友達2
エリスという人物像
エリスが家に来て3日。
人見知りのきらいがあるのか、貴族の屋敷で遠慮があるのか、寂しいのか、殆ど私かエィリにベッタリです。
別にビクビクしてる様にも見えませんし、これが素なのかもしれません。
いえ、言い方は悪いですが孤児ですし、もしかしたら人恋しいのかも知れませんね。
『エリスも魔法使いにしてあげる!私と姉さんが師匠よ!』
と豪語していたエィリも付いて来られると多少戸惑っていました。
気ままに動いて時折甘えて来るエィリを猫の様だと言うなら、エリスは犬なんでしょうね。
可愛いざかりの仔猫と仔犬。出来ることなら囲っておきたいですが、さすがにそうは行きませんよね。
「今朝方、ニスさんからの報告がありましたが、やはり孤児院の運営体制に見直しがかかったそうです」
「あの後ちょっと聞いたけど、やっぱりそうなったんだね」
「?」
平然とついて来れるエィリと首を傾げるエリス。
自分で言っておいて何ですが、多分エリスの反応が5歳児としては正しいのかもしれません。
少し妹には詰め込みが過ぎました。
「要するに孤児院の大人が入れ替わりました、エリスが帰ってもいじめられることはありません」
「…」
複雑そうな感じですね。
良い子ちゃん的には追い出したみたいで申し訳ないけど、虐められないのは正直助かる…といった感じでしょうか?
「別にエリスのせいではありません。元々あの人たちは裏で悪い事していたようですから」
子供に詳細を言うのは気まずいので言いませんが、彼らは運営資金の一部を横領するどころか、やや離れた領地の男爵に労働力を『売って』いたことも発覚しました。
実態を調査すると言うことで、国王に立ち入り調査を申請してるんだとか。
この国に奴隷制度は無いそうなので、奴隷売買まがいな行為をしていた訳ですから、それなりに大事です。
ある意味で地方自治の腐敗を指摘した形になったわけです。
やっぱり不正は多いらしくて、国としてもこうした報告は歓迎される様です。
しかしこの貴族制度、国王や重鎮まで腐ったら国が終わりそうですね。
「…そうなの?…ですか?」
「姉さんが言うなら間違いないわ」
「まぁ、なんとなく居づらい気持ちは分からなく無いですけどね。話し合って謝ってもらって終わりですよ」
新しい経営者には話は通してますし、悪い事にはならないでしょう。教育者の教え子らしいですしね。
すぐに和解できなくても10台に満たない子供が根に持ったって数年持ちません。
「いつまでもここで囲う…いえ、保護するのも無理がありますから、戻ることをお勧めしますよ」
「うん…はい。いいりさまがそういうなら話してみる…みます」
でと、孤児院に戻すに際して話しておくことは何かありましたっけ?
「あ、そういえば戻る前に話しておくことがありました」
「「?」」
エィリも疑問符ですか。
まぁパーティ前には釘を刺しておこうと思いましたし丁度いいですね。
「エィリもエリスも魔力は見えるのでしたね?」
「?」
「はい」
質問の意図が分からないと言った様子です。
ここからはイタズラ心を抑えないといけませんね。
「実はずっと前から見えていたのですが、白い光は見えますか?」
私は敢えて何もない空間を指差します。
「えっ?」
「ほら、そこらじゅうに浮いてるではないですか」
そうして色々指を指しますが、当然何もありません。
エリスはよく分からないとオドオドし始め、エィリも気味が悪いようです。
「けが人の近くなんかに良く集まっているのですが…」
思い出すフリ。
もう一押し。
「ほら、今エリスの肩に止まった」
「ヒッ!!」
「!」
エリスは僅かに涙を浮かべています。
怖い話への耐性はまだまだですね。
「…冗談だよね?姉さん?」
「勿論冗談です、私にも見えませんのでそんなに怖がらないでください」
エリスはまだ涙を浮かべながらも少し落ち着いた様に見え、エィリの方は軽く睨んできます。
からかわれたと思ったのでしょう。
「でも今のが魔力の見えない人たちの感じ方です」
「「…」」
二人とも黙ってしまいましたが、効果はあったようですね。
「ですので簡単に『見える』と言っては嫌われてしまいます。特にエリスは今後言わないように」
「うん…」
「わかったわ」
「あと、魔法が使えるとも言わない方がいいかも知れません。覚えた魔法も、偶然で済ませられる位が良いでしょう」
こちらは偏見の問題ですが、まだ暫く黙っていた方が良いかも知れません。
「「はい」」
とりあえず言うべき事は全部な気がします。
「エィリは何か言っておくこととかありますか?」
私の言う事は大体終わったので、エィリに話を振ってみます。
日も暮れてきたし、そろそろ新任の孤児院の方が迎えに来る頃でしょう。
その前に言うべきことは言っておいた方が良い。
「私としてはエリスの中途半端な敬語かな?姉さん気づいてる?」
「まぁ…初日から気づいてましたが練習していたのでは?」
練習であれば見守りつつ教えてあげるのが大人というものでしょう。子供ですけど。
「違うよ。昨日聞いたんだけど、姉さんが敬語だかららしいの」
「そ!それっ!言っちゃダメっ!」
借りて来た猫的に静かだったエリスから大きな声が出るとか少し驚きました。
俯いて恥ずかしそうに…フラグ立ちました?
