・本題
・本題
現在午後四時半。夏という季節であっても、終日曇りの今日とあっては、夕方にはもう、夜といっても差し支えない暗さ。
そのせいで、黄昏刻というやつが訪れなかった。或いはとっくにその時を迎えていたのか。どちらかと聞かれれば、希望的観測をしないのであれば、俺なら迷わず後者を選ぶ。
図書室の中はやはり無人のまま。爺さんみたいな風体の輩や、行き場のないチンピラ、犯罪者の類は一人も見かけない。
建物の保存状態は至って良好なのに、そのような畜群が吹き溜まっていない辺りに、生物に良くない何かがあることが窺い知れる。
「机や椅子はほとんどない。幾つかの本棚が倒れ、その足元には数札の本が散乱している」
「き、急に事務的な口調にならないでくださいよ!」
「え、あ、ごめん」
狐目が怒った。というか引いてる。俺としてはアドベンチャーゲームをやってるつもりになって、気を紛らわせようとしたのだが、口調を変えたことで、何かに取り憑かれたように見えたんだろうか。
「えっと、とりま写真撮ってと」
「落ちてる本は全部でこれだけですね、あとは置き去りにされた、職員用の机の引き出しからこんなものが」
一方でテキパキと調査を進める西ちゃんとミトラス。
「ほら、お前も手伝ってこいって」
「何でこんな短時間で平気になるのか、僕には分からないです」
ぶつくさと文句を言うけど、じっとしているよりはマシと思ったのだろう。恭介は残された机を寄せて、その上に落ちていた本と、持参した新聞を広げていく。乗り切れない分は足元に積み上げた。
本の中身もまた新聞記事だった。暗くてよく見えないので、懐中電灯を取り出して点ける。図書室の壁際にある窓から、外は雨が降り始めたのが分かる。
「切り抜き帳だね」
「え、何だって」
「たぶんスクラップブックってことだと思います」
狐目少年こと恭介の言葉を、西ちゃんが補足してくれる。そうか日本語だとそう言うのか。
「何だってまたそんなものを」
「当時は新聞を取ってない家も多かった。世の中のことを教えつつ、活字への慣らしも進めるという狙いがあった。まあ要するに教育じゃよ。こことて表向きには学び舎だった」
爺さんが懐かしそうに目を細める。完全に黄ばんでぼろぼろになった紙面に、指を這わせては小さく息を吐いた。
「爺さん、あんたやっぱりここの」
その先は口に出来なかった。部外者の訳はなかったのだ。こんなにみすぼらしくなってはいるが、立場があったであろう格好をして、何を散らかすでもなくずっとここにいる。
それはどんな未練があってのことか。横顔には悲しみ以外、何も残っていないように見えた。
「記事を見よう」
ミトラスの声に促されて、俺たちは資料に目を通すことにした。感傷に付き合っている時間はない。
息を吹きかけただけでも、剥がれ落ちそうな記事には、写真が貼ってあった。内容は戦前の国内外の情勢だの、政治がどうだのという、重大かつ読者にはどうにもできないようなものや、或いは何処其処にデパートが出来ただの、地方の飢饉がどうのといったものだった。
「だいたい二冊で一年分だな。量で言うと十年分くらい、いやもっとか。随分あるけど、これって何年くらいやってたんだ」
「そうさなあ。割と早いうちからやったが、古いものは途中で捨てて、入れ替えとったよ」
「これが今の学校に引き取られなかったのは、所詮新聞記事ってことだったんだろうね」
あくまで切り抜きだしな。それならそれで処分しておけとは思うが。
「あ、ねえこれ見て。ここ。私たちの持って来たのと同じ記事」
「どれどれ」
西ちゃんが新旧の記事を口語に指差す。黄色くなったほうはほぼ読めないが、新しいほうは確認できる。日付も同じ。こういうときに現代技術はありがたい。もっとも、書類の不備の問い合わせなんてのにも繋がるから、いいことばかりじゃないけど。
ともあれ、記事にはこう書いてあった。
――####新聞 昭和○○年○月××日 ○曜日
『小田原にて集団失踪 過去にも度々』
神奈川県小田原市、○○に多数の行方不明者が出ていることが取材にて判明。小田原は鉄道開通に伴い、開発も目覚しいものの、仕事を求めて日々殺到してくる地方からの出稼ぎ労働者、それらを狙い濫立するドヤ街等による、治安の悪化が地元住民を悩ませている。
