・これからどうする
・これからどうする
試用期間。そういえばそんなこともあった。南は未来の派遣会社から、又貸しされた末に、ここまで来ることになったのだった。その時実に三ヶ月。
「じゃあ今月一杯か。あと一週間だな」
「そうなの。それでこの時代を引き払って、私は元の時代に帰るわ」
麦茶に口を付けて南は頷いた。沈黙。手の中でコップを回しながら、何を言うべきか迷っているのか、若しくは他に何もないのか。静かな時間ばかりが流れる。
「会社、辞められそうなの?」
「ええ、それはもう決まってるの。引継ぎは、後任が捕まらなかったみたい」
「そうか、良かったな」
こんな国際的な営利誘拐を、商売に落とし込んだような派遣なんか、絶対辞めたほうが良い。
出先で死んでもそのことが判明するのが数年後で、しかも勝手に解雇されてて、遺族が派遣元と数々の派遣先への訴訟を起こし、残りの人生どろどろになるかも知れないなんてのは、避けるべきである。
「それを伝えに来たのか。心配して損したな」
「そう、このことを知らないの、あなたと前の小学生くらいだから。あっちは別にいいけど、あなたとは、その、幾らか付き合いがあったから」
業務連絡一つのためにわざわざ来たのか。律儀とも取れるが、違う気もする。
気まずさがあるのか上目遣いにこちらを見て、また目を伏せる。思えば現代側で、今日まで会った大抵の人がそうだったが、マウンティングした相手でもない限り、相手と正面から向き合うことを嫌がるな。
話しかけて来るときは、自分の言葉を聞いているか、確かめるために顔を覗き込むのに、自分が見られていると自覚した途端に、顔を伏せるのはどうなんだ。
中には見ていない可能性を、確認したくないために、やたらと首を振って何も見ないようにするという、より一層ダメな奴もいるけど。
まあ南の場合はそうではなかったようだ。残りの麦茶を飲み干すと、溜め息を吐いた。
「これから、どうしたらいいのかしら」
そう問いかけてくる彼女は不安を隠さなかった。差し迫った今の終わりに、自分がどうするべきか、それが思い浮かばないようだった。
進路相談か。前もやったような気がするな。
「お前、家族はいるのか。仲は」
「いる。この仕事のことは話せないけど、いるわ。電話もメールもできないけど、仲は悪くない」
そうか。いるのか。そりゃそうか。こいつはテストの成績も良いし、少なくともこいつにとっては、良い家族なんだろう。
「じゃあまず顔を見せな。それで、派遣の又貸しで探偵の手伝いをやらされてたけど、辛くて辞めたって言えばいい。これなら仕事のことを教えてはいけない理由にもなるし、まるきり嘘って訳でもない」
概ね要らない社会勉強の一つもしたのだと思って、半年くらい休むのがいい。南はコレでけっこう向上心があるからな。立ち直れば前より良くなる類の人種だ。
「お金はあるのか。具体的には大学の学費を払えるくらい。この際だから行っておきなよ」
「調べてみないことには、はっきりとした額は分からないけど、高校時代の貯金と、お給料を足しても三分の一くらいにしかならないと思う」
上出来だろう。俺たちは男よりも金がかかる。南みたいに、服にも気をつけるなら尚更で、貯蓄があるならいいほうだ。
「残りは親御さんに借金して、学校に通いながら少しずつ返したらいい。出して貰えそうならの話だけど」
「パパとママなら勿論出してくれるわ、でも……」
言い淀む。高校を出て、三ヶ月で仕事を辞めて、やっぱり大学に行く。言葉に直すと簡単な分、どこかふざけているようにも、受け取られかねない。
むしろ社会に出て大学に行きたい、勉強をしたいと思えるようになったのなら、それはそれで善いことだと思うが、まあ日本じゃないからその辺は大丈夫か。ご両親とお国柄に任せるしかない。
