第9話 船長と恩師
カドゥラ星系の外周部で、ドクタ・カツラギ達と合流した。わたしはヴィーを連れてドクタの乗船する中型船に乗り込んだ。操舵室で、ドクタが待っていた。ドクタと直に対面するのは、実に一三年振りだった。
「ライフォード。その娘は?」
開口一番に、その事を言われてしまった。それはもう、仕方が無い事だと思う。一六才の少女を見て、誰も航宙士とは思わないだろう。
「わたしの船の航宙士でヴィヴィアンと言います」
途端に、操舵室内がざわめいた。ドクタ・カツラギでさえ眼を見張っている。そんな彼らを尻目に、ヴィーは笑顔を浮かべてドクタに挨拶をしていた。わたしが初めて聞く魔女ヴィーではない声と口調だった。
「初めまして、ドクタ・カツラギ。私はヴィヴィアン・ランスロウ。元は浮浪児だったのですが、レオンに拾われてヴァルキリアの航宙士をしています。」
思わずヴィーを見てしまった。初めてヴィーが、わたしのファーストネームを人前で呼んだ。
「丁寧な挨拶をありがとう。ランスロウ嬢。わたしはケンジ・カツラギ、生物学者だ。ライフォードとは古い付き合いだよ」
「ドクタ・カツラギ、ヴィーで結構です。ドクタの事はレオンから聞いていました」
その笑顔が怖いと思うのはわたしたけだろうか。何をする気だと思っていると、ヴィーは笑顔のままドクタ・カツラギに頭を下げていた。
「わたしの良い人の命を救っていただき、感謝に耐えません」
「ヴィー」
わたしはヴィーを止める。が、ヴィーは無視して続けた。
「ドクタ・カツラギがいらっしゃらなければ、わたしはレオンと出逢えませんでした。ドクタは、わたしの恩人でもあります」
ドクタ・カツラギだけではなく、操舵室にいる人達からの視線が痛い。とても冷たい眼でわたしを見て来る。
「ヴィー……」
諦めたように、ヴィーを呼んでいた。ヴィーは、笑顔のまま見返してきた。
「何でしょう。レオン」
「まだ、わたしに恨みでも?」
「ええ、もちろんよ。わたしを捨てようとしたから。恩人であるドクタ・カツラギに、懲らしめて頂こうと思っているの」
ドクタ・カツラギの眼が細められる。
周囲の視線は、今や針のむしろだ。繰り返すが、今のヴィーは上品な美少女に見える。
「ライフォード。わたしはキミを買い被っていたのかね?」
冷たい声と瞳で、ドクタ・カツラギは見て来る。
どう答えろと、わたしは聞きたい。
ヴィーに聞けば、その答えは決まっていると言うだろう。が、わたしはそれに答える事は出来ない。魔女ヴィーの事もあるが、何と言ってもヴィーはまだ一六だ。
ドクタ・カツラギには、思い出してもらわないといけない。なぜ、わたしが故郷を出て行かなければならなかったのかを。
「ドクタ。わたしが故郷を捨てたのをご存じでしょう。その理由も。そんなわたしですよ」
「そう……だったな。キミは、あれから?」
少し辛そうな顔で、ドクタ・カツラギは頷いた。
「ルイフルのおやじさんに鍛えてもらいました。独立したのは四年前です。ドクタの教えは、ずいぶんとわたしを助けてくれましたよ」
「故郷に戻ろうとは思わないのかね?」
「戻ろうとも帰りたいとも思いません。ヴァルキリアがわたしの家であり、宇宙がわたしの故郷です」
「そうか、まだその気にはなれないか。ご両親もご妹弟も心配しているようだし、連絡は取っていないのかね?」
ドクタ・カツラギの配慮には申し訳ないが、わたしは今の自分に誇りを持っている。
故郷がどこかと聞かれれば、宇宙と答える。そして、家はヴァルキリア。それがわたしであり、トレイダーとしての誇りでもある。
「止めましょう、ドクタ。その事は話していて楽しい事ではないですから。それよりも、ドクタは、なぜあんな事をしていたんですか?」
「いや、それはだな……」
途端に、ドクタ・カツラギは言い淀んでしまう。
「わたしは自分の目を疑いましたよ」
「理由があるのだ、ライフォード」
「そうでしょうね。でなければドクタの正気を疑っています」
「あー……」
