表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/12

天才姉妹

 今日で生後2年が経過しました。

 言葉を覚えるって大変ですよね。半年以上お母様たちの言葉をまねるばかりで、意味が全く分かりませんでした。

 文語構造は主語、述語、動詞。単語がぶつ切りで、英単語を日本語文法で並べた感じ?多分男性詞と女性詞、丁寧語位はあるようです。やってて良かった大学の一般教養。

 それはそれとして身動きが取れず、聞いてまねるだけでは単語を覚えるにも限界があり、学習効率は悪いと言わざるを得ません。

 しかも覚えてもうまく発音できない…歯も生えきってないのですから致し方無いのですが、歯がゆいものがあります。

 その過程で色々なことが分かりました。多分私の知ってる地球ではありません。

 私が生まれた場所は島国『オルドーア』の王都(王政)で、現在はお父様(地球でいう所の伯爵?)の領地『クロフィド』、屋敷の一室:子供部屋に住んでいます。

 電線はおろか電気すら存在しない屋敷。建物は木造と石造り。夜に見た町並みは、部屋の範囲から見る限りは北半球でよく見る傾斜付の屋根。度々見える煙突。コンクリート舗装されてない道路。移動手段が馬車。一切見ることのない英語表記。アメリカ、イギリス、日本、中国といずれも伝わらない会話。

 結論。地球にそんな所あるわけないですよね。

 ということで、前世調査は打ち切りです。やれる気がしません。

 とりあえず、いろいろ見聞きするためにも全力で這ったり立ったりする練習をしました。何にしても体が資本。身動きが取れるというのがどれだけ大事なのか分かりましたから。

 なぜって?漏らします。何を?赤子が漏らすと言えば……お察しください。いくら意識があろうと、そりゃ生後数か月は身動きできないんだから漏らすしかないですよね?

 転生チートが常に良いものだと思ったら大間違いですよ?

 今は何とかおまるが使えるようになったので、どうにかなりました…漏らした回数XXX回(数え切れてない)は私の黒歴史ですよぅ。


「ねーね…?」


 今日も隣で袖を握ったエィリが無言で泣いてます。

 ええ、分かってます。漏らしたのでしょう?2歳ですし、早ければそろそろ改善するので我慢してください。

 それはそうと、『双子だから』で片づけていいのかは分かりませんが、どうにもエィリの感覚と感情が感じ取れるようです。

 触覚や聴覚、味覚まで共有はできないようですが、プライバシーも何もあったものではありませんよね?

 ですが今はまだ便利さの方が上でしょう。こうした時に大人を呼びに行くのが私の立ち位置となりました。


「にすさん、えいりががまんできなかったって」


 同じく部屋で控えていたメイドのイーニスさんに声をかけます。

 名前をイーニスさん。ファミリーネームは聞いたことがないです。普段は愛称でニスさんと呼んでます。

 私が普通に動き回るようになって直ぐに来たメイドさんですね。

 やっぱり私の見た目が特異なせいか、使用人は一度は私に会いたがりますが、それっきり来ない方が殆どで、この人が来るまでそそくさと子供部屋から逃げる人までいました。ありがたい事です。

 察しのいい方とは言いませんが、誠実で優しい人だというのが印象です。見た目に反して。

 ちょっと近寄りがたいといいますか…ヅカ?いえ、歌劇団とか無いんでしょうけど。かっこいいからさぞかしモテるでしょうね。主に女性に。


「はい、ではイィリお嬢様は暫くお離れ下さい」


 そう言ってニスさんが準備に取り掛かります。今は真昼でありながら、ニスさんはランタンを手に取り火を灯します。

 子供部屋は、日中でも厚手のカーテンが閉め切られ、常に薄暗く保たれています。これは私にとってどうしても必要な措置でした。

 先天性色素欠乏症。紫外線に対する体性が殆どなく、日焼けどころか火傷まで負う遺伝疾患。

 幸いなことに、二卵性双生児だったらしく、エィリはそういった症状はありません。

 私の提案もあり、エィリは度々連れ出してもらっています。日の光は浴びて育った方がいい。

 多少寂しくはありますが、そういった時は大体ニスさんが残って付き合ってくれます。いい人です。


「お嬢様、終わりましたし私は片づけてきます」


 おしめの交換は直ぐに終わったようです。そのままニスさんは一時退席。

 この状況、何時ものことながら本当に暇です。


「えいりも、はやくはなせるようになればいいのですけどね」


 色々な意味で本心です。とはいえ、エィリにはよくわからないのでしょう『それなあに?』と首を傾げています。

 相変わらず袖をつかんでます。うーん頬をプニプニしたい……できないけど。(主に筋力的な意味で)


「イィリっ!エィリっ!」

「まーま!」

「おかあさま?」


 本日の仕事が終わったのか、クィルお母様が子供部屋に駆け込んできました。

 私たちに近寄ると、二人とも抱き寄せられます。流石に照れますね。

 エィリも『まーま!』と嬉しそうにはしゃいでます。この反応私には無理ですよ。

 しかしお母様とて、普段は王都に赴任してるお父様の代わりに、領地の有力者との打ち合わせや、公共事業の視察などをしているので、これで気分転換になるならゆっくりして行って欲しいと思います。