「良かったら理由を聞かせてくれませんか?」
顔を上げたエリスの顔は真っ赤です。
羞恥で確定ですね。
照れではないので、フラグでは無さそうです。この歳ならそうですよね。
ですがこれはこれで可愛い。
「助けてくれた人がけいごなのに、わたしがけいごじゃないのはダメだから…」
上目使い。この歳の子供だと破壊力ありますね。
アニマルセラピーに近いことが実は出来るんじゃないでしょうか?
とか思ってるとエィリが少し不機嫌そうになってきました…自重自重。
「うーん、別にエリスに気を使っての敬語ではなくて、使い分けるのが面倒だから敬語なんですけどね」
「そ、姉さん『敬語を使ってる』んじゃなくて『敬語しか言わない』の」
「で、でも…ですが。ふたりとも貴族さまです」
「昨日も言ったけどさ、普通に話してくれた方がいいんだけど?」
5歳児が苦笑して呆れるとかどれだけですかエィリ。
「そうですね、同じ歳の友達に敬語を使わせてたら私たちが悪者みたいですし、普通でお願いできますか?」
「…」
今後学校とかでそういう所を見られたらやっぱり『高飛車』とか思われるのですかね?
返答はなかったですが、頷いてくれたので分かってはくれたようです。
もういいかとエィリを見ますが、首を縦に振っているので大丈夫でしょう。
「それではエィリ、見送りお願いしてもいいですか?」
「うん、任された。姉さんはこれから地下?」
「そうですね。他にすることもありませんし。ではエリス、またいつでも遊びに来てください」
「うん!またいろいろおしえてねいいりちゃん!」
そういうと二人はそのまま部屋を出ていきます。
途中の階段までは見送りますが、私はそこまで。
このまま研究室に行くことにしましょう。
それにして『ちゃん』ですか、初めて呼ばれましたね。
◆◆◆◆◆
「…以上が顛末になります、先生」
翌日、休日もエリスは遊びに来ました。
やはり子供一人を外に出すわけにも行かなかったのか、孤児院の人も一緒です。
そこそこ大柄な男性で、もしかしたらこの人がお父様の元生徒なのかも知れません。
事の顛末が一応気になるので、エリスには部屋へ行っててもらい、私はお父様との面会に参加させていただきました。
参加には相手方も渋りましたが、お父様の口添えで参加できたのは幸いでした。
実際の報告は、聞けば聞く程惨状の酷さが目に浮かぶようでした。
・子供たちは基本的に放置されていた
・7~8歳になると、反省室に閉じ込めたり力で従わせていた
・おやつも与えられず、基本的な食事も必要最小限しか与えられていなかった
・領地を一つ跨いだ所の男爵家毎年何人か売り渡していた
・等々…
中々聞くに堪えませんでしたが、領内で起こった事件である以上、罰の裁量にも報告は必要なのでしょう。
しかしこうした惨状を感情的な発言も無く報告出来るのは優秀な方です。
もしかしたら私がこの場に居たから遠慮したのかも知れませんけど。
とりあえずこの件そのものは、およそ予想していた範疇だったので、私は別件を聞いてみます。
「私から質問は宜しいでしょうか?」
「ええ…大丈夫ですよお嬢さん?」
院長先生は私の発言に戸惑いの表情を浮かべてます。
こんな面白くもない話を無言で聞いて、淡々と質問する子供は居ないでしょうね。
「エリスにあった虐めの顛末、及び、院内での他の虐めの現状把握はされましたでしょうか?」
「…その件でしたら…」
結果から言えば、エリスの件は双方が謝ってとりあえずは解決したらしい。そのボス格の少年(私に殴り掛かってニスさんに取り押さえられた子)も当日の一件だけで相当反省したそうです。ニスさんどれだけ 怒った のでしょうね。
残りはボス格の取り巻きみたいなものだったそうで、双方とも謝ったものの、気まずそうな雰囲気だったとか。
他の虐めに関しては、1件見つかったそうですが、そちらは喧嘩の延長で、解決は早かったとか。
まぁ後は運営側の頑張りに期待ですね。
「説明頂きましてありがとうございます。無事解決出来て良かったです。食事が改善すれば子供達の鬱積もある程度解消できるかもしれませんし、私の方から気になる事は以上となります」