そう言ったきり、ドクタ・カツラギは言葉に詰まってしまった。先を話してくれるのを待つしかないわたしは黙っていたが、ドクタ・カツラギの態度がどことなく変だった。
「ドクタ?」
「ライフォード。コーヒーはどうだね。ここのコーヒーは美味いぞ」
「ドクタ?」
「おお、そうだ。ヴィーもどうだね。喉が渇いていると思うが」
更に首を傾げてしまった。操舵室にいる人達は、ドクタ・カツラギの海賊モドキの姿を見ていたはずだ。つまりは、彼らを信用している事になる。なのに、ドクタがここでは話せないとは、いったいどう言う事なのだろう。
そうしたわたしの思いと裏腹に、ヴィーは笑顔で頷いていた。
「ありがとうございます。私も飲み物が欲しかったところです」
「では、案内しよう」
ドクタ・カツラギは先にたって歩き出した。ヴィーもその後に付いて行き、操舵室の入り口で振り返っていた。
「レオン」
あくまでもヴィーは、ファーストネームで呼んでくる。とにかく、わたしは付いて行くしかなかった。訳がわからずとも、ここでは話せないのだと思うしかなかった。
ドクタ・カツラギが案内したのは、ドクタの私室だった。そこには、ドクタと同年代の女性が待っていた。
「妻のカレンだ。カレン、ライフォード船長とヴィヴィアンだ」
「初めまして、ライフォード船長。ヴィヴィアン。カレン・カツラギです」
物静かな女性だった。わたしとヴィーは簡単な挨拶をして、ドクタ・カツラギに言われるままソファーに腰を降ろしていた。
そして、ドクタは話し始めた。
「ライフォード。キミが何を運んでいるのか知っている。知っている上でお願いする。海洋生物ノーマと少女レインを、我々に渡してくれないか?」
ある程度は予期していたが、ここまでストレートに話してくるとは思っていなかった。
ただ、ドクタ・カツラギ達がレインとノーマを、どうするつもりのなのかが不明だった。
わたしの思い付きには渡りに船だが、それを鵜呑みにする訳には行かない。ドクタ達の真意が判らないうちは、迂闊な答えは出来なかった。
「渡して、どうするんです?」
「あるべき所に戻す。それが、わたしの願いだよ」
何と言うか、ドクタ・カツラギと腹の探り合いをする羽目になるとは、わたしも思ってもいなかった。
さて、困った。
魔女ヴィーなら、ドクタの腹ぐらいは読めると思うが、わたしの横で事の成り行きを、静かに見ている彼女を当てにはしたくない。
「あるべき所……ですか」
「そうだ。だから海賊の真似までして……」
そこで苦笑を浮かべていたドクタ・カツラギだった。まあ、たしかに苦笑するしかないのだが。
「……キミが相手だとは、わたしも驚いたよ」
それは、こちらのセリフと言いかけたが、言わぬが花だろう。
「ドクタ。わたしがレインの事で、どこまで知っているのか気にしているんでしょう。レイン達に関わる事で秘密にしておかないといけない事がある。それで、肝心な所は曖昧にしている」
わたしの言葉は、ものの見事に的を射ていたらしく、ドクタ・カツラギの顔色が変わった。判りやすい人だ。
わたしは溜め息を付いてドクタに言う。
「ドクタ。わたしは、レインが海洋生物のノーマとコミュニケーションを取っているところを、この目で見ました」
ドクタ・カツラギは、驚いたように眼を見開いていた。隣のカレン夫人も、同様に固まっている。
ここまで来ればわたしは、ドクタ達の目的が何であるか、理解出来ていた。
ドクタ自身が生物学者であり、たぶんカレン夫人も生物学者なんだろう。判らないのは、どうしてドクタ達がレインの事を知ったのかと言う事だけ。
クロワード財閥は、厳重な警戒と機密保持を行っていたはずだ。
それは、財閥の全てがレイン達の事を知っていた訳ではないはずで、実用化の目処が立つまでは一部の者しか知らないはずだからだ。巨大企業なら、それが当たり前だ。ましてクロワード財閥は巨大な複合企業だ。
「わたしはトレイダーです。期日までに物品を運ばなくては、トレイダーの信義に関わります。それは、出来ない相談です」
