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27. 伝授

 研究所でヴィーチェとギスカールの父娘に神聖文字を教えていたリズベットは、ふと不思議に思って首をかしげた。彼らはリズベットの予想よりもずっと多くの文字をすでに習得していたのだ。


「これほどご存じなら、ある程度は解読できていたはずでしょう? なぜ今まで進展がなかったのですか?」


 気になったリズベットが尋ねると、ギスカールはきまり悪そうな顔で答えた。

「これまで奥様が読んでおられるのを、(かたわ)らで拝見して覚えたものなのです」


「リズベットの講読が終わった後、私たちで集まって毎日知識を交換して勉強会をしてたんだよ」

 ヴィーチェがクスクスと笑いながら付け加えた。


「それならそうと(おっしゃ)ってくだされば、もっと早く正式にお教えしましたのに」


「神聖文字を教えてほしいなどと、滅相もございません。そんな不敬を働くわけにはいかないでしょう」

 ギスカールは真顔になって手を振った。


 シャロナが口を開く。

「本来、こうした秘術は師匠について、その背中を見ながら少しずつ盗み見て覚えていくのが正道ですから」


 ヴィーチェも頷いた。

「まあ、リズベットがこうして直接教えてくれるんだから、私たちとしては恐縮(きょうしゅく)するしかないよね。リズベットは色んな意味で特異な人だよ。普通、こういう知識は独占しようとするものなのに」


「私の本ではありませんから、そんなことはしません。本にも『9人まではこの本を開くことができる』と書いてありますし」


『美の錬金術』に関するこれまでの研究で判明したことの一つに、この本を開くためには、神聖文字の知識に加え、本が認める「資格」と「能力」を備える必要がある、というものがあった。 その条件が正確には何なのかは不明だが、表紙の文字を読んだときに本が開くかどうかで確認できる。


 リズベットがこうした条件を調べたのは、純粋に彼女自身の切実な必要性に迫られてのことだった。魔動炉の製作以降、リズベットを見る周囲の視線は、負担に感じるほど変わってしまった。誰もが彼女を「大魔導師」か「伝説の錬金術師」のように仰ぎ、尊敬と畏怖の眼差しを向けてくるのだ。


 リズベットの立場からすれば、これは非常に厄介なことだった。自分が「有能になりすぎた」という自覚が芽生えたのである。


(このままじゃ、もし正体がバレたとしても、塔かどこかに幽閉(ゆうへい)されて一生本を読まされる羽目になるかも……!)


 ゲームの設定では、クラヴァンテ伯爵家がリズベットの不祥事を公にせず離婚もしなかったのは、家の体面を保つための苦肉の策だと語られていた。その結果、(あわ)れなリズベットは孤立(こりつ)無援(むえん)の中で苦しみ、自ら命を絶ったのだ。


 同じことが自分に起きないという保証はない。だからこそ離縁されるか逃げ出すかしようとしていたのに、図らずも自分が便利になりすぎてしまった。


(本を読めるのが私一人だけなら、絶対に手放してくれないはず。他の人でも読めるようにしておかないと、私が身を引く隙が作れないわ)


 そう考えて方法を探していたところ、本の中にその答えがあったというわけだ。

 幸い、テストの結果、この3人は『美の錬金術』から本を開く資格を認められた。そのため、解読のために神聖文字を本格的に教え始めたのである。


「こんな至高の知識をタダで教わるなんて、さすがに良心が(とが)めるよ。何か欲しいものはないかな? 私に作れるものや手に入るものなら、何でもしてあげるよ」


 ヴィーチェの提案を受け、しばし考えたリズベットは、以前から欲しかったものを口にした。

「……可能であれば、アイテムボックスが欲しいです。常に身につけられるように小ぶりで、でも収納(しゅうのう)容量はできるだけ大きいものがいいです」


「アイテムボックス? 伯爵夫人がそんなの何に使うんだい? 周りにはいつも世話係がいるっていうのに」

「それとは別に、一つ持っておきたいんです」


「本当に、不思議な人だなあ」

 ヴィーチェは理解できないといったふうに(つぶや)いた。


「そんな物くらい、アルゼンに言えばいくらでも用意してくれるだろうに。どうしてそんなに遠慮するのさ?

