トレーニングその2
神様にも勝てないものがある。
異性である女性の涙と忙殺する仕事の山。
俺は今、その巨大な壁と戦っていた。
「終わらねェ!」
俺のいる屋敷の主が九割以上を行動する場所、執務室。
俺ことシオンは、その部屋で書類に埋もれながら心境を吐露していた。
仕事が、終わらない。
伊達に、世界最高の領土を誇るだけはある。人間の被害報告から迷子の相談まで、ありとあらゆる出来事がこの執務室に集まってきていた。
この部屋の主がみなに慕われている証と言えるだろう。俺にはとてもマネできない。
……部屋の主を褒めたところで、仕事はやっぱり無くならなかった。
「だから言ったのに。シオンじゃボクの手伝いは無理だって」
呆れた声だけを俺に送り、自分は残像を残しながら書類と格闘している少女がいた。
少女の名前はカレン。顔つきにはまだ幼さが残っているというのに、これでも世界の半分を統べる魔王だというのだから驚きだ。
「ボーとしてないで、少しは手を動かしてよ」
今度は言葉だけではなく、ペンも飛ばしてきた。
しかも良く見てみると、神力なんて物騒なものまで纏わせている。
「じゃないと、」
ペンは俺に当たらず、俺が座っているイスの背もたれに穴を穿ち、そのまま開いていた窓から外に飛び出していった。
「次は当てるよ?」
カレンが仕事を開始して初めて、手元の書類から俺に視線を移した。
何故だろう。笑っているのに、目が凍てつくぐらい冷えている。
「……ハイ」
俺は仕事を再開した。
愚痴を言っていても仕方がないし、何よりカレンが怖い。
謎の震えに襲われながら、俺は書類を片づけるため、禁じ手ともいえる最終手段に出た。
忍法、分身の術!
冗談はさておいて、神力を使って生みだした一分の一スケールの分身五人に仕事を押し付けつつ、俺も全力で手を動かす。
動かしながら、気晴らしになぜこうなってしまったのか、ダイジェスト風に思いだしていこうと思う。
そもそも、どうしてこんなことになってしまったかというと。
仕事が休みだし、暇だ。久しぶりにカレンと話がしたい。そうだ、執務室に行こう。
カレン、遊びに来たぜ! あん、仕事? なら俺も手伝ってやるよ!
………………なるほど、一時間前の俺が全ての元凶だったわけか。しこたまぶん殴ってやりたい。
俺は自分に対する怒りを原動力に、さらに三倍の速度(当社比)で仕事を減らしていくのだった。
五時間後。
「おつかれ~!」
「し、死ぬ……」
仕事が終わったと喜ぶカレンと対称的に、俺は机に突っ伏していた。
「ありがとね、シオン。仕事を手伝ってくれると思ってなかったから、予定より早く終わっちゃったよ」
「…………」
これで早くとか、いつもはどれぐらいかかってるんですかね。
俺は頭の片隅から出てきた疑問を、忙しさから出てきた疲れが抑え込んだ。
「シオンが最後まで仕事を投げ出さずにボクの手伝いをしてくれたのって、初めてじゃない?」
「……そうだっけ?」
何とか返事は出来たが、顔はまだ机から離れそうになかった。
「そうだよ。仕事が多いからとか言って、シオンはいつも逃げてたじゃない。フォイドはボクよりも仕事してるのに」
そう。チートな俺をここまで疲労させた書類の山は、フォイドが一人で持っていった。
一般人の人間ぐらいひょろく、俺や歩く筋肉であるドギーなんかと比べると筋力に多大な差があるはずなのに、俺ですらためらう量を一人で抱えている光景を見た時は、さすが四天王の一角と柄にもなく内心で称賛してしまった。
「俺には俺なりの仕事があるんだよ。だから許してくれ」
「えー? 本当かなぁ?」
「本当だって」
俺たちの顔に、自然と笑顔が浮かぶ。
久しぶりの、それも誰にも邪魔されない、ただ雑談するだけの時間。
俺が学生で、カレンが使い魔だった時、生活していたあの頃には当たり前だった時間。
それが今、求めないと手に入らなくなった。
カレンは魔王として動くようになり、俺はジジイと融合して神となった。