 私が言葉を理解しているからあえて言わないよう努めているのか、こうした時に仕事に関して愚痴の一つも聞きません。お父様の前では漏らしているようですけど。


「奥様、お嬢様方の昼食をお持ちいたしました。奥様も今日はこちらでお食べになりますか?」


 そして開いたままのドアから、料理の乗ったトレイを運んでくるニスさん。音もなく入ってくるところがプロですよね。


「ありがとうニス。お願いするわ。あと、小さな台もお願いしていい?」

「かしこまりました、すぐお持ちいたしますね」

「ありがとうございます。にすさん」


 私の声にニスさんも笑顔で手を振ってくれます。お母様もかなり若いですが、この方も相当若いですよね。

 聞いたところによると15歳で成人扱いらしいですし、まだ20歳になってないですよねきっと。


「それにしてもそんな時間だったのね…」


 子供部屋では時間間隔が狂うので、私にはまったく分かりませんが、お母様も把握してなかったようです。

 仕事中毒はいけませんよー。経験者は語る。

 幼児になってみると分かるのですが、量が入らない割にすぐに空腹になるんですよね。その為、食事は少量でありながら回数取ることになります。いろいろと面倒ですよね。

 それはそれとして離乳食が食べれるようになったのは本当に幸いでした。

 だってその前は授乳ですよ?前世の私なら『何そのエロゲ』とか言うのでしょうけどとんでもない。

 恥ずかしいやら情けないやら、挙句、幼児の涙腺って凄まじく弱くて、泣いてしまい、それが恥ずかしさに拍車をかける。でも拒否してたら死にます。どうしろと…

 表情も作れない頃の出来事で本当に良かったと思いますよ。気づかれたらどんな顔されるか…。

 離乳食が初めて出てきたときはかなり嬉しかったのをよく覚えてます。マジで作ってくれた人には感謝ですよ。


「イィリも食べさせてあげようか?」


 お母様が凄くいい笑顔で言ってきます。食べさせたいんですよね?分からなく無いですけど。

 まだスプーンすら扱い切れてないので正直助かりはするのですが…。


「おかあさま。わたしはれんしゅうしてますので、さきにえいりをみてあげてください」


 お母様は私を解放すると、『本当に優しい子』と微笑みかけ、エィリを抱いて離乳食を食べさせ始めました。いいお母様なのですがやはり親バカです。

 逃れる目的もありますが、こんなチート娘より本来の赤子を見てあげてくださいお母様。

 というかここまで成長をすっ飛ばしておいて何ですが、良く怖がりませんねお母様。まぁ面倒がなくて良いのですが。

 私はスプーンに手を伸ばします。

 自力で食べるためですが、幼児の手はまだまだ震える震える。それでも何とか自力で口に運びます。

 一杯…二杯……っと。

 初めの頃は何度落としたことか…指まで発達すれば改善されそうですが、時間がかかりそうです。

 ふと気づくとエィリにはもう食べさせ終わってるようです。早っ!こちらはまだ半分ですよ。

 汚さないようにと気を付けていると、一人では中々に時間がかかります。

 残りは諦めて食べさせてもらうことにします。この位なら大分羞恥心もありませんね。いえ、子供だからと納得できる範囲です。

 因みに、恥ずかしいのを覚悟で白状してしまうと、お母様に抱かれた状態というのは、なんというか安心感?も感じます。

 幼児期の生物的プログラムか何かなんですかね?

 とはいえ、自立できるまではまだまだ頑張ることが多そうです。

 食べ終わると、食後のお休みです。転生前であれば考えられないことですが、これが凄まじく眠くなるのです。

 子どもの体力の無さは致し方ないとはいえ、これ程とは思いませんでした。次に起きたらもっと動けるように練習しないと。


―――イーニス・イル≪ニス≫―――


「こんにちは、イィリエスお嬢様。お目覚めですか?」


 屋敷で働く使用人であるイーニス≪愛称:ニス≫は、目を覚ましたイィリにそう声をかける。

 食後のお休みになった後、イィリたちは今まで熟睡し、クィル(母親)は領地の有力者の人たちと会談している。

 ニスはといえば、食事の片づけの後は場を離れることも出来ず、ぼうっと双子の寝顔を眺めていた。

 同僚からは赤ちゃんで、しかも双子はは可愛いけど大変だと言われて、初めのうちは相当身構えていたものだ。

 雇い主の子供、それも幼児が相手では、注意を払うことがあまりにも多い。

 しかし、そう身構えていたのも初めの半年位までだった。

 夜泣きは覚悟していれば諦めもつき、本来起こされると思っていた回数の半分以下だったので、余裕をもって対処できる。

 一番大変そうな『何で泣いてるのか』はイィリが通訳してくれる上、イィリに至っては着替えとお風呂、おまるの掃除を除けば全く手がかからない。


「こんにちは。にすさん」


 まだ発達してない手足を起用に動かし、ベッドの手すりに掴ってわざわざ立ち上がってお辞儀をする。

 使用人としても、礼儀を弁えている方が気持ちがいい。

 その上可愛い盛りといっていい幼児期の笑顔に、頬が緩む。

 ニスとしては、『別に寝たままでも』とは思う。本来、二歳であれば礼儀など覚える筈もないからだ。

 一方で、エィリはすぐ横で、まだまだ眠そうな目を僅かに開きながら、ニスを見ていた。理性の光もなさそうで、まだまだ寝ぼけている。


「えいりはまだおやすみなさい」


 そう言ってイィリがエィリの手を握ると、安心したのかエィリはそのまま眠ってしまう。

 伝聞だったら『妹思いの優しいお姉ちゃん』と誰もが言う。でも、二人は双子。全くの同い年なので、見た目には凄まじい違和感がある。

 気遣いまで見せる二歳児。あり得ない光景ではあるがニスはもはや動じない。

 『イィリお嬢様には天才なんて言葉では足りません。不敬を承知で言えば異常だと思います』とはニスの言。


「にすさん。わたしをしたにおろしてくれませんか?」


 舌ったらずながらも言葉、それも文章を正しく組み立てて話すということがどれだけ異常なことなのかは、せいぜい2~3語を繋げて話すだけのエィリと比較すると特に良くわかる。

 ニスはイィリを持ち上げて、ベッドから降ろす。

 幼児用のベッドなので、背は低く作られているが、勝手に動き回らないよう手すりが柵のように囲っている。

 イィリはベッドを降りると迷うことなく壁に片手をついて歩行練習を始める。

 他のパターンだと、ニスに『話し相手になって』と言いう事もある。

 初めてニスに『すこし、おはなししませんか?』と言ったのが1歳半。ニスの方が混乱して言葉が出なかった。

 そんなこともあり、ニスは既にイィリを8歳児位で見積もっている。

 ニスはその様子を眺めているうち、進行方向に障害物が置いてあるのを思い出す。


「お嬢様、今日は部屋の隅に荷物がありますので、角にお気を付け下さい」

「わかりました。ありがとうございますにすさん」


 普通の場所ならその位の事で声をかけることはないが、薄暗く閉め切った子供部屋では言っておく必要がある。

 ニスも何回か足の指を打って痛い目を見ている。

 こうした話題となるたび、ニスはどうしてこうなったのかについて考えてしまう。


(イィリお嬢様は白い。奥様も強い日差しには耐えれないそうですけど、それにも増して弱いというのは何の呪いでしょうか。生涯太陽の元を駆け回ることが出来ないというのはどういう事なのでしょうか…。)


