表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
遼州戦記 司法局実働部隊の戦い 別名『特殊な部隊』の初陣  作者: 橋本 直
第十章 『特殊な国』『東和共和国』の真実

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

29/81

第28話 モテない宇宙人の平和計画

 夏の暑さにカスミの漂う薄曇りの午後、運航部の詰め所には古い蛍光灯の柔らかな光と、冷房の控えめな低いうなりがある。書棚にぼんやりと並ぶ文庫本の背表紙は色褪せ、何度も手に取られた跡がある。そういう場所に、誠とアメリアは向き合っていた。周囲にはシミュレーションの無音のスクリーン、コーヒーの残り香、そして小さなラックに掛かった防寒ジャンパー。武装警察の『仕事場』でありながら、どこか日常のにおいがする一室だった。


 その光景はこの国の『異常さ』について語るには、あまりにも普通すぎる光景だった。


「その『存在』、『ビッグブラザー』のおかげで『東和共和国』では、地球から独立してから国民の戦死者が『一人』も出ていないわ。こんなに過酷な戦乱が続く遼州星系にあって……まあ、『ビッグブラザー』がなんであれほど二十世紀末『日本』に拘るかは分かるような……分からないような……なにも食べる魚の種類まで合わせる為に海の環境そのものをいじって、わざわざ地球と同じ種類の魚を地球人には理解不能な『魔法』を使って……まあ私はその仕組みは知ってるけどてるんだけどね……地球の日本近海から大量にほぼ全種類揃えて見せるなんて……そんなに魚が好きなのかしら?それとも『日常生活の再現は食にあり』という強烈なこだわりでもあるのかしら……」


 誠は一瞬、言葉の意味を飲み込めずに目をぱちくりさせた。部屋の時計は静かに時を刻み、外の風が古い窓ガラスをさする音だけが聞こえる。アメリアの声は明るくふざけているようで、その内容は重く冷たい事実の塊だった。ただ後半の恐らくアメリアが冗談で言った『ビッグブラザー』という意思がやたらと魚が好きなんじゃないかということには魚が好きな誠は感謝していた。


「え?」


 『遼州政治同盟』による一応の安定が実現した今もなお、遼州星系の各地で今も武力衝突が続いていることは知っていた。


 20年前に終わった、遼州圏を含めた地球人のたどり着いた宇宙全体を覆った『第二次遼州大戦』の死者は、この遼州圏だけでも5億を超えていたという。

 

 特に甲武とゲルパルトの地球への先制核攻撃の死者は突出していて、それこそ20億を超えたという。その後も地球圏や地球に同盟する遼州圏の反甲武・ゲルパルトの国家は損害をものともしない物量戦を展開し通常戦力を使った戦闘やそれに巻き込まれた民間人の死者もまた10億人を超えていた。


 ……そんな時代にあって、アメリアが言うには東和共和国では一人の戦死者も出ていない。それ以前に地球人の遼州到着以来400年近く、遼州圏や地球圏や地球圏が侵略した遼州人の他の三つの知的生命体の絶滅戦争が多くの命を奪った。


 それらむやみたらと戦争を起こす地球人に恐怖することが多い東和共和国の遼州人の誠だが、この国ではそれらの地球圏の核やミサイルが乱れこむ戦いと関わったことが無いという。


 総計で1000億近い人間が核の炎で焼き殺されたこの時代にあって、一切それに関わることなく一人の死者も出ていないという現象は明らかに異常なことであることは誠にも理解できた。


 こんな異常な東和共和国について語るアメリアにはいつものお笑いTシャツを着ているぶっ飛んだ姉ちゃんの面影はなかった。机の上のコップを指先で回しながら、彼女の表情は一段と真剣さを帯びている。


「戦死者がいないってことは戦争に参加していないってこと……でも、それっていいことなのかな……ちょっと疑問なのよね。『東和共和国』だけが平和で他は戦争ばかり。というかむしろ東和共和国はそう言った戦争がしたい国に『無制限の戦時国債の受け入れ』という甘言で自分とは無関係なところで戦争が起きるように煽っている……この国が国内経済は一切成長せず、かといって輸出が増えている訳でもないのに経済的に繁栄しているのは地球人の『闘争本能』に付け込んで政府系金融機関が戦争を望む地球人の国々から戦時国債の生み出す多額の富がその原因。『戦争は平和である』……まさにその言葉がこの国にはぴったりくるわ。でもそんな自分勝手に地球人の本能を利用して戦争を煽って自滅へと導こうだなんて……それはちょっと違うんじゃないかなって私は思うの」