立場が変わったのだ。前のようにしたくても、お互いの立場がそれを邪魔していた。
それは、この当然だった時間においても変わらない。
「それで、何の用なの?」
「――ああ、ちょっと、手伝ってほしくてな」
カレンの顔が笑顔から一転して、警戒を孕んだ表情になった。
「そんな怖がるようなもんじゃねえさ」
「本当?」
「ああ。俺のトレーニングの手伝いだ」
俺は努めて笑顔を維持していた。
余計な警戒をさせないためでもあったし、笑顔を崩したら自分の顔がどう変化するか予測できなかったからだ。
「トレーニング? シオンより強い存在がいるとは思えないんだけど」
「いるさ。俺でも勝てない奴が少なからずな」
異性である女性の涙と忙殺する仕事の山もそうだし、それ以外でもある。
俺たちがいる世界の意思、その世界から補助を受けている主人公。
神の中でも上位の存在しか、これらは倒せない。
原初の神がそう定め、世界を作り上げたからだ。
主人公と言えばレイトだが、もしかしたら他にもいるかもしれない。
そして、もう一人の主人公が俺たちの味方だという保証はない。
だから、俺にはさらなる力が必要なんだ。
「ま、こっちは手伝ってもらったしね。ボクだけが手伝わないわけにもいかないか」
「サンキュ、恩に着るぜ」
「お互いさまだよ」
俺とカレンは、今度こそ本心から笑いあったのだった。
「ここに来たのいつぶりだろ。懐かしいな」
楽しそうにクルクルと回るカレンに苦笑いを浮かべながら、俺は軽めの準備運動をしていた。
執務室から場所を移した俺たちは、闘技場に来ていた。
俺たちが戦う場合、魔王城は少し狭い。更地にしてしまうかもしれないからだ。
「カレン専用の場所を用意してもらえなかったのか?」
「ボクが魔王になったのは、下剋上を成功させたからなんだよ。下剋上と言っても、一対一の決闘だけどね。ここに来てたのは、魔王になる前のハナシ」
「へぇ、だからあんな歓迎されたのか」
この闘技場は使用料金さえ払えば誰でも使える。だから、いわゆる民間人である魔族の姿が多い。
俺がいた世界の体育館のようなもの、と言えば分かりやすいだろうか。
そこに、魔族たちに尊敬されている魔王様が突然来訪した。
大騒ぎとなった。
カレンに無遠慮に群がられるといろいろ危険が生じるため、俺が彼女を守るはめになってしまった。
民衆の沈静化なんて初めての経験を不用意に得てしまった俺は、トレーニングをする前からクタクタである。
「アハハ、ボクもあそこまで歓迎が激しいとは思ってなかったんだよ」
「どうだか。カレンなら憂さ晴らしであんなことしかねない」
「なっ!? その言い方はさすがにひどいよ」
「そうだな。悪かった」
ニヤけながらそう言うと、カレンは不満げに頬を膨らませた。
「ボクが謝ってたのに……」
「確かに疲れたけど、お前のせいじゃないだろ。それにそもそも誘ったのは俺なんだから、カレンが気にするのは筋違いってもんだ」
「…………いつも、そうやって背負い込む」
ぼそりとカレンが呟いた。
「何か言ったか?」
「なんでもないですよーだ! 早く始めよっか」
「誰のせいだと思ってんだよ」
「さあね。さっき気にするなって言われたばっかだし」
「誰が言いやがったんだ、チクショウ」
「まったく、誰だろうね」
カレンは楽しそうに笑っていた。
そうだ。それでいい。お前に難しい顔は似合わない。
それがたとえ俺への好意から出ているとしても、俺はそれを望まない。
だから笑ってくれればいいんだ。
「さてと、冗談は置いといて、カレンにやってもらいたいことだけ説明するぞ」
「うん」
さっきまでとは一転して、真面目な顔になったカレンが頷く。
「俺を全力の神力で攻撃してほしい」
「うん――えっ?」
カレンはさらに表情を変えて、間抜けな声を漏らしていた。
「はっ? えっ? ちょっ、本気で言ってるの!? 神力での攻撃は神でも殺せるんじゃ」
