アマ名人
4月下旬 土曜日
今日は弟子である千野塚 希羽ちゃんとネットで将棋を指している。
希羽ちゃんも都内に住んでるらしいけど、パソコンがあれば何時でも指せるから便利。
カメラとヘッドセットがあれば、顔を見て話しながら出来るしね。
「この手はここを守る為の手だったの?」
『はい、やっぱり甘かったですか?』
「うん、こっちの方が良かったんじゃないかな」
『あ・・・』
「それにこの場面は受けるより、攻めるしか無かったと思うよ」
『迷ったんですが、跳ね返される予想しか出来なくて』
うーむ、これまで4月の間に何度か指してみたけど、希羽ちゃんの将棋は慎重な将棋だった。
弱くは無いんだけど、8月に奨励会を受けると言うのなら物足りない内容。
強さで言えば、玲奈や遥、織華ちゃんの方が強いな。
まあ彼女はまだ12歳、これからどんどん強くなるとは思うけど・・・
「もう一回指してみようか?」
『はい、よろしくお願いします』
今度は隙を多く作って指してみた。
・・・踏み込んでこないな。
「ここが薄いの気付いてるよね?」
『はい・・・でもどうしても跳ね返される気がして』
うーむ、慎重だ。
棋力の差がありすぎるのも希羽ちゃんが踏み込んでこれない理由の一つなのかも。
もっとレベルの近い者同士で指した方が伸び伸び指せるのではないだろうか。
「希羽ちゃん、普段は誰と将棋を指してるの?」
『祖父です。後はネットでしょうか?』
お爺ちゃんも結構強いらしい。
そういう人が身近に居るのはいいね。
ネットで自分のレベルに近い人と指すのも良いんだけど・・・
『ネットだと、負けても自分のどこが悪かったのか解り辛くて』
ああ、ただ指すだけの場所だもんね。
ネットだとあまり感想戦をやる事は無い。
チャットはあるけど感想戦に付き合ってくれる良い人は多くは無い。
「お爺ちゃんは指摘してくれるの?」
『正直私に凄く甘いです』
「そ、そうなんだ」
可愛くてしょうがない孫か。
だとしたらあまり厳しい事は言わないだろう。
『え?何?』
「どうしたの?」
『す、すみません師匠、祖父が師匠と指してみたいって』
「いいけど・・・パソコンの操作は出来るの?」
『良いんですか?お爺ちゃん、私が代指しするね』
やっぱお年寄りにパソコンはハードル高いか。
モニターの中にお爺ちゃんが半分見え隠れする。
うわ、こ、怖そうなお爺ちゃんだ。
本当に希羽ちゃんに甘いのかな。
『え?平手で?もう、師匠に失礼でしょ』
「いいよ、最初だから棋力解んないし」
そんな訳でお爺ちゃんとの対局が始まった。
なんで私、弟子の祖父と指してんだろ。
ああ・・・長考が多い。
お年寄りだから仕方ないのかな。
でもこのままだと希羽ちゃんに教える時間が・・・
・・・でも強いな。
何というか、老獪な駒運びで私の攻めを軽やかにかわしていく。
粘りも凄いな。まだそんな手を指して来るなんて。
とはいえ私もプロ。
少々手を焼いたけど、勝つ事が出来た。
「強いですね。ひょっとしてアマチュアの高段者なのでは?」
『祖父はアマ名人ですよ。35年前のですが』
へえ!アマ名人?それは強い訳だよ。
たしかアマ名人を取ると、アマチュア七段の免状が貰えたはず。
「凄いね、希羽ちゃんの身近にはそんなに強い人が居るんだ?」
『私が将棋を始めたのは祖父がきっかけです。祖父のお陰ですぐに強くなって、学校の男の子も敵じゃ無くなって・・・』
羨ましい環境だなー。
時間もあるし、私よりも全然恵まれてる。
『私の名前の羽は、羽月先生から来てるそうですよ』
「それでなのね。それは本当に羨ましいよ」
私も自分の名前を気に入ってるけど、こんな話を聞かされちゃうとな。
あーあ、パパが将棋好きだったらなぁと思ってしまう。
さて、希羽ちゃんの基礎を作ってくれたのは祖父なのだろう。
でも身内はどうしても甘くなるからな。ここから更に強くなるには他人の力が必要だろう。
私がそれになれれば良いが、棋力の差がありすぎる。
私が教えるのはもうちょっと希羽ちゃんが強くなってからの方が良いのかも・・・
「希羽ちゃん、ちょっと待っててくれる?」
ちょっと救援を頼もう。
誰にしようかな。
遥は無口だし、これから忙しくなるし。
玲奈はパソコンくらいは使えるけど、ちょっと機械音痴なとこあるし。
ここは、織華ちゃんにするか。スマホスマホ。
「織華ちゃん?今どこに居るの?」
『部室ですよ?ウチは土日も殆んどサークルに来てます。今明日の個人戦に向けて特訓中で・・・』
ああそうか。
今って春季大会の途中だっけ。
じゃあ邪魔しちゃ悪いかな。
『少しならええですよ』
「じゃあちょっとだけ付き合ってくれる?」
部室のパソコンにインターネット通話ソフト入れてたっけ?
