第21話 月島屋の章――去った五人と、残った一人
店の空気はまだ温かかった。春子の店内に残る炭火の匂いと、酒で柔らかくなった声が折り重なって、外の夜風とは別の時間を作っている。誠は串を指でつまみながら、先輩たちの会話をぼんやり聞いている。相変わらずここでは、問題は笑いに変えられて消費される。気張る必要はないが、場のやり取りの中から人間関係のルールが静かに学ばれていく。
「『パイ』の次に来た『水鉄砲』って奴……アイツは嫌な奴だったな。他にアタシの思いつく表現がなにもねえ。そんくらい嫌な奴……嫌な奴だった」
ラム酒を飲みながらかなめは一刀両断に誠の先任者を斬り捨てた。その表情は不愉快そのものと言った感じだった。『嫌な奴』以外の言葉で表現したくない。かなめの目にはそんな覚悟が誠からも見て取ることができた。かなめの顔は、何気ない会話の中で一瞬だけ険を帯びた。
「嫌な奴って……そんな誰から見ても嫌な奴って人って滅多にいませんよ。きっと西園寺さんにはその人の良いところが見えなかっただけですよ。西園寺さんだってその人の生まれた時から西園寺さんに会うまでのその人の生活をすべて見てきたわけじゃ無いでしょ?そう言う物ですよ」
何とかフォローを入れないとあとでひどい目に逢いそうな予感がして誠はそう言って見せた。
誠の声には優しさがある。場の空気を和らげようとする習性は、彼が人とぶつかるのを極力避けたい地球人には無い遼州人的な性質でもある。無理に褒めず、過剰に持ち上げず、しかし否定もしない……その中庸さが、かえって場を落ち着かせる。
「誠ちゃんの言う通りよ。少なくとも私にはそんな嫌な奴には思えなかったけど。ちゃんと私の事は立ててくれたし、礼儀もちゃんとわきまえてたし。ただ、確かに自分の立ち位置が理解できていないような雰囲気はあったけど、それを言うならそれを理解しようともせずに自分だけいい思いをしようとばかりしていた『バケツ』よりはマシよ!私は自分だけ安全圏に立っておいしい思いをしようとするような良い男ギャグは私は認めないから!」
相変わらずアメリアは一人で勝手に自分で言いだした『バケツ』の言動に勝手に腹を立てていた。かなめの言う通り『特殊な部隊』で一番的に回してはいけない人物はアメリアなのかもしれない。いつでも銃口を向けて来るがそれなりにおだてれば何とか気を良くしてくれそうなかなめに比べてもアメリアの執念深さに誠は寒気を感じた。
「私は元落語家だからお笑いにはうるさいの!ギャグは自分を最低のラインにまで引き落として上から見上げるようにしてこそ初めて意味があるのよ!私もテレビで偉そうに世間を語るお笑いタレントなんかテレビで見ると私もすぐにチャンネル変えるもの!それと私達の努力の結晶の同人エロゲを馬鹿にするのは絶対許さない!需要があるってことはそれだけ求められているってことじゃないの!ここは『モテない宇宙人』である遼州人の国の東和共和国なのよ!その『モテない自覚』に付け込んでいい思いをしようとした神経がまず許せないわね!『バケツ』のような自信過剰の『モテ男』なんか都内のホストクラブでお金払えばいくらでも会えるじゃないの!そんな無個性で価値のない存在と私達の価値あるエロゲとどっちが意味があるかなんて考えるまでもないわ!」
誠はアメリアの元落語家と言う信じていいのか迷う過去を聞いて驚いたが、それ以上に個人的な好き嫌いを前面に出して語る彼女の独断と偏見塗れの言葉に呆れていた。誠には、その妙な筋の通し方が、偏屈で、ちょっと格好いいと思えてしまうのだった。
「西園寺、アメリア。貴様等は人当たりやその自分に合うか会わないかという個人的な考え方でパイロットを評価しているが、私達に要求されるのは一にも二にも操縦技術だ。その点では二人とも合格だった。好き嫌いで相手を評価するんじゃない。我々は別に趣味で『武装警察』をしている訳じゃないんだ。我々が隊で待機任務と訓練の日々を過ごしている理由はあくまで任務遂行のための準備でそれは仕事なんだ。そんな人間性や趣味で評価が欲しいのならば芸術家にでもなれ。それが芸術ならばその二つだけで出会う人間を評価しても構わないだろう」