 アメリアは真剣な表情で話を続けた。窓の外、通りを歩く人影がふと止まる。彼女の声はかすかに低く、そこに含まれる重みは誠の胸にじわじわと浸みてくる。


「それ以上に東和を守る意思『ビッグブラザー』には東和の『一国平和主義』を完遂できる自信がある。そのキーワードは。『アナログ式量子コンピュータ』と『それに同期する通信システム』。それに『情報戦』と『電子戦』。そして、その解説書がこれよ」


 そう言ってアメリアは一冊の文庫本を誠に手渡した。その背表紙は擦り切れており、頁の端が手垢で茶色くなっている。誠は本を受け取り、頁をめくる指先が一瞬だけ震えた。


「作者は『ジョージ・オーウェル』……地球人ですよね、この人」


 誠は古びた文庫本を手に取ってその著者名を読み上げた。


 回し読みでもされたように、その本は手あかに汚れていた。


 誠は学生時代に教科書の端で見たことがある程度の作家名だ。だが、本の実物を手に取るのは今回が初めてに近い。生活の細部を示す古本の匂いが、彼には少しだけ特別に感じられた。


「題名は『1984年』。SF小説の金字塔とか呼ばれてるわ。そこに登場する超存在『ビッグブラザー』をこの『東和共和国』は『アナログ式量子コンピュータ』を使って作り上げることに成功した……まあ、これも隊長の受け売りなんだけどね」

挿絵(By みてみん)

 誠は本の背表紙を見つめながら、頭の中でキーワードが結び付いていくのを感じた。アメリアの口調は普段通り砕けているが、話の内容は軍事的で技術的だ。部屋にかかる空気が静かに引き締まる。ただのSF小説の名前だと思っていたものが、自分の暮らす国の『取扱説明書』だと言われる居心地の悪さに、誠はぞくりとした。


「SF小説の『指導者』がなんでこの国に君臨してるんですか?」


 誠はほとんど『ちゃんとした本』を読んだことが無いので、アメリアにそう尋ねることしかできなかった。巡る言葉の一つ一つが、彼の既知の世界を少しずつ解体している気がする。


「誠ちゃんの『理系脳』でもわかるように言うと、『デジタル』はどんなに進化しても『0』と『1』の2進法でしかない。これは知ってるでしょ?」


 笑顔のアメリアに誠は静かにうなづく。窓辺のプラントが揺れ、午後の光が本の頁を淡く照らす。アメリアの説明は噛み砕かれ、誠の理系的直感に触れる。


「でも、『アナログ』な世界には無限のパターンが存在するわけ。アナログの世界は数字で割り切れない無限の可能性がある。その無限を量子コンピュータの特性であるその圧倒的なデータ処理速度で実現したのが『アナログ式量子コンピュータ』。そう考えてみると、人間の脳は神経細胞『ニューロン』のプラスとマイナスの反応でしか認識できないから、地球のコンピュータと同じで『デジタル』なのよ。まあ、『デジタル』で考えるのが普通の『ヒューマノイド』ね。『無機的コンピュータ』も『有機・生体コンピュータ』も結局は『デジタル』信号で動いているのは同じだもの。『アナログ』の世界をそのまま『アナログ』で理解することは人間にもできない。『量子コンピュータ』の圧倒的な計算能力が『アナログ』なこの世界を『アナログ』な世界のまま計算し、理解することができる技術を手に入れることができた」


 誠はその『理系脳』に導かれてアメリアの言葉にうなずいた。彼は頭の中で、アナログとデジタル、そして『存在』の関係を図に描くように整理してみる。だが、図の端にある『意思』というワードがまだ輪郭を持たない。