「ライフォード。レイン達は、かつてのキミと同じ目に合っている。わたしは、それを何とかしたい」
やっと息を吹き返したように、ドクタ・カツラギは言う。
かつてのわたしと同じ目。
それは、エスリックが現れた時の態度で良く判っていた。しかし、ただのトレイダーがそこに立ち入る事は出来ない。立ち入れば、犯罪行為を行うしかなくなるからだ。
「ドクタ。例え、レイン達を渡したとしても、彼女達の境遇は変わらないはずです。彼女達の能力は研究するには十分値するでしょう。学者なら、研究者なら、目の色が変わってもおかしくは無いはずです。ならば、どこに行っても一緒でしょう?」
「それは違うぞ、ライフォード」
「どこがです?」
研究対象なら、どこに連れて行っても、やはり同じ目に合うだけだ。レイン達が自由に生きられる訳ではない。
「ライフォード船長。おっしゃりたい事は解かりますが、わたし達はあの子に人として生きて欲しいのです」
ドクタ・カツラギの変わりにカレン夫人が静かに言う。
「たしかに、あの子の能力は研究に値する物です。仮に、わたし達があの子の身柄を引き受けても、あの子の能力の研究はするでしょう」
途端にヴィーの周りが冷えてきた。
ヴィーもわたしと同じ様に思っている。だから、ヴィーの怒りが判った。それに気が付いたのかは判らないが、カレン夫人は笑って見せる。
「ですが、船長。あの子の意思に任せて、伸び伸びと生活をさせ、協力してもらう方が、良い結果が出ると思いませんか? わたし達は、あの子の自由にさせたいのです」
「つまりだ、ライフォード。我々は、あの子をモルモットにする気は無い。強制的に実験する気も無い」
ドクタ・カツラギ夫妻は、真摯に自分達の研究方針を、わたしに語って聞かせた。
それは、厳密に言えば、わたしが会った目と同じとは言えなかった。研究対象を一人の人間として認め、自由意志で研究に協力してもらうと言う姿勢だった。そうなれば、環境は大きく変わるだろう。
レインは、今まで研究対象として、モルモット同然の扱いを受けていたはずだ。ドクタ・カツラギ夫妻が、試みようとしている事は、レインにとっても良い事かも知れない。だが、わたしにはまだ懸念がある。
「ドクタ。知っているかも知れませんが、レインはまだ一〇才ぐらいです。その子供に、自由意志でと言っても無理がありませんか?」
わたしの懸念にドクタ夫妻は、もっともだと頷いていた。夫妻はその事も考慮しているようだった。
「判っている。まだ一〇才の子供に自由意志だ。と言ってもやはり強制されたようになってしまうだろう。だから、わたし達は、あの子に教育を施そうと思っている」
「その上で、あの子が協力してくれれば、私たちは助かるのですけど、そうでない場合でも無理強いはしないと、お約束できますわ」
そこまで聞けば、わたしは思案する必要は無い。
が、ヴィーはどう思うだろう。そっと伺ってみると、以外にも笑顔を浮かべていた。
「船長。ボクは、レインと約束したんだ。決して悪いようにはしない。諦めてはだめだ。ボクは諦めなかったから、船長と出逢えた」
ドクタ・カツラギが眼を丸くしていた。
解かるな、その気持ち。余所行きの言葉で喋っていたが、今は普段の喋り方に戻っている。ギャップがあるから、その様に感じる。
「それで?」
「ボクは、ドクタ達にレインの事をお願いしたい。ドクタ達ならレインを悪いようにはしないよ」
何か隠している。
そうわたしには思えた。ヴィーは何か言っていない事があるようにしか思えない。カマをかけてみる事にした。
「それだけかい? 他にもあるだろう、ヴィー」
「えっと……」
言い淀んだヴィーの瞳が泳いだ。隠し事があると、自分で言っているようなものだった。魔女ヴィーなら艶然と微笑むだけだろうが、ヴィーは良くも悪くも素直だ。
たぶん、魔女ヴィーの力に関係があるのだろう。その場合は、ここで言う訳には行かない。代わりにわたしが言うしかない。おおよその見当はなら、わたしにでもついている。