私が礼を言うと、男性は面白いくらいの驚く顔を見せてくれます。
「凄いですね、さすが先生のお嬢様だ。一体どうしたらそこまで賢くなれるのか…」
想定通りのあり得ないものを見る目。
この際スルーでいいでしょうけど。
さて、旧師弟なら積もる話もあるかも知れませんし、私はこのあたりでお暇しましょう。
「本日はありがとうございます。最後にお願いが一つ、虐めを行っていた人たちに私が謝っていたとお伝え頂けますか?以前水をかけてしまいましたので」
「うん、伝えておくよ。それでお嬢さんは納得できたのかい?」
「何がでしょう?」
いや普通に心底分からないのですが?
「いや、友達を虐めた子達を許せないんじゃないかってね」
「?…和解したのですよね?」
「いや、そうなんだけど…え?」
微妙に噛み合ってないですね。
こう言う場合は1から全部話すに限ります。
経験上、少しづつ認識を共有するより早いことが多いですので。
「まずこの件はエリスの問題です。そして、その問題は和解という形で決着しました。解決した問題を蒸し返す気はありません。虐めを見つけたら助けますけど、恨む気は無いですよ」
「…」
唖然としてますね。処理が追いつかないのでしょう。
まぁこれもスルーさせていただきましょう。
側に控えていたニスさんと共に一礼して執務室を出ます。
部屋から出ると、『あの子は本当に子供ですか?』とか聞こえてきました。
子供ですよ?物理的に。
そう思いながら廊下を歩いていると、子供が二人視界に入ります。
エィリとエリスでしょう。
体格が一緒なので、エリスが髪を伸ばして同じ服を着たら遠目には区別がつかないかも知れません。
私は超がつくド近眼ですしね。
多重人格者は人格で視力まで違うと聞きますし、転生の影響なのでしょうか、それともこの白の様にもって生まれた特性なのか。
もっと色々勉強しておくべきでしたね。今更ですが。
「姉さん」
「いいりちゃん」
二人ともこちらに気づいたのか、こちらに向かってくるのが見えます。
「いいりちゃん、あそぼ?」
私の前まで来ると、袖口をつまんで上目遣い。
私を萌やし殺す気ですか…
エィリみたいに歳に不相応な態度も見ようによっては可愛いですが、歳相応に甘えてくる子供も可愛い。
「そう言えばエリス。エィリが『魔法使いにする』と言ったのは覚えてますか?」
「うん、おぼえてる」
「でしたらやって見ますか?まぁ役に立つかは運次第ですが…」
「うん、やってみたい」
即答ですね。
目元に好奇心の色が混じっているので本当に楽しみなのでしょう。
そしてもう一つ期待の目線を向けてくる子も相手をしましょうか。
「エィリ、貴女が教えてみたいですか?」
「うん!いっつも姉さんに教わってばかりだったし、私もやってみたいわ」
では私は適当にティーチングアシスタントでもしましょうか。
大学院時代を思い出しますね。
「でしたらお任せします。ニスさん、すみません。お母様から輪の器物を借りて来ていただけませんか?」
こんな明るい時間に日の当たる執務室に私は近づけませんしね。
「承りました」
ニスさんも微笑ましそうな笑顔を浮かべると、部屋を出て行きます。
ですよね、子供達が友達同士でキャイキャイ言ってるのは見てる分には微笑ましいですからね。
というか子猫と子犬がじゃれあってるようにしか見えませんしね。
二人を見てニマニマしていると、ニスさんが器具を持って来ました。
光を発する器具。
性能や効率はお察しですが、その光量と持続時間で適正を図る道具です。
「ありがとうございます。早かったですね?」
「いえ、奥様も準備なさっておいででしたので」
「こうなることも想定済みでしたか。話が早くて助かります」
視線を二人に戻すと、エィリがエリスに講義をしているところでした。
お題は章術の成り立ち。
普通、成り立ちなんて興味をそそる話では無いでしょうけど、開祖が魔法使いだったという所で盛り上がってました。
ふとニスさんに視線を向けると、慈しむ様な目で二人を見ています。
ですよね?そう思いますよね?