 それを見て満足したようにアメリアは続けた。


「でもね、遼州人は頭の構造は地球人と同じに『ニューロン』で反応するデジタルな脳の持主でも、見た現実を見たままで理解したいと考える『デジタル』とかとは無縁の『アナログ人間』だから、『量子コンピュータ』が『アナログなシステム』で動くことに着目したの。その結果出来た『アナログ量子コンピュータ』は0と1ですべてを分析するという工程を経ないと現象を理解し回答を得ることができない『デジタル』のコンピュータとはまるで違う認識方式で情報の入力を受け入れてそれを判断する。当然、そんなこれまで不可能と思われた入力システムで情報を処理するそのシステムは『デジタル』で送られる単純な『デジタル』の通信を瞬時に解析ができちゃうの。その東和共和国が地球圏到達以前に開発していたその技術により地球圏が何を考えても東和共和国で『ビッグブラザー』は所詮『殺人狂』にしか過ぎない地球人の蛮行を嗤って見守っていることができた……なぜならいつでも自分に銃口を向けた瞬間に地球人のすべてを『電子戦』で絶滅させられる自信があったから」

挿絵(By みてみん)

 教え導くように言うアメリアの言葉が誠の知識の枠を超えた。ノートに走り書きする指がない誠は、頭の中でその仕組みを追いかけるのに必死だ。だが、アメリアの説明が示すのは単なる技術ではなく、技術が国家を規定する「政治性」だった。


 誠は、説明の細部は追いきれないながらも……『東和のコンピュータは、地球人のそれとは根本から別物らしい』ということだけは理解した。そもそもこの東和共和国からその持ち前の『もんじゃ焼き製造マシン』と呼ばれる乗り物酔い体質から出たことが無い誠は『デジタルなシステムで動くコンピュータ』という物の存在は知っていたが実物を見たことが無かった。


 『量子コンピュータ』がプラスとマイナスだけではなく、原子の数だけ無限の数値を表す『アナログコンピュータ』であることは誠にも理解できた。『デジタル』の粒子が『アナログ』の世界を完全に表現できないことや、『デジタルシステム』が『アナログ世界』の遼州系のハッカーには余裕で潰せる脆いシステムだということは誠も十分理解している。


 しかし、それがなぜ悪いことなのか?


 確かに異常なことだが、悪いことには思えなかった。


 それが誠には理解できなかった。


 平和で何が悪いのか?


 宇宙は戦いに満ちている。


 この『東和共和国』ぐらい平和であってもいいはずだ。


 誠にもやたらと自分と違う存在を見つけると騒ぎ立て徒党を組み、それが国家であれば核戦争まで行う地球人がこの宇宙から消えてくれればいいと思ったことは何回かあった。


 誠はなんとかアメリアの言葉に反論しようとするが、語彙力が完全に不足していた。窓の外、小さな自転車が通り過ぎる音が聞こえるだけで、議論の輪郭が曖昧に消えていく。


「平和で中立的な立場はいいことなんだけど、もしそれが『この国』を統括する『存在』の身勝手な『意思』の結果だとしたら?気持ち悪くない?少なくとも私にはそうおもえるなあ……さっき言ったように食べ物まで二十世紀末日本を完全再現しようとしたり、形が似ているからと言って深海を埋め立てたり、湿地に無理やり山を作ってそれが火山でもないのにその山頂に噴煙を模した煙が出る機械を置くなんてどう考えても変だもの。なんでそんなに二十世紀末日本にこだわるの『ビッグブラザー』さん、もしあったら聞いてみたいわね。まあ、私が同じ遼州圏でも『デジタル』システムの管理下にあるゲルパルトの出身だからかもしれないけど」


 アメリアの笑顔が悲しそうな色を帯びた。穏やかな空気が一瞬引き締まり、誠は背筋に冷たいものを感じた。


 誠は何も言えずに彼女の次の言葉を待った。

挿絵(By みてみん)

