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君は僕の【2】


 動揺するフェリクスをしり目に、リーゼは自身のポケットの中へと手を入れた。

 そこから取り出したのはフェリクスの瞳の色を思わせるリボンタイ。

 会えた時にすぐ返せるよう常に持ち歩いていたものだが、まさかこんな形になるとは露ほども思っていなかった。

 苦い気持ちを隠しながらリーゼは丁寧にまとめられたそれをフェリクスの方へと差し出す。


「これもお返しします。私が持っていてはいけないものだと思うから」


 彼は酷く傷ついた表情をした。それを直視したリーゼの胸もまた痛みを覚える。しかしこうすることが正しいのは明白で、だからこそ後に引くことはもう出来ない。

 そんなこちらの意思を正確に汲み取ったのだろう。フェリクスは強く唇を噛みしめる。しかし一方で彼は頑なにリボンタイを受け取ろうとはしなかった。代わりに掠れた声で問う。


「ここまでするってことは、君は本当に僕との関係を完全に断つつもりだったの?」


 リーゼは迷ったものの、首を縦に振った。


「そうすることが自然だと思います。私達は……住む世界が違うから」


 彼自身もそれは十分承知しているだろう。そこを捻じ曲げてでもリーゼを傍に置こうとするならば、どうしたって後ろ暗い道を選ばざるを得ない。この場合は彼に囲われる――つまりは愛人の類に納まるということだ。そんなことリーゼの倫理観では到底、許容出来ない。


「それに先輩には王女殿下という伴侶が居ます。それなのに私と関係を持つなど赦される筈がありません」

「っ……そのことについてはさっき説明しただろう! 僕と彼女は政略結婚だ。そこに愛なんてものは微塵もない。互いに愛する者は別に居たところで咎められるほどのことじゃない!」

「それでもっ! 私には無理です」


 リーゼは視線を逸らすように目を伏せた。

 貴族的な価値観だと言われればそれまでだが、こちらにだって譲れないものはある。

 フェリクスの誘いに乗るということは彼と王女殿下が子を設けるのを黙って受け入れるということだ。たとえ愛がなくても世継ぎは必要。そのためにフェリクスは王女殿下と褥を共にするだろう。


「私には愛する人を別の女性と共有するなんてこと、とても耐えられません」


 そう言ってリーゼはフェリクスに自ら歩み寄ると彼の右手を掴んだ。そして掌の上にリボンタイをそっと置いて強引に握らせる。


「先輩には感謝しています。だからこそ、このまま綺麗にお別れをするべきだと思います」


 リーゼは精一杯の笑みを浮かべた。

 どうかこれでフェリクスが引き下がってくれることを願って。


 ――しかし、その想いは虚しく散る結果となる。


 彼はしばし握らされた己の手を見つめていたが、不意に視線をリーゼの髪へと向けた。

 そして唐突に空いていた方の手を伸ばすとリーゼの耳の真横辺りで揺れていた黒いリボンを掴んだ。それに気づいたリーゼが咄嗟に手を払おうとしたが、それよりもフェリクスの行動の方が早い。

 彼は強引にリボンを引っ張る。蝶々結びにしていたため、リボンは簡単にほどけてしまった。


「っ!! 何するんですか! 返してください!」


 ポニーテールだった髪型が崩されて背中にそのまま流す形となったリーゼだが、そんなことを気にする余裕もなく抗議の声を上げる。他のものならいざ知らず、取られたのはジークヴァルトがくれた特別なリボンだ。そのまま持ち去られるわけにはいかない。


 一方、フェリクスは感触を確かめるように黒いリボンを指で弄んだ。そして薄く口もとを吊り上げる。


「ねぇリーゼ、これは誰から貰ったの?」


 そう訊ねてきた時点でおそらく彼は正解を予想しているのだろう。

 リーゼはどこか嫌な予感を抱きつつも正直に答える。


「……ジークに貰いました」

「だろうね。これ、魔道具だろう?」

「っ! 分かるんですか?」

「まぁ強い魔力が宿っていることくらいはね」


 言って、フェリクスは黒いリボンをぐしゃりと握り潰す。もともと布であるため皺になるだけだが、それでも綺麗なリボンをそんな風に扱われてリーゼは憤りを覚える。

 だが次の瞬間にはそんな憤りなど一気に消し飛んだ。


「――こんなもの、君には似合わないよ」


 そう呟いたと同時、フェリクスの左手から炎が噴出した。途端にバチバチと激しい音が室内に響く。普通のリボンならば炎によって一瞬にして消し炭になっていただろう。だが、守護の魔法が掛かっていたそのリボンは燃えることなく、フェリクスの炎に対して反発するように白い光を放っている。


 その光景に呆気に取られたのは一瞬。

 リーゼはすぐさま駆け出しフェリクスの左腕を掴んだ。


「やめてくださいっ! なんでこんなこと!!」

「なんでって、邪魔だからだよ」


 リーゼの抵抗など諸ともせず、フェリクスは執拗にリボンを燃やそうと炎の勢いを強くする。

 さらに彼はリーゼがそれ以上手出し出来ないように自らの左手の周囲を風の防御魔法で覆った。これでは火傷覚悟で強引にリボンを奪い返すことすら叶わない。


「さて、どのくらい持つかな……」


 冷ややかな声でそう呟きながらフェリクスは反発を続けるリボンに炎を浴びせ続ける。

 すると徐々にリボンから発せられる光が弱くなっていくのが目に見えて分かった。リーゼは咄嗟にフェリクスへしがみつき「やめて、返して!燃やさないで!」と必死で訴える。だが、彼は全く聞き入れる素振りを見せない。


