・スムーズにいかなくて
今回長めです。
・スムーズにいかなくて
「ということがあったんですよ」
「大変ねえ」
小麦と珈琲の香りが満ちる、ここは喫茶『東雲』。
市内の別の高校に通う、一つ先輩の海さんが、他人事十割の感想を返す。今は五時。こっから九時か十時頃までいることになる。
そろそろ学生が帰りに屯する時間帯だ。
「海さんは部活やらないんですか」
「一応手芸部には入ってるのね。内職の役に立ちそうじゃない」
軒先、でいいのかな。建物一階の入り口側へ、やや張り出した屋根、その先っちょには小さな飾りが、幾つも吊るされている。
磨り硝子のような模様のプラスチック板を、小さく丸く切り出して、端のほうに穴を開けたそれに、紐に通していく。
何枚ものプラスチック板を結んだ紐を数本用意して一房にする。これを数房作り、色を塗ったりしたものが飾られている。
鱗状に連なった板が、風に吹かれる度にきらきらと、乾いた音を立てる。
風の強い日は少しうるさいくらいだけど、近くの木々がざわめく音も混ざって来ると、一転して気持ちが落ち着くのだ。この飾りは夏休み明けに店に増えた。
お客の受けもそこそこ良く、居つく人も増えた。喫茶店自体、お客が長居をしがちな為、回転率が悪化したとも言えるが、そこを気にするのは海さんくらいのものだ。ここの評判は割りと良い。
店の中はエアコンと扇風機を半々で使用している。扇風機は小型のもので、空気の送迎という意義を立派に果たしている。
店の匂いを外に出し、外の匂いを店内に招く。お洒落すぎないのが、この店の魅力である。それにしても、何で小型の業務用扇風機なんて物があるのか。
「一応あのあと二、三回話し合った結果、一部を除いて顧問付きではあるけど、皆は会に戻れたし、総合部の状態だけは、元の鞘に収まりましたけどね」
例によって部費無し。
特別な活動をするときは顧問に相談の上、学校の許可を取ることとあり、うちとの連携がこの内に含まれる予定であった。
だがそうすると、うちの活動自体が悪い意味で特別扱いとなり、常時学校に許可を取らねばならなくなってしまうということで、それは免れた。自分の負担を前面に押し出された途端、彼らは黙ったのだ。
こうも頑なに、学生と戯れたくないと態度で示されては、少子化も已む無しと言える、ような気がする。
「それにしたって、なんでこんな目の敵にされるんですかね。こっちは不憫な仏さんを、見つけてあげたってのに」
余りものの惣菜パンを、齧りながら愚痴を零す。自家製麺から作られた、中華焼きそばパン。喫茶店に似合わないものの、海さんの迷走と努力の甲斐あって、とても上手い。努力の甲斐まで迷走しなくていいんだけど。
「たぶんそれだけじゃないわ、臼居さん口」
彼女は人差し指を口元に当てたのを見て、俺は慌てて口元を拭った。
カップを拭いて、乾燥機にセットしながら、海さんは話しを続ける。男の子のように短く刈り込んでいた髪も、今は少し伸ばして髪留めでまとめてある。
飲食店の衛生を考えれば短くしたいが、接客業を考えれば、見た目も考えないといけない。
抗菌作用のある高級な鬘が世の中にはあるらしい。今度薦めてみるべきか。
「それだけじゃないって、ありがとうございましたー」
会計を済ませて客が一人出て行く。珈琲とミルクとパンが三つで1,134円。滞在時間が九十分。長いと見るべきか、まだ短いと見るべきか。
「斎さんも私も二年生だから、先に一年高校生をやってるってこと」
今の客が下げて行ったカップを洗い、乾燥機に入れてスイッチを押す海さん。背は俺より低いけど、ずっと大人びて見える。今年の頭頃に、ろくでもないのに絡まれて、弱っていたのが嘘みたいだ。
「たぶん、一年生の頃から、色んなことを活動してきたんじゃないかしら。今の部だって、去年からあったんでしょう。それってつまり彼女が立ち上げたか、彼女の先輩から、引き継いだものってことじゃない」
「そうなりますね」
「吹けば飛ぶような小規模な集まりが、自分のやりたいことのために、居場所を持とうとする。これって学校からしたら、随分目障りだったはずよ。只でさえ最近は先生たちも、組合を作ろうってうるさいんだから、嫌われない訳が無いのよ」
さらっときついことを混ぜ込む海さん。マスターはバーテンダーの如く、聞いているかいないか分からない様子で、仕事をしている。
「弱い人をぶつのが好きな人は、そこら中にいるの。そういう人たちは弱い人が、前向きに力を合わせたり、努力が実を結んだりするのが我慢ならないの。それじゃあ自分は何々だって。知らないけど」
苦笑を挟む海さん。この辺は分かる。いいから自分のことやれよってことだな。わざわざこっちにまでつっかかって来んなと思うことは、ままある。
「それにね、これはお母さんが言ってたんだけど、変化の無い日を送り続けると、脳の機能が衰えて、変わったことに対処できなくなるそうよ。対処できないから、凄いストレスを感じて、怒り出すようになるんだって」
「それって学校にとっちゃ教師と生徒は最低最悪の関係ってことじゃないすか」
「構造上の欠陥ね」
毎日が同じと言い張っても、割りとそんなことはない学生。
そんな学生を相手にしてるんだから、変化のある日々を送っているはずと、言い張っても割とそんなことはない教師。
元より憎み合うシステムなのかも知れない。
