・心残り
・心残り
静かな時間だった。店内にはまばらな話し声。ラジオの音。俺からはたまに文庫本の頁を繰る紙擦れの音。周りには少なくとも二人の友人がいる。けど誰も話さない。心地好い時間だった。
「ねえ、おしゃべりとか、しないの」
だったというのは、南がこうして、ちょいちょい話しかけてきたからだ。こいつは何故か話をしたがる。
「する内容がない。お前ゲームもやらなきゃアニメも見ないし、漫画もそんなに読まないだろ。飯の好みも合わないし、音楽だってポップスとクラシックばっかりじゃねえか」
南と俺と北先輩は、同じ学校に通い、同じ部活に所属してはいる。しかし北先輩が創作枠で、俺が方々の手伝いをしている横で、こいつが何をしているかと言うと、とくに何もない。
いや、何もないことはないのだ。少なくとも部の服飾系製作物や、装備品のモデルとして、それらを着こなし、行事の際の刊行物の、紙面を賑わせるという役目は、今の所南にしかこなせない。俺はこいつが嫌いだが、こいつは可愛いし美人なのだ。
オタサーの姫とかいう、フィクションを現実にこなせるのがこいつであり、ちゃんと部活動をしているのである。
でもそれまでなんだよなあ。
「別にいいじゃない、おしゃべりにはそれで必要十分なんだから。ていうかあなたたちこそ、もっとオシャレに気を向けなさいよ。全然話が合わないじゃない。私これでもコミュニケーションには努力してるのよ」
しれっと先輩を入れるんじゃない。
郷に入らば郷に従えという言葉があってだな。臭い片田舎の掃き溜めにいるんだから、もう少しその自覚を持って頂きたい。ここは小田原市だ。横浜でも横須賀でも、相模原でもない。
政令指定都市じゃないんだよ。都会人は来ても住まない場所なの(偏見)。
これが戦国末期なら、横須賀から海賊が真っ直ぐやってくるし、相模原からは山賊が南下してくるし、横浜村からは、大昔の悪霊が遺跡から蘇って、外国人と一緒に押し寄せてくる(偏見)。
箱根・湯河原・南足柄の三方を背に受けて、防衛戦をしなくちゃいけない。比較的平和な宿場町が多く、水も綺麗で文豪だって輩出した、色々と恵まれた土地だから、暴力以外に資本のない連中から、いつも狙われている。しかも足柄方面からは、スギ花粉が飛んできて春先はつらい。そういう土地なんだよここは(偏見)。
だからお前の望む、垢抜けたガールズトークなんか、望むべくもないんだよ。俺の女子力の限界は海さん級なの。地元の少しズレてる女子高生レベルなの。背伸びしてそこまでなの(事実)。
「でも絶対こっち側には踏み込んでこないだろ。オタクにはなりたくないから」
「当然でしょ。あんな趣味のことになると声が大きくなって早口になる人、気持ち悪いわよ」
ごもっとも。先輩にしても他の部員にしても、言うだけ言って、間が保たなくなるまでは、本当にそうだから困る。面疔を絞ったときに、飛び出す膿のような勢いで話すし、その後も止まらない鼻血の如く、話を止められなくなるのだ。
「分かるけど。本人の前では言うなよ傷付くから」
「私としてはあの人たちと話が合う時点で、あなたも相当よ」
「早口にならないのと、話を打ち切れるだけで、趣味は同じだからな」
俺の場合深夜アニメは予約録画で済ませているし、単行本派だし、乙女ゲーのカプ論争もしないようにしてるから、リアルタイムで追いかけてる人々より、熱量に欠けるし旬の会話も出来ないと、けっこうなズレがある。
それのせいで会話のテンポも、ゆっくりしがちってだけなんだけど。これを敢えて南に説明するのも、なんか面倒臭いので黙っておこう。
「俺からすれば未来から来たお前が、これだけ現代に馴染むってことのほうが不思議だよ」
「そういう意味でもお誂え向けだったのかもね。不思議っていうならむしろあなたよ」
「俺」
文庫本を閉じてポケットに仕舞う。見れば南は両手を組んで、テーブルの上にそっと置いていた。
「生まれと育ちと人柄が、ほとんど一致しないんだもの」
南は小さく溜め息を吐いて苦笑した。どうでもいいけど、只でさえ身長差がある上に、俺って座高が高いから、背筋を伸ばすと威圧するような形になってしまう。
なのであまりだらしなく見えないよう、頑張って体勢を崩しているんだけど、これけっこうつらい。
「生い立ちの割りには温厚だし、そんなに頭も悪くないし、苗字と家の表札が違うし、ド中古のウォークマンには、見境なく音楽入ってるし。偏食でも発育不良でもない。いたって健康そのもの。ちょっと手が早くて、停学を食らったりもするけど」
よく見てる。でもだいたい正解なんだよな。よもや異世界で、三年も人間的な暮らしを送ったことで、更正したとは夢にも思うまい。
