賭けの行方【2】
魔法模擬戦のルールは以下の通りだ。
一つ、相手に与えるダメージは魔法によるものに限定する(物理的な攻撃は反則負けとする)
一つ、魔法の種類や威力に制限はなし
一つ、途中で気絶するか魔力切れを起こした場合は即刻戦闘不能とみなす
一つ、勝敗はどちらかが戦闘不能になるか降参を宣言するまで(時間無制限)
一つ、立会人が加勢した場合は即時敗北とする
「――以上、異論は?」
「ないよ」「ありません」
ジークヴァルトの最終確認の後、リーゼは訓練場の中央でフェリクスと対峙する。
彼との距離は約十五メートルほど。物理攻撃不可の魔法戦の場合は互いに距離を取って戦うのがセオリーなので開始位置も必然的に遠くなる。
ちなみにこの訓練場は約六十メートル四方とかなり広い。
そして場の全体に何重もの安全装置的魔法処理が施されているため、生命に危険が及ぶような魔法が直撃しても最悪気絶で済む仕組みとなっている。つまり、どんな大規模魔法を使っても支障はないというわけだ。
(先輩の魔法技量は明らかに私より上。でも、私にだって強みはある)
リーゼは一度深呼吸をする。ここから先、集中を切らせば速攻で落とされてしまうだろう。
勝利の鍵は平常心。それを強く胸に刻み込む。
「準備はいいな?」
二人に確認を取ってからジークヴァルトが数歩後退し右腕を上げた。
「これよりフェリクス・フェルゼンシュタインとリーゼ・リールの魔法戦を執り行う――始め!」
その右腕が勢いよく垂直に落とされた瞬間、リーゼは無詠唱による水の基礎防御魔法を展開させた。
すると数秒もしない内に複数の風の刃が防御魔法にぶち当たった。魔法の詠唱は聞こえなかったので、相手も無詠唱魔法を使用したのだろう。
「――なかなかやるね。合同演習の時のアレもまぐれじゃなかったってことか」
フェリクスが感心したような声を漏らすのにリーゼはムッと表情を顰める。
だが言い返すことはせず現状の魔法を維持しながら別の魔法の詠唱に取り掛かった。
「《猛き水よ、我が意思に従い、その姿を変え、堅牢なる水の結界となり、我を守り給え》」
水の中級防御魔法。それが展開すると同時に最初に張った防御魔法は霧散する。
リーゼの周囲を半球状に覆うその水の膜は基礎魔法に比べると格段に厚い。これを突破するのであれば、中級攻撃魔法の連発もしくは上級攻撃魔法による一撃が必要となってくる。
フェリクスはリーゼの防御魔法に肩眉を上げながら、属性の相性として水に一番強いとされる土の中級攻撃魔法を詠唱した。無数の礫が水の膜へと殺到する。だがリーゼの身体にその脅威が届くことはない。すべての礫は水壁に弾かれ力を失い、その場で霧散していく。
フェリクスはその後も同じ魔法を二度使った。リーゼは三度目の攻撃を受ける直前に詠唱し直して防御魔法を張り直した。おそらく三度目は防ぎきれないと判断したからだ。
「……なるほど。やはり君の狙いは僕の魔力切れかな」
リーゼは答えないが、フェリクスは何処か納得したように微笑んでいた。
彼がそう考えるのも無理はない。リーゼが明確にフェリクスよりも上回っているのは潤沢な魔力量だけである。つまり同じ魔力量の魔法を互いに使い続けていれば、先に限界が来るのはフェリクスだ。
リーゼは防御に徹するだけで相手の魔力切れを待つ戦法を取ることが出来る。
だが、それはあくまでも理論上の話だ。
「随分と舐められたものだね」
フェリクスは冷たく目を細めると、
「我慢比べは性に合わないし、さっさと決めさせて貰おうかな」
言って、集中を高めるように空の右手をリーゼの上方へと向けた。
「――《遍く世界を覆いし豊穣の大地よ、その尊き力による奇跡を、我は今ここに希う、我が魔力と引き換えに、勇壮なる巨人の腕となり、我が前の壁を粉砕せよ》ッ!!」
詠唱と共に遥か頭上で出現するのは、土で形成された十数メートルはある巨大な腕。
猛スピードで己目掛けて振り下ろされるその拳にリーゼは冷静な目で観察する。
土属性の上級攻撃魔法――通称・巨人の鉄槌。
直撃すれば戦闘不能は免れない。だが上級魔法の弱点は詠唱の長さにある。
フェリクスが詠唱を開始した直後からリーゼも即座に対策を講じていた。
そうして瞬きの間に巨人の拳がリーゼの防御魔法へと直撃。轟音と共に周囲に衝撃波を撒き散らす。
そのまま強引に防御魔法を貫通した腕はリーゼを容赦なく押し潰すように思われた――だが、直前で暴風を巻き起こす巨大な盾がリーゼと巨人の拳との間に生成される。
土属性に対して有効なのは風属性。
水の防御魔法で威力を殺されていれば、いくら上級魔法であっても不利属性の防御は貫けない。
その読みは的中し、風の盾に阻まれた腕はその勢いを殺され、やがて粒子へと還っていく。