感情的に出て行ったパイロット達を評価しているかなめやアメリアと違いカウラはあくまで冷静にそう言いきった。
「あの程度の腕の新人パイロットなんて代わりはいくらでも居るんだよ!それにうちの機動部隊長は名伯楽として知られたランの姐御だぞ。ランの姐御は『どんな下手っぴでもアタシの手にかかれば2年で誰からもそいつを天才パイロットと呼ばせて見せる』と豪語してた。そんな事だったら今どれくらい強かろうが意味ねえじゃねか!だったら先輩であるアタシ等が好きかどうか、そっちの方が問題な訳だ。その点では『水鉄砲』は失格だ。アタシはこいつは嫌いだった。その感情だけはどうしようもねえ!」
カウラとかなめの応酬が交互に店内の時間を刻んでいく。カウラの物言いは常に静かで冷静、かなめは情熱的で直情的だ。誠はその両方に居心地のよさを感じる。対照的な性格が一つのチームを支えていることを、彼は体感している。
「西園寺さんは『嫌な奴』としかいいませんけど……その『水鉄砲』とか言う人のどの辺が嫌でどこ出身の人なんですか?それを教えてくれなきゃ僕もどう反応して良いのか分からないですよ。まあ、どうせ本名なんて覚えてないんでしょうけど」
誠の向けた言葉にかなめはグラスを手にしたままそっぽを向く。
「地球人の中華系の建てた遼大陸北部の『遼北人民共和国』。軍大学出のエリートパイロットよ。かなめちゃんも甲武国の陸軍士官学校出のエリートじゃない……同じ軍学校の出身者らしく仲良くしてあげれば良かったのに」
アメリアの何気ない一言に誠は驚いたようにかなめに視線を向けた。
かなめの過去は誇りと反発で出来ている。出自を問われると、いつも言葉尻に棘がつく。
遼州の各地は文化も価値観も違う。この遼大陸の東に浮かぶ火山列島の国、東和共和国と遼大陸南部の遼帝国は遼州圏でも数少ないほとんどが遼州人の国だが、それ以外の元地球人の国々は地球圏の元出身国の伝統文化や社会制度を引き継いでいるので同じ遼州圏とは思えないほどの違いがあった。持ち前の『もんじゃ焼き製造マシン』と呼ばれる乗り物酔い体質から海外旅行の経験がない誠でも遼州圏の元地球人の国々のそれらの価値観の違いはテレビの旅番組やニュース番組で知ることができた。共通点と言えばほとんどの地域で日本語を日常言語として使っていることくらい。他の考え方はまるで違う。その違いゆえに6年前に遼州同盟が正式に発足するまで遼州圏に住む元地球人達は戦争を続けてきた。
誠は遼州人の誠から見てどう見ても遼州人にしか見えないかなめ。彼女が元地球人の国……正確に言えば現在はアメリカ信託領ジャパンの出身者の元地球人達が作った国である甲武国の出身と聞いて驚いた。
甲武国では誠が知る限り、平安時代日本の社会制度による強固な身分制度を持っていることを『誇るべき伝統』として遼州圏の軍事大国として君臨してきたというのが東和国民の誠の甲武と言う国の見方だった。
つまり誠の頭の中では、同じ遼州でも、東和と甲武は『たまたま日本語が通じる別の世界』くらいに違う、という理解だった。
東和で生まれ育ったまことでも『大正ロマンの国』と呼ばれる甲武国の高い身分の人間だけがエリートになれる環境でエリートとしての教育を受けてきたと知って感心したようにかなめを見つめた。
「西園寺さん……エリートなんですか!貴族制国家の『甲武国』のエリートって……良い家柄に生まれたんですね……あそこの軍のエリートってみんな偉い『サムライ』なんでしょ?西園寺さんも『サムライ』なんですか?」
甲武国の身分制度の厳しさには同じ日本語文化圏として多少の知識のある誠は驚いたようにそう言った。
