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君は僕の【3】


「それはこっちの台詞だ! なに泣かせてんだこのクソ野郎がッ!」


 息を大きく乱し全身汗まみれのジークヴァルトが、低く鋭く、吼えた。


 そのまま彼は無遠慮に室内に踏み込むと、座ったままのリーゼからフェリクスを遠ざけるべく強引にその腕を引っ張った。フェリクスは引っ張られるままに立ち上がらされ後方に押しやられる。そしてそのまま位置を入れ替えるように今度はジークヴァルトがリーゼの目の前にしゃがみ込んだ。


「――大丈夫か?」


 一転して労わるような声音にリーゼは必死の想いで何度も何度も頷き返した。

 安堵したせいで涙が先ほどから溢れて止まらない。恐る恐る手を伸ばしてジークヴァルトの腕の裾を小さく摘まめば、それに応えるように彼の方からリーゼの手をぎゅっと握ってくれた。その温度は普段の彼とは違い凄く熱い。さらに空いている方の腕で強引に額を拭った姿から、ここまで急いで駆けつけたことが見て取れる。


 呼吸を調えるように何度も荒い息を吐きながら、ジークヴァルトは目を細める。たぶん、こちらを安心させるために。


「とりあえず、無事で良かった」


 彼はリーゼの頭をくしゃりと撫でると、そっと両手を離した。

 そして立ち上がると改めてフェリクスと対峙するために踵を返す。その背にリーゼを庇うように。


 丁度その時、室内の扉が閉まる音がして、リーゼは反射的に目で追った。

 そこには今まで見たことがないほど険しい表情をしたブルーリリウムの主ガブリエラの姿がある。

 扉を背に腕を組んで立つ彼女は、チラリとリーゼに心配そうな視線を寄越した後で男二人に厳しい視線を投げた。


「――お客様方、これはいったいどういうことでしょうか? 特にフェルゼンシュタイン様はうちの大事な従業員を泣かせていたようですけれど……納得のいく説明をしていただけるのですよね?」


 公爵家の跡取りに対しても一歩も引く様子を見せないガブリエラ。その堂々たる態度にフェリクスがどこか観念したように息を吐く。


「彼女と見解の相違が発生しただけです。誓って身体を傷つけるような真似はしていません」

「身体を、とわざわざ仰るということは心の方はそうではないということかしら?」

「そこは否定しません。少々強引な手段を用いて彼女を説得しようとしていたので」

「……正直に言えばそれで済まされるというものではありませんよ?」

「承知してます。ですが僕にも譲れないものがありますので」


 フェリクスは真剣な表情でガブリエラの追及に答えていく。そんな中、二人のやりとりを黙って聞いていたジークヴァルトが口を挟んだ。


「それで結局、お前はこいつに何を言ったんだ」

「……それを君に答える義務はない」

「では、私が同じ質問をしたら答えてくださるのかしら?」

「申し訳ありませんが誰に対しても説明する気はありません。僕と彼女のプライベートな問題ですので」


 取り付く島のないフェリクスの物言いにガブリエラが眉を顰める。

 一方、ジークヴァルトは背後のリーゼを振り返った。


「リーゼ、お前なら答えられるか?」


 即答は出来なかった。ここでフェリクスとのやりとりをバラせば、リーゼを雇ってくれているガブリエラやブルーリリウムにも迷惑が掛かってしまう。今まで散々迷惑を掛けているのに、これ以上の負担は掛けられない。

 沈黙したリーゼに対して、ジークヴァルトは何かを察したのかそれ以上の追及はしなかった。

 代わりに彼はフェリクスへと視線を戻し、口を開く。


「とりあえず、アンタがリーゼに対して何か理不尽な要求してるって解釈で良いよな?」

「ハッ……随分な言いようだね?」

「こいつのことを信じてるからな。お前らの間で何があったかは知らないが俺は全面的にこいつの味方だよ」

「……もう一度言うがこれは僕と彼女の問題だ。外野が口を出すのは無粋だと何故分からない?」

「貴族のアンタと平民のこいつじゃ立場が違うだろうが。それに疚しいことがないなら俺が介入したところで正々堂々としていればいい。それが出来ない時点でお前の発言は信用出来ねぇんだよ」