「気にするな。こればっかりは就いた仕事が悪かったとしか言い様がないよ。お前は頭がいいし、家族も優しくて、年も十代なんだからまだ取り返しは付くだろ。大学入って、それから社会人やり直せばいいじゃないか。ばつが悪いのはさ、この際仕方ないって割り切れよ」
麦茶のお代わりを注いで、残りを直飲みする。紙のパックが空になる。ミトラスは眠ったように目を瞑りながら、南の膝の上で丸まっている。大人しく撫でられやがってあの野郎。
「そうじゃないの」
「何が」
一言否定の言葉を口にした南は、俺の目をじっと見つめていた。今までに見たことのないものだった。いつものように図々しい明るさや、ポジティブさはそこにはない。
「他にしてみたいことがあるとか言われても、俺は困るぞ」
「違うわ。私の進路のことじゃないの」
「これからのことだろ。他に誰がいるってんだよ」
少し肌寒くなって来たので上に一枚着る。今更だが俺はシャツ一枚(ブラ着)に短パンだったので、エアコンが効いて来ると、却って寒くなるのだ。
「決まってるじゃない。あなたたちのことよ」
「俺ら」
思わず聞き返すと、南は小さく頷いた。
「私がいなくなったら、あなたたちはどうなるんだろうって、気になってしまって……」
消え入りそうな声だった。罪悪感を覚えているかのように、小さく、力ない。
「どうもしない。俺たちは他の人と同じように、世の中に流されながら、死なない程度に生きていく。違うのは、ちょっとした予備知識があるだけだ。お前が気にすることじゃないよ」
しかし南はこの答えに満足いかなかったのか、寂しそうに、ため息をまた一つ吐いた。寂しそうか、もしかしたらそうなのかも知れない。
「お前、ひょっとして心配してくれてるのか」
「そりゃ、そうよ。だってこのままじゃ、あなたたちを放り出すみたいじゃない」
みたいも何もそうなんだけど、こいつはそれを気にしているみたいだった。嫌な奴だけど、やっぱりちょっとは良い奴なんだな。
「ありがたい話だけどさ、それってどうしようもないことじゃない。時代が違う以上、お前は必ず元の時代に帰る。俺たちと同じ時間じゃ、何時か必ずお別れになる」
そう。この時代に骨を埋めようとでもしない限りは。これは南が元の時代にいない限り、どうしても付きまとう節目だ。
「別に、お前が俺たちを守ってる訳じゃないし、俺たちの人生に、責任を負わないといけない理由もない。少なくとも、俺はそうして欲しいとは思わないね」
「そんなこと……」
不服そうに南が言う。言い方が悪かったんだな。でもここで心配するなとは言えない。俺に出来るのは、南の言葉も気持ちも否定せず、それでいて彼女の善意を受け取らないことだ。
「お前は自分の意見や立ち位置を、はっきり言えるだろ。ならそれでいいんだ。たまたま俺とは合わないってだけなんだ。気に病むなよ」
頬杖を突いて言うと、無言で南は席から立ち上がった。怒っているように見えるし、泣きそうにも見える。抱っこしていたミトラスをゆっくりと下に降ろす。
「帰るわ」
「……そっか」
そのまま口も利かず、南は足早に去って行った。遠ざかる南の背中は、いつもより小さいような気がした。
「素直じゃない奴だな」
通りの向こうに南の姿が消えたのを確認してから、俺は独り言を零した。
足元では一匹の猫が丸くなって眠っている。
――仕方ない奴だな。
俺は台所に向かうと、壁に備え付けられている、ほとんど使うことのない電話から、埃を吹き払って受話器を手に取った。番号を押して待つことコール数回。
『はいもしもし北です』
「あ、先輩。俺です、臼居です」
『あー! サチコじゃん! なになにどうしたの?』
今やすっかり俺のことを、名前で呼ぶようになった北先輩が、電話に出た。
「実は南のことでですね」
それから俺は、たった今思いついたことを先輩に相談したのだった。
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文章と行間を修正しました。