 時間にしたらおそらく二分程度。

 遂にリボンから光が失われ――あっという間に燃え落ちてしまった。

 パラパラと灰が粉雪のように床へと散らばる。リーゼはショックのあまりその場に膝をつき座り込んだ。


「――なんで」


 涙は出なかった。それよりもただただ、胸が痛い。

 燃えてしまったリボンのこともそうだが、それよりも信頼していたフェリクスから酷い仕打ちを受けたことが何よりもリーゼの心を激しく打ちのめす。


 するとそこへさらに追い打ちをかけるかの如く。

 床に座ったままのリーゼと目線を合わせるように膝をついたフェリクスは酷薄な笑みを浮かべた。


「決まってるだろう、君を愛しているからだよ」

「そんなの嘘です! 愛してるなら、こんな酷いことするはずない!」


 思わずカッとなって言い返すが相手に響いた様子はない。それどころか彼はますます笑みを深める。


「愛してるからこそ赦せないこともあるんだよ。僕は君を絶対に手放したくない。ましてや君があの男の手を取るなんて認められるわけがない」


 だからね、とフェリクスは自身の右手に目線を落した。そこには皺が寄ったアイスブルーのリボンタイがある。


「たとえ君に嫌われたとしても、僕は僕の意志を貫き通すよ」

「……そんなこと言われても私は先輩には従いません」

「いいや、従うさ。だって君は僕に弱みを握られたままじゃないか」


 その言葉にリーゼはハッと息を呑んだ。


「そもそもの始まりを思い出しなよ。君は僕に脅される形で契約を結んだ。当初は一年という期限付きだったけれど、それが延長されるだけの話さ」


 確かにその通りだ。リーゼは未だに娼館で働いており、その事実が明るみになれば学院は退学。魔法局どころか魔法士としての道すら完全に断たれる。だからこそリーゼは最初こそ渋々フェリクスの提案を受け入れたのだ。


「賢い君なら分かってると思うけど、今更ここを辞めたところで働いていた事実は残るよ。僕がそれを学院に告発すれば君の望む未来は閉ざされる……ああ、僕としてはそれでもいい気がしてきたな。魔法士の夢が潰えれば君が僕を拒む理由が一つなくなるよね?」


 その発言にリーゼは強い失望感を覚えた。

 フェリクスのことを尊敬していた。だからこそ辛く苦しい。まるでこの一年間を穢されたような、そんな気持ちすら湧き上がってくる。


「……もう、やめてください。私……これ以上先輩のこと嫌いになりたくない」


 そう懇願するリーゼに対して、フェリクスは小さく首を横に振る。


「いいよ、もう。いっそ嫌いになってくれても。それでも僕は君のことが好きだから」


 彼は手にしたアイスブルーのリボンタイをリーゼの手首に巻き付ける。あの朝のように。

 強引に突っぱねる気は起きなかった。それくらいリーゼの心は摩耗していた。


「……こんなの、間違ってる」

「そうだね」

「先輩は私の気持ちなんてどうでもいいって言うんですか」

「そんなことはないけど。でも、君を手に入れる方法が他に思いつかないんだ……」


 自嘲するような声が耳朶を打つ間にリーゼの右手首はアイスブルーに再び囚われた。

 巻き付いたそれは彼の執着そのもの。故に悟る。リーゼが何を言ったところでもう、彼の意志を変えることは出来ないのだと。


 拒絶すれば魔法士としての道は閉ざされる。

 つまりリーゼに残された選択肢は一つしかない。


 絶望的な気持ちの中で、リーゼは正面からフェリクスの顔を見つめた。

 彼は表面的には微笑んでいる。だが、その瞳の奥はとても寂し気だった。元々こんなことをするような人ではない。だからきっと彼自身、自分の行動に傷ついている。それが分かっていてもリーゼにはどうすることも出来ない。


(……どうして、こんなことになっちゃったんだろう)


 リーゼは強く強く唇を噛みしめた。

 するとフェリクスの親指が唇に触れて、噛むのを咎めるようになぞられる。


「ごめんね、リーゼ」


 耳元に落とされた優しい謝罪の言葉にリーゼは俯いて目を閉じた。

 感情はもうぐちゃぐちゃで、泣きたいような叫び出したいような衝動に駆られる。

 それでも自制し、覚悟を決めてフェリクスに返事をしようとした――その時。


 扉を隔てた廊下側が俄かに騒がしくなった。

 何やら人の話し声が忙しなく聞こえてきて、リーゼは思わず音のする方へと視線を向ける。

 フェリクスも訝しげな表情で同じように扉の方へ目をやった。すると、突然その扉がガンガンと大きな音を立てて激しく揺れた。


 お客様!という女性の声はおそらくガブリエラのもの。リーゼは瞬きも忘れて扉を食い入るように見つめる。まさか、そんな――あり得ない願望が脳裏を過ぎった瞬間、扉の鍵が開く音がした。

 そして弾かれるように室内へと飛び込んできた人物の姿に、見開いたリーゼの目からボロリと涙が零れる。


「……お前、どうしてここに」


 驚愕するフェリクスの言葉に対して、


「それはこっちの台詞だ! なに泣かせてんだこのクソ野郎がッ!」


 息を大きく乱し全身汗まみれのジークヴァルトが、低く鋭く、吼えた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 「いっそ嫌いになってくれても。それでも僕は君のことが好きだから」の言葉グッてきました(;_;) 前後のやり取りから、2人の信頼関係が失望に変わる過程が切ないです。2人とも良い人だからこそ闇…
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