 私だったら、アルゼンにあれこれ要求しちゃうけどね」


「魔動炉を作るのに、大金を使ってしまったでしょう? その投資を回収するのに、どれだけかかるか分かりませんし……」


「あれはリズベットのために作ったものかい? クラヴァンテ家の財産じゃないか。

 あんな凄いものを作ってあげたんだから、むしろ報酬をもらうべきだよ」


「今はまだ大きな利益を生んでいるわけではありません。当面は赤字でしょう。それに、結婚するときにもかなりお金を遣わせたと聞いていますし……」


 ヴィーチェは呆れたように笑った。

「まるで借金のかたに売られてきた人みたいな言い草だね」


 リズベットは沈うつな面持ちで黙り込んだ。


「……分かったよ。とびきり素敵なのを作ってあげる。小さくて容量が大きくて、中の物が傷まない最高級のやつをね」


「本当ですか!?」

 リズベットの顔がぱっと明るくなった。食べ物や食材まで保管できるとなれば、それはまさに最高のアイテムボックスだ。


(これで、こっそり荷物をまとめて隠しておく必要がなくなるわ。美容道具や金粉だけじゃなく、食料も持ち出せるものね!)


 少し前からリズベットは、外に出たときにすぐ使えるよう、金粉を少しずつ集めていた。金貨は単位が大きすぎて、使うときに目立つと考えたからだ。


       ***     ***


 リズベットの次の準備は「身体鍛錬」だった。護衛騎士のコレットにお願いして剣術を学び始めたリズベットは、木剣を手に基本動作から教わった。


 そして、すぐに悟った。 この体は、そっちの方面に関しては絶望的なまでに才能がない。体力、筋力、スピード、すべてが平均以下だった。しかし、リズベットは諦めなかった。


(今は初めてだからよ。鍛錬を続ければ、少しはマシになるはず。外の世界は弱肉強食の野生なのよ。こんな状態で逃げ出したら、すぐに死んじゃうわ!)


 リズベットは固く心に誓い、木剣を振り下ろす練習を繰り返した。そのあまりに悲壮な態度に、コレットをはじめとする騎士たちは止めることもできず、困惑した視線を交わし合った。


「何をしてるのかと思えば、随分(ずいぶん)な剣遊びだね?」

 ヴィーチェの声だった。


 リズベットは動作を止めてヴィーチェを見た。

「身体鍛錬です」


「どうして?」

「まあ……健康のためです」


「それなら乗馬とか、他にも運動はあるじゃない?」

「護身を兼ねているんです」


 リズベットはぶっきらぼうに答えた。ヴィーチェが自分に関心を持ってくれるのは分かるが、こういう時は正直、少し放っておいてほしい。


 ヴィーチェはふっと笑った。

「そんな調子で、いつになったらまともに振れるようになるんだい? 見るからにそっちの才能はなさそうだけど。

 そんな時間があるなら、研究に充てた方がいいんじゃないかな」


「勝手に決めつけないでください。ヴィーチェだって、こういうことは分からないでしょう!」

 むっとして言い返すと、のそのそと近づいてきたヴィーチェがリズベットの手から木剣を受け取った。


「ふーん、リズベットが言ってるのは、こういうことかな?」

 言うが早いか、練習場の一角に立てられた練習用の木の柱に向かって、ヴィーチェは木剣を軽く一閃(いっせん)させた。


 木柱が斜めに切り落とされるのを見て、リズベットは言葉を失った。騎士たちも驚愕の表情で見つめている。


「……剣も使えるんですか?」

「暇な時間はたっぷりあったから、色んなことを学んだだけだよ」


 大したことではないといった口調で答えたヴィーチェは、木剣をコレットに返し、リズベットに歩み寄ってその手を引いた。


「前に頼まれてたやつ、作ってきたんだ。見せてあげるから、おいでよ」

 アイテムボックスが完成したという言葉に、リズベットは喜んでその後を追った。


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