だよねとニスさんに笑いかけてみたら、何やら首を傾げられました。
あれ?私はニスさん側ですよ?
まいっか。
「エィリ、ニスさんが持ってきてくれましたよ」
「あ!うん、貸して貸して!」
駆け寄ってきたエィリを華麗に躱します。
危ない危ない。
エィリは勢い余って転びかけましたがどうにか耐えたようです。
普段からジョギングで鍛え続けているからか、いいバランスとバネですね。
「エィリ、貴女が持ったら大惨事でしょう?」
初めてこれに触れた時、エィリは周りを失明させかねない強力な光を放ってます。
浮かれるのは分かりますが、大惨事になりそうな事は基本的に禁止ですよ。
「直接エリスにお渡しします」
「…うん」
何か地味に傷付いてる?
後でフォローしましょうか。
「全員まずは目を閉じてください。そしたらエリス、こちらに手を伸ばしてください」
全員が目を閉じたのを確認すると、私はエリスと手をつないで目を閉じます。
そしたら、器具をエリスの手に握らせます。
…大した熱も出ていませんし大丈夫でしょう。
「皆さん、目を開けても大丈夫ですよ。危なくはなさそうです」
目を開けて確認してみると、エリスの手元からはそこそこの光が出ています。
私より少し暗い感じでしょうか?
やったね、ハーフエルフに勝ちました!まぁこの世界でエルフがどういう種族か知りませんけど。
「エリスのそれはお母様の言うところでは、結構明るい方です優秀ですね」
この手の性能は殆ど持って生まれるかどうかなので、褒められて嬉しいかどうかは知りませんが。
「…そうなの?」
「あ、手を離さないでください。エィリ、今度こそ説明任せました」
「うん!」
エィリに話を任せて離れると、昔聞いた説明が聞こえてきます。
懐かしいですね、光の強さと持続時間の話です。
「持ってると体から何か出ていく気がするよね?」
「うん…ちょっと怖い」
「大丈夫。そのうち勝手に光が消えるから。それでエリス。どれくらいそうしてられそう?」
「えーっと…」
エリスは口を開こうとしては、直ぐに口を閉じて首を傾げる仕草を繰り返します。
エィリはその様子を見て、どうしたんだろうと首をかしげてます。
うん、はたから見てて面白いですこの子達。
エリスはまだ『時間』の概念が無いのかも知れません。
であれば、こうした仕草も理解できます。
後、エィリのそれは『分からない人の気持ちが分からない』のケースでしょう。
こちらは良く分かります。前世でとても良くありましたからね。
分かりますよエィリ、凄くもどかしいですよね?
「まぁ、出来るところまででいいと思いますよ」
ちょっと助け舟。
このままでは埒があきませんからね。
「そうだね、ならこのまま続けるね。エリス、青い光が出てるのは見えるよね?」
「うん」
「その光が『魔力』ね。自分で出すときは体から押し出す感じかな?少し練習すれば、自分の思った形に出来るわ」
そう言ってエィリは目の前に魔力で4足の動物の絵を描きます。
あれは猫でしょうか?