 それはとても辛いことだとニスは考える。年頃になっても日中外で遊べないということは、子供たちの輪に混ざれないことを意味する。

 今でこそ姉妹一緒ではあるが、エィリもいずれ友達を作り、庭や野を駆けることになるだろう。

 イィリはそれを見に行くこともままならない。

 それどころか、その見た目をもって虐められる可能性もある。

 ニスと同じ使用人の中にすらイィリを気味悪く思っている人すらいる始末だ。

 と、考えれば考えるだけ負のループに陥ってしまう。


「にすさん、にもつはこれですか?」


 声をかけられたニスは気持ちを切り替え、イィリに悟られないよう表情を作ると、荷物の説明に入る。


「はい、そうですよお嬢様。中は旦那様がお嬢様に取り寄せた絵本だそうです。」

「えほん?」

「はい、絵がたくさん描かれた本…ええっと、絵と文字が書かれた紙の集まりです」


 まだ教えたことのない単語だったっけと少し首をひねる。

 イィリは殆どの単語は一度聞くとすぐに理解してみせる。

 それだけ物覚えの良いイィリが丁寧語で話すようになったのは、ニスが丁寧語で話しているせいもある。

 イィリのは当初『女性の使う言葉だから、きっと女性的な言葉づかいなんだろう』と練習したら、その後使用人として丁寧語を使っていたのだと知る。

 その頃には既に身についてしまっていたので、イィリはそのまま丁寧語で固定してしまった経緯がある。

 母親の言葉遣いではなく、使用人の言葉遣いを覚えてしまったことにクィルは少しショックを受けたが、特に矯正するつもりはなさそうだった。


「ありがとうございます。いまみてもいいですか?おかあさまがくるまでまちますか?」


 封を切っていない意図を逆読みしてみせる。

 イィリにしてみれば何気なく『そういう意図なんだよね?』と読み取ってしまうのだが、二歳児が他人の気遣いを『気遣いだ』と認識出来ることのおかしさに気づいていない。


「……奥様がお手すきでしたら呼んでまいります。少しの間だけお待ちください」

「おねがいします。にすさん」


 イィリが笑顔でニスを見送る。それを横目にニスは部屋を出るのだが、廊下に出て直ぐに立ち止まってしまう。


(お嬢様、貴方は本当に笑えているのですか?)


 母親よりも一緒にいる時間の多いニスには、イィリが幼児としては破格の知性を持っていることは知っている。

 そしてエィリが外へ連れ出されるたび、寂しそうな表情を一瞬だけ浮かべるのも気づいていた。

 その表情を隠し、笑顔で話しかけるだけの気遣いをイィリは当たり前のようにこなすので、余計に心配しているのだ。


(お嬢様の頭が良いのも、また呪いでしょうか?何も知らなければ無邪気に人に甘えられたのに。奥様もエィリ様も送り出したりせず、泣いて引き留める事も出来るのに)


 その知性が普通ではないながらも、イィリを気味悪がらないのはここが理由だったりする。

 これだけ優しい子がその知性を悪意で染めることはないという安心感だ。

 ニスは目元が熱くなるのを感じると、『ドアの前で泣いたりしたらまた気を使われる』と、戸の前を後にする。

 少し浮かんだ涙をぬぐいながら、ニスは居間へと向かった。


―――???―――


「イィリに絵本を?もちろん行くわ。呼びに来てくれてありがとう、ニス」


 クィルの判断で付く範囲の政務が終わり、休憩しようかと腰を上げたのと、ニスが呼びに来たのは殆ど同時だった。

 ニスが言うには、ライルが送ってきた絵本にイィリが気づいて、読みたがってるという。

 『こんな時でもないとイィリに構うことができないから』と二つ返事。こうしたチャンスを逃したくないのだ。

 イィリは子供としては気味が悪い位に『良い子』で通っている。

 大人から見た善悪感と自立心があるのだから当然と言えるが、事実を知らない者からすれば『異常な程良い子』に見える。

 そのため手間もかからず、どうしても中身も幼児なエィリを構ってしまう。

 そしてその差が一つの悲劇を生んでしまった。

 歯が生えてきて、本格的に言葉の聞き取りをしていたイィリが、母親を差し置いてニスの言葉遣いで話すようになってしまったのだ。

 ニスが話すのは丁寧語。それは別段どこへ出ても問題のある話し方ではなく、むしろへんな癖が付いてしまうよりずっと良い。

 それは知っていても気持ちの上で抵抗があるのは致し方のない話だ。

 もっとも、こうした感覚は貴族ではまれだ。政務や社交など、することの多い貴族たちの多くは、乳母を雇い、育てば専属の教師と使用人を付ける。

 当たり前だが親から言葉遣いといった初歩的なことを教わることは普通はない。

 クィルもそれは知っていたが、元々貴族のライルと違い、商人の出自であるクィルには思う所が出てしまう。


(ああ、もっと子供達との時間がとれればなぁ…。)


 それがクィルの今の所一番の願いだ。

 結婚当初、40過ぎまで領地を一人で支えた上、王都で仕事までしていたライルがどれだけ優秀だったかクィルは思い知った。

 そしてその後すぐに、優秀すぎて部下が育たなかった事も知る。

 その状況を見かねたクィルが手をだし、商人としての知識をもって主に経済面を支えるに至った。が、それも昨今弊害が出てしまった。

 商業が急速に発展した結果、ライルが管理できる許容量を超えてしまったのだ。

 部下も育ててはいるが、任せきりになるにはまだ少しかかりそうだ。結果、共働きの母に甘んじている。


「あの子ならいきなり一人で読み出しかねないわよね?」


 移動中、話題がてら冗談のつもりで話を振ったクィル。


「流石にそのようなことは無いと思いますけど…?」


 ニスもそれは無いだろうと応じる。しかし大分歯切れが悪い。

 常識的にはたとえどれだけ学習能力が高かろうと、見たことのないものを突然読むことは出来ない。

 ニスはしかしその裏では『もしかしたら…』を払拭することができないようだ。


「ですがお嬢様なら直ぐに覚えると思います」

「私もそんな気がするわ、エィリと差が空く一方だし何故なのかしらね?」


 クィルもイィリの学習能力に思う所はもちろんある。専属医からは、『2歳前後では2-3の単語を組み合わせる事しかできない』と聞いている。

 個人差はある筈だが、言葉遣いまで覚え、舌が回らないながらも大人と会話を成立させて見せるイィリは、個人差で片づけられる限度は既に超えている。


(いっつもエィリを心配するような子だし、心配はしてないけど、エィリは比べられたら可哀想よね……いっそ比較も馬鹿らしい位になってもらっちゃおうかしら?)


 不安を感じるよりもう一方の娘への配慮を考える。

 商人の家系であった事で、両親共に割きりと切り替えが早いだけあり、その影響を受けていたクィルも割り切りが早い。

 それどころか何を仕込もうか真面目に考え始めた。


 子供部屋に付くと、クィルの顔が笑顔に染まる。子供に物語を読んで聞かせる。それは全てのは親が憧れるシチュエーションの一つだろう。それが嬉しいのだ。


「イィリ、待たせたわね」

「まーま、えほん、ききたい」

「おかあさま、だいじょうぶです。えいりもおきてしまいましたので、いっしょにきかせてもらってもいいですか?」


 読み聞かせるのはイィリだけだと思い込んでいたクィルは一瞬疑問符を浮かべたが、それはそれでいいかと快諾する。

 イィリは多少言葉が早くても普通に聞き取ってしまうので、『読み聞かせ』ではなく『朗読』になるかも知れないとクィルは今さらながらに思ったからだ。

 そうした意味では、エィリが起きていたのはうれしい誤算だ。

 聞き取りもままならないエィリに合わせると、文字通り読み聞かせる形となる。


(初めて一緒に読む絵本が朗読では悲しすぎるものね…)