「さっきも言ったけど『戦争は平和である』……この言葉を聞いて誠ちゃんは、誠ちゃんはどう思う?」


 アメリアは、いつもの陽気な顔ではなく、まるで"誰かに見られている"かのように小声で言った。 声は低く、部屋の隅にまで届くか届かないかの瀬戸際だ。


「これは、地球の作家が創り出した『架空の概念』だったはず。でも、この国では、それが『現実』になっている。地球圏の国家間でわずかなすれ違いでも起きれば『電子戦』でネット空間やメディアを管理するAIに介入して戦争を望むような世論を作り上げて国家指導者の特権階級でさえ制御不能な状況に持って行き、その状態でその特権階級に核戦争による絶滅戦争を勧めて法外な金利の『戦時国債』の引き受けを約束して開戦にこぎつける。核の雨を食らう相手国は反撃のミサイルを撃とうとしても全システムがダウンしていて何の反撃もできずその国は滅亡する……結果として東和共和国にとって危険な存在である一つの国が減り、『戦時国債』がトンデモナイ額の安定した富をこの国にもたらす……そうしてすべての戦争を外部に押し付けて、危険な地球人の国同士を戦わせて一つ一つ潰していって、この国だけは平和であり続ける。そんな他から見ても不自然極まりない出来事をこの平和が当たり前の国では誰も疑問を抱かない。だって、反論できる人間は誰もいなくなったんだから。他国に残酷である『ビッグブラザー』は自国民にも残酷になれる。その存在を表立って口にすれば地上から消されるのがこの国のルール……そして消されたという事実さえこの国では忘れ去られるように仕組まれている……」


 誠は背筋に冷たいものを感じた。


 事実、誠は生まれた時から何者かに監視されていると以前アメリアは言った。


 その証拠も見た。


 誠にも『監視者』の存在は実感することが出来た。壁にある小さなカメラ、夜間の巡回記録、思いがけない人物の面会記録。それらは『安心』を与えると同時に『監視』を意味していた。


「ちょっと……難しかったかな?特に『戦時国債』なんて社会科学系の知識のおぼつかない誠ちゃんには難しかったかもしれないわね。政府系金融機関が時々それを使ったファンドを発行するんだけどとんでもない利率でびっくりするわよ。誠ちゃんの銀行預金の100倍なんて当たり前なんだから。まあ、核戦争に負ければその国家も滅んで国民も絶滅するんだから東和の『戦時国債』の利率がどんなに無茶苦茶に高金利でも引き受けに応じないといけないんだからそうなるわけだけど……その仕組みなんて誠ちゃんには……『高学歴』だけど、社会科学系・文科系の知識ゼロだから。誠ちゃんにでも理解できるように簡単に言うとね、『負けたら国ごと消える』ギャンブルに、自分の命と国を担保にして借金する。その借金の相手が東和共和国……ギャンブルは主催者だけが儲かるシステムなのは知ってるでしょ?東和共和国にとっては何時地球に攻めて来るか分からない地球人が一人でも減った上にお金までは言って来る最高のシステムが完成したってこと」


 アメリアの顔が元の『特殊な部隊』の『特殊』な運用艦艦長に戻るのを眺めながら、誠は自分が『神』に選ばれた国に暮らしている事実に戸惑っていた。アメリアは話の重さを一瞬で軽くする達人だ。その軽さがあるから、重さがより際立つ。


「あと、これは『遼州人』が宇宙に誇っていい最大の『文化的功績』なんだけどね」


 いつの間にかアメリアの顔は『女芸人』のそれに戻っていた。彼女は話の流れをちゃめっ気で切り替えることで、誠の不安を和らげようとしているのがわかる。


「僕達に『文化的功績』なんてあるんですか?確かにさっき聞いた『アナログ式量子コンピュータ』による平和は驚異的というか狂気を感じるほどで、僕達が豊かに暮らせるのにその狂気の錬金術である『戦時国債』があるなんてことは怖い話ですけど……それ以外はただ地球の真似ばかりしているだけじゃないですか……この国の在り方もどうせ20世紀末の地球の真似なんでしょ?しかも『サンマ』とか『サバ』とか『アジ』が食べたいから地球から運んで来たり20世紀末日本を再現するためにどう考えても無駄な建設工事をするなんてもうそこまで行くと僕達東和の人間は『馬鹿』としか言えないじゃないですか?そんな『馬鹿』である遼州人がどんな『文化的功績』なんてできるんですか?それはなんですか?そうせろくでもないことなんでしょ?」