誠の驚きは純粋だ。20世紀末日本を模倣した国である東和共和国の格差や身分とはまるで縁のない環境で育った誠には、名門や出自に価値をおく文化があることは知識として理解しても、自分から望むかどうかは別問題だ。
「『サムライ』?神前よ……アタシの前でその言葉を二度と口にするな。アタシの家は『西園寺家』だ。西園寺家と言えば、日本じゃ『大臣家』と呼ばれる藤原北家の中でも名を知られた公家の名門だ。あの国で『サムライ』は公家のアタシに顎で使われて喜んでアタシが『腹を斬れ』と言ったら即座に腹を斬ることしか取り柄のねえ無能の集団だ。そんな奴に戦争で全権を任せたから第二次遼州大戦では甲武国は負けたんだ。それよりそんなアタシの過去の話なんてどうでもいい。士官学校時代の自称『サムライ』の武家貴族出身の野郎共にはいい思い出無いからな。まあ、どうせエリートはうちの水は合わねえだろ?ランの姐御もエリート嫌いだし」
その問いにかなめは全責任をちっちゃな機動部隊長のランに押し付けた。かなめの『サムライ』への嫌悪は、ただの悪口ではなく、自分の家名ごと背負った感情なのだと、誠はようやく察した。
「しかし、射撃の素養は高かったろ?西園寺は人をまず射撃で評価するからな……その点は評価してやってもいいんじゃないのか?」
あくまで理性的にカウラはここまで誠が話しただけでも感情で人を判断するところが分かるかなめに向けてそう言った。
「確かに、そこは認めてやってもいいが……まあ『生身では』の限定がつくがな。つまりアタシに勝てる要素がなにもねえってことだ。神前は模擬戦でアタシに勝った。その時点でアイツには神前以上の価値が何一つ無かったということになる。神前、オメエはエリートよりはるかにマシなんだ。立派な『落ちこぼれ』としてアタシは評価しているぞ!」
それとなく言ったカウラの言葉をかなめはあっさり覆してみせる。
人は『機械の体』を与えられたとき、別の尺度で評価される。かなめの言う『生身では』という限定は、軍事という文脈では致命的な差異を意味する。感情的にも馬が合わず、能力的にも物足りないということをかなめは言いたいのだろうと誠は理解した。そして最後に意地でも誠を『落ちこぼれ』扱いするのも口汚いかなめらしくて誠は苦笑いを浮かべていた。
「まあ、あのやる気の無さそうな態度を見れば誰が見ても『上からの指示で来た』ってのは見ればわかったけどね。何を言っても『はい』としか言わないし。言葉を話すのがもったいないとでもいうようにここでも黙り込んで……まるでお通夜みたいだったわね、あの飲み会。あの飲み会の後も勤務中は同盟機構の遼北人民共和国の知り合いと周りに聞こえないような小さな声で中国語で電話ばっかりしていて……私は『ラスト・バタリオン』だから中国語も理解できるのよ!その内容をここでバラしてあげても良いけど、そんなことをかなめちゃんに言ったら同盟機構が本当に解体して失業したくないから黙っとくけどね」
アメリアはビールを飲みながらそう言って笑って見せた。
アメリアの冗談交じりの脅しは場を和ませる。誠はその調子に安堵する一方で、部隊という組織の複雑さを感じ取る。外部からの圧力、上層部の意向、仲間たちの出自……それらが混じることで部隊の輪郭が形作られているのが分かった。
「その人も一週間持たなかったんですか?まあ、そんな感じですよね。これだけ西園寺さんに嫌われて、アメリアさんはその会話を盗み聞きした後はひたすらそれをネタにその『水鉄砲』とか言う人を脅したりゆすったりしたんでしょ?普通の神経の人なら間違いなく逃げ出しますね。その人が西園寺さんを怒らせて射殺されずに今この世に生きているとしたら」
誠が水を向けると三人は静かにうなずいた。
去っていく者、残る者……どちらにも理由がある。少なくともこれまでの男達は去ることを選んだ。誠は自分がどういう道を選ぶことになるのかと少し不安を感じていた。