 そう思いつつも絵本を覆っていた包みを解き、中から本を持ち上げる。

 表紙には家と老夫妻の絵が描かれたもの、多くの四足の動物が描かれたもの、何か大きな盾の様なものを持った男が描かれているものの3つだ。

 それを見たイィリが目を丸くしている。

 初めて見た本に驚いていると受け取ったクィルとニスは安堵のため息をする。この子でも見たことの無いものは驚くんだと。

 イィリが一冊を手に持ち、その表紙に触れて何かを唸っている。

 イィリとしては手書きであることに驚いているのだが、クィルもニスも知る由はなかった。

 早速部屋に置いてある椅子を寄せ、大人二人が腰かける。イィリもエィリも、それぞれニスとクィルの膝の上で大人しく聞いている。

 光源の少ない子供部屋ではランプを除いて光源が少ない為だ。


「二人とも初めて見るものだし、最初はこれね」


 そう言って動物の絵が多く描かれた表紙の本を取り出して読み始めた。

 エィリは時折絵を指さして『これは?なに?』と何度も聞いているが、イィリは真剣そうに文字を視線で追いかけている。

 話としてはお嬢様がけがをした動物を次々と助け続け、最後に熊に襲われそうな処をこれまで助けた動物たちに助けられるというおとぎ話だ。

 物語が終わると、エィリは楽しそうにきゃっきゃと声を立てて喜んでいるが、イィリは目を閉じて考え事をしている。


「お嬢様、何か分からない所などありましたか?」


 と悩んだ様子のイィリに声をかける。

 大方、エィリが楽しそうに質問し続けているのを見て遠慮した為、所々でわからない事でも出たのだろうとニスは推測していた。

 イィリはふと顔を上げて、クィルに向き合うと、


「いまのえほんのさいしょと、3まいめのさいしょをよんでもらえますか?ゆっくりおねがいします」


 何だろう?と首を傾げたクィルは、最初のページと5-6ページの冒頭を読む。

 今度はエィリに止められることもなく、すんなり読み終わる。

 しかし、読んだからこそ余計に理由が分からない。

 全く違う箇所を飛ばして読んだのだ。

 話も繋がっていないのに、これで一体何がわかるのか?とクィルもニスも首を傾げる。

 数秒の間、イィリが考え込むような仕草をした後、おもむろに声を上げる。


「……にすさん、まちがえてたらおしえてください。となりのほんのだいめいは『やさしいひめさまとろうふうふ』ですか?」


 イィリが老夫妻の描かれた本の表紙を指さし突然話し出した。


「「…」」


 今度は大人二人が驚く番だった。

 表紙にお姫様の様な絵は無いし、当たり前のようだが文章を正式に読んで聞かせたのは今回が初めての筈だった。

 にも拘わらずイィリは本のタイトルを読んでみせたのだ。


「……イィリエスお嬢様?…何方か教えて下さった方が居るのですか?」


 ニスは使用人の誰かがお忍びでここに来たのかと疑う。

 そう思いつつも、イィリの見た目もそうだが、薄暗い子供部屋に好き好んで来るような使用人がいない事は分かっていた。それが混乱に拍車をかける。

 するとイィリはその短い腕を上げて母親を指さす。


「いま、よみきかせてくれましたよね?」


 さも当たり前の様に母親を指さすイィリ。

 『え?あ…でも…』と突きつけられた事実だけでは到底納得ができない。クィルも同じ表情だ。

 固まる二人を見て不思議そうに首を傾げながら。


「ただしいですか?あと、『ろうふうふ』ってなんですか?」


 それを聴いてクィルは先に気づく。


「イィリ貴方、文字の音だけ先に覚えてしまったの?」


 だから意味を持つ単語が何を示しているのか理解できないのではないかと推論を立てる。

 そしてその直後のイィリの『はい、そうですよ?』の声にクィルは唖然とする。

 この国の言葉はアルファベットの様な記号の羅列で構成される。それを組み合わせて単語、空白で文字を繋いで文となる。

 使われる字は記号を含め43文字。(漢字の様に)文字そのものに意味を持つものがなかったことで、単語を知っていれば理解は早い。知らない単語もエィリが聞いているので、特に疑問はない。

 後は、文字と音を突合せれば読むことは出来る。接続することで訛る部分は流石に聞くしかないが、そう多くはない。そうした類の説明をイィリは行う。

 そうした説明に、ニスはあり得ないものを見ているかのような視線を送る。

 一通り説明し終わったイィリは、固まってる大人二人に、『つぎのほんをよんでいいですか?』と次の絵本に手を付けていた。

 その後は、イィリが主導で絵本を読み、所々つっかえたり、単語の意味を聞きながら結局三冊ともこの日のうちに読めるようになってしまった。

 クィルはこの一件をライルに報告し、ライルもしっかり5分は石像化したが、クィルはそのことを笑うことは流石に出来なかった。

 その後はライルも教職の立場を利用し、子供部屋には言葉の教科書、小説、果ては子供の初期教育用の教本まで揃え、イィリが喜々として読み漁り、エィリに喜んで聞かせるようになった。

 エィリは姉の感情に引きずられるままにそれを聴き、次々に知識を蓄えて行った。

 かくて、自覚のない天才姉妹が出来上がることになる。


(ここで生きていくには分からない事が多すぎます……)


 幼児が気にするような類の問題では無いが、前世もちのイィリはそう考えていた。


―――イィリエス・クロマルド≪イィリ≫―――


 本を読み始めて1年。やはり効率は良いですよね。

 両親は強制も何もせず、流れに任せているような雰囲気でしたが、辞典に算術本、書き取り用のノート等を私の進捗に合わせて随時用意してくださっているようで、私の『成長』は大分早まったと思います。

 幸い教科書等もあり、分からなければニスさんに聞けば良いので、覚えるのは割かし直ぐでした。まだ時折単語を空耳しますが、許容範囲でしょう。

 驚くべきは赤ん坊の記憶力でしょう。覚えようと思えば一字一句殆ど覚えられます。これが若さですか…。

 ついでに、何もせずにいるのも暇そうだったエィリにも教師まがいのことをしてみました。

 いや、相手の感情が分かるって便利ですよね。分かったのか分からないのか、今のモチベーションがどうなのかとかすべて分かりますから。

 お蔭でエィリも今や独力で小説を読めますし、基本的な四則演算位は出来るようになりました。3歳児としては間違いなく天才でしょう。

 お母様のお腹も最近急に大きくなってきているので、次に生まれる子は私たちの代わりに子供というものを見せてあげて欲しいですね。

 それはそれとして、この国がどんなものなのか、改めて把握することができたのは儲け物でしょう。

 歴史書そのものは記録が取られ始めてから約2000年程と記載されているものの、高度な産業体系はなく、人力・水力・風力による工業。それも紙や製鉄と、低品質な透明ガラス工業位しかまともに機能していないそうです。

 地球史ですと、ガラスが17世紀位の筈ですので、私の知る世界より300年は進んでいないことになります。産業革命はまだですか?