私は殆ど外に出ないので、お猫様にはまだお会いしていないのですよ。猫好きなのに…。
早く紫外線吸収材を作れるようにならないとダメですね。
「それを決まった形にすると、色んなことが出来るの」
今度はやや大きめな光の紋章を作ってます。
紋章は即座にその力を発揮し、丁度ランプ位の明かりを灯しています。
エリスの目にははっきりと憧憬の色が混じってますね。
「すごい!すごい!わたしもやってみたい!」
「うん、でもエリスは今日はその輪の光が消えるまでやってね」
「うん!」
一瞬『まて』を言い渡された子犬を思い浮かべましたが、とりあえず忘れましょう。
この子は厳密には犬ではありません。犬だけど。
結局この後、エリスは3時間程光を出し続ける事が出来ました。
お母様のいう優秀基準をここの3人は全員上回ってますけど、基準が間違ってるのか、魔法使いが特殊なのか想像できませんね。
――――イーニス・イル≪ニス≫――――
イィリお嬢様がお友達を作って今日で10日目。
私は彼女、エリスの記憶力を甘く見ていました。
章術。というより、お嬢様達のそれは魔法ですか…それが共有の話題ですが、その時は雲の上の話に聞こえました。
とはいえ、驚かないでいたのは、その進度が分からなかったからです。
状況が変わってきたのが4日前。
それまで嬉々として教えていたエィリ様が、『免許皆伝』と宣言した時点から少し状況が変わりました。
幾つか章術を披露はするものの、エリスの『どうしてこうなるの?』の前に撃沈したため、『私ではもう教えられない』と諦めてだそうです。
悪いとは思いますが、この瞬間だけは、お嬢様達が歳相応に見えて嬉しかったのを覚えています。
イィリお嬢様が言うには、『基礎紋章は覚えるだけですが、合成にはそこそこ数学が欲しい』と言っていました。
試しに少しだけ聞いては見ましたが、使われる数式や機能だけでも高等教育完了時点の物でした。
それを何も知らない5歳児に説明するのは確かに不可能でしょう。
むしろそれを『そこそこの』で片づけるお嬢様に何か思うべきなのかも知れません。
エィリお嬢様も計算は苦手で、うまく組み合わせる事が出来ないのだそうです。正直ほっとしました。
閑話休題
結局『その先』は言葉と計算が必須で、それは学校で習うからと、イィリお嬢様が遊ぼうと提案していましたが、エリスは勉強を主張していました。
子供が勉強したいと言いだすこと自体おかしな話で、この位の子供は走り回ったりまま事をしたりするものだと思います。
もしかしたら一時的に面白いと思っただけで、直ぐに飽きるのではとも思っていました。
ただ、今思えばエリスの目に興味と言うよりは、義務感の様な光があったのかも知れません。
なので、その時は『高度な計算はともかくとして、言葉と文字は何かと必要になりますから、そこまでは覚えさせてしまいましょう?』とお嬢様に進言し、文章の勉強を始めました。
これが三日前の事です。
私が驚いたのはここからでした。
イィリお嬢様は最初に全ての文字を一覧にして、読みを教えると、いきなり絵本に入っていきました。
ゆっくり発音して、エリスに同じように読ませながら、3冊を初日で読み切りました。
それを貸し出すと、翌日にはその本が突っかかりながらも独力で読めるようになっていて、驚きました。
文字の書き取りも、文字をひとつづつ書き取らせるのではなく、いきなり絵本の写本。それも読ませながらです。
私が知る学校のやり方とは似ても似つきませんが、エリスは正しく覚えているようで、色々と驚きます。
そして今は、短いですが小説を読み始めています。
ただ、これにはイィリお嬢様も違和感があるらしく、昨日から『エリスから何か相談とかされていませんか?』と聞かれました。
もっとも私に心当たりがなく、知らないとしか言えられないのですが。
「いいりちゃん、この単語はどう読むの?」
違和感の正体と言いますが、疑問に思っている事は良く分かります。
エリスは傍目で見てもどうして続けられるのかが不思議な位集中しています。
この課題ももしかしたら今日中に終わってしまうのではないかと思います。
しかし『面白そう』な表情ではありません。
「それは『演技』です。小説は面白いですか?」
「ううん。面白くない」
そうだと思います。
とても楽しんでいるような表情ではありません。
お嬢様が何かと気にした様子を見せるのは、エリスのこの反応に対してでしょう。
何かやりたい事か覚えたいことがあるのかも知れません。
イィリお嬢様もそこは気づいているのでしょう。首を傾げては唸っています。
因みにエィリお嬢様は、『出来る事は無いけど、邪魔も出来ない』とピアノの練習をされています。
もっとも視線はエリスに向けているので、練習効果があるかは分かりませんが。
「今さらなのですが、章術を合成できるようになるのが、エリスの目標なのですか?」
意を決したようにイィリお嬢様が問いかけました。
「…ちがう」
一瞬疑問があるかのように首を傾けましたが、直ぐに否定の言葉が出てきます。
『なりたい自分』というものではないのでしょうか?