 誠もこの『東和共和国』が20世紀末の日本の『よくできたコピー』にすぎないことは知っていた。机の引き出しに入っている古ぼけた切符やレシート、20世紀の映画の断片的記憶が、彼の中の『模倣』感を強める。


 誠は文化的功績とやらがろくなものでないことは察しがついていた。


「『デジタル』が進歩しないことによってメディアの質が『アナログ的』に進化した……より20世紀末の日本を進化させることに成功した……結果、きわめて愛が生まれにくい環境を実現したのよ!まあ、これは元々遼州人の思考回路の特性がより積極的に拡大した成果なんだけどね。ともかくひたすら愛が生まれない事だけを願い愛を完全否定する遼州人の特徴がこの400年の間により強化されたわけ♪」


「!!」


 誠はあまりのアメリアのすっとぼけた対応に呆然とするばかりだった。アメリアの語る『文化的功績』は、どこか皮肉混じりで、しかし致命的に本気だ。


「それだけじゃないわ、『モテない宇宙人』の『遼州人』はそのモテない力により、本来は『殺人狂の地球人でも平和になれる方法』を提案しそれを地球圏や遼州圏に示してるわ。地球圏の地球人は『馬鹿馬鹿しい!』とその方法を拒否しているけど、遼州圏の元地球人はそれに興味を示したから6年前意遼州同盟が発足したんじゃないかなあと言うのが私の意見なんだけど。その『殺人狂の地球人でも平和になれる方法』で人類に平和をもたらす方法を編み出した……精神科医が研究したところによると遼州人には恋愛感情というものが地球人と比べて圧倒的に少ないらしいわよ……それが平和をもたらす鍵!すべての知的生命体がモテなければ戦争は起きない!」


 精神科医の研究結果を持ち出すのは『理系脳』の誠に対しては効果的だった。彼は数字と研究に弱いわけではない。だが『恋愛感情の少なさ』を『文明の防波堤』に結びつける発想は、彼の世界観を大きく揺さぶるものだった。そしてそんな目の前でアメリアは力強く右腕を振り上げて熱弁した。


 ただし熱さを帯びるアメリアの演説に反して『モテない宇宙人』扱いされた遼州人である誠心は冷めていった。


「アメリアさん。モテないことは自慢になりませんよ。そんな力による『平和』は僕には必要ありません。それに僕にも恋愛感情くらいあります。その精神科医はマッドサイエンティストなんじゃないですか?」


 誠のそんなむなしい願いをよそにアメリアは話題を続けた。彼女は笑いながら、だがその笑顔の端に鋭い刃が見える。


「地球人の『モテる』と言う過信が常に戦争を引き起こしてきたの……すべての争いは人口の増加が原因と言ってもいいわ。地球人が『殺人狂』で『戦争大好き』なのも愛があるから!地球では戦争で活躍した人殺しは『モテる』のよ!人殺しが『モテる』ってことは地球人の愛は人を殺すことを称賛する勘定だと言い切れるわ!つまり、愛は人類を滅ぼすのよ!そうよ、もしすべての宇宙の人々が『遼州人』の『自分はモテないんだ、一生異性と話なんてできないんだ』という恋愛と背を向けた魂を持てば、人口が爆発的に増え少ない資源を奪い合うような争いごとは起きずに平和に暮らせるようになる。それってすごい『功績』じゃない?隣の遼州人の国『遼帝国』はこの40年の内乱で人口が半分になったけど、遼州人はモテないから人口が元の水準に戻るまであと五千万年かかるらしいわね……まあ1億年かけても人口が倍にしかならなかった遼州人なら当然のことかもしれないけど」


 冗談かもしれない。だがアメリアの声は本気に満ちていて、話の終わりに微笑みが残る。誠にはそれが皮肉であるのか信念であるのか判断がつかない。


 そう言ってアメリアはいたずらっ子のような笑みを浮かべた。


「まず!地球人も遼州人のように『モテない』を極めれば平和になるのよ!地球人も『モテない』を極めて恋愛を完全否定して一生を一人でモテない自分と向き合って生きる遼州人の生き方を学ぶべきなんだわ!」