「そうか……アイツを撃ち殺しておけばあの嫌味な面を思い出さなくて済んだんだ……。神前、なんでそん時にアタシにそのことを教えてくれなかったんだよ!アタシも何度もオメエを引っ張る悪だくみでオメエの履歴書を送った会社に嫌がらせの電話をしてたからオメエが履歴書に『西園寺さん撃てば全部解決です!』と履歴書に書けば……」
かなめは真顔で誠を見つめてそう言った。
「それどんな履歴書の自己PRなんですか?それと西園寺さんが僕の就職活動を妨害していることをなんでその時の僕が知ってることが前提なんですか?」
誠は嵯峨の悪だくみにはかなめもしっかり協力していた事実を知ると同時に、あまりにも過ぎた冗談を言うかなめに苦笑いしかできなかった。
「まあ、神前の言うことは無視するとして、『水鉄砲』の野郎はこっちが言うことを軽んじて生返事ばかりして、かと言ってこちらが下手に出るとすぐ偉そうにつけあがりやがって……エリートそのものって奴だな!あの態度。あそこも社会主義の国だ。経済こそ資本主義的だが一党独裁で遼北労働党のエリートが全権を握ってるんだ……どうせアイツも労働党員でそっちの方で出世したいんだろ?胸糞悪い!」
かなめの吐き捨てるような言葉に、春子が目配せで笑いを返す。客席の一角では酒を片手に誰かが相槌を打つ。誠は、その雑多な喧噪の中に安心を見つける。争いの多い世界でも、互いに守る者がいれば小さな平和が成立する。
「かなめちゃん……そんなに嫌わなくても……それに存在そのものが『空気』だと思えば邪魔にならない子だったじゃないの。何にも自分から話しかけるわけでもないし、こちらから声をかけても普通に会話は成立していたし」
アメリアのフォローに聞く耳持たないというようにかなめは顔を逸らしてラム酒を口にした。
ラムの香りはかなめの怒りを和らげ、笑いに戻す媒介となる。酒場はそういう場所だ……怒りも笑いも、やがて同じ杯で割り切られてしまう。
「まあ、あの顔つきと言葉尻からすると、隊長がどうせアイツはうちの水には合わないのは間違いないから一週間様子を見てそれでだめなら出て行っていいって言ったから一週間居ただけって感じだったな。まあ典型的な上意下達で動くエリートの態度だ。実際あれほどあっさりとした去り際は私も予想していなかった」
カウラもこの男のことは気に入らないらしく何の感動も無いような表情でそう言った。
カウラの言葉は的確だ。誠は少しずつ、部隊の中での『居心地』の決め手が何かを感得していく。それは技量や資格だけではなく、柔軟さや場に馴染む力、時にユーモアを受け流す度量だ。
「確かにカウラの言う通りだ。出ていくときはあっさりしてたなあいつ。『一週間お世話になりました』ってアタシ等に一礼してそのまま出て行っておしまい。遼北の中華料理はあんなに脂っこくてしつっこいのに……ああ、ムカつく!」
不機嫌そうにそう言うとかなめはグラスに残ったラムを喉に流し込んだ。
怒りはすぐに笑いへ変わる。誠はその流転を受け止め、いつか自分もこの場で笑い話を作るのだろうかとぼんやり考える。
「礼を失したわけじゃないんだから問題はないんじゃないのか?それが組織に生きるということだ……気に入らなくても上の指示には従わなければならない社会主義国では特にその傾向が強い」
カウラは淡々とそう言って鶏肉ではなく豚肉の三枚肉を太い串で刺した見慣れない串物を口に運んだ。
「さすがカウラちゃんは分かってらっしゃる……小夏ちゃん!ビール追加!」
そう言うとアメリアは相変わらずの何を考えているのか分からない笑顔でビールを注文した。
アメリア、かなめ、カウラの順の答えに誠は少し自分の置かれた状況がそれなりにヤバいモノだと察しながら静かにビールを口にした。
酒は場を繋ぎ、話題をさらっていく。誠は自分の心に湧く不安を、カウンターの温もりに預ける。ここで学ぶのは、戦術ではなく人付き合いの術である。
「で、最後に来たのが『一斗缶』……ってアメリア……さすがにやりすぎだろ。ここまでくると。アタシも初対面の人間を銃で脅すことはあっても一斗缶を落としたことはねえぞ」