「でしたら、エリスは何がしたいのでしょう?」
首を傾けたまま問いかけています。
エィリお嬢様に向けるように意図して優しい目をしているのが分かります。
純粋な親切心だと思うのですが…。
「…いいりちゃんやえいりちゃんみたいになりたい」
返答が僅かに震えた気がします。
この目は何でしょうね?縋る目?羨望でしょうか?
「貴族をめざ…」
「ちがう」
でしょうね。
安定してて夢としては良いものだと私なら思いますけど、知らない子供がそれを望める筈もありません。
検討違いです…とも思いますが、イィリお嬢様の年齢で、他の同世代の子供を知らなければ思い至らないかもしれませんね。
「将来なりたい仕事でしょうか?章術の研究者は今一番需要のある仕事ですしね。エリスなら十分活躍できると思いますよ?」
そこまで考えられるのはお嬢様達だけです。
当たり前ですが、エリスはフルフルと首を振ります。
顔を伏せているので表情は伺えませんが、雫が落ちるのが見えました。
「…ちがう」
私にはわかった気がします。
ずっといじめられていて、それをお嬢様に助けて貰ったこと。
いつもお嬢様達について回り、その上で二人がはるか上に居ることを見せられた事。
そしてこの問答とその反応。
そこまで分かれば十分な気がします。
「あの、お嬢さ…」
「貴方は勉強して何がしたいのでしょう?もしかしたらその近道を教えてあげれるかも知れませんよ?」
私が言うより先に、お嬢様は次の言葉を投げかけてしまいました。
お嬢様には涙が見えなかったのかも知れません。
目が悪い上に、この子供部屋は薄暗いですから、表情が分からなければ気づかないですよね
エリスは俯いたまま動きを止めてしまっています。
「…(グスッ)…」
鼻をすする音。
声を上げて泣きわめかないだけでも立派ですエリス。
問い詰められている気がしたのか、お嬢様に全く届いていないという事実を指摘されたように感じたのか…。
一方でイィリお嬢様はどうしていいのか分からずうろたえている様にも見えます。
申し訳ございません、私がもう少し早く止めるべきでした。
「ごめんなさい!エリス、辛ければ答えなくても良いですよ?」
イィリお嬢様も謝罪しますが、やはり少しずれた回答をしてしまっています。
そうだとは思いましたが、お嬢様は5歳の気持ちが分からないのかも知れません。
「…いつかっ…おいていかれるかもっ…知れな…」
「エリス?」
「おかあさんもっ…連れてっ…いけな…って!」
触れてはいけない何かに触ってしまったようです。
言い方は酷いですが母親がエリスを捨てたか、何かに巻き込まないようにおいて行ったか。
事情はどうあれ置いて行かれたのは確かでしょう。
エルフ耳で虐めが出る位には少数の種族です。
苦労したのではないでしょうか?
「エリス、落ち着いてください。私たちは別に置いて行っては居ないでしょう?」
「でも、でもっ!ふたりともすごいからまた置いて行かれちゃう…」
そうでしょうね、人が恋しいだけなんですね。
だから誰かの後ろをちょこちょこ付いて回って、だから苛められてもその立場としてグループに居たのですね。
「なるほどエリス。私は『まだ』置いて行きません」
「…っ…!」
えっ!?お嬢様!?
それはつまり『いつか』置いていくという?