 因みに紙はあれど、トイレットペーパー程量産は出来てないようです。今まで布だったのはそれが理由ですか……石鹸位はあるのですが、そんなに量産出来てないようです。これまた不衛生。

その他諸々


・この国は島国、海賊は時折居るが、ここ百年以上戦争らしい戦争はない(海の向こうではかなりドンパチしてるらしい)

・技術的には17世紀程。火薬位はあるらしい

・王政=貴族型の統治。一部腐敗が問題提起されてる

・人種的には殆どが黒髪(私は大好きですが)の碧眼

・対してクロマルド家は色素が薄い家系らしい。私とエィリは遺伝子異常かも

・男系の社会構造。家庭に入って守るのが女の幸せとされている。一昔前の日本か…


 ざっくりまとめるとこんな所でした。

 一方で、面白そうな技術もありました。


 『章術。野生に生きる一部の動物は、風を起こす、光を発する等の特殊な力を持つ。これらの角等の器官を組み合わせ、人が力を加えることで同様の力を生み出す技術のこと』


 つい先ほど読み終えた理工学書に書かれた最後の一節。

 数学も化学も正直大したものではないですし、そこに興味はありません。高校理系レベルまでの化学位までなら私が進めればよいのです。それよりも、明らかに前世でなかった技術が気になります。

 興味はあれど、手持ちの資料で『章術』に関する記述はこれだけなので、余計に気になってしまいます。

 正直なところこんなこと(誕生パーティ)するより、これに関する書籍が欲しいのですが…。


「私としてはパーティより勉強がしたいのですが…」

「いいえ、イィリお嬢様。今日は誕生日ある他にも一族へのお披露目もありますので諦めてください。それに調理師たちがケーキを用意してくださるそうですよ?」


 正直に言えば私にはそんな物欲はありません。いいから私に知識をくださいプリーズ。


「お姉ちゃん、私本にあったケーキというものを食べてみたいわ」

「エィリのお願いでは聞くしかありませんね…」

「ええ、観念してお嬢様もドレスに着替えてください」


 というように、今日で三歳児となります。

 私にしてみると31歳になるのでしょうか…年号が違うので何とも言えませんけど。

 エィリもはっきり話せるようになってしまいましたし、まだ子供らしさが残ってるうちに母方の祖父母≪オル&シクル≫と、父方のお祖母様≪フィル≫とで誕生会をすることになったのだそうです。

 すみません子供らしくなくて。

 因みにオルお爺様夫妻はそこそこ離れた土地で商会をしているそうで、生まれた直後以降で会うのはこれが最初ですかね?フィルお婆様はお忙しいとはいえ近所なので時折遊びにいらっしゃいますが。


「…いつの間にこれだけ揃えたのですか?」

「いいえお嬢様、貴族としてはこれでも少ないほうです」


 そこに並べられているのは20着近い服の山だ。

 子供とはいえ貴族の家系であれば社交界に出る機会も無いわけでは無いので、子供であってもそれなりに着飾る必要があるとはニスさんの弁。

 普段引きこもりで、おめかしする事はなかったので、これが初めてということになります。まさか幼児に化粧はしないようですが、衣装が面倒ですよね。

 個人的には前世で着慣れたスーツを…とも思うのですが、スーツはきっと男用なんですよね。今は望むべくもありません。


「お姉ちゃんお姉ちゃん!見て見て!」


 ふと見ると、エィリは白一色ながら、随分装飾だらけの服を着せられてます。白ゴス?あれ絶対ニスさんの趣味ですよね。普段以上のいい笑顔してますもん。

 輸入品なのでしょう。この国の民族衣装は糸で編んだ布を何枚も重ねる、袴の様な出で立ちなので、元日本人的にはそっちにしてほしかったです。まぁ本人も気分が良さそうですしいいですけど。

 これは早めに決めないと私までニスさんにおもちゃにされそうな気がします。

 この際女装趣味とかどうとか恥は全て捨てましょう。鏡の中の白い女の子はどんな服がいいのでしょう?


「やっぱり黒…でしょうか?」


 コントラスト的に。

 エィリもゴスですしこちらは黒ゴスでいいかなと。これ、転生前でこんな恰好したらと思うと寒気がしますね。


「可愛いわぁ」

「「ああ、二人ともとても似合ってるわ」」


 居間に出るとフィルお婆様と、お母様&シクルお婆様が殆ど同時に同じ感想を漏らします。というかお母様とシクルお婆様がハモってました。同じ遺伝ですねぇ。

 シクルお婆様も若いですよね。この国は17で元服だから、まだ30代?お爺様もその位です。フィルお婆様が60台。お爺様より年上のお父様、どれだけ晩婚だったのか伺えますね。

 お母様若いのに陶酔したように頬を染めないでください。世の男たちに見せたら結構な人数がコロッと逝きかねないです。


「おぉ!やはり孫たちは可愛いな!」


 オルお爺様も褒めてくださってます。

 ええ、服のチョイスは間違っていませんでしたね。正直微妙な気がしますが。

 そうこうしていると、エィリが俯いてモジモジし始めました。

 うん、滅多に会わないお爺様たちを前に緊張してますね。後は照れてる。そうした仕草も相変わらず可愛いですよね。

 あー、今度はこちらもちらちら見ながら更に照れだしました。私の心情も伝わったんですね。隠す気もありませんけど。

 思わず抱きしめたくなるくらいには可愛いですけど、今は自重自重…。


「…」


 そうしてエィリを見て癒されていると、微妙そうな視線が流れてきます。お爺様です。

 エィリに向けてたわけでは無いですし、きっと私の筈ですが思い当たる節はありません。

 ああ、礼儀作法とかそういった立居振舞の問題でしょうか?貴族の家系ですしね。


「本日は私たちの為にこのような場を用意していただき、誠にありがとうございます」


 スカートの裾を軽く持ち上げ、お辞儀と一緒に挨拶をしてみました。小説を読む限り、多分これであってる筈…なのですが?