ああ、織華ちゃんの自分のノートPCに入ってる?
じゃあ会議通話にするから入って来てよ。
『お邪魔します』
『あ、どうも、ご無沙汰してます』
あ、そうか、面識あるんだっけ。
私は行けなかったけど、1月のオール学生個人戦で会ってるか。
「ちょっと指してあげてくれないかな?私見てるからさ」
『ええですよ』
織華ちゃんは元々関西の研修会でC1まで行った実力者。
一時期はやめて弱くなったけど、この一年ですっかり取り戻し、更に強くなってる。
そうだ、織華ちゃんはオール学生個人戦でベスト4にまで残ったんだっけ。
そして希羽ちゃんはベスト16、相手にとって不足は無いでしょ?
『不足どころか、強敵です』
『ウチも指してみたいと思うとったんです。12歳でベスト16は凄いわ』
ネット対局が始まった。
・・・うん、やっぱり実力が近い方が伸び伸び指せているみたい。
・・・でもやっぱり希羽ちゃんは慎重だな。
今のは攻めるタイミングだったんだけどな。
あ、隣でお爺ちゃんも渋い顔をした。
まだ居たんだwモニターに急に映りこんで来た。
『え?!ど、どなたです?』
「ああごめん、言うの忘れてたけどアマチュア名人の希羽ちゃんのお爺さんだよ」
『アマ名人?!そんな凄い人がお爺ちゃんなん?』
35年前のだけどね。
でもアマ名人は本当に強い。
奨励会の三段に匹敵するとも言われてる。
『祖父が言うには、今はプロとアマのトップの差は無くなって来たけど、当時は全く歯が立たなかったそうです』
そうか、時代によっても違うか。
女流と棋士の差も狭まって来てると言うし・・・
これも多分、ネットの普及による物だろうな。
『祖父はA級の頃の鬼藤先生と対局した事があるそうです。鬼藤先生の角落ちで全然勝負にならなかったとか』
「へえ凄いね!」『凄いですなあ』
記念対局かなぁ?
鬼藤先生はアマ相手でも、全然手を抜かない事で有名だもんね。
『駄目だ・・・負けました』
「希羽ちゃん、途中で攻める好機があったんだけど」
局面戻してみてよ。
希羽ちゃん、ここから攻めに集中してみて。
迷った後に希羽ちゃんが好手を指して来た。
そうだよ。これで織華ちゃんは受け一辺倒になる。
もっと攻めて、ああ、それは・・・
次につながる手が甘いけど、まだ追い込んでるよ。
『うーん、負けてもうた』
「ほら勝てた、けど織華ちゃんも受けが甘かったよ?」
『す、すみまへん』
「希羽ちゃんももっと鋭く踏み込まないと」
『す、すみません』
隣でお爺ちゃんもうんうん頷いている。
お爺ちゃんももうちょっと指摘してあげてくださいよ。
『え?部長どうしはったんですか?』
「玲奈も居るの?」
『はい、部長がアマ名人のお爺様と指してみはりたいと』
ええ?今は希羽ちゃんの勉強の時間なのに。
脱線して来たなぁ。
『私は構いませんよ。人の対局を見るのも勉強ですので』
―神楽坂さん、これどうやるんですの?―
遠くで声が聞こえる。
しょうがないなあ、玲奈は機械音痴だから織華ちゃんフォローしてあげて。
希羽ちゃんもまた代指ししてあげて。
やれやれ、1局だけだよ?
「そ、壮絶な戦いになったね」
『つ、強いですわ』
『祖父も好敵手に出会えたと言ってます』
すんごい拮抗した争い。
35年前はアマ名人だった希羽ちゃんのお爺ちゃんと、今の玲奈は互角なのか。
『く・・・粘り負けですわ』
「いや凄かったよ。良く玲奈も食らいついたよ」
『祖父がもう一度対局したいと・・・』
ええ?駄目だよ。
これ以上の脱線は時間の浪費だよ。
やるならお互い違うパソコンで操作覚えて・・・
『祖父が自分のパソコンを買うと言ってます』
「そ、そう、もう好きにして」
『わたくしも自宅のパソコンに通話ソフトを入れますわ』
はいはい、後はそっちでやってよ。
もう、希羽ちゃんの対局相手を作りたかったのになんでこんな事に・・・
『ウチなら構いまへんよ。時間がある時で良かったらまた希羽ちゃんと対局したいです』
織華ちゃんもレベルの近い相手との対局は大歓迎だそうな。
じゃあ希羽ちゃん、私も教えるけど、織華ちゃんとの対局からもたくさんの物を得てちょうだい。
研修会に行ってた子だから基本に忠実、奨励会に入る上でもプラスになるのは間違いないからね。
その後、もう少しだけ希羽ちゃんを指導して、その日の修行を終えた。