挿絵(By みてみん)

 はっきりと、力強くアメリアは言い切った。窓の近くで紙屑が小さく舞い、誠はそれを見つめたまま自分の胸にある穴を意識する。


 誠は自分がモテないことは『胃弱』からだと思っていたが、周りの女子も男子も『モテなかった』と言う事実を知らされて唖然とした。


「モテないこと……それ自慢になります?というか、僕はアメリアさん曰く『モテない宇宙人』の遼州人ですけど好きで『モテない』わけじゃないんで。機会があれば『モテたい』んで」


 そう言うのが誠には精一杯だった。


 誠の『モテたい』という切羽詰まった願いがそう言わせていた。彼の胸には、いつか誰かに選ばれるという単純な希望が残っていた。


「自慢になるわよ。まず、『愛』が非常に生まれにくい!人口統計とか誠ちゃんには無縁の社会的なデータを見ればその効果は絶大だって誰にでも分かるわ!生涯未婚率80%!しかも婚外子がほとんどいないから子供の数が1億2千万の人口がいるのに、年間の出生数が20万人を切っている!まあ、死亡する人数はもっと少ないんだけどね」


 さらに誠は目が点になった。数字は無慈悲で、ユーモアを許さない。彼の頭の中で、未来の人口ピラミッドがざわつく。


 全然自慢ができる話ではない。


 『愛』がフィクションだという説は友人ともよく話し合ったが、きっとあるんだろうとあこがれていた『童貞』の誠にとってそれは認めがたい現実だった。


「もっとはっきり言うわね。『愛』の発生を『全力で阻止』する民族性だから、『愛』の結晶である『子供』があまり生まれないのよ!誠ちゃんの家はどうか知らないけど、整備班の男子たちに聞くと運よく下心満載で女子を家に連れて来るといいタイミングでお母さんや妹が邪魔に入って絶対にその関係が上手くいくことはあり得ないって。遼州人には男女の愛を見ると嫉妬に駆られてそれを意地でも阻害する宿命的本能が仕組まれているのよ!それに元々脳科学者の研究論文では遼州人には『愛』をつかさどる部位が異常に小さいと結論が出ているわ!この星は『愛』無き星なのよ!」


 その言葉はどこか滑稽だが、同時に重たい。誠は自分の生き方の根幹が否定されたような気分になった。愛の存在が小さければ、生も小さくなるのか。


 誠は地球の似たような国で起きた『少子高齢化』と言う現象を思い出した。教室で聞いた統計と、アメリアが語る刻々とした数値が混ざり合う。


「子供が増えないと社会が発展しないじゃないですか。だからこの国はいつまでたっても20世紀末状態なんですよ」


 子供のころから社会を非難する常套句『世紀末状態』と言う、誠にしては珍しい文系の言葉を使ってアメリアをいさめた。図書館で拾った断片的知識を総動員しての抗弁だ。アメリアはくすりと笑い、目を細める。


「いい?誠ちゃん。すべての戦争の根本原因は『愛』なのよ!」


  アメリアは拳を握りしめて力説する。彼女の顔は真剣そのものだ。誠は思わずその拳を凝視した。そこにはユーモラスさの影はない。


「戦争はなぜ起きる? 欲望があるから! なぜ欲望が生まれる? 愛があるから! つまり、愛がなければ戦争は起きないの!」


 誠は呆然とアメリアを見つめた。言葉は短絡的に聞こえるが、彼女の表現は一貫していて、そこにはある種のロジックがある。


「そんな理論、成り立つわけないじゃないですか!」


 『モテない』ことを意地でも肯定するアメリアに『モテない』自覚のある誠は『モテたい』と言う希望を込めてそう反論した。


「成り立ってるのよ!誠ちゃんも『モテたい」の?諦めなさい!あなたは遼州人!そしてこの東和共和国はその『モテない宇宙人』の国である東和共和国!『モテる』ことなど絶望的ね!」