そんな折、小田原で働く出稼ぎ労働者たちが、相次いで蒸発する事件が起きている。正確には、足跡を追うと小田原で消息を断つが、後を断たないというべきもの。事の発端は住民税の未払いが相当量に上り、地方自治体がその行方を追ったことにある。
出稼ぎ労働者の住民票が故郷にあるうちは、故郷に住民税を納めるものであるが、生活の実態がある場合は、現住所ないしは居所のある出稼ぎ先等を、指定の書類に記入の上、定められた手続きを踏み、各自治体へと納税するものである。
ただしこの場合、故郷のある自治体からは確認のための調査がある。出先からの送金が途絶えて困るのは、何も家族ばかりではないということだ。当てにした世帯主たちから、送られてくるはずのカネが、一向に納められないことを怪しみ、また焦りを覚えたようだ。
失踪届けを出して所で、警察も役所も動いてはくれないが、税金の未納には日本全土の草の根を掻き分けようという熱意を前にすると、勤労意欲も塩漬けになろうというものだが、今度ばかりはその熱意が功を奏したようである。
過酷な出稼ぎの現場では、名前は勿論のこと氏素性の知れない者たちが、日雇いで目まぐるしく動き回り、彼らの消息を同僚は元より、雇う側でさえ把握、否、頓着していないことも多い。そのため誰が何処から来て、何時何処に消えようと、現場のほうが気に留めないのだ。
とはいえ失踪しているのは、家族もあれば帰る故郷もある紐付きである。稼いだ給料は内容証明で送られ、ごく一部の職場や労組の中には、特定の地方に対してその業務を一括し、代行する部署さえある。
名前が分からずとも送金の跡を辿り、稲子のように移動する彼らの後を追えば、自ずと飯場は限られる。だがその結果、誰もが必ず、この小田原でぷっつりと痕跡を途切れさすのだ。
かくいう本紙も小田原開発の取材の一環として、出稼ぎ労働者とその家族に焦点を当てたことで、この事件へと辿り着いたほどで、機会がなければ誰もがこの事を見過ごしていた可能性がある。
また、税局への取材の結果、どうもこのような事態は数年置きに、方々で起きていたらしく、足取りが掴めないことから対応に踏み切れないでいたが、昨今の戦雲の兆しに、外国人の手引きにより反社会的な徒党の結成をし、地下に潜った可能性があると嫌疑をでっちあげ、ついに警察を動かしたようだ。
現在も警察は失踪した出稼ぎ労働者たちの行方を追っているが、新しい情報は入って来てはいない。
この事件が果たして何を意味しているのか、鉄道の開通に活気付く街の光に、如何なる闇が潜んでいるのか。今はただ彼らの安否が確認されるのを祈るばかりである。
記者名 ○○ ××
――この記事はここで終わっている。
物騒だな。そういやこの世界はアメリカがないけど、日本が戦争してない訳じゃないんだよな。歴史の裏では、こういうことが起こっていたのか。
「確かにおっかないけどよ、これがこの学校とどう関係があるんだ」
「え、いや特にないですよ。あくまでこの変の昔の事件を、調べただけですし」
「この学校があった時代に、物騒な事件がないか探して、あったのがこれってだけで」
西ちゃんと狐目は『そのほうが怖そうだったし』と締めくくった。要は旧校舎という単語を怪しみたいがために、結び付けられそうな曰くを探しただけという。なんだよ。もう。
「つまりそれっぽい事件があったら、犠牲者はこの学校に、とか考えて盛り上げたかったと」
「だってただの廃墟じゃつまらないし」
「おい恭介、もしかしてこの子ちょっと足りないのか」
「ちょっとね、でも足りない分は、勘と行動力で補ってるから」
やっさしいフォロー入れるなあ。この状況でその寛容さ、賛同するにはちょっと勇気が要る。
「呆れた。僕を誘ったとき『もしかしたら危ないかも』なんて言うから何かと思えば、そんなことならこの学校の怪談でも、調べたら良かったじゃないか」
ミトラスがそう言った瞬間、空気が凍りついた。
「おい爺さん。そういやさっきの話の続きなんだけど」
「怪談なんてのはどこにでもある。ここにだってある。他所と大差はないが、聞くか」
『いいですけっこうです!』
小学生二人が声を揃えて拒否するが、爺さんは構わず、この学校にまつわる話をし始めた。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