「善悪の区別くらい付くし、勉強もしてない訳じゃないし、表札はあそこが婆ちゃんの家だからだし、音楽だってお前もファンクや民謡好きだろ。味覚が壊れてもいないし、手が出るのはそうしないと身を守れないからだ。貧しいけどおかしいところはないと思う」
正攻法こそ打ち克つことの原始的なあり方であり、真っ当誠実こそは苦肉の策である。
「社会的にも経済的にも、そんなふうに育てる環境じゃないはずなのよね。教育面で見て」
「どれだけ教育があっても、馬鹿は馬鹿だしゴミはゴミだぞ。人間と人間が話せるのは、お互いが人間のときだけだ。人間になるのは簡単だけど、人間でい続けるのは難しいよ」
カフェオレを飲み干す。南はミルクとガムシロップを入れた珈琲を飲み干す。同じ色だけど違うもの。
「減点方式なのね」
「そうだ。俺は危うかったんだ」
ラジオの音が交通情報に切り替わる。店内に差し込む日の光が弱まり、代わりに電気の明りが灯る。
「正直高校に上がるときには自棄になってた。でもこうして妙なことに巻き込まれて、素面に戻っちゃったからな。お前と先輩のおかげでさ」
まあ、本当は群魔の皆がいてくれたからなんだけど、折角だからそういうことにして、花を持たせよう。
「歴史のことは私のせいじゃないわ」
南が髪をかきあげた。本当に柔らかな、綺麗な亜麻色の髪だ。本人はあまり自覚してないみたいだけど、こいつの身体的な魅力は、髪と脚に集まってる気がする。
「俺と係わり合いになったのはお前らだよ。それで海さんとも知り合うきっかけが出来た。俺が人間のままっていう歴史は、歴史が変わったからじゃなくて、お前らがいたから出来た時間なんだよ」
もしも、もしも俺が異世界に行ってなかったら、この事件が俺を、更正させていたのかも知れない。そう考える日もある。
「……分かってるの、サチコ。この世界が元に戻ったら、あなたは」
「言うな」
でも、俺たちのもしもは、今この時なんだ。それが無くなるというのなら、それはそれで正しいことなんだろう。免れないことなんだろう。
俺の秘密は秘密のまま、お前も含めた皆のことを、知らない誰かにされちまう。
「俺は、お前の人生を束縛したりしない。それはお前に、在るはずの無い俺たちの責任を負わせないってことなんだよ、南」
前を見れば、そこには少女の瞳があった。思えばこいつの笑った顔ってあまり見なかったな。仲が良くないから仕方ないけどさ。
「あんたって、本当に馬鹿ね……」
吐き捨てて、彼女は物憂げに目を伏せた。唇が微かに震えて、何かを言いたそうにしてたけど。そこから続きが語られることはなかった。
「南。お前、本当は学生でいたかったんだろ」
「何よ、いきなり」
「いいから」
空のペットボトルに口を付ける。中身はもうない。分かっているが、気持ちの切り替えをしたかった。
「初めて会った日に、飛び級がどうの仕事がないのと言ってただろ。でも、今日までお前は結構楽しそうにしてた。お前本当は、他よりもずっと早く学校を卒業出来てしまったことを、後悔してたんじゃないか」
仕事だって中々やりたがらなかったのは、未来に帰りたくなかったからじゃないか。我ながら馬鹿な考えだと思う。
それなら大学に行ったら良かったんじゃないか、大学さえも飛び級したのか、それとも金が無かったから通えないのか、その辺の事情は知らないがこいつを見ていると、どこか不自然だった。
「もしもそうなら、未来に戻った後学校に」
「止してよ」
制止する声が聞こえて、黙る。俯いた南には自嘲するような笑顔が張り付いていた。
「もうじきいなくなるかもしれない人が、そんな心配しないで」
溜め息が出た。俺と、彼女の。
「分かった」
南はトレーを持って席を立った。レジの横に下げると店を出て行った。その間、俺は何も言えなかった。代わりにレジにいた海さんの、お礼の声が聞こえる。
南は傷付いていた。誰も傷つけてはいないけど、傷付いていた。
俺の秘密を打ち明けて、俺だけは無事だと、そう言えば良かったのだろうか。そんなことして何になる。南はそれを聞けばきっと安心をするだろう。
でもそれは、あの子の俺たちに対する気持ちを、有耶無耶にする行為だ。そんなことして何になる。こうして気持ちを決めて来たのに、わざわざお茶を濁すのか。俺はそんなの嫌だ。
南の出て行った店の入り口を見る。戻ってくることもなければ、追いかけることもしない。
『もうじきいなくなるかもしれない人が、そんな心配しないで』
お互い様だろ。
内心で悪態を吐いたまま、俺はしばらくの間、彼女がいた場所から動けないでいた。外の日は、いつの間にか暮れていた。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