 アメリアはドヤ顔で言い放った。部屋の蛍光灯が一瞬チラついて、二人の影が壁に伸びる。誠の心の奥にあった淡い希望が、泡のように弾ける音を立てる。


「すべては平和のため!平和のために兵士と言う生贄(いけにえ)が必要とされる社会よりもすべての人が『モテない』ことで平和を実現する方がよっぽど建設的よ!」


  誠は目の前が真っ暗になった。自分の将来を描くどころか、恋愛の可能性さえ奪われる響きだ。


『……そんなことで、俺の恋愛フラグはへし折られるのか……』


 そんな誠の心の声を読み取ったようにアメリアはそう言って右手を握りしめて誠を細い目でにらみつけた。一瞬、冗談に見せかけた威圧だ。誠は反射的に後ずさる。


「そんなに一方的に、『モテない現実』を肯定するための理論武装をしないでくださいよ、アメリアさん……それってアメリアさんがひたすら見合いを一回で断られた腹いせで暴論を振りかざしているように僕には聞こえてきたんですけど……」


 少し余裕のある反応を誠はすることができた。それは彼が自分の内面で小さな抵抗を見つけたからだ。モテない理由を胃腸や運命のせいにしていた自分が、突然『モテない宿命を持った宇宙人』という重しを背負わされる感覚に耐えられなかった。


「誠ちゃん!そんな私の個人事情はこの際忘れなさい!そう、私達には『モテない』宇宙人として全宇宙の『モテない奴等』を結集して『モテる奴等』の愛を片っ端から破局に追い込んで『人口爆発』を防ぎ、宇宙の恒久平和を実現する義務があるのよ!」


 誠は完全に呆れていた。アメリアは冗談のように語るが、その発想は根深い社会哲学に由来している。誠の胸に、妙な誇りと憤りが入り混じった。


 確かに誠の同級生達も見合い以外で結婚した人間はいない。


 だが、それにしても夢が無さすぎる。


『もしアメリアさんの言うことが事実なら……僕は一生『モテない』のか……』


 誠はアメリアに絶望していた。彼の中で『もしかしたら』という期待が消え、代わりに現実の冷たさが入り込む。


「さっきから話を聞いてて思ったんですけど……アメリアさん……意外と婚活とかしてます?この国でも20%は結婚してるんでしょ?実は愛を一番欲してるのはアメリアさん自身じゃ無いですか?」


 ここで冷静に戻ってツッコミを入れるのが自分の役割だと察してきた誠はそう言ってみた。悪ふざけで結ぶには重すぎる夜の話題だ。


 急にアメリアは天を仰ぎ、自嘲気味な笑みを浮かべて誠に流し目を向けた。彼女の目はいつものおどけた声色に戻るが、その後ろに微かな諦念が見える。


「豊川市役所とか菱川重工豊川工場(となりのこうじょう)の幹部って……ほとんど見合い結婚済みなのよね……そうなると意地でもモテる女を潰したくなるじゃない?25歳過ぎた女には結婚する権利が無いですって……私の行ってる結婚相談所も女性は35歳で強制退会させられるのよ。それってちょっと酷くない?」

挿絵(By みてみん)

 世界を俯瞰していたはずの議論が、気づけば『となりの婚活地獄』の話に着地している。その滑稽さに、誠は苦笑いするしかなかった。


「やっぱり?」


 誠の予想通り、でかすぎる女、アメリア・クラウゼ少佐はモテなかった。彼女の見た目や振る舞いが理由かもしれないが、ここでは『モテないこと』が価値観にまで昇華されているのが面白い。


 アメリアの『モテない宣言』は続いた。確かにあの『女芸人気質』と『糸目』と言うツッコミどころが気になる男はアメリアには近づいては来ないだろう。


「でも……モテないことによる『恒久平和』は要りません……僕はまだ夢は捨てきれていないんで」


 誠は少しは『モテたい』と思っているのでアメリアの理想には賛同できなかった。寝起きのように浮かぶ彼の正直さは、この会話のなかで唯一無垢な光だ。


「すでに誠ちゃんと『愛』が芽生えそうな『女子二名』と『野郎数名』の目星はついているわ。私達は『愛を破壊する平和の使者』として誠ちゃんの『愛』が絶対成就しないようにがんばるから!」