 微妙な視線二対に増えました。シクルお祖母様です。まぁ普段家にいる方々と、現役教育機関幹部(ライルお父様)がスルーですしこれ以上は気にしないことにしましょう。

 多分皆さんの期待した反応と違ったのでしょう。こればかりは私だからと諦めてもらうしかありません。


「…うん、二人とも凄く流暢に話をするんだね」

「はい、随分練習しましたから。お母様達からは読み書きと礼儀、計算なども教わってますよ、お爺様」

「私はお姉ちゃんから教わったわ、お爺様」


 オルお爺様とシクルお婆様がすごい勢いでお母様に振り向きます。凄いですね、あんな速度で振り向くとか首が痛くなりそうです。

 フィルお婆様はちょくちょく見に来ますし特に気にした様子はありませんね。


「ライル、、、は日中家にいないだろううし、クィル、お前この子にどんな詰め込み方したんだ?」

「あー…。イィリが1歳過ぎた頃から喋りだして、本も読みたそうにしてたから…でもお父さんには手紙で伝えてたよね?」

「…確かに。でもここまでとは思わなかった…ぞ?」

「私は無理に詰め込むようなことはしてないわ。親馬鹿を承知で言うけど、天才よ」

「天才ではありませんお母様。お母様とニスさんの教え方が良かったからです」


 本当にお母様とニスさんには頭が上がりません。

 言葉、文化、文字、計算、聞けば教えてくれましたからね。あと、努力とは言いましたが前世もちの身としては情報収集は切実だったのですよ。

 こうしたやり取りは何時もの事なので、やはり両親とフィルお婆様はスルー。オルお爺様たちはたっぷりフリーズ中です。


「さて、皆揃ったわね?お父様たちも呆けて無いで席に座って!…イィリとエィリはこの席ね」


 唖然としているお爺様方を前に、さっさと場を仕切るお母様。

 私もそ知らぬ顔でエィリと同じ主賓席に座り、お父様による会の開催を聞き、話の流れを見守ります。

 生後に一同集まったのはこれが初めてとのことなのだそうです。

 交通の便もそうですが、商人も中々忙しいようですね。フィルお婆様位でしょうか、屋敷の近くで隠居生活してるのは…。

 って、あー!エィリが早くも、料理に手を伸ばしちゃってますよ。


「まだまだ子供だ。仕方ない」


 躾も考えればその発言はNGですオルお爺様。とはいえ、お父様も特になにも言わずニコニコしているので、今日は無礼講なのでしょう。

 私も適度につまみながら話に混ざります。

 エィリがニコニコしながらパンに噛り付く姿、ホント可愛いですよね。

 こう、保護欲を掻き立てるというか、小動物みたいで見ているだけで癒されると言いますか。

 その後、お母様方女性陣が私たちを見ながら『可愛い』と話してるので、軽く混ざっていかにエィリが可愛いのか語ってしまいました。

 女性陣は概ね『だよねー』的に盛り上がったが、男性陣は居場所がなさそうでした。女性比率が高いですからね。南無。

 そうして一通り皆が食べ終わった頃、お父様が少し咳き込むと、皆様の動きが止まりました。


「お前たちもそろそろ自分で考えられる頃だろう。誕生祝に何かプレゼントのリクエストを聞こう。どうだ?何か欲しいものはないか?」


 なるほど、転生前でもよく見た光景です。

 改めて文化が似ている様に思いました。いや、誕生日プレゼントは万国共通ですかね?


「お父様、私はクッキーが食べてみたいわ!」

「そうか、エィリはまだ食べた事がなかったものな。これからでも作ってもらおう」


 即座に答えたのはエィリ。うん、ホント純真で可愛いです。

 ですが、それはそれとして欲しいものですか。使い捨ての類の物は特に欲しいとは思いませんし、食べ物、飲み物にも特に執着はないですよね。

 服を私に聞かれても困る位だし当然候補外。まさか三歳児がお金をねだるのは流石に狂ってるでしょう。私でも子供にお金は持たせない。

 いや、そもそもお金があっても知識のない今では……知識?

 そうですね、その線で行きましょうか。


「お父様」

「ん?イィリは何が欲しいんだ?」

「私は章術の知識が欲しいです」

「「えっ…?」」


 これはこれは皆様揃って呆然としたお顔。

 声を出したのはお父様とお爺様だけでしたか。お母様たちの間の抜けた声は聴けませんでしたが、まぁそれはそれで良いでしょう。

 自分から勉強したがる三歳児。シュールですけど自重はしません。


「お姉ちゃん楽しそう!」

「ええ、とても楽しいですよ?エィリ」


 妹は反応しましたがお父様は相変わらずフリーズしてますね。

 しかしお爺様もフリーズとは…。血はつながってなくても親子なんでしょうかね?


「お父様、学習に必要となるものは何でしょう?」

「…あ、ああ、章術は基本的に座学と実習で、道具が必要になるのは実習の方で、紋章制作に使う材料と工具が…」


 ベクトルを与えると一気に傾くこの思考は見てて面白いですよお父様。お母様が弄る気持ちも理解できます。


「ではその道具一式を誕生祝にお願いします」


 敢えてニッコリ笑いながら言ってみる。くらいなさい、三歳児の娘の屈託ない笑顔(笑)。お父様たちがどんな顔をするか楽しみです。

 多少変ではあっても、お父様は聞かない訳にはいかないでしょう。

 わが子が進んで勉強したいというのを止める親はそういないというのもそうですが、家計的にも爵位持ちで教育の最高責任者が学習器具の一人分を出すのは造作もない筈です。


「貴方?」

「あ…ああ…」


 お母様から促されて肯定を含んだ呻き声を上げるお父様。言質いただきました。ありがとうございます。

 そう言ったきりお父様は考え込んでしまいました。ちょっと刺激が強すぎましたかね?

