・こんにちは時間泥棒
・こんにちは時間泥棒
問題は、この本がこの店の本じゃなかったこと。そして次にこの本が三年後のものだということ。
眠かったのに手を加え、いつものようにサチコのほうばかり念を入れたから、自分のことは疎かになっていたのだ。この辺の誤魔化しを何も考えてなかった!
部下の課題を真っ先に解決して、自分の仕事を後回しにする行政職時代の癖が、こんなところに現れるなんて。
僕の仕事は僕にしかできなかったし、手が空けば次の仕事に取り掛からないといけないから、のらりくらりやるようになったのが、こんな形で裏目に出るなんて。
「うーん」
「一日で終わるものじゃないから、そんなに気負わなくていいよ」
僕の唸りを聞いて、棚の向こうから西が気遣ってくれる。嬉しいけどそうじゃないんだ。僕は今、どうにかして君を騙すことに、頭を悩ませているんだよ。
この世界の買い物の仕組みには慣れたけど、慣れるとか慣れないじゃなくて、忘れていたってのもまた問題だ。
振り返ってみれば、サチコは人間性が荒れてたおかげで、文明的に劣る僕の世界に早々に馴染んだけど、こっちに帰ってからはすぐに生活に戻れた。
ところが僕はサチコ経由で慣れたけど、何かの拍子にコロっと忘れる。機械で読み取るとか、紙幣に番号が振ってあるとかだ。万引き防止や偽造通貨への対策は立派だけど、今はそれが仇となっている。
今僕は少年漫画の棚から、参考書のコーナーに移っている。少年漫画の世界は、前の世界に輪をかけて戦闘一色だ。一生やってろと言えば、本当に一生やってるレベルで戦ってる。
ああ、でも冒険ものも増えてるのはちょっと嬉しい。後で買ってみよう。
次に参考書のコーナーだ。当然だけど本にはバーコードのシールが貼られている。手でキレイに剥がして、僕の持っている参考書に貼り付けることもできない。
仮にそれでこの本を、この店から買うという形で入手してもだ。次にこの本の年代を、どうやって西に説明するかだ。いや、あの店番少年こと若旦那が、この参考書が、自分の店の本ではないと気付く可能性がある。
自分の店に置いてある本は、全部読破して頭に入ってそうな顔をしていた。迂闊に持っていけば『これはうちのじゃないなあ』なんて言われ兼ねない。どうするか。
いや待てよ。何も西に説明する必要はないんだ。僕の持っている参考書が未来のものでも、それが何故なのかということは、しらばっくれてしまえばいいんだ。僕も知らない振りを通せばいい。これだ!
となれば後は、どうやってこれを西に渡すかだけど。
「参考書って易いなあ」
「新品だとあんなに高いのにね」
漫画に比べて値崩れの幅が大きすぎる。内容に大差がないなら、過去問以外は古くて安いもので勉強したほうがいいな。しかしまあ文章の捻くれてること。記憶と知恵を試すとはいえ意地が悪いなあ。
って、物色してる場合じゃない。何か手を打たなければ。
一つ。このまま諦めて外で『実はもう見つけてたんだ』と言って渡す。
これだと僕が仔細を尋ねられて、もっと誤魔化しを考えないといけなくなる。疑われると更に面倒だ。却下。
二つ。サチコに丸投げする。
今の僕らは上司と部下の関係がないから、失敗する可能性が高い。サチコが面倒臭がって何も考えずに南さんは西に渡したら、結局疑われかねない。
三つ。西に調べさせて見つけさせる。
鞄の中の参考書をこの棚に紛れ込ませ、彼女を誘導してそれを見つけさせれば、八方丸く収まりそうだ。謎が残るけど僕は安全だ。
考え付くのはこんな所か。となれば善は急げだ。僕がここを調べている以上、西はここを調べないだろうし、仮に来ても見落とすかもしれない。
ならば彼女に先回りして、そこの棚にこの参考書を仕込んでおけば、場違いなジャンルから目に付くし、違和感を覚えるだろう。
あとは西が手にとって奥付を見れば作戦は完了だ。ぶっつけ本番だけど、この店に入ったのは今日が初めてだから、前々から準備していたのでは、と思われてもへっちゃらだ。現に僕はやってない訳だし。
今日初めて来た店で、咄嗟にそうしたという場当たり的な、極めて計画的でない、突発的、そう突発的な犯行を目撃されなければ大丈夫、のはず。