先輩は二つの意味で嫌われてるのか。アレでもいい人なんだけどな。つってもそうか。俺はあの人のことをほとんど知らないな。
「常に全力で色んなことをする斎さんは、体力の衰えた大人には、荷が重過ぎるのよ。ううん、そのうち誰も付いていけなくなるんじゃないかしら」
それは分かる。放っておけば、いつまでも何かしていて、どこまでも行ってしまいそうだ。そういう気配というか、可能性は十分にある。
「でもそういう海さんだって、お店のことには全力じゃないですか」
「私はあの子とは違うの。やりたいことを何でも、限界まで出来るようになりたいとは思わない。私だって頑張れば、あの子の半分くらいはできるようになるけど、そうなりたくないの」
やや色の褪せたエプロンで手を拭きながら海さんは語った。静かに目を閉じて、笑っているようにも、悲しんでいるようにも見える。
「出来るようになるから、出来るようにならなくちゃいけない、なんてことはないし、出来ることを出来る限り、し続けなくちゃいけない理由もないのよ。そこは自分が決めることなの」
海さんがそっと目を開けて俺を見る。吸い込まれそうなくらい深く、済んだ瞳。だが次の瞬間、くすりと笑った。もうさっきまでの強い光は、どこかに隠していた。
「だって、そういうふうに上とか先を、目指し続けなくちゃいけないなら、うちは全国チェーンを目指さないと、いけなくなっちゃうじゃない。私は嫌よ。うちはここだけだもの」
悪戯っぽく言って彼女は背を向けた。慣れた手付きで、トレーに新しいパンを載せて運ぶ。今日はこれが最後の焼きたてである。彼女は小さくため息を吐いた。
「『あればあるほどいい』じゃなくて『あるに越したことはない』くらいが丁度いいのよ、体力も、お金も、思い出もね」
「そういうもんかなあ。無いと困るものって、実際は幾らあっても、足りないような気がするけどなあ」
少なくともこの世界だと、俺は暴力無しで身の安全を確保できない。
日々の暮らしのことでお金のことも心配だ。ずるして何とか健康にはなれたけど、こういうのって有れば良いってものじゃなくとも、無ければ始まらないと思うんだが。
でも、思い出もほどほどが丁度良いっていうのは、分かる。嫌な思い出がある以上、途中でいい思い出が増えれば増えるほど、それを思い出したとき辛くなる。
「今困ってないなら、それはきっと足りてるってことよ。それでようやく次のことを、始められるんじゃないかしら。そうなって初めて、次を求められるようになるんじゃないかって、私はそう思うな。勿論、するかどうかはその人次第だけどね」
彼女はまるで母親のように、言葉を続ける。
「斎さんだって、他の皆だって、自分たちの為の場所を求めて、部を設立したんでしょ。それで居場所ができたから、今度はやりたいことをし始めた。違う?」
海さんの言葉に何も言い返せなかった。確かに一般の学生にしては、あまりに結束が固かった。あれは自分たちの足元が、脅かされていたからでも、あったからだろうか。無くなったら困る人が大勢いて、始める所ではなくなってしまうから。
それに先輩は俺と南と自分で、無所属の三人と言ってた。もしかしたら先輩は先輩で、何か部活に入っていたのかも知れない。
「皆が求めたから今の部があって、居場所が出来たから、自分のやりたいことができる、か。今までそんなふうに考えたことなかった」
俺にとって居場所っていうのは、気持ちが安らぐ場所のことで、他のことなんて思いもしなかった。
「臼居さんはないの、そういうの」
「俺が何かを求めているか、ねえ」
他の皆と違って、俺の場合は何かしたいって理由で入った訳じゃないからな。強いて言うなら、平和が欲しくて入ったってところで。
俺が欲しかったものか。
「悪いけど特にないかなあ」
「臼居さんは不思議ね。何かが欲しい、何かをしたいっていうのが全然ないの」
「無欲って訳じゃないと思うんだけど」
俺が居場所にはミトラスがいる。帰る家もある。平和が一番で、言うなれば何もしないでいたい。こんなこと聞かれたら、きっと誰かが怒るだろうな。皆結構青春してるから。
「そろそろまたお客さんが入れ替わる時間ね。今のうちに休憩に入ってくれていいわよ」
「ありがとうございます。お先に失礼します」
海さんとマスターに挨拶をしてから、俺は一度バックヤードへと引っ込んだ。この休憩が過ぎれば、今日の山場がやってくる。この辺はいつもと変わらない。少しだけ目を詰むって深呼吸をする。
それにしても、足りてるから次のことが始められるか。確かにな。俺にも居場所ができたから、こうして元の世界に戻って来た訳だし。
――本当を言うとね、俺にも欲しいものはあったよ。
――でも、結局それが、手に入ることはなかったんだ。
そしてそれは二度と手に入らない。いや、最初からうちには存在しなかったんだ。だから、もういいんだ。今はミトラスが待つ、あの家が俺の住処だ。今はもう、それだけでいい。
俺はそう思って、自分の頭からそのことを追い払うと、また戻ってくるであろう、学校での日常のことを想いながら、残り時間を務めることにした。
なんだか久しぶりに異世界に仲間に会いたくなった。
<了>
これにてこの章は終了となります。
ここまで読んで下さった方々、本当にありがとうございます。
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文章と行間を修正しました。




