・先行
・先行
という訳で、俺は米神高等学校旧校舎に来ていた。場所は湯河原。ごみごみした街の彼方には、山々が映える景勝地であり、湯池場としても名高い観光地。新聞よりパンフレットが売れるともっぱらである。
今はシーズンも真っ只中で、観光の前準備として、街の中にも何とか緑を取り入れようと、地元の頑張りのおかげで、街の景色も目に優しい。ただなんとなく狭い。
「地味に遠いな」
電車に揺られること約二十分。バスもあるしその気になれば、自転車でも来ることができる。そんな場所に、うちの学校の前身がある。
駅から町外れの丘の上へと徒歩で向かう。人々の暮らしの移りを遡れば、シャッター通りとかいう見慣れた廃墟が現れる。
敗戦もしてないのに、所々に破綻が出ている。いや、戦前の頃からの破綻を、そのまま引き摺って今に至るような、荒れるに任せたとでも言おうか、この雰囲気。
今日は台風ということもあって、元より人の姿は少なくなる。進めば進むほど、綺麗な街並みが消えていくのは、精神的にけっこう堪えた。
人口の減った団地。過疎って閉じた商店街。錆びたアーチを潜り先へ抜ければ、何処へ繋がるとも知れない灰色の道路。どんどん目印になりそうなものが減っていく。
人の街は、人の流れが最大の目印なのだと、こんなときに再確認する。
そうして不安になりながらも、かれこれ三十分ほど歩いていると、とうとう目的の場所に辿り着いてしまった。あまり近くなかったな。
放置されてろくに手入れもされていないせいか、迫り出した樹木に、埋もれかけた校門。その奥に何やら建物が見えた。
ミトラスを連れてくれば良かったか。一度は帰宅したものの、家にいなかったので、晩飯は先に食べておくよう、書置きを残しておいたのだが。冷静に考えると早まったよな。
ちなみに今の俺の状態は、ジャージ姿に運動靴。鞄の中には雨合羽とタオル、食料と懐中電灯。僅かこれだけ。身軽過ぎる。
しかしここまで来てしまった以上、引き返すのもな。とにかく中に入って、害悪っぽい霊がいたら、殴ってしまえばいいんだ。この数日の間に倒した連中の姿を思い出せば、そこまで怖くない、はず。です。
「ここでこうしてても仕方ねえ。行くか」
何度目かの独り言を吐き出した。もう怖いと白状したようなものだが、来てしまった以上、後戻りはできない。台詞を絶やせば押し寄せる空しさが、あっという間に恐怖へと、摩り替わってしまうだろう。
「あれ、なんだこれ。自転車だな。子ども用の」
閉ざされた校門の前には、二台の自転車。小学生用の小さい奴。ということは。
「これ中に入ったのか」
校門から横には柵があるものの、蔦が這っている。誰も止めないなら、すんなりよじ登れるだろう。元より人気も無い上に、今は夏休み中で終わりも近い。となれば無旅行の奴や、帰省からのUターン組も、外には出たがるまい。
つまり、絶好の冒険チャンスである。
「運が向いてきたな」
俺は右を見て左を見て、もう一度右を見て、誰もいないことを確かめてから、校門をよじ登る。体力がついたこともあって、今やこのくらいは余裕だ。俺も成長してるな。ズルしてるけど。
「これを機に一緒に行動すればそこまで怖くないぜ!」
小学生か中学生か知らないが、とにかく早いところ見つけてしまおう。それで二人と学校を見て回って、用が済んだら帰らせる。完璧だ。
「頼むからまだ帰るなよ」
なんだか希望が湧いてきた。何故だか周りから、鳥や虫の鳴き声一つしないこの空間。ここだけもう晩秋みたいに、しっとりと冷え込んでるけど、そんなことを気にしてる場合ではない。
柵を乗り越えた俺の目の前に、その姿を現したのは、森に囲まれて日当たりの悪そうな、鉄筋コンクリ仕様三階建ての建造物。俺の世代だともう、旧校舎でさえ木造じゃないんだなあ。
そんな一抹の寂しさを抱きつつ、小走りで建物へと近寄った。すると。
『うわあーーーーーーーーーーー!!』
直後に響き渡る悲鳴。これは、声変わりしてない人間の子どもの声! 俺がこの世で最も嫌いな音の一つ! ただしミトラスやパティは除く。
現実に引き戻されて、一気にやる気が失せたけど、取りあえず駆け出す。周囲に人っ子一人いない以上、俺が行くしかない。
どうやって入ったのか、開け放たれた下駄箱(地域により非常に呼称がバラける)から中へと突入すれば、上の階から数人の、走る音が聞こえてくる。
どうやら放置された古新聞から、大量のゴキブリが出たとか、そういうことじゃなさそうだ。となれば相手は悪霊かホームレスか、またはここを使っている反社の何れか。
最後の奴相手したくねえなあ。
「全てを創りし者、かつて全てであった者、俺に応えろ。塵の中から姿を見せろ」
とりあえず武器を用意せねば。胸の前で合掌。そして呪文詠唱開始。
『地霊剣』