 お母様は『またこの子は』的なため息をしてます。そりゃ私に今まで勉強教えてたのお母様ですからね。今さら驚かないでしょう。

 お父様も日中もずっと家に居るなら驚かなかったのでしょうね。お爺様たちはあんぐりと口を開いてます。いい表情ですよ皆様(悪)。

 時折『あの子の頭はどうなってるんだ』と、お父様から独り言が漏れてます。今さらでしょう。


「良いわ、私がこの子たちに教えるわよ。貴方!固まってないで教本の予備を準備して!後、地下の研究室から教材になるものを幾つか持ち出すわよ」


 お母様の言に『分かった』と戸惑い気味に部屋を出るお父様。ちょっとやり過ぎましたね。

 まぁ、機材の発注でもしたら戻ってくるでしょう。それにしても、凄いですお母様。その思い切りの良さはかっこいいと思います。

 お母様も高等部主席卒という経歴は聞きましたし、忘れていないのであれば優秀な家庭教師になれるんですよね。


「ありがとうございます、お母様」

「どういたしまして。で?イィリもエィリもいつからがいい?王都まで近いから教本も道具も直ぐね。遅くても明後日以降には始められるわよ?」

「でしたら明後日からお願いします。概要しか分からず気になっているので、今から楽しみです」

「ありがとうお母様。私もお姉ちゃんと一緒がいいわ」

「そうね。じゃあ話はこの位にして、皆でケーキを頂きましょう?…ニス、全員分のデザート運んできてくれない?お父さんが戻ってきたら皆で食べましょう」

「はい、承りました奥様」

「やった!」


 そう言ってニスさんが台所へ向かいます。

 私はというと、からかい過ぎだとお母様に注意を受け、今はエィリもろともぬいぐるみ扱いされています。

 エィリはよくわかってなさそうな顔を一瞬浮かべましたが、今は暖かいからか嬉しそうにしてます。

 生まれ変わった直後はなすがままで恥を晒しましたが、こうして家族と一緒に笑いあう時間が味わえるのなら人生やり直しもいいかも知れません。


―――アイクィル・クロマルド《クィル》―――


「二人とも、今日から勉強だけど、本当にいいの?」


 ここでは通常、教育は5歳から8歳までに基礎的な算数と読み書きを、9歳から12歳までに高等教育、13歳から15歳で専門教育を施す。

 もちろん、各区切りで教育を打ち切り仕事に出るものも居る。例えば農家を継ぐのであれば8歳以降は十分な労力になるためだ。

 そしてこれから行う章術の学習は高等教育に含まれる。これは専門職全般でこうした技術が必要になるからだ。間違っても3歳児のやることではない。


「もちろん良いですよお母様。もっとも言い出した私が嫌がる訳がないですけど」

「お姉ちゃんがやるなら私もやるわ。置いて行かれるのは嫌だもの」


 娘たちに全く迷いは無いようだ。


「なら始めるわね。まず章術というものの成り立ちと、目指しているものについてね」


 章術はつい20年程前までは『魔法』と呼ばれて忌避されていたものである。

 それは極稀に生まれる『魔法使い』と呼ばれる人たちだけが実現して見せた奇跡だからだ。

 それについて20年前にこの学問を開いた開祖『イスクルム・オーカード』氏が道具を用いることで同様の事が誰にでも出来ることを示したことから状況が一変する。

 氏の著書の中では、『魔法』とは個々人が常に潜在的に持つ力であり、それを発現させる動力が『魔力』である。『魔法使い』はそれを視認することが出来る。

 そしてその力を特定の紋章に象ることで何等かの現象を引き起こすというものだと記している。

 これまで『魔獣』と呼ばれていた一部動物たちが扱う魔法もそうした力を使ったものであり、そうした獣の器官(多くの場合は骨の一部)を利用する事で力の流れは見えずともその現象を引き起こす。これを『器物』と呼んでいる。

 一般には視認できない物の、紋章を象ることから章術と名付けられた。


「…今ではそうした道具をどう組み合わせれば何が出来るのか、それが研究内容となってるわ」

「紋章自体の組み合わせは連結だけですか?」

「そうね、言いたいことは分かるけど、紋章そのものを見ることが出来る人は殆どいないの。連結での組み合わせはあっても合成は出来てないのが実情ね。イスクルムさんも数年前に亡くなってるし…」

「ある意味仕方ありませんよね」

「そうね。もっとも最初に二人にやってもらうのはこれね」


 そうして私が取り出したのは輪だ。大きさにして人の頭程の大きさだ。


「これは光るだけの器物ね。と言っても洞窟に住む魚の骨なんだけどね」


 これは章術を扱うものが最初に触れる器物で、個々人の持つ力の大きさを測る道具として用いられている。

 道具として見たときの効率が悪く、日常に使えるものではないが、その明るさと持続時間で個人の持つ魔力を図るのに使われている。


「とりあえずそれを手に持ってなさい」


 言われるままにイィリが手を伸ばし輪を手に取る。すると。


「大分眩しいですよね」


 イィリが輪を持って僅か数秒後、白い光が辺りを照らし出す。子供部屋は暗いので、慣れていない目には眩しい位だろう。

 それにしてもかなり明るい。


「凄く明るいわね、私が在学中だったころでもトップクラスだったかも?何処か疲れてるような感じはない?」

「僅かに何か削り取られるような感覚がありますが、この分なら半日は持ちますね」

(……え?)


 一度にため込める力には限界がある。その容量と出力には個人差があり、生まれついての物だと言われている。

 それを持続時間と明るさという形で確認するのがこのチェックの目的だ。

 出力だけで見れば学園約1000人の中でも上位。記録保持者でも1時間が限度だ。それを数倍上回る容量。


「…もう離して大丈夫よ」


 私は軽く額を抑える。

 これだけの容量を持った子を見たことはない。まして教本の中の記録でも過去2時間持った学生は存在しなかった。


「エィリも触ってみます?」

「うん、楽しみね」


 気づけばイィリは器物を台に置き、エィリに促している所だった。

 置かれた器物にエィリがその小さい手を伸ばす。


「皆、目を閉じてください!」


 輪が光り出す前に聞こえたのはイィリの叫び声だ。

 何の事かは分からないが目を閉じる。直後、全身に暖かさを感じる。

 閉じた目にすら感じ取れる光を受けて一体何があったのかと気になるが


「熱いっ!」


 そうエィリが漏らして手を放すのは直ぐの事だった。


「大丈夫エィリ?」


 エィリの心配をして直ぐにイィリが横についている。

 私は急いて片づけるため器物に手を伸ばした。


「熱い…」


 我慢できない位ではないが、器物は熱を持っており、その発光の激しさを物語っている。肌の弱い子供の手には厳しいだろう。

 目を閉じていなければ失明していたかも知れないと思うと背筋が凍る。


「二人とも!大丈夫だった!?目が痛いとかない!?」


 慌てて娘たちに振り替えると二人とも首を縦に振っている。

 イィリが気づいたお蔭でエィリも目を閉じていたようだ。


「良かったわ、二人とも無事で。それにしても凄い光だったわね。あんな光は見たことが無いわ」

「私も焦りました。『青い光の線』があまりに太いので…」

「うん、お姉ちゃんに助けられた」

「良かった…」

「…お母様、私はあのまま手を離さなければ1時間位続けられたと思うわ」


 これまた規格外の言葉が漏れる。あの出力で1時間も?

 これだけの光を起こした人間は、少なくともこの学問が出来てから存在していない筈だ。


「…もうこれだけで生活できるわね…」


 やや呆れ気味にそうつぶやいた。

 実際、これだけの力を発揮できるなら引く手数多だろう。産業の一部ではこうした力を利用するものもあり、実際そのための要員を欲している所は少なくない。


「そうなんだー」


 エィリは感心したようにこちらを向いているが、イィリは何処か虚空を眺めている。


「…確かあの紋章はこうだった…」


 そう呟く娘に違和感を感じた時だった。


「!!?」


 やや眩しい位の光に、私は言葉にすることが出来なかった。現状『器物』は私の横の箱の中であり、他に器物はない筈だった。

 つまりこの場において光を生み出すものは存在しない筈だ。


「…やっぱり出来ましたね。私も『魔法使い』になれそうです」

「私もできるかな?お姉ちゃん」

「エィリも青い光は見えるよね?」

「うん、見える」

「さっき感じた何かを引っ張り出される感じで、出て来た光をこういう風に繋ぎます」

「…うん、やってみる」


 そして今度はエィリも虚空を眺め始め、僅かに数秒で光を生み出し始めた。


「エィリ、少し眩しいですがもう少し抑えられますか?」

「…うん…」


 余程集中しているのか、エィリの応答が曖昧になっている。

 私はと言えば、どうしていいか分からず頭を悩ませているだけだ。


(魔法使い…しかも二人揃って…どう教えれば良いって言うのよ…)


 今この場に居ない夫にどう伝えたものかと悩んでしまう。固まる位で収まってくれるといいんだけど…。


―――エィリエス・クロマルド≪エィリ≫―――


 初めて章術を見てから、私たちは直ぐにこれに夢中になった。

 おとといは、他にはないのとお母様にねだってみたら、地下の『研究室』という所に連れてきてくれた。

 とっても面白い場所だと思う。


「エィリ、これも面白いですよ。『加速』です」


 そういってお姉ちゃんが手に着いた水を飛ばしてして遊んでた。加速の紋章の上を水滴が通ると、もう目で見えない位の速さで壁に当たって弾けてた。

 『パシャッ』という音が、雨みたいでよく覚えてた。私がやった時は


 パァン!


