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代償 其の三

 イケメン店員さんが空になったワイングラスにワインを注ごうとすると、木場先生はそれを制止してワイングラスをテーブルに置いた。


 木場先生は妖しげな笑みを口元に浮かべると、目を細めながら雷電丸に話しかける。


「ほう、そこまで知っていたとは驚きだ」


「知らぬわけがなかろう。それこそがワシ等力士の起源と言っても過言ではないからの」


 力士の起源? 確かに相撲は神話の時代から存在していて、確立されたのは江戸時代頃。その起源は4世紀に天皇の前で行われた、出雲の宿禰と大和の蹴速の天覧試合が始まりとも言われていた。


 でも、穢れ祓いとか国譲りの儀なんて言葉は相撲史では聞いたこともないわ。


『雷電丸、それって何の話? 国譲りの儀とか穢れ祓いなんて話、私聞いたこともないんだけれども?』


「そこは私から説明しようか」


 木場先生は私の声に反応したんか、真剣な面持ちで話し始めた。


「話すと長くなるのでね、要点だけをかいつまんで説明させてもらおう。相撲とは、元々、その年の農作物の収穫を占う祭りの儀式から始まり、それがいつしか宮廷の行事となり神事となっていった」


 それは私も知っている。相撲の歴史を調べれば、どの歴史書にもその程度の内容は書かれているはず。私が知りたいのはもっと先の、隠された歴史の方だ。


「しかし、本当はそうではない。神話の時代から、相撲は穢れと呼ばれる存在からこの国を守ってきたシステムだったのだ」


『何だか、話が妙な方向に進んでいるわね』


 沼野先輩は両腕を組んでただ黙って木場先生の話を聞いている。その様子を見る限り、沼野先輩は事情を把握しているみたいだ。相撲部に来てから穢れ祓いや神事の単語を耳にしたのは、彼の呟きから聞いたのだ。間違いなく彼も関係者なのだろう。


 静川さんは、既に木場先生の話を理解することを諦め、一人だけ肉を焼き続けていた。


 多分、話が終わった後で彼女は、双葉っち、結局どういう話だったのか教えて? と私に可愛らしく訊ねてくることだろう。


 木場先生は話を続けた。


「かつて、この国には悪神が蔓延っていた。悪神は人々を喰らい国を荒らした。その為、神々は人々を守るために、とある提案を悪神に持ち掛けたのだ。それこそが『国譲りの儀』だよ。その内容とはこうだ。それぞれの代表者が戦い、勝った方に国を譲るというもの。要は国の支配権を巡って悪神と人類の代表者が戦い、勝った方が国の支配者になるというものだ。その勝負方法というのが相撲だったというわけだよ」


 あまりにも壮大な話を前に、私は驚くことすら忘れて呆気に取られてしまった。


 世界を救うなんてのは、よく読むライトノベルやアニメなどでよく見かける展開だな、と思った。


 でも、まさか自分の日常の周りに世界の危機なんてものがゴロゴロ転がっているだなんて誰が想像するだろうか。


「簡単に言ってしまえば世界を救うために手を貸して欲しい、ということだよ」


『世界を救うだんて、スケールが大きくなりすぎて頭が回らないわ?』


 正直、目が回る思いだった。質の悪いドッキリでも撮影しているのではないだろうか、と思いたかったが、それが現実であることはうっすらと気付いていた。何故なら、私には《《雷電丸》》という非現実的存在が既に私の中に実在しているからだ。ここで妖怪や悪魔が現れたところで、あまり驚きはしないだろう。


 すると、静川さんは口の中にあったものを急いで飲み込むと、考え込む様にうーんと唸った。


「世界を救うために、双葉っちと沼野先輩はお相撲をして、あたしはそのお手伝いをすればいいってこと?」


「その通り。実に簡単なお仕事だろう? 静川君、君には期待しているよ」


「何だかよく分からないけど、双葉っちがやるなら、あたしも頑張るし!」


 私はまだやるとは言ってませんけれども!? でも、雷電丸が断るわけがないわよね。だって大好きな相撲に関して、彼が断わることなんて絶対に在り得ないのだから。そういえばさっき、アルバイトをするって即答していたのだった。私は諦めてがっくりと肩を落とした。


「本音を言えば断るつもりじゃったぞ?」と、雷電丸は静かに呟いた。


 一瞬、その場の空気が凍り付いた。


 沼野先輩は驚いたように目を見開き、雷電丸を凝視していた。


 木場先生は不意を突かれたように目を丸めると、少し動揺した表情を浮かべた。


「この戦いはその時代に生きる者達でするべきじゃと儂は思う。故に、いつかこの話を誰かに持ち掛けられた時の為に、儂はとっくに答えを用意しておったんじゃ」


「高天、何を言っているんだ? お前だってこの時代に生きる人間だろう?」


 沼野先輩は戸惑いに眉をしかめながら雷電丸に問い掛けた。


 私は逡巡する。彼等に私達の秘密を打ち明けた方がいいのかしら? 私の中にいる雷電丸が、実は魂だけ転生してきた古の大横綱だということを。


 その時、私の胸に恐怖が湧いた。もし、その事実を彼等に打ち明けた時、私はどうなってしまうんだろうか?


 静川さんをチラッと見る。彼女の笑顔は果たして私にも向けられるのだろうか? まだ友達だって言ってくれるだろうか?


 私の友達は双葉っちじゃなくて雷電丸の方だし! と罵声を浴びせかけてくるのだろうか?


