『力』を持った責任があるからな」
嵯峨は静かに焼酎の入った小鉢をあおった。
「アタシ等と同じ『法術師』……」
ランの目が少し悲しみに染められた。
そして一言つぶやいた。
「そうなりゃ、神前と俺達『特殊な部隊』の出会いは『悲しい出会い』になるな。俺のこれまでの人生で得た結論は『強い』ってことは幸福になれる道じゃないってことだ。その程度の『強さ』は強さとは言えないね。それを持つ人間を呪い殺すほどの『強さ』……つまり、ラン、お前さんぐらい『強く』ないと本当に『強い』とは言えない。そしてその『強さ』が自らをいかに蝕むかは……ラン、お前さんがこの世で一番よく知ってるはずだ。神前にはそんな境地まで達する素質がある。それは俺には決して嬉しいことには思えないんだ。『素敵な出会い』を求めて……人はいつも……道を誤る……神前も俺達と同じこんな気分になる時が来るのかね……」
嵯峨の言葉を聞くとランはやれやれという調子で嵯峨を一瞥した後、覚悟を決めたように静かに嵯峨に背を向けて隊長室を後にした。
一人残された嵯峨はそのまま椅子をくるりと回して窓の外に目を向けた。
「俺は『力』なんて欲しくなかった。生まれてからそんなことを一度も願ったことなんかないんだよ。だが、そう生まれてしまった以上、そしてその存在を知った以上、俺には生まれながらにその『力』と向き合う責任がある。そのために俺は『生かされている』……と思う」
嵯峨のあきらめに似たような響きの言葉が響いた。




