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プロローグ〜1624年某日〜

 1624年、あの大坂夏の陣から9年ーー。葉名(はな)は兵庫の姫路城城下町の団子屋にいた。桜が咲き始めたこの季節、その花の間から見える姫路城を拝むため、人々は外へ繰り出していた。なんといっても祭りの季節である。いつもにも増して、この城下町は賑わい始めていた。


 葉名は今、城下町の団子屋の売り子に扮し、諜報活動をしていた。そうとはいえ、大坂の陣で徳川対豊臣の過激な権力争いは幕を閉じた。もともと徳川家の忍びとして働いていた葉名は、道ゆく人や休憩をしに店に入ってきた人から、この頃の流行りや地方の状況を聞くだけに留まっていた。このようなお店で働いていると、世間の話は耳に入ってくるものである。だが、昔のように常に周囲を警戒し、刀を持って戦うことはなくなった。

 

 葉名は忍びの教育を受けたあと、数少ない女の忍びとして徳川家に買われた。夏の陣では大坂城へ出向き、千姫を戦火の中から助け出したということで評価された。その後、千姫の護衛の任務を提案されたが、どうにもその気にはなれず断ったのである。それに代わり、千姫の新しい嫁ぎ先の本多忠刻が城主を務める姫路城城下町へ配属されることになった。そう、千姫の前の夫は、徳川家の宿敵・豊臣家だ。戦国時代の終幕と同時に、徳川家に買われていた他の忍びたちは、宿や銭屋、茶屋のような商売で、常に城下町の諜報活動に専念するよう命を受けた。徳川家がつくる世に、異変が現れないか常に警戒する必要があるからだ。それでもやはり、懸念するような大きな問題はなかった。平和の訪れとはこういうことなのだろうか。


「葉名ちゃん、いつものよろしく」


 近くの呉服屋の女将が顔を出してきた。定期的にやってきては、串団子10本ほどをまとめて買い、店の皆で食している。女将は人脈が広く商売の年数も長いため、この辺りの噂は全て把握している。そういう意味でも大事な客であった。本人にそのようなことは言えないが。


「女将さん、今日もありがとうございます」

「なあに、こちらの台詞だよ。昨日から春祭りだし、桜も見頃だからね。忙しくなるよ」

「何とか乗り切ります」


 昨日から、城下町では祭りが始まっている。この期間は人の出入りが激しく、地方からの訪問者も多い。このような時、客としてやってくる人に話を聞くことが大事ではあるが、単純に忙しい。呉服屋でもそれは同じようで、買い物客が増えるのだ。


「ところで昨日、異国人のお客さんが来たよ。珍しいったらありゃしない」

「そういえば、団体で歩いていましたね」

「そうなんだよ。イスパニアだって言ってたね。一人日本語が上手い女性がいたよ」

「イスパニア?」

「うん。南蛮のことだよ」


 イスパニアが南蛮国ということくらい分かっている、と葉名は思いながら「ふうん」と相槌を打った。思わず聞き返してしまったのは、日本語が堪能という一人の女性に引っかかったからだ。まさかな、と思いながらまた女将へ声を掛ける。


「うちには来てくれなかったなあ」

「もし来たら稼げるよ。こっちの方は、結構持ってたからね」


 女将は笑いながら指でお金の合図をした。葉名は野心を隠そうとしない女将の態度に笑ったあと、「少しお待ちください」と声を掛け、店の中へ入った。団子を包むため、台所へ向かう。そして、店主の娘である葵に表に立って欲しいと伝えた。店主は正真正銘の商人で、店主も葵も、葉名が本当は忍びであることは知らない。


 台所には格子があり、姫路城を拝むことができる。大きな城を見るたび、葉名は昔に思いを馳せた。


 9年経ったとはいえ、あの時代のために生きていたのだと思う。今姫路城には、自分の姉が侍女として身を置いているし、その主人の千姫もいるわけだ。千姫の護衛の話を断らなければ、自分も一緒にいたのかと思ったりする。千姫は穏やかな姫君で、侍女たちからも深く慕われていると聞くから、団子屋にいるよりも、ずっと心穏やかに過ごせるのだろう。団子屋は、繁盛している時が本当に忙しく、自分が忍びであることを忘れてしまうのだ。だが、どうしても千姫の護衛にはなりたくなかった。それは、姉が千姫の侍女をしているからという理由はもちろんだが、大きな理由は別にあった。


 今でこそ、大坂城の戦火の中から千姫を救い出したのは葉名となっている。当時千姫は、女の忍びに助けられたと主張した。大坂城へ入城した徳川家の女の忍びは葉名一人であるため、千姫救出の手柄は葉名のものとなった。そしてそれを誰も否定しなかった。


 実際のところ、千姫を救出したのは葉名ではない。まったく別の忍びである。葉名はその忍びが大嫌いだった。その忍びは葉名と同じく女であり、敏腕で、葉名は一度も勝てたことがなかった。葉名と二人で千姫と侍女らを大坂城から助け出したあと、その忍びは騒動に紛れて姿を消したのだ。


 千姫を助けたのが葉名ではないことを皆が黙っているのは、あの女を守るためだったのだろう。そのような経緯なのだから、千姫は自分に護衛に付かれるのは不安であろうし、葉名としても御免だった。


 そんなことを考えている間に、串団子10本を包み終える。紙箱に5本ずつ入れて蓋をしたあと、紙で包み込む。そして女将に渡された風呂敷でまとめた。


「お待たせしましたぁ」

「ありがとう葉名ちゃん。またうちにも買い物に来てよね」

「はい、また」


 女将に笑顔で別れの挨拶をする。女将の後ろ姿を見送っていると、反対側から声を掛けられた。女にしては高すぎず、低すぎない心地の良い声である。葉名はその声を知っていた。


「へえ、すっかり団子屋の売り子だな」


 振り返れば、小袖を身に纏った長身の女がいた。笠を深く被っており、顔がよく見えない。左手を笠に添えると、笠をクイッと少し上にずらした。左手首には火傷の跡がある。笠の下には、忘れられない顔があった。姫路城を見るたびに思い出す、異国人の特徴を持った、あの女。


(すい)……」

「久しぶり」

 

 そう微笑まれても、葉名は上手く笑えなかった。まず、驚きでなんと言えばいいのか分からない。


 大坂城での戦いは、きっとこれから、語り継がれるであろう日本の大きな合戦だ。だが、彼女たちの運命には何の名前もない。

 

 葉名は、忘れていた大坂城の戦火の熱さを思い出した。あの時は本当に熱かった。まだあの熱は、冷めていなかったのだ。

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