「ああ、そうだ。でも、カレンに俺は殺せない。だから問題ない」
神力は刃物と同じ、ただの武器だ。
一般人が使ったところで軍人にはかすりもしないように、魔力が少ない人物の魔法が多い者には効かないように、カレン程度の神力の保持者が俺にトドメをさせるわけがない。
トドメとならなければ、俺が生きていれば、神として存在しているこの体は自動的に修復される。
「それとこれとは話が別でしょ!」
カレンは本気で怒ってるようだ。怒りのあまり、紅が全身から漏れ出ている。
魔王様のご乱心じゃぁ! とか叫んでいる他の客もいるから、出来ればそれは控えていただきたい。
「頼む。お前しかいないんだ」
俺は誠意をこめて頭を下げた。
カレンが押し黙ったのが、雰囲気で分かった。
迷っているのだろう。
万が一ではあるが俺を殺すかもしれない危険を侵すか、想いを寄せている俺に力を貸すか。
理性は前者をとろうとしている。当たり前だ、好きな人物を傷つけたいと思うことはないのだから。
だが本能は後者を選びたいと思っているのだろう。だから決められない。
好きな人の役に立てるなら、それは最高の幸せなのだから。
「――頼む」
だから、俺はあえてもう一度言葉に出した。
惚れた弱みというものに付け込んでいるというのは分かっている。
それでも、俺はもっと強くならないといけないんだ。
「……分かった」
俺が顔を上げると、そこには魔王がいた。
「全力全開フルパワーの神力で、ボクはシオンを討つ。もちろん、殺すつもりでね」
俺が知らない間に随分強くなったようだ。全身の皮膚が裂けんばかりの殺気に、俺は思わず目を見開いていた。
「ありがとな。―――――――じゃあ、来い」
俺が意識を戦闘モードに移行するよりも早く、カレンから赤黒い衝撃波が飛んできた。
ノーモーションでの攻撃とは、神力の扱いにも慣れてきたんだな。
俺は予想以上の成長速度を誇る少女に感心しながら、右手を前に出した。
解析、完了。展開、成功。制御、確認。
俺の視界いっぱいに広がっていた神力が俺の手元に収束し、球状となった。
「どうしたァ! お前の全力はその程度か!」
「んなわけないでしょ」
さらに、二、三度衝撃波が飛んできたが、結果は同じ。俺の手元に集まるだけに終わった。
「ハァ……ハァ……何よそれ。他人の神力は操作できないんじゃなかったの?」
息を切らせた女性はすごくエロい。
「よく知ってるな。そのとおりだ。これも長くは持たない」
真剣な様子で質問しているカレンに邪な感情を抱きつつ、俺は答える。
「だから、早めに目的を達成する」
俺は右手を自分の胸に押し当てた。
すると、右手に連動して動いていたカレン特性の神力ボールも、俺に呑みこまれていった。
「なっ!?」
カレンの驚く声が聞こえたが、そちらに意識を向ける余裕はない。
全身を駆け回る激痛が、俺を絶えず襲っているからだ。気を抜けば、俺の意識はたやすく奪い取られるだろう。
「シオン、大丈夫なの!?」
「――大丈夫だ、問題ない」
額からはまだ嫌な汗が出ていたが、ひとまず会話が出来る程度には余裕が生まれた。
俺のトレーニングは、神力の増加である。
本来、神力の容量は先天性であり、それ以降増えることはほとんどない。
だから俺は他人の神力を吸収し、無理やり神力を増やすという裏ワザを使ったのだ。
代償は永遠に激痛が絶えず全身を苛み、神力もしばらく使えなくなる。
それだけだ。大したことではない。
「今日はありがとな。どうせだから、どっかで飯食っていこうぜ」
「シオンの奢り?」
「一回ぐらい、カレンが奢ってくれよ。魔界ではお前のほうが金持ってるだろ」
「えー。女性にたかるなんてサイテーだね」
「分かったよ。奢ればいいんだろ、奢れば」
「さっすがシオン。太っ腹!」
俺とカレンは闘技場を後にした。
そのあと、適当に入った飲食店で、また魔王様来訪の騒動が起こったのは言うまでもない。