ここは慰める所でしょう?
何をしれっと爆弾を落としてるのですか!?
もっとも、お嬢様は既にうろたえてる様子もないので、明らかに意図した発言でしょうけど流石にそれは…
「そうですね…エリス。何か一つ私を超えて見せてください」
「っ…そんなこと…!」
「エィリは音楽で私を超えましたよ?気配りではニスさんには敵いません。出来ない事ではありませんよ?」
少し納得しました。
逆に考えれば『たった一つでいい』という事を忍ばせたのはワザとなのでしょう。
ですがこれは、聞き様によっては酷い発言ですよね。
明らかに性能差がある所を追いつくより追い越せと言われたように感じるかも知れません。
言葉の裏まで理解できるでしょうか?エリスが可哀想になってきました。
「期限は…そうですね、初等部の卒業位にしましょう。それまでに私を何かで超えて見せてください。それまでは協力しますよ」
「…」
涙目どころか今にも泣きわめきそうな感じです。
エィリお嬢様は少し離れた所で迷っているようです。
お嬢様は言葉が正しく吟味出来ているのでしょう、この時点である意味規格外な気がしますが。
エリスには後でこっそりお嬢様の意図を教えてあげましょうか?
私はフォローする役です。
「ちょっとヒントを出しましょう。音楽でエィリに勝つのは難しい、私に勉強で勝つのは難しいでしょう。では違う事をしてみるのはどうでしょう?」
確かに内容はヒントですけど…。
「ですが、私は『研究』する分他の事を努力する余裕はありません。エィリだって『音楽』を覚えるので忙しいですから、他のことは出来ません」
「…」
一瞬『お嬢様でも努力するのですか?』と言いそうになりましたが、言ったら泥沼化しそうですよね。
エリスも顔を上げ、少しだけ目に強さの様な物が宿った気がします。
言わぬが華ですね。
「もちろん半端な努力で私たちが負ける事は無いですけど、きちんと努力すればちゃんと勝てますよ?」
イィリお嬢様の遍歴を知っていると、必要な努力に差があり過ぎる気がしますが…。
いえ、本当に超えられるのなら、超えて貰った方が良いのかも知れません。
「なので、まず『これだ』と思うことを見つけてください。もちろん私も相談に乗ります。言いづらいならニスさんに相談するのもいいでしょう。良いですよね?」
「もちろんです。お嬢様の友人でしたら喜んで」
仕事に支障のない範囲でなら…ですが、協力しましょう。
きっとこの子にはまだ他に頼れそうな大人は居ないでしょうし。
本当は孤児院の方の仕事なのでしょうけど、余程のことが無ければ直ぐに信頼はされないでしょうね。
「ありがとう…ございますっ!」
その後、誤解が無いか確認して、先ずは色々やってみるという事になりました。
お嬢様が終始穏やかな口調だった事もあり、エリスはお嬢様を嫌う事はなかったのは助かりました。
因みに、後からお嬢様に厳しくした理由を聞いたところ、
『変に依存されても困るし、一生は面倒は見きれないでしょう?なら、自分はこれだという何かを持って自信を持ってくれるのが一番いいです』
との事でした。
なるほど、お嬢様の欠点は、自身と同じくらい『特定の事に努力出来る』ことを誰でも出来る事と思っているようです。
お嬢様は家族や屋敷のもの以外と触れ合う機会は殆どありませんので、仕方無いかも知れませんが、このままでは敵を作ってしまうでしょうね。
―― エィリエス・クロマルド《エィリ》 ――
「またね、エリス」
「バイバイ、えいりちゃん!」
今日はとっても疲れた。二つの意味で。
エリスが付いてくるのは何と無く可愛いかったけど、とても気を使ってしまう。
覚えが良くて教えるのも楽しいけど、時折会話が噛み合わない。
ニスさんが言うには『エリスが普通』らしい。
もし、本当にそれが普通なら、学校はきっととても疲れる場所になるかもしれない。
この不安が一つ目、
もう一つ…姉さん容赦無さすぎだよ。
私にはそうでもない筈なんだけど?