 フェリクスが苦虫を噛み潰したような顔でジークヴァルトを睨む。

 もはや普段の穏やかで品行方正な仮面は完全に剥がれていた。


「……それじゃあ君はいったいどうするつもりなんだ? 所詮は部外者だ。彼女が助けを求めない以上、君に出来ることなんて何もないだろう?」


 するとジークヴァルトは僅かな間を置いた後で淡々と言った。


「だったらお前が娼館通いしてることをお前の父親や婚約者に暴露する」

「は? そんなことして何の意味が――」

「お前が嫌がりそうなことをするだけだが? それに周囲の目が厳しくなればお前こいつに近づきづらくなるだろ? その間にこいつから事情を聴き出して解決策を考えるわ」


 リーゼは呆気に取られた。ある意味でジークヴァルトの策はフェリクスのそれと通じるものがある。

 要は相手の弱みを握って脅すという図式だ。

 実際フェリクスにとっても父親や婚約者の横入りは絶対に避けたい事態だろう。それをこの短時間で見抜きいた上で交渉材料にするジークヴァルトの機転の早さは驚愕に値する。

 その証拠に黙って事の成り行きを見守っていたガブリエラが感心したように口角を上げていた。


「で、どうする? 俺としては別にどっちでもいいんだけど」

「……娼館に来ているのは君も同様だろう。学院を卒業した僕と違って君は来年も在学生のままだ。君が僕の周囲に触れ回るというのであれば僕だって同じことをするが?」

「別に構わねぇよ。娼館通いがバレたところで流石に退学にはならないだろうし」


 さらりと自分が被るかもしれないリスクを許容したジークヴァルトに、


「そんなの駄目だよ! 私のことでジークに迷惑掛けることになるなんて!」


 リーゼは思わず声を上げた。

 三人の視線が自分に集まるのを肌で感じながら袖で乱暴に両目をゴシゴシ擦って立ち上がる。

 ジークヴァルトやガブリエラのおかげで絶望しかけていた心が浮上した結果、思考も急速に回り始めていた。


「……俺に迷惑掛けたくないなら今ここで本当のことを話してくれ。必ず力になるから」


 ジークヴァルトが真摯な言葉を掛けてくれる。だがリーゼは「ごめん」と首を横に振った。


「それは出来ない。確かにこれは私と先輩の問題だから」


 だからこそ自分自身の手でこの問題を解決しなければならない。

 その覚悟をもって、リーゼはフェリクスへと話しかけた。


「先輩にお願いがあります。……私と賭けをしませんか?」


 一瞬、フェリクスが面食らったような表情をする。

 しかしすぐに取り繕うと「内容は?」と返してきた。


「簡単です。私と一対一の魔法による模擬戦をしてください。先輩が勝ったら私は先輩の要求を全面的に呑みます」

「ということは君が勝ったら僕の方が諦めるということかな?」

「はい。勝敗はどちらかが負けを認めるまで、ということでどうでしょう?」

「……それ、本気で言ってるの? 賭けている以上は僕も一切の容赦はしない。全力で勝ちに行くけど」

「勿論です。私も全力で挑みますので」


 普通に考えれば無謀な賭けだ。今年の魔法士試験に首席合格をしたフェリクスの実力はリーゼより確実に上。しかし、だからこそリーゼにとっては賭ける価値があった。

 強固な意志はリーゼの表情に自信を与える。

 逆にフェリクスは訝し気な表情をしていた。そして何を思ったのかリーゼへではなくジークヴァルトの方に水を向ける。


「君は止めないのか? 明らかに彼女に不利な賭けだろう?」

「こいつが決めたことに口を出す気はない」


 即座に言い切ったジークヴァルトにリーゼは自然と笑みを零した。

 きっと色々と言いたいことがあるだろうに、それでも黙ってリーゼの決断を支持してくれる。それがどれだけ心強いことか。感謝してもしきれない。


 一方、フェリクスはしばし考え込むように沈黙した。

 だがやがて顔を上げると、


「分かった。その賭けに乗ろう」


 こちらを真っ直ぐに射抜きながら承諾を告げてきた。

 その後、模擬戦の具体的な日時はフェリクスから後日連絡するということで合意する。


「話は纏まったようですわね。ではフェルゼンシュタイン様、本日のところはお引き取りを。ああ、お代は結構ですわ」

「……金はきちんと払いますよ」


 チクリと刺すようなガブリエラに苦笑しつつもフェリクスは抵抗することなく従う。

 そんな彼はガブリエラと共に部屋を出る直前、焦がれるような熱っぽい瞳でリーゼを見つめた。リーゼはその視線を真正面から受け止める。お互いに言葉はなかった。そうして扉は閉ざされ、室内にはジークヴァルトとリーゼの二人が残される。


「――ごめんねジーク、迷惑を掛けて」


 リーゼはジークヴァルトを振り返り謝罪した。すると彼はようやく肩の力が抜けたように背を丸めるとそのままリーゼを自身の腕の中に閉じ込める。


「ほんと、心配させてんじゃねぇよ……」


 心の底から疲れたような、安堵したような声音が耳をくすぐる。

 それに堪らない気持ちになってリーゼは彼の背中に手を回した。汗だくになったせいだろう。少し湿ったその身体は途方もなく愛おしかった。


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