かなめはニヤニヤ笑いながらそう言った。ただ、かなめも初対面の人間にいきなり銃を突きつけるという時点で完全にアウトな人間なんだと誠は自分のかなめとの初対面がかなめに言わせればかなり丁寧なものだったらしいと理解した。
「あのー『一斗缶』を落としたんですか?頭に?今じゃテレビだってそこまでやったらPTAが黙って無いですよ?司法局の人事部辺りから怒られたりしないんですか……というかこれまでの事を聞いた限りだと怒っても無駄だと司法局の偉い人もアメリアさんを見ているんですね」
いかにも嬉しそうなかなめの言葉に誠は驚きの言葉を発した。もはやここまで行くとギャグと言うよりいじめである。いきなり初配属先で一斗缶を落とされればそれはもう暴力である。
アメリアの声は陽気だが内容は過激だ。誠はその中で自分が笑えるかどうかを瞬時に判断し、その場の空気に合わせる。
「そこを『おいしい』と思える誠ちゃんみたいな精神が無いとうちじゃあ務まらないのよ……一斗缶を落とされてもそこで一ツッコミ入れる。ツッコミが唯一の『才能』の誠ちゃんならできるわよね?」
アメリアはビールを飲みながら笑顔でそうつぶやいた。
誠はツッコミを期待されて困惑する。同時にそんな才能はいらない、と心の中でだけ全力でツッコんだ。
「アメリアさん。僕は一度もあの部屋に入るとすぐにタライを頭に落されたことを『おいしい』とは思ってないですよ。それ以前にそんな状況でツッコミなんてできません!」
誠はこれからも続くであろうハプニングを想像しながらアメリアに口答えをした。
「なによ、きっちりツッコんどいて。まあ、遼大陸西部の砂漠地帯の国『西モスレム首長国連邦』のいい大学出て、それなりに軍での出世コースにいた奴がいきなり一斗缶を落とされたらいい気はしないな」
そう言いながらカウラは苦笑いを浮かべる。
カウラの冷静な視点は、誠にとって安心材料だ。怒りや防衛本能ではなく、事実を整理して語る人の存在は、騒がしいこの場で彼を落ち着かせる。
「その人は何日持ちました?いきなり一斗缶……普通いい気分になる訳が無いですよね?」
もうこのいじめを受けた諸先輩に誠に言える言葉はそれだけだった。ランが誠を連れてくる時言ったように、この部隊はハラスメントの天国である。
「まあ、こいつも一週間目に辞めるって叔父貴に言ったらしいな。一週間後にはタクシーで出て行ったから。でも、こいつは残ると思ったんだけどな」
どこからその発想が出るのか理解できかねるようなことを言いながらかなめは誠の皿に自分の皿のレバーを置いた。
「西園寺。人にはそれぞれ思う所がある。貴様が酒の話をするたびに嫌な顔をするあの男にその度に銃を突き付けて脅したのは誰だ?」
カウラはそう言ってかなめに向けてにらむような視線を向けた。
「誰だったっけ……それに銃口は向けたがマガジンが入っていなかった。何にも問題はねえだろ?」
かなめとカウラの漫才を見ながら誠は苦笑いを浮かべつつアメリアに目を向けた。
笑いがまた場を満たす。誠は肩の力を抜いて、ここでの居場所を少しずつ自分の内側に刻んでいく。
「まあ、『西モスレム』の99%はイスラム教徒であの子もちゃんとしたイスラム教徒だったから、アルコールがNGだったのよ。そんな彼の前でかなめちゃんは何かというと酒の話ばっかりして、その聞き方が気に入らないとか言ってすぐに銃を持ち出すんだから逃げて当然よ。それにラマダンとか朝夕の祈りとかいろいろあるでしょ?イスラムの人って。それを理解していない島田君が祈りの邪魔をしたり飲みに誘うもんだから……うちの飲み会の醜態をしらふで見せられ続けたわけ。しかもこの店じゃなくて島田君行きつけの沖縄料理の店で……ああ、誠ちゃんはあそこには行かない方がいいわよ。あそこの整備班の野郎ばかりの飲み会は整備班の王様である島田君以外にとっては地獄みたいだから」