でもつまりは気を使ってくれてるんだよね?そう思うと少し嬉しい。
「…ふぅ」
良いのか悪いのかよく解らないため息が出た。
「ただいま」
「お帰りなさいませお嬢様」
玄関に入ってすぐニスさんが反応する。
ふと、気付いたのだけど、私はお母様と姉さんに言葉を教わり、姉さんはニスさんに言葉を教わったはず。
ならきっと、姉さんがエリスと同じように会話が噛み合わない時期があっても覚えてるかも知れない。
「ニスさん、私や姉さんもエリスみたいに、うまく会話ができなかった時期ってあったの?」
「うまく会話ができない…ですか、そうですね…」
ニスさんによると、私が2歳の終わり頃から3歳の中頃までそんな感じだったらしい。
それでも異常なほど早いらしいので、ちょっと鼻が高い。
でもそれは今聞きたい答えじゃない。
「姉さんは?」
言ってから失敗したと思った。
私に言葉を教えてた相手が私より先に会話してたのは考えてみれば当然の事かもしれない。
「イィリ様は…」
ニスさんが屋敷に来た時、つまり私たちが1歳半の頃には既に言葉を理解しているようだったそうだ。
2歳にはいきなり会話を成立させ、3歳の頃にはいまと殆ど変らなかったらしい。
分かってた事だけど、姉さんは昔から凄かったのは十分に分かった。
姉さんを話すニスさんが得意気だったのだけど、私も少し理解できる気がする。
「ありがとう、ニスさん。私は姉さんの所に行ってみる」
そんな姉さんを誇らしく思いながら、地下の研究室へ向かう。
お父様が若い頃趣味に作ったとは聞いたが、今では殆ど姉さんの私室と化してる。
お父様には仕事もあるのだから当然の事かも知れない。
「姉さんは何してるの?」
一瞬驚いた様なそぶりだったけど、私の方を向くと、安心したような暖かい気持ちを向けてくる。
「ちょっと海水の電気分解をしてました」
早速分からない単語が出てきた。
首を傾げていると、弱い雷を流すことで、塩水を二つの液体に変化させる事だって教えてくれた。
それぞれカビとりや、石鹸作りに使えるらしい。
私が知る限り石鹸は、灰を溶かした水に油を混ぜて作るものだって教科書には載っていた気がする。
やっぱりよく分からないと思いつつ、周りを見ると、随分と見覚えの無い物が研究室に増えていた。
それらと一緒のラベルを見てみると、酢酸、硫酸、柳の幹、磁石と覚えのないものだらけだ。特に硫酸の文字の下には『危険、劇物』とまで書かれている。
少し気味が悪い。
「姉さん、色々増えてるけど、これどうしたの?」
「ああ、お父様に石炭をより効率良く使う方法を伝えたら、代わりに色々揃えてくれました」
石炭は本に載っていた。確か鉄を作るときに使う、燃える石だ。
研究室でも結構たくさんあったと思う。
姉さんが言うには、石炭をほぼ密閉した状態で加熱すると、中の成分が溶け出たり蒸発したりして、更に高温で燃える物が残るらしい。
よくそんなものを見つけたと思う。
「できたっと」
何かが終わったらしい。
黄色くなった液体と、特に何の色も付いていない液体が出来上がってる。
姉さんはテーブルの上から、少し汚れた銅板を取ると、黄色い方の液体を少しだけ垂らす。
「白くなった?」
板についていた汚れが途端に白くなっていく。
「上手く作れたみたいですね」
そう言って、布でふき取ると、その下から真新しい色をした銅板が出てくる。
これが『カビ取りに使える』方なのかも知れない。するともう一方は『石鹸が作れる』ほうの液体なのかも知れない。
どうしてこうなったのかは分からないけど、姉さんは満足気だ。
電気分解?も、その結果も姉さんはきっと本で読んで知っていたのかも知れない。
でも終わったのなら、私は早く上に戻りたい。
良く分からないけど危険なものまであるような場所には長居はしたくない。
「姉さん、エリスが居て出来なかったけど、約束通り歌を教えてあげるわ。上に行きましょう?」
「そうですね、行きましょうか」
そう言って、二つの液体を良く分からないラベルの付いた容器に移すと、一緒に研究室を後にした。
両方に『危険、劇物』と書いていたけど、気にしない事にした。