 と、ちょっと大きな音を立ててやっぱり壁で弾けた。

 一緒に見て同じものを使っても、大体私の方が起きる力が強い。

 何でも出来るお姉ちゃんに対抗意識を持つ気もないけど、それがちょっとうれしかった。

 その日は、他に『凍らせる紋章』というのが面白かった。

 紋章は見たことないけど、同じ事を起こす魔法を、絵本の中で魔法使いが使っていた。

 最初試しに置いたコップの水を凍らせた。コップを逆さまにしてみたけど零れる事がない、ちゃんと固まったんだと思う。でもこの時はちょっと冷やし過ぎて指に張り付きかけた。

 他には、桶の水を真ん中だけ凍らせるようにやってみた。

 でもこれは失敗だった。

 本当は水の上に氷の柱を作りたかったのだけど、出来た氷を中心に周囲も薄く固まっちゃった。

 でも、この分なら何回か練習すればできそうな気がする。

 まるで私が絵本の中の登場人物になったみたいで少しうれしい。

 あと、お姉ちゃんが幾つかの器具を目の前に置いて、手に持っては何か考えてた。

 こういう所はお姉ちゃんの分からない所だと思う。

 どう見たって『悩んでます』という見た目なのにずっと心が『笑ってる』。

 楽しいのに悩んでるというのはやっぱりよく分かんない。

 私もそのうち分かるようになるのかな?


―――――


 次の日も私たちは地下で遊んだ。

 外で遊ぶのも面白いけど、やっぱり私はお姉ちゃんと居たい。

 1~2日位なら何にも言われないけど、あんまり一緒に居ると気持ちは怒ってないのに怒られる。なんでだろう?

 この日は最初からお姉ちゃんは悩んだままだった。


「お姉ちゃんどうしたの?」


 あんまりにも悩んでるから、そう言ったんだけど、『大丈夫だから少しだけ考えさせて』って言ってたので、私はその日も一人で見てた。

 お姉ちゃんのこういう反応はつまらないけど、そう思うとお姉ちゃんを邪魔するので、とりあえずは面白そうな物が無いか探してた。

 その日、部屋から出る前にお姉ちゃんがこんな事を言ってた。


「明日は面白い物が見れますよ」


 何の事かは分からなかったけど、お姉ちゃんが言うからきっと間違いはないと思う。

 お父様とお母様も呼んでって言ってたから、明日は呼びに行こうと思う。


―――――


 今日、お父様とお母様を連れて地下室に来てみたら、お姉ちゃんがいっぱいコップを並べて待ってた。木じゃなくてガラスのだから、割ったら凄く怒られそうだ。


「イィリ?これから何をするの?」

「だから面白いことですお母様」


 そうしてお姉ちゃんがコップに向かうと、章術を使い始める。

 紋章は一昨日見た『加速』って言うのに似てたけど、細かい所が随分違うように見える。それも一つじゃなくて20個位?

 良くわからないけど、この紋章が動けばわかるのかな?


「…ご清聴下さい」


 お姉ちゃんの一言の後、コップを端から順に叩いていく。

 高い音から低い音まで色々音が鳴るのは面白い。でもこれは章術じゃない気がする。だってどの音もいつか聞いたことのあるガラスの音だったから。

 一通り叩き終えると、お姉ちゃんはこっちを振り向いて目を閉じた。


「…何がし…」


リィン


 お父様が良くわからないような顔で何か言おうとしたら、コップを叩いた時の様な音が聞こえる。

 お姉ちゃんはもうコップを向いていないし、誰も叩く筈はない。


リィン、キィン、カァン


 今度は幾つもの音が同時に鳴り出した。

 お姉ちゃんは必死に何か考えてるっぽいけど、お父様もお母様も驚いた顔してる。お姉ちゃんこの顔見たら喜びそうなんだけどな。


リィン、リィン、キィン


 音は何かで聞いたような音楽を表してるように思う。何だっけ?

 幾つかの音が重なってるけど、早さも整ってて、とっても綺麗に聞こえる。


「……10年後の貴方に…」


 そんな風な歌詞がお姉ちゃんの口から聞こえて来た。

 うん、お母様が歌ってた子守唄だ。それが今お姉ちゃんの口と、紋章から聞こえる。多分演奏してるんだと思う。

 知ってるものがもっと気持ちよく聞こえるのはとても嬉しい。

 お姉ちゃんの歌い方もとっても綺麗だけど、感覚は分かるから私も歌えるよね?


「「……今の幸せになれるように♪」」


 私が歌い出したら、私が間違わない程度に声を下げて、少しずれた音でお姉ちゃんが歌う。

 やっぱりお姉ちゃんは凄い。ずれた音で歌ってるのに、私だけで歌ってる時より綺麗に聞こえる。


…キィン


 最後に高い音を立てて歌が終わる。

 お父様もお母様も凄く喜んでる。でもあんまり拍手されると照れるなぁ。


「イィリ、エィリ、とってもいい綺麗な曲だったよ。またいつか、今度はオルお爺ちゃんたちが来た時にやってくれるかな?」

「ええ、大丈夫ですよ」

「うん!」


 本音を言えばもっと歌いたいけど、お姉ちゃんも乗ってくれるかな?


「ときにイィリ…その章術はまさか『創った』のか?」

「はい、創りました。紋章の解析が出来たのはまだほんの少しですが、物理的な力は凡そ再現できますよ」

「「…」」


 お父様もお母様も黙っちゃった。

 言ってることが良く分からなかったし、後でお姉ちゃんに聞いてみよう。

 お姉ちゃんもとっても楽しそうだし、きっと教えてくれるよね。

 お姉ちゃんが創ったっていうこれも覚えたらきっと面白くなりそうな気がする。

2発目で早くも書置きが尽きたぞー(;´Д`)


追記:

ちょっと誤字や書いたつもりで書いてなかった箇所等を微修正。

最初に書いた量のせいか、1話辺りが長すぎた。

でももう戻れないし、このまま突き進むしかなさそう。3話目なんてどれだけ長くなるのか(;゜Д゜)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