アメリアの何気ない助言が誠の恐怖を煽った。島田を王とする整備班の厳格なヒエラルヒーが適応される無茶な飲み会。あの島田の性格を会って数十分で理解できた誠でもそれが地獄そのものだろうことは想像がついた。
「ええ、ご助言有難うございます。それ、辛そうですね……たぶん島田先輩はイスラム教の存在そのものを知らない可能性がありますよ。あの人馬鹿なんで」
今の飲み会はまだマシだろうということは島田のハイテンションを若干理解している誠には察することができた。大学時代もやんちゃをしている同級生達のイカレタ飲みっぷりを知っているだけに、島田達整備班の飲みも半端ではないことは想像がついた。
「結局この人も」
誠は三人の顔を見回しながらそう言った。三人は誠の絶望を見抜いたかのように静かにうなずく。
「一週間で『はい、さようなら』。で、誠ちゃんは晴れて正パイロットの席を確保したと」
いかにも楽しげにアメリアはそう言うと鳥皮を手に取る。
「別に確保したいわけじゃないですけど。確かに『法術師』の秘密は気になりますが」
アメリアのまとめに誠は少しばかり違和感を感じながらそう答えるしかなかった。誠がこうしてここに座っているのは自分を監視していた『法術師』に関心を持つ勢力を断定することだと自分に言い聞かせていた。
そして同時に誠の地位に就く予定だった五人のことを思おうと同情の念を抱かざるを得なかった。
「いやあ、盛り上がった!不愉快なことも多かったけどあの五人もこれだけ酒の肴になれれば辞めても本望でしょ?」
上機嫌でアメリアがビールのジョッキをカウンターに叩きつける。
「そうか?アタシ達より連中の方が不愉快だったと思うけど。まあ別にアタシには出てった野郎のことなんか興味もねえけど」
かなめはそう言ってラム酒をチビリとやった。
「これまでの連中とは違っていい感じだったな。最後の『一斗缶』にも前に来た脱落者達の話はしなかったからな。アメリアにそういう話をさせるとは神前はこれまでの連中とは違う」
そう言いながらカウラが立ち上がる。
カウラの視点は常に先を見据えている。誠は、その助言に静かな責任感を感じる。
「もう終わりか?もう少し飲んでいかねえか?なんだか飲み足りねえ気分なんだ。アタシは神前の話を何にも聞いてねえ。それは不公平だろ?」
レモンハートの瓶を傾けながら、かなめが不服そうにそうつぶやいた。カラオケで盛り上がっていた運航部と整備班の隊員達も歌いつかれたというように帰り支度を始め、誠達の前からはいつの間にか焼鳥盛り合わせが消えていた。
「西園寺さん。明日は金曜日ですよ。勤務があります!それにほら!皆さん帰るみたいですよ、後から来た人達も」
誠は晴れやかな笑顔で店を出て行く先輩達を作り笑顔で見送った。誠自身、他の5人同様にここに居着いて良いのか迷っている最中だった。
あまりに敵意むき出しの外部への対応、そして存在意義自体が不明の機動特殊部隊と言う部隊の性質。どちらも誠にはただの税金の無駄遣いにしか思えなかった。
「明日も仕事か……仕方ねえな。アタシがいつか皆殺しにする予定の甲武の貴族主義の連中も待ってくれねえだろうからな。今日は帰るとするか」
誠の言葉に明らかに飲み足りないというようにかなめはグラスに残った酒をあおった。
「それじゃあ、お勘定はランちゃんに付けといて……かなめちゃんの酒は現金で清算してね」
「言われなくても分かってるよ!」
アメリアとかなめの言葉を聞くと小夏は跳ねるようにレジに向かう。誠とカウラはそれを見ながら縄のれんをくぐる。
夜の路地に出ると、外気は店内の温度を引き算したようにひんやりしている。誠は頬に当たる風を感じながら、今日聞いた話の断片を一つずつ胸に収めた。
日暮れすぎのアスファルトの焦げる匂いを嗅ぎながら豊川のひなびた路地に転がり出る誠達の前を野良犬が通り抜ける。
「なんだか楽しかったです……それに僕は前の人とは違って水が合いそうです。そんな気がします」
誠はそう言って頭を下げた。