チラリと視線を向ければフェリクスが僅かに驚きの表情を浮かべていた。これで勝負は決めることは出来なかったのはともかく、それ以前にリーゼが完璧に上級魔法を防ぎ切ったのが想定外だったのだろう。
さらに付け加えれば上級魔法は魔力消費が激しい。
いくらフェリクスとて乱発することは不可能な筈である。
(まぁ、そんな私は上級魔法はひとつも使えないけどね)
ともかく相手の意表を突いた今が好機。リーゼは気合いを入れ直すとその場から走り出した。
それに反応したフェリクスも気持ちを切り替えたのだろう。すぐさまこちらに狙いを定めながら速度を重視した風属性の基礎攻撃魔法を無詠唱で放ってくる。
対するリーゼも息をするように水の基礎防御魔法を展開。これだけは発動速度にも強度にも自信があった。だから恐れることなくフェリクスとの距離を詰めていく。
そんなリーゼの動きにもフェリクスは慌てることなく今度は自身の周囲に風の防御魔法を展開する。
無詠唱だったが目視で確認するに基礎ではなく中級のようだ。これを崩すには中級攻撃魔法一撃では足りない。だがそれに関しては想定内。リーゼは防御魔法を維持したままで詠唱を開始する。
「《猛き炎よ、我が意思に従い、その姿を変え、無数の火球となり、我が敵を焼き尽くせ》」
火属性はリーゼの最も不得手なところだが、それでも毎日の自己研鑽を経て中級魔法の習得は叶った。
そうして生み出した火球は全部で十。その全てをリーゼはフェリクスへ向けて放つ。
風属性に強い火属性は確実にフェリクスの防御魔法の耐久値を減らしていく。
リーゼは間髪を容れずに同じ魔法をもう一度詠唱した。試合開始からここに至るまでに己の中の魔力がかなり消費されるのを感じる。このままのペースで使い続けていれば魔力限界も遠からず訪れるだろう。だからこそこの攻防中に決着をつけなければならない。
一方、リーゼの二撃目をなんとか防御魔法で受け切ったフェリクスはポツリと零した。
「……想像以上だよ。まさかここまでやるとは思わなかった」
その表情にはもう最初の余裕は微塵もない。彼は即座に風の防御魔法を張り直すと、再び土属性の上級攻撃魔法を詠唱し始めた。
彼は彼で既に中級以上の高度な魔法を乱発しているので、上級魔法は撃てても一度が限界だろう。
つまりフェリクスもここで勝負を決めようとしている。そしておそらく彼はこう考えている筈だ。
今、リーゼは火属性の攻撃魔法を詠唱している途中である。
ゆえに中断して中級防御魔法の詠唱に切り替えたとしても、先ほどと同じ二段構えの防御手段は使えない。つまり上級魔法の一撃を防ぎきることは不可能だと。
そう考えるのは魔法士にとって当然のことだった。
何故ならば魔法士は詠唱というトリガーを必要とする関係上、時間差で二つの魔法を並行して行使することは可能だが、二つの魔法を同時に起動させることは出来ないから。
例外は無詠唱魔法による行使のみ。
しかしリーゼは試合の冒頭で中級の防御魔法を使用した際に敢えて詠唱を用いた。
――それこそが、リーゼの用意した一世一代の罠である。
(落ち着いて……集中して……練習を思い出せば絶対に出来る筈だから)
リーゼは無詠唱で水の中級防御魔法を起動させるのと同時に、もう一つ無詠唱魔法を起動させた。
それは風の中級防御魔法。つまり先ほどの攻防の再現が起こった。巨人の腕はリーゼを傷つけることが出来ずに霧散していく。
フェリクスが驚愕に目を見開くのを視界に収めながら、リーゼは三度、火の中級攻撃魔法を完成させた。
しかしそれらは先に張られていた防御魔法に阻まれる。だが上級魔法の行使に魔力を相当持っていかれたのだろう。
渾身の二撃目――小さな竜巻にも似た風の中級攻撃魔法はフェリクスの防御を貫通して彼を後方へと吹き飛ばした。
身体を打ち付けるように床を転がるフェリクス。
しかし大したダメージではなかったようですぐに体勢を立て直した。
リーゼは今の一撃で戦闘不能に出来なかったことを悔やみながら基礎防御魔法を展開する。
正直、もう中級魔法を長時間維持するほどの魔力は残っていない。この守りを突破されてしまえば自分の敗北になってしまうだろう。
それでも最後の瞬間までリーゼに諦めるつもりはなかった。魔力が僅かにでも残っていれば可能性は残されているのだから。
そんな中、無表情のフェリクスが再び右手を上げてリーゼへと向ける。
そして淡々と中級攻撃魔法を詠唱し始めるが――途中でその声が不自然に止まった。
「……ああ、うん、そうか」
彼は疲れたような、でもどこか納得したような声音で言った。
「魔力切れだね。……僕の負けだよ」
諦めたように右手を下げた彼は、そこで唖然とするリーゼを見つめながら小さく、だけど確かに笑ってみせた。