 『女子二名』との『愛』が芽生えるかもしれない。アメリアの言葉に誠はつばを飲み込んだ。希望と陰謀が同時に提示される光景は、ユーモアの皮をかぶった恐ろしい真実だ。


「僕を好きな人がいるんですか?この『特殊な部隊』に」


 誠はアメリアに縋るような瞳を向けて尋ねた。欲望は人間を動かす根源であり、同時に最も脆弱な部分でもある。


「女二人は境遇から見て誠ちゃんに同情しそうだから……できるだけ誠ちゃんと遭遇しないように『部長権限』を駆使してシフト変更してるのよ……誠ちゃんが配属になる前にうちの子達にアンケートを取って、これだなあ……と思った子は全員誠ちゃんとは会わせないようにしているの。今日も一人は運航艦の母港に私の代わりに行ってもらってるし……もう一人は……あの子は便利だから手放せないのよね……でもなんとか愛の発生だけは防いで見せるわ!」


 非情なアメリアの言葉に誠は言葉を失った。完全な『権力乱用』で誠の『愛』を粉砕するアメリアの意思にこの遼州が『特殊な星系』であることを再認識した。だが、その乱用の動機は、つまるところ愛を守るための奇妙な過保護でもある。


「それにその二人には色々と誠ちゃんのことを吹き込んで誠ちゃんを嫌いになるように仕組む予定。たぶん今度会う時は『愛』など芽生える余地は無いでしょうね」


 いかにも自分はやり切ったという表情でアメリアは誇って見せた。


「あんたは何てことしてくれるんですか!人の人生を壊すのがそんなに楽しいんですか!」


 誠は心の底から憎しみを込めた叫び声をアメリアに浴びせかけた。だがその叫びは一瞬で消え、空気が元に戻る。アメリアはまるで悪戯をした子供のように肩をすくめる。


「あと他に整備班の技術下士官の『野郎数名』がその候補になりそうなんだけど……」


 アメリアがニコニコ笑って誠に話しかけた。耳に残るのは彼女の高い声と、机の角に残る古いコーヒー輪染み。


「いいです、僕にはそっちの趣味は無いんで。BLアニメ好きのアメリアさんとは違います!」


 すげなく断る誠だが、こんなことで引き下がるアメリアではない。彼女は世話焼きと破壊者を兼ねる存在だ。


「きっと、いい男がつなぎを着て『やらないか』とか言ってくるんじゃない?面白そう」


 誠には一名、整備班員のつなぎを着たいい男に心当たりがあった。島田先輩の顔がちらりと浮かぶ。


「島田先輩ですか?」


 確かに『いい男』であり、最後に見たときはつなぎを着ていた。


「はずれ!島田君は『純情硬派』が売りの『愛と性の完全分離に成功した宇宙初の存在』だから、それに彼は隊の男子で唯一の彼女持ちでサラ一筋なの!うらやましいけどあれはあれで結構笑えるわよ。馬鹿馬鹿しくて。『これが愛?馬鹿馬鹿しい』って私でも思うくらい」


 誠は暴力をかさに島田に欲望のままに蹂躙されて何かに目覚める危機から救われたという事実にほっと一息ついた。島田の純情さは意外な防波堤になるらしい。


「いいです。遼州人である自分が恥ずかしくなったんで、席に戻ります」


 アメリアの馬鹿話に疲れ果てた誠はこういって『モテない教祖』、アメリアが部長を務める『運航部』の詰め所から逃げ出すことにした。扉の開け閉めの音が小さく響き、外の廊下に出ると普段の空気が戻る。足元に落ちている古い新聞の切れ端を踏みしめながら、誠は自分の位置を再確認するしかなかった。


 誠の心にはまだ小さな希望が灯っている。『モテない』ことをアイデンティティにする遼州文化に囲まれていても、彼は内側で『誰か』を求めている。アメリアの理論は笑い飛ばせるものではなく、同時に彼の皮膚感覚を揺らしていた。平和のために愛を捨てる、という発想……それが彼の内的な声をかき乱した。


 その希望が、どれほど慎ましく、そして無謀でより危険な運命に誠自身を導くものなのかを、誠はまだ知らない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