第四章 キャンス王国と邪龍棲まう祠 12話
英雄へラクロスは仲間のカガクと共に第四の国キャンス王国へと辿りついた。キャンス王国はまだ小さな国であった。
この国は星術により竜転身を可能とする国であった。
ドラゴン。星におわします神と人間の境を生きる究極の生物。彼らは神の代行としてこの大地を管理していた。悪しきを滅ぼし、その大地に新たな生命を宿らせる存在であった。
しかし、神代は終わり、神が姿を消しても、ドラゴンは生き続けた。ドラゴンは己の役目を失い、その巨大な肉体と、獰猛な力を以って暴れまわり、自由にこの大地を蹂躙していた。
キャンス王国はそんなドラゴンたちから身を守る術として竜転身を編み出したのだ。
星術は、その土地と星を繋ぐ力を以って効力を発揮するものであり、この地は古代よりドラゴンの住処となっていた場所故の星術であった。
キャンス王国の近くにある霊脈の流れる山。その洞窟にて儀式を行った乙女は竜となり、この国を守護する。キャンス王国と神の間に架け橋となる存在であった――。
一人の乙女が辺りをキョロキョロしながら洞窟の中へと足を運んでゆく。本来は禁止されている行為である。彼女はこの行為を二十年以上続けている。
「ドーラ! ドーラ!」
山の洞窟に乙女の声が響く
大きな何かがゆっくりと動く。風が吹き、乙女はその大きな何かが動いたことに気付き笑みを浮かべ、洞窟内を走って目的地まで向かう。
「ドーラ! 起きていたわ。よかった」
ドーラと呼ばれた巨大なドラゴンは口から火の粉を洞窟内にある灯籠内に放ち、辺りに灯りが灯る。明るくなった洞窟内で乙女とドラゴンは互いに見つめ合う。
「ロロン。何度もここには来るなと申したでしょう」
「いえ、だって私ドーラのこと大好きだもの」
ロロンは懐から一本の瓶を取り出す。中に児は青く透き通った液体が入っていた。
彼女はその蓋を開けて、辺りに散布した。
「やっぱりいい匂いだよねぇークラメル」
ロロンは散布した液体から香る匂いを吸って心地よくなる。
「そうですね。わざわざありがとうございます」
ドラゴンは優しい声色でロロンに礼を言った。
「だってドーラ、人間態に化けようと思えば化けられるのにそれでも一歩も出ないでしょう?」
「そうですねぇ。私は竜転身の際に、国王からこの国の祠を、キャンス王国の歴史を守ってくれと言われましたので」
ドラゴンは穏やかに洞窟内に充満するクラメルの香りを堪能している。
ロロンを心配し、ここには来てほしくないと思う一方で、毎度持ってきてくれるこの香りに彼女はロロンが離れることを惜しく思ってしまい、強く拒絶が出来ないでいた。
「だから私がこうして貴方の大好きなクラメルの香りを持ってきてあげているんだから感謝してください」
ロロンは誇らしてに胸を張った。しっかりと豊かに成長しているその姿にドラゴンは感慨深くなる。
ロロンとドラゴンの出会いはおよそ二十年前。まだ幼児であったロロンが生意気盛りにこの洞窟に忍び込んできたときであった。その時に優しくしてしまってからは二十年ずっと彼女は人の目を盗んではこの洞窟に入ってきた。
彼女は色々なことを話してくれる。
両親の話、友だちの話、むかつく男の子の話。クラメルの花を探している最中に見つけた他の花の話。国であったおかしなお話。
ドラゴンにとって彼女との会話は楽しい時間であった。
「あのね。聞いてドーラ。私、今はまだお母さんのお手伝いだけだけど、いつか花屋をしてみたいと思うの」
「花を売る……ですか。良いですね」
「うん。ドーラのためにクラメルの蜜集めていたらね、色んな花を見るの。どの香りも大好き。これをみんなにもわかってほしいなって」
「それは素敵な夢ですね。しかし、クラメルの花は店頭に置かないようにした方が良いですよ。お客さんが寄り付きません」
「えぇ、当店の一押し商品なのに」
「どうやらロロンには商才はないようですね」
「そういう意地悪を言わないでよ」
ロロンは拗ねながらドラゴンの元へ近づき、彼女の前足に身体を寄りかからせた。
「ロロン」
「なあに? ドーラ」
「貴方は国にもお友達や楽しいことがたくさんあるのでしょう? なぜ私と共にいる時間を作るのですか?」
「友だちも大好きだよ。キャンス王国も。けれど、ドーラといることも楽しい。だから私はここにくるの」
「…………」
ドラゴンは少し寂しそうな顔をした。
