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15 曝け出す

 誰にも見つからないところに行きたい。

 アンヌマリーは、レナートの執務室を飛び出した後、目についた階段の陰に身を隠した。

 もう見たくない、と言われるほど嫌われているとは思わなかった。それなのに、調子に乗ってあんな提案などして、どんなに図々しい女だと思っただろう。涙がこぼれて息が詰まる。でも、声を出したら誰かに気づかれてしまう。アンヌマリーは必死で声をこらえた。


 ふと、我に返ったのは近くで聞きなれない言葉が聞こえたからだ。違和感から耳をすますと、それはフランの言葉だった。男の声が、相手の女をしかりつけるような調子だった。しっかり準備をしろ、そんな意味に聞こえた。

 なぜ、この城の中でフランの言葉が聞こえるのだろう、不審に思ってそっと物陰から顔を覗かせると、階段のそばで下働きの男が、相手のドレスの袖を掴んでいるのが見えた。相手は女だろうか、気になって身を乗り出すと、気配を察したのか男が振り返り、アンヌマリーと目が合った。

 中年の男、特に特徴のない顔だが、今はひどく険しい顔をしていた。いけない、アンヌマリーが身を隠すのと同時に男からも、何か女に指示する声がして、慌ただしく立ち去る気配がした。


 どうしたのかしら、そっと覗くと、レナートが駆けてくるのが見えた。立ち止まると、辺りを見回して、また走り出す。このままここにいたら、レナートの視界に入ってしまう、見つからないところに行かなければ。陰からでると、アンヌマリーはそっと階段を登り始めた。


「アンヌ様、お待ちくださいっ」


 すぐに見つかってレナートが呼び止めた。なぜ呼び止めるのだろう、それが分からずアンヌマリーは、ますます逃げなくてはと必死になる。階段を駆け上がると、そこは以前シアラリラ山を見た外廊へ続く出口だった。


「アンヌ様……っ」

「いやっ」


 追いつかれ後ろから右腕を掴まれる。顔を合わせたくない、小さく悲鳴をあげると、腕が離れ、今度は両肩に手がかかった。その手が振り向かせようとするのを、アンヌマリーは身を捩って拒んだ。


「ごめんなさい、すぐに王都に帰ります。あなたの見えないところに行くから」

 

レナートの顔を見てしまわないように、俯いた。涙がぼろぼろとこぼれてしまう。


「だから、嫌いにならないで……」


 はっとしたようにレナートの手が離れた。


「アンヌ様、アンヌマリー王女殿下。どうか聞いてください。私があなたを嫌いになることなどありません」

「嘘よ、顔も見たくないと言ったわ」

「そんな事は決して言いません」

「ここにいて欲しくないって言ったわ」

「あれは、そういう意味ではありません。……まだ私を許してくださるなら、どうか私の話を聞いていただけませんか」


 跪いたレナートが請うように、アンヌマリーを見上げた。これまで、アンヌマリーが近づこうとしてきたのを一歩引いて受け流してきたレナートのこれまでとは違う態度に、アンヌマリーは戸惑った。


「なぜ? あなたはわたしと婚姻するつもりはないのでしょう? 私になにを話す必要があるのでしょう」


 レナートは痛みを感じたように顔をしかめた。


「あなたに辛い思いをさせたのは、すべて私の臆病さによるものです。私の愚かさを知って、それでも許してくださるなら、私の元へ嫁いで来ていただきたい。どうか、私に機会をいただけないでしょうか」


 思いもしなかった言葉にアンヌマリーは息を飲む。ずっと婚姻を望んでいたのはアンヌマリーの方で選択権はレナートにあったのに。突然立場が逆転したと言われても、どう考えていいのかわからない。けれど、そんなふうに言われたら、聞かないことなどできない。まだ好きなのだから。アンヌマリーは黙って頷いた。