「結構飲んでたが……大丈夫か?」
カウラの気遣いに誠は照れながら彼女の後に続いて『スカイラインGTR』の待つコインパーキングに向かった。
車へ向かう道すがら、誠は自分の居場所について静かに考えた。争いに身を投じるつもりはないが、誰かに必要とされるという感覚は心地よい。
「どうだ……うちは……まあ今のところ仕事なんかほとんどねえからな……今の遼州同盟は平和だ……遼南内戦なんかがあった10年前とはわけが違う。『司法局実働部隊』?『軍の介入が政治問題になりかねない紛争に介入するための特殊部隊』?今の遼州にそんなの必要ねえって!間違いねえ!アタシ等はタダ飯食って、昼寝して、好きな時に銃を撃つのがお仕事。そう理解しとけ!」
かなめは手を差し出してくるアメリアに自分のラムの分の勘定を渡しながらそうつぶやいた。確かに最後の締めのかなめの『特殊な部隊』の仕事の理解が今の『特殊な部隊』の現状なのだろうと誠は理解した。
「そうですね……遼南内戦も収束して……8年前に大規模な内戦があった甲武国の政情も安定しているらしいですから」
誠は少ない社会知識を動員してそう言って三人に笑いかけた。
「教官の言ったことをおうむ返しにしても意味が無いぞ。いまだに西のベルルカン大陸では遼州人や元地球人や地球圏の国家の利権が複雑に入り組んで幾多の国々で内戦やクーデターが起きている。平和なんて……いつ来るか……うちにいつ出動命令が出るか分からないんだ」
カウラは誠をそう言ってにらみつけた。
カウラの目は曇らない。誠はそこに現実を見る。平和は相対的で、いつでも壊れうる。だが、壊れることを恐れて内向きになるのではなく、準備を怠らないことが重要だという感覚もまた、ここでは共有されている。
「なあに、ベルルカンの失敗国家の清算も進んでるからな。それがらみで出動はあり得る話だ……まあそれは政治屋さんのお仕事で、それこそ軍のお仕事だ。うちは軍事警察……関係無い無い!」
かなめは上機嫌でそう言って誠達を置いて歩き始めた。
「本当にそうでしょうか?」
誠はどうにも納得がいかないというように先頭を肩で風を切って歩くアメリアに話しかけた。
「かなめちゃんの言い分は半分は本当ね。ベルルカンにうちが出張るのはもう少し情勢が落ち着いてからでしょう……同盟機構も『鬼門』であるあの大陸には自分から手を出すとは考えられないし……同盟加盟国に同盟機構が要請している経済封鎖が効果を見せてきて、停戦合意とかが出来て、それから初めて選挙監視とか難民の帰国なんかが始まる……紛争地帯が一日で平和になるわけないじゃないの。そうなったら助っ人に呼ばれるかもしれないけどね」
誠はアメリアがまともなことを言うのを呆然とした顔で眺めていた。
「でも……そうすると僕はなんで必要なんでしょう?」
「なんで?そりゃあ想定外の事態に備える!それがうちらの仕事だからだ」
けげんな表情を浮かべる誠の肩をかなめが叩いた。
「そう言うものよ、お仕事なんて」
アメリアの笑顔を見ても誠は今1つ納得できなかった。
「そう言うもんですか……」
「そう言うものだ。国際機関と言うのは必要だから作られる。我々司法局実働部隊も同盟機構の一武装組織としての必要性から作られた。時が来れば動く。ただそれだけだ」
念を押すようにカウラはそう言うと車のキーを取り出して誠に笑いかけるのだった。
彼女達の言葉は単純だが、そこには現実的な合理性がある。理系で合理的な考え方が好きな誠には理解しやすい考え方だった。誠は、自分が今夜聞いた『5人の話』も、この部隊の『想定外への備え』の一部なのかもしれない、とふと思った。
「それじゃあ神前!島田が用意した寮の部屋まで送るぞ!カウラ!車を出せ!」
オーナー気取りのかなめに渋々ポケットをあさるカウラ。夏の夜はどこまでも平和だった。
あの五人が座れなかった席に、自分がこうして腰を下ろしている……その事実が、少し飲み過ぎたビールより重く胸に沈んでいた。