「それに、ドーラも寂しいでしょう? 私、独りって嫌いなの。孤独は人を壊すと思うから。ねぇ、ドーラ、やっぱり人間態になってたまには私の国に遊びにこない?」
「それはできません」
「どうして……」
「ロロン。お気持ちは嬉しいです。私は数百年前まで孤独でした。貴方が来るまで。貴方が生まれる前、人として化けて国に遊びに行ったこともあるのですよ? そこで仲の良い友人なんかも作ったことがあります。しかし、心の奥底にあるのは、彼らは私がドラゴンであることを知らない。彼らは私よりも早く生命を終える。その事実はさらに私を孤独へと誘いました。安心して一緒にいることの出来る人。そう言った者がいないと誰かと一緒にいても、それは孤独と同じなのです。ロロン」
ロロンは寂しそうな声で言うドラゴンに何も言い返すことができなかった。彼女はロロンよりもはるか昔からこの洞窟にいる。きっと自分では想像の出来ない寂しさを抱えているのだろう。そんな彼女の言っている言葉はロロンには難しく頭を唸らせるだけであった。
二人してしばらく黙り込み、クラメルの香りを堪能して、互いに身体を寄せ合う。この時間がロロンはどんなときよりも愛していた。
「ロロン」
「なぁに。ドーラ」
「これが最後です。もうここに来てはいけません」
「どうして?」
「貴方には貴方の人生があります。ドラゴンと共にあることはないでしょう。貴方は優しくて美しい子に育ちました。そして夢もあります。私に費やす時間はないはずです」
「でも……」
「いつまでも甘えないで。いつの日か貴方がこの洞窟に禁止されているにも関わらず入り浸っていることがバレてしまいます。それは犯してはならない罪なのです。ここには歴代王の宝が収められております。子どもなら迷い込んだと誤魔化すことが出来るでしょう。しかし、貴方は立派な大人なのです。国の宝を狙う逆賊と言うレッテルを貼られる危険性もあります。己の夢のために、私のところへ来ない方が良い」
「でも……」
「わかっているから、私に人間態としてそちらに来いと言ったのでしょう?」
ロロンはドラゴンの言葉が図星で押し黙ってしまった。
「さぁ、今日はもう帰りなさい。さもないと喰ってしまいますよ!」
ドラゴンは大きく咆哮した。ロロンはこの大きな音が何度聞いても慣れなくて身体をビクつかせる。そしてこれが二十年続く彼らの間でも密会終了の合図であった。ロロンは仕方なく、ドラゴンに背を向けて去ってゆく。
このような状態で別れた時は、数日はドラゴンの機嫌を損ねぬように数日洞窟に近寄らないようにしていた。
それはロロンなりのドラゴンへの気遣いであった。しかし、それでも長い月日一人でいれば寂しいだろうと頃合いを見てロロンはドラゴンの元に訪れるのだ。
しかし、その日は訪れなかった。
ドーラが邪龍になった。山から咆哮が響き、地鳴りが度々起こり、キャンス王国の民は不安でいっぱいいっぱいであった。
そこにとある旅人が現れる。ヘラクロスとカガクである。話を聞きつけた彼らと、王族の娘キュールはドラゴン征伐へと乗り出した。カガクが作った鎧を身に纏ったヘラクロスはその圧倒的な力を以って邪龍を滅した。
ロロンがその事を知ったのはヘラクロスがドラゴンを、ドーラを滅した後であった。
ロロンは誰も見えないところで泣いた。彼女はこの悲しみを誰とも分かち合えない。自分だけが悲しい。皆は邪龍が滅んだことにより災害の鎮静化に安堵の息を漏らし、その功労者であるヘラクロスを讃えた。
彼女はドーラの言葉を思い出した。いくら友だちがいても、親がいても、夢があっても、悲しみを共有できないのであれば、それは孤独と対して変わりはないのだ。
彼女は孤独となった。その事実がまた彼女が悲しみの咆哮を上げる理由となった。
ヘラクロスが国を出た。その際、国の姫であったキュールが彼の旅に同行することになった。彼女はヘラクロスからの要請により仲間になったのだと聞いた。
キュールが国を去る時、ロロンに挨拶をした。ロロンは戸惑った。国の姫と話す機会など、一般市民である自分にはあるはずのないことだったからである。キュールはロロンの前に一枚の固い鱗を差し出した。
「暴れていた邪龍が滅ぶ寸前。私は後世に遺すために邪龍に近づきました。すると邪龍は……彼女は、貴方の名を呼んで私の前にこの鱗を落としました。きっと、彼女と貴方には何か密接な関係があるのでしょう」