 そう考えた瞬間、私は精神世界で全身が凍てついたように寒くなり、うずくまってしまった。


 大丈夫じゃよ、と雷電丸の声が聞えた。そして、精神世界でうずくまる私の頭を誰かがそっと優しく撫でてくれたような気がした。


 それで私は我に返ることが出来た。


 雷電丸は私の声が聞こえていたのか、沼野先輩の問いかけには答えずそのまま話を続けた。


「詳しいことは言えんが、その戦いに身を投じれば、儂の大事な者の命が危うくなるかもしれん。儂はあやつにだけは怖い思いはさせたくないんじゃ」


 雷電丸は寂しげに呟くと、目線を下に落とした。


 私の為に本当は戦いを断ろうとしてくれていたのね?


 すると、私の胸はたちまち熱を帯びる。まさか雷電丸からこんな優しい言葉が聞けるだなんて思いもしなかったからだ。こんなに気遣われたことなどかつてあっただろうか?


 雷電丸はそのまま言葉を続けた。

 

「と、思っていたのじゃがな!」


 雷電丸はそう言うと、胸を張り上げてニカッと白い歯を輝かせた。


「どの道、儂等に選択肢はないんじゃろ? 仕方ないから儂の力を貸してやろう! 穢れ祓い、どんと来いじゃ!」と言いながら、雷電丸はガハハハハと豪快な笑い声を上げた。


 はいはい、やっぱりそうなりますよね。百%予想していたからこちらにダメージはなかった。でも、むしろ安心した。雷電丸の気遣いは嬉しかったが、やっぱり彼は破天荒なくらいがちょうどいい。私は自然と口元に笑みがこぼれた。


 他の三人は一瞬だけ呆気にとられたあと、安堵した様に肩を落としながら深く嘆息していた。


「高天君、あまり驚かせてくれるな。君に断られたら大変なことになるところだったよ」そう言って木場先生は額に浮かんだ汗を腕で拭った。


「他に逸材がおればワシも断っておったじゃろう。しかし、現代にはろくな力士が存在しておらん様じゃ。このままでは世界は間違いなく悪神に支配されてしまうじゃろうて」


 その時、私の脳裏には、先日雷電丸に見せたネット動画の一件が過った。その時の雷電丸は失望感に塗れ、酷く寂しげな表情を浮かべていたのだっけ。


『現代の横綱では、その国譲りの儀で勝利することは出来ないってこと?』


「先日、ようつべで見せてもらった限り、不知火関とやらは横綱どころか、ワシ等の時代ではフンドシ持ちがせいぜいじゃろう。全く話にならんわい」


『それは流石に大袈裟じゃないかしら?』


 流石にそれは言い過ぎだろうと私はムカッとした。私の知る限り、現代の横綱は歴代の横綱達と比べても戦績で比較する限り歴代最強の横綱と称賛されているのだ。


 それがフンドシ持ち程度の実力しかないですって?


 私は現代の横綱と雷電丸との取り組みを頭でシュミレーションしてみる。


 二人が組み合った瞬間、雷電丸が横綱を国技館の外まで放り出すシーンしか思い浮かばなかった。

 

『うぐぐ……悔しいけれども雷電丸に敵う力士のイメージが湧かないわ』


 私が悔しそうに歯噛みしていると、木場先生が話しかけてくる。


「案ずるな、高天君。もし国譲りの儀に敗北しても、世界が滅びることはない」


『あ、やっぱりそうですよね。世界の危機がその辺にほいほいと転がっているわけがないのよ』


「この街が消滅し、我々が生贄に捧げられるだけのことだよ」


 ははは、と木場先生は笑いながら、近くのイケメン店員さんにワインのお代わりを頼んだ。


 あれ? いまあっさりと、すっごく絶望的な言葉を聞いた様な気がするわね?

 私は固まりながら木場先生に問い掛ける。


『えっと、それって……?』


「国譲りの儀は、現在も各地で行われているのだよ。私が君たちに御願いするのは、大祓(おおはらえ)前の単なる煤払い。つまり、この街で行われている小規模な国譲りの儀に参加し、穢れを祓ってもらいたいのだ」


『ちょっと待って!? 情報量が多すぎて頭が追い付かないわ⁉ 大祓(おおはらえ)と煤払いの違いが分からないし、生贄にされるとかの説明がまだですよ⁉』


「大祓が本場所で、煤払いが地方巡業と考えればよい」雷電丸がしたり顔で会話に入って来る。


『それは分かった! それで、生贄のくだりは!?』


 私の叫びに、木場先生が説明を続ける。


「小規模とはいえ、国譲りの儀に敗北するというのは、その土地が悪神に支配されることを意味する。敗北した人類がどうなるか想像力を働かせてみたまえ。恐らく、君の想像する最悪は軽々と凌駕するだろう」


 殺されるならまだマシってことよね? それはつまり……考えるのも嫌になってくるわ。


「なら、敗北した人類がどうなるのか教えてあげよう。その前に一つ質問をさせてもらおうか。君達は『東京』という都市を知っているかね?」


 木場先生の問いかけに、私と静川さんはお互いの目を合わせると、不思議そうに首を傾げた。


 何故、そんなクイズを今私達に出題するんだろうか、と疑問に思った。

 

「とうきょう? 木場先生、それって何処ですか?」静川さんは眉をしかめながら呟く。


『私も初めて聞く都市名だわ』


 とうきょう? 外国の都市かしら? 


「それこそが答えなのだよ」


 木場先生は寂しげに呟いた。

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