いや大丈夫じゃないな。最初に疑うべきとこだもんなあ。でももういいや。そのときは白を切り通そう。このままでは埒が明かないし話が終わってしまう。
「次移るね」
「え、早い」
ちょっと焦る西。どうやら彼女は初めて見る漫画も普通に読み耽っているようだ。僕の場合は読んだことのない漫画、及び聞いたこともないタイトルは無視している。
こういうとき『自分が知らないだけで元の世界のものかも』っていうのは意味の無い懸念だ。分からないのにそこを食い下がっても仕方がない。
今いる棚を回りこんで、西の場所から一つ後ろの棚へ。この店は個人経営にしては、思ったよりも広くて本棚が三列ある。
そして壁際にも本棚。そこそこ充実の品揃え。だと思う。僕がさっきまでいたのは玄関から見て右、西は今も真ん中。
そして左側に移ったときに、僕は棚の一つに目が留まった。
『ご自由にお持ち帰り下さい』
「なにこれ」
「え? ああ、それ。図書館の再利用図書の真似らしいよ。いらない本を置いて、欲しい人が勝手に持って行っていいっていうの」
西が顔を覗かせて僕と同じ物を見て言った。傷みの酷い棚には、本が虫食い上に納められ、どれもこれも面白そうじゃない。軽く手にとって見ると、乱丁や落丁がある。他には単純に一円の値打ちもありそうにない学術書等々。
「大手の古本屋なら、買取の他に処分してくれそうだけど」
「単行本を売るついでにならそうするけど、処分する本しかないなら、こっちに持ってくるんじゃないかな」
捨てる本しかないならこっちに捨てに来るってことか。近所の人だろうけどそれでいいのかこの本屋は。
「貯めるとちり紙交換に出せるからもったいないよね。その分ここは助かるみたいだけど」
「なんだかなあ」
何にせよ好都合だ。ここに参考書を置いてしまおう。後は西が場所を移るときに、ここを調べるように声をかければいい。
後はこの世界の漫画を読みながら待つとしようか。
――骨太なおっさんが問題に巻き込まれ、不承不承ながら冷めかけた熱血に火を入れる『やれやれ系』が一昔前の流行りだったみたいだ。尋常でない量の書き込みと静止画のようなコマが特徴だ。作業シーンばっかりだ。冒険しろよ。
――ホームセンターやスーパーなどの商店ものも多いな。それぞれのお店ごとに、強みが異なることで生き残りの図り方が、少しずつ異なる。この形が鉄板になってるのかオマージュも多い。僕としてはサイバーとかスチームな世界を背景にした奴が、一番面白かったかな。
――少女漫画は、サチコが読んでたのとは全然違うな。こっちだと女性主人公が次々と男を乗り換えて、二股三股掛けて得た人脈や財力で、彼らを蹴落としてまた次の男へ。所帯持ちの男性が自殺に追い込まれ、娘に刺された辺りで読むのを止める。殺伐としすぎている。
――そして数時間後。
「臼居君帰ろ」
「え、もうそんな時間?」
まいったな。もうそんな時間か。あんまり面白くってつい時間を忘れてしまった。立ち読みだけなのも悪いから、さっきのホームセンターものを幾つか買って帰ろう。サチコの好みとも合いそうだし。
気がつけば店内にもお客さんの姿が。僕たち二人は若旦那を呼んで、それから帰ることにした。
「じゃ、ちょっと待ってて。すいませーん。これください」
「はい。五冊で千円。ありがとうまた来てね。日ちゃんは買ってくれないから」
「買うわよ。はいこれ」
そう言って西は赤い受験用の参考書を渡した。どこかで見たような本だな。
「あ、これそこの棚にあった奴でしょ。それ只じゃないか。意地の悪いなあ」
「じゃあ持っていってもいいのね」
「いいよ。誰が突っ込んでいったかも分からないものだし」
西は意地の悪そうなはにかみを見せて『ありがと』と言って踵を返した。僕もそれに続く。こうして焚書堂での買い物は終わった。有意義な探検であった。でも何かを忘れているような。
はて、いったい、なんだったかな。何かけっこう大事なことだった気がするんだけど。
……まあいっか。そのうち思い出すだろう。
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文章と行間を修正しました。