「八年前のことです。フランから和平のための使節団がフランからやってきました。その使節団のなかの一人の女性と私は将来を約束しました」


 シュルツ侯爵令嬢ファリア・フォン・アッヘンバッハ。噂で聞いていたことでも、本人の口から語られるのを聞くのは辛い、アンヌマリーは胸を押さえた。


「けれど、和平の調印の前に突然使節団は帰国し、すぐにブランノワ領は侵攻を受けました。私は、彼女から何も知らされませんでした。無論、やむを得ないことであることは分かります。けれど、そのときの愚かな私は、彼女に捨てられたとしか、考えることができませんでした」

「でも、褒賞にその方との婚姻を申し出られたのでしょう?」

「彼女は帰国してすぐに政略による婚姻が決まったようでした。彼女の家が和平推進派であったことや、私との関係による制裁と思われる婚姻だったため、私的な連絡は取れませんでした。私が知る彼女なら、私に何も伝えず帰国したことを悔やんでいると思い、私にできる最後のこととして、その悔いを取り除いてやりたかった、私の行動を伝え聞くことがあれば、彼女にはそれが分かると思ったのです」


 ブランノワ辺境伯の結ばれぬ恋、などという浮ついた話の真相。

 アンヌマリーが初めてレナートに会ったとき、レナートはそんな恋の中にいたのだ。以前、彼女のことを聞いたときレナートが怒ったのも仕方がないことなのかもしれない、簡単に触れていいことではないのだ。


「あなたに初めてお会いしたのは、そんな時でした。フランと戦った私に感謝する、と言って下さったことは私を救ってくださった。ずっとあなたの言葉が私を支えくださったのです」

「でも、わたくしとの婚姻はお断りになったわ」


 かの方に向けた愛と、アンヌマリーに対する敬愛は違うものだ、とずっとアンヌマリーは思ってきた。かの方にむけたような愛がないから受け入れてもらえないのだと。


「私にはあなたはもったいないと思ったのです」


 レナートは、言葉を切った。そして、覚悟を決めたように再びアンヌマリーを見た。


「いえ、本当のことを言えば、私は怖かったのです。八年前、彼女に去られた後の私を支えたのはあなたでした。そのあなたが大人になって目の前に現れた。もし、今あなたに心を許し、そのあとであなたがもしも私を捨てるようなことがあれば、私には耐えられない……だから、近づき過ぎないよう必死だったのです」

「わたくしがあなたを捨てる? それでわたくしを近づけないようにしていらしたの?」

「そうです。あなたを好きになるのが怖かった。私の臆病さで、これまであなたを傷つけてきました。申し訳ありません」


 ずっと、余裕のある大人の男性だと思っていた。そのレナートが自分の弱さを曝け出している。アンヌマリーは胸を掴まれるような思いでレナートを見つめた。好きになるのが怖かった、と言ってくれた。それは今は好きになってくれたということだろうか。


「私はこんな臆病な男です。それでも、いつかあなたに捨てられることよりも、今あなたを失うことのほうが恐ろしいことにようやく気付きました。あなたに側にいて欲しい、ずっと私とブランノワ領を守って欲しいのです」


 レナートは、右手を差し出した。


「アンヌマリー王女殿下、ブランノワ辺境伯レナートローゼリッツと婚姻を結んでください」


 アンヌマリーの目に涙があふれた。


「わたしは、初めて会った日からずっとあなたの元へ嫁ぎたかった。大好きなの。だから、ずっとそばに置いてください」


 レナートから差し出された右手に己の右手を載せた。そして、息を整えてアンヌマリーは答えた。


「喜んでお受けします」

「一生の愛と忠誠をお誓いします」


 儀礼にのっとってレナートが手の甲に口づける。その手を取ったままレナートは立ち上がった。


「抱きしめてもよろしいですか?」


 濃紺の瞳がこれまで見たことのない優しさを込めて、アンヌマリーを見つめていた。恥ずかしくてうつむいたまま小さく頷くと、そっと身体に腕が回された。レナートの体温がアンヌマリーを包み込む。


「もうあなたを離しません」


 耳元で落とされた声に、心が震えた。

 けれど、ひとつだけ聞けなかったことがある。かの方はまだ心に残っているのだろうか。


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