「ドクタ達といる方が、レインにとって良い事が起こる。かい?」
ヴィーが笑って頷いた。
「そうなんだ、船長」
「ヴィーの占いかい」
わたしは言葉を変えて言うしかない。
「うん」
大きくヴィーは頷いていた。その仕草は少女と言うよりも、子供らしかった。わたしは笑って頷いてしまった。
「ヴィーの占いは良く当たるからね」
「ライフォード?」
わたし達二人を、呆れたような顔でドクタ・カツラギ夫妻は見ていた。特にドクタ・カツラギは、眼を見張っている。
「ずいぶんとまあ、変わったものだな。あの頃とは全然違う」
「そうですね。あの頃は、誰も信じられなかった時で、全てが敵に思えていましたから、ドクタにも警戒をしていましたね」
「そうだな。そういう事が当たり前だったのかもしれないな」
懐かしむようにドクタ・カツラギは言う。
あの頃のわたしは、敵愾心で全てを警戒して、何も信じていなかった。ドクタは本当にわたしの事を思って行動してくれたのに、当時のわたしには判らなかった。
「で、ドクタ。レイン達をお預けするにしても、クロワード財閥が黙ってはいませんよ。何か当てはあるんですか?」
そこまで、わたしは下手を打つ気は無いが、レイン達の行き先も気になる。それを確かめない事には、レイン達を預けられない。
「ブランダ星系第五惑星ク・クーレを知っているかね?」
もちろん知っていると、わたしは頷いていた。
ブランダ星系は学者達の星系だった。第二惑星ダ・ヒールが主星で、人口の九割が科学者と学生と言う珍しい惑星だった。第三惑星に様々な実験施設があり、様々な研究が進められている。第四惑星は自然をそのまま残した生態系の研究が行われている。第五惑星は九割が海と言う水の惑星で、海洋海底の研究が行われている。
「三年前から海底都市計画が進められ、つい先頃、実験都市が完成した。わたし達は、そこに赴く事になっている。レインとノーマも、そこに連れて行こうと思っているんだ。宇宙に出る事は無くなるが、外部との接触もほとんど無くなる」
なるほど、それならドクタ・カツラギの言う通り、クロワード財閥の目を誤魔化させる事が出来るかも知れないが……。
「それにクロワード財閥は、関わってはいませんか?」
「それは無い。財閥の関係者は一切関わってはいない。宇宙が主の財閥だ。地上開発ならまだしも、海底だからね。投資の価値なしと見られたな」
「もしかして、クロワード財閥に投資を持ちかけたんですか?」
「一笑に付されたよ。宇宙はまだ開拓し切れていないのに、なぜ海底なんだとね」
「解かりました。ですが、どこでレインの事を知ったのです?」
「クロワード財閥の研究者が一人、わたしの元を訪れた」
「財閥の研究者が、ですか?」
「そうだ。その者はわたしの教え子だったのだが、良心に耐えかねたようだ。それでレインの事を知ったのだよ」
なるほど。ドクタ・カツラギの教え子であれば、納得できるかもしれない。その研究者もドクタなら、何とかしてくれると思ったのだろう。
まあ、ドクタなら何とかするために努力は惜しまないだろう。事実、ここにいるのがいい証拠だ。まったくもって、あの頃、わたしを救ってくれた時と変わらない人だ。
「では、レインの事をお願いします」
安堵の溜め息がドクタ・カツラギ夫妻の口から出ていた。
わたしは、これでトレイダーとし恥じすべき行いに手を染めたわけだ。
だが、わたしは恥じだとも、トレイダーの信義に反する行いだとも思ってはいない。二度も裏切り行為を行った依頼主に信義を通す必要はまったく無い。ただ、FTCに対して信義を通せなくなった事を申し訳なく思う。
「では、積荷の積み替えと、今後の相談のために操舵室に行きましょう」
わたしが立ち上がると、ヴィーも立ち上がった。部屋を出る時、ドクタ・カツラギ夫妻はわたしに頭を下げた。
「ありがとう」
「海賊は、礼など言いませんよ」
わたしは片手を振って答えた。