閉じた両手を左右に開けば、勝手知ったる地属性魔法剣が現れる。安全を考慮して、形は角張った棒にした。その表面は御影石のような滑らかさ。現代でも複製可能だと思う。
「よし……どうした! 誰かいるのか!」
角棒を掴んで階上へと呼びかける。大声を出すのって、あんまり気分の良いものではない。しかし効果はあったのか、天井から聞こえる足音は、急速にその距離を縮めてきた。
それほど背が高くもない建物で、この聞こえ方だと相手は三階にいたようだ。はっきりと近付いた音は、真上からしている。二階だ。降りてきている。
左右に教室が並び、奥行きもそれなりだが、妙に狭く小さいような、そんな場所。現代のやり方で建てられてないせいなのか、どこか長屋のような、施設というよりは、単なる容れ物のような印象を受ける。
悪い言い方をすれば、そこだけ学校感出してる。ルーツ的な。しかしおかしい、霊が見えるようになっているのに、ここにはそんなのはいない。これはいったい。
「こっち! 早く!」
「待って、待って……!」
思考を遮る声は、左側の階段から聞こえてきた。勢い良く飛び降りては、次々と着地する。如何にもわんぱくだが、浮かべている表情は怯えきっている。
彼らは俺に気付くと立ち止まってしまった。階段の上とこちらを見比べて、判断に迷ったようだった。やはり子どもだった。
「いいから来い! 急げ!」
棒を構えてそちらへと向かうと、進退窮まった様子の三人。そう、三人の中の一人、どこかで見た顔がこちらへと駆けて来る。彼が俺の背に回り、それを見て残る二人もこちらへ来る。
良く見れば全員一度は見た顔だった。約一名は毎日見てる。
「助かったあ、げほ」
「ぜっ、へっ、よかったあ」
息を切らせてえづく子どもたちを、後ろに匿いながら、俺は階段へと視線を戻した。呼吸音とは別に、わざとらしい足音が、ぺたん、ぺたんと床を鳴らして降りてくる。
「誰だ!」
先手を打っておきたかったので、声を張り上げる。足音は一度だけ止んだが、すぐにまた歩き出した。手摺りに手が見えて、直後に体が移る。
病的に真っ白い皮膚は皺枯れ、白髪がこびりついている。目は落ち窪み、そこから見える目は黄ばんでいた。格好は傷んだ背広の上に、汚れてボロボロの皮のコート、不似合いな来客用のスリッパ。
足を引き摺るようにして、こちらへと歩いてくる。近付くにつれ、周りの音が遠ざかっていく。こいつは。
「まったく、今日は部外者の多い日だな。これだから、夏は好かん」
三メートルほどのところまで来ると、その男は徐に口を開いた。後ろで間の抜けた声がする。
「あれ、幽霊じゃないの?」
「人のことを見るなり叫びよって。何だと思ったんだ」
背中越しに聞きなれない男の子の声がして、目の前の老人は、露骨に顔を顰めた。
「いや、だから幽霊」
「え、ホームレスじゃないの」
「ここまで来てどうしてそう思うのさ日」
困惑する先客と、目の前の生きているのか死んでいるのか、よく分からん爺さんに挟まれて、俺は武器を下ろした。
「あのよ、話が見えないんだけど」
「あ、ごめんなさい! その、私たちの、勘違い、だったみたい、で」
振り向いて男女男の三人組に話しかけると、水色の髪留めをした、おでこの広い女の子が、縮こまって謝ってきた。確かこの子は六月の。
「とりえあえず危険は去ったようだね。ここは一つ、落ち着いて順序を整理しようか」
人間に化けているミトラスは、そう言って仕切り出すと、俺を手近な教室に入るよう促した。この中で一番余裕なのはお前だろ。なんで俺からだ。今更だけど、天気の悪さと周りの森のせいで、中は滅茶苦茶暗いし怖い。
「はやくして」
あとで覚えてろ。気付けば他の三人も俺を見ている。あんだ爺お前も先入れよ。こういうときに仲良く静観決め込むところが、本当に日本人だよな畜生。
渋々と教室へ入ると、爺さん、ミトラス、男子、女子の順で入ってきた。机も椅子も撤去された教室の床に、腰を下ろし車座になる。
「で、お前ら、儂に何か、言うことはないか」
話を切り出したのは爺さんだった。何でお前だ。ここは俺が訪ねる場面じゃないのか。
「幽霊扱いしてごめんなさい」
「ホームレスだと思ってごめんなさい」
「なんか良く分からないうちに逃げ出してごめんなさい」
しかし子どもたちは、各々思うところがあったようで、爺さんに対して素直に謝罪した。爺さんは無表情のまま何度か頷いた。
「うむ。よし」
「いやよしじゃねえよ。事情を説明しろっつってんだよ」
何だか妙なことになった。ただ単に台風の日に、肝試しに来た馬鹿者が、俺たちの他にもいた。それだけのことにも思えるが、何故かこの場にいるミトラスのせいで、とても胸騒ぎがする。
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