ロロンは少しビクついてしまう。彼女のやっていたことは国では罪と咎められることである。それを王族であるキュールに気づかれてしまったのだ。罪人に問われる可能性がある。
「安心してください。私はこれから国を出ます。貴方とあの邪龍が繋がっていたものはこの国にはいません。貴方が罪に問われることはありません」
キュールは戸惑っているロロンを見てクスクスと笑いながらロロンに鱗を手渡す。
「では、この度は風習のためとはいえ、貴方のご友人に手をかけてしまい申し訳ございませんでした」
キュールはそういってヘラクロスと共にこの国を出た。
その後数日して、国王が国全土にある指令を出した。
「次の守護竜を選定する」
町の娘たちはみながそのことを恐れた。そう。この国には守護竜が必要だ。その守護竜が本当のドラゴンになってしまう時はいつかわからない。しかし、必ず一人。守護竜にならねばならぬ。未知の存在になることに人生をかけることなど誰にも容易ではない。
国王は、より精神力の強い娘を求めた。ドラゴンであるその身に精神を奪われず、長い年月守護竜として居続けられる少女でなければならぬの考えたからである。
ドラゴンになることは名誉なことではある。この国を数世代に渡って守るのだから。国の大人たちは是非我が娘を! と国に対して名乗りを上げる。しかし、当の娘たちはまだ自分の人生と国の平和を天秤にかけ、国の平和を選べるほど悟った者は少ない。
選定日が来れば娘たちは集められ、王により、精神力があるであろう娘が選ばれる。
娘は、本心は弱く見せてドラゴンに選ばれたくないが、家のために強くあろうと見せなければならない。皆が嫌なのだ。ドラゴンになることが。娘たちは不安に駆られ、自分がドラゴンになれない理由を必死に求めようとした。早々に男を見つけて婚姻を結ぼうとする者、王に取り入り、寵愛を受けようとする者。中には親と言い争いになった者もいた。
ロロンは、ドーラがドラゴンになった日のことを考える。彼女はどんな気持ちでドラゴンになったのだろう。
わからない。そしてこのことを誰にも話すことが出来ない。自分は自分の全てを話すことの出来る相手がいない。両親でさえも、ドーラとのことは話せない。
そして何より、ロロンはこの不安に駆られる娘や、名誉のために娘を差し出そうとする者たちの争いを見るに耐えられなかった。
「国王。お話がございます」
ロロンは王の前に立った。これ以上我が友人たちに悲しい思いをさせる必要はない。これ以上大人たちが権威を求めて争う必要はない。みな、ドラゴンを知らぬ者たちだ。故に恐れ、故に求めるのだ。彼らはドラゴンの強さを知らない。ドラゴンの大きさを知らない。
そしてドラゴンの孤独を知らない。
皆の中で日常が続く。日常が続かないのは、ドラゴンを失い孤独となった自分だけである。
「王よ。私、ロロンを次の守護竜にしてくださいませ」
王は初めて自ら名乗り出た娘であるロロンの強き意志に感銘を受け、その願いを聞き届けた。この娘こそ我がキャンス王国の祠と国を守る強き守護竜となると。
竜転生の方法を聞いたロロンは、両親と友人たちに別れを告げた。両親は喜んだ。自分の家から名誉ある守護竜が生まれることに感激していた。
友人たちは悲しんだ。長年連れ添った友と別れねばならぬのだから。しかし、ロロンはわかっている。彼女たちは安堵している。誰が守護竜に選ばれるかヒヤヒヤする日々が終わることに。ある者はその安堵が漏れ、ロロンに涙を流しながらお礼を言った。
「うん。大丈夫。みんなさようなら」
ロロンはその全てを受け止めて、国の兵士と共に洞窟入り口へと入っていった。
「転身してすぐに暴れるかもしれないので、兵士さんたちはここまでで大丈夫です」
ロロンは落ち着いた様子で同行していた兵士にお礼を言った。兵士たちもその言葉を受け止めて国へと帰っていった。ロロンは洞窟の中へ入る。何度も歩いた道。もはや目を閉じて歩くことも出来る。
いつもドーラがいたところに、彼女はいなかった。こんなことをしていると知れば、ドーラは怒るだろう。自分の夢も諦めて、皆のために贄となる必要はないと。
ロロンは懐からクラメルの瓶を取り出して、広々とした洞窟に散布した。辺りに心地の良い香りがする。
そしてロロンは王から聞いた儀式を実行する。洞窟内は星のような光に包まれ、自分の身体が変異していくのがわかる。
そしてそのまま一度気を失い。目を覚ました彼女は、ドラゴンになっていた―――。




