・妄想です
・妄想です
外の時間はすっかり夕暮れ。終わって見れば漫画を読んでただけだけど、これはこれで充実した休日だったな。一雨来るかと思った空は、雲も過ぎ去り夏の気配を漂わせている。もうじき七月だ。
「収穫はなかったけど楽しかったな。また来ようね西さん」
「それなんだけどね、臼居君」
急に西が足を止めた。見ると彼女は俯いて、何かを気にしているようだった。その視線はちらちらと、自分の手提げに注がれている。特に何の変哲もないから、気にも留めなかったそれ。
「どうかしたの」
聞いても答えない。一度こっちを見てから、また手提げ。異様な雰囲気を感じて僕は西の傍まで近寄って、彼女が頷いたのを見てからその中身に手を突っ込んだ。中にはメモや筆記用具、そして本。……赤い本。
「……あ!」
僕はすっかり忘れていたことを思い出した。
「臼居君、忘れてたでしょ」
「ごめん」
そう、忘れてた! 君にその参考書を渡すことを忘れてた! 危ない危ない。もう少しで取り返しのつかないことになるところだった。背中にものすごい勢いで冷や汗が浮かんでくる。
「え、じゃあこれがそうなの」
「奥付を見て。一番後ろ」
知ってるけどここは大人しく言うことを聞く。いやうっかりしてたよ本当にそう。僕もサチコもこの世界のことなんて、正直どうでもいいものだから、肝心なときに真剣になれないんだよね。
でもほらこの失敗のおかげで僕の内心は焦りや緊張でばっくんばっくん言ってるし、それが演技にも真剣味を持たせるっていうか頭の中で必死に言い訳を考えているのは単に『やばい』という気持ちからまだ立ち直れてなくてぶっちゃけると気持ちの整理が追いつかないから手元が覚束ない。
「初版が20xx年1月xx日」
「おかしいと思わない?」
「このシリーズっていつも4月発売だった気がするけど」
「そこじゃなくて年のほう!」
そこじゃないのか。実はこの本は『奥付に誤植がある』だけの本という可能性が、最近頭から離れなくて不安になってきてるんだけど。もしもそうなら僕たちは、とんだ茶番を演じた大馬鹿者ということになる。
そうなってしまうと、もう信憑性なんて話しどころではなくなってしまう。まずこの参考書の正しい年代を特定しないといけなくなる。まあそんなことを今考えても仕方がない。
僕は言われるがままに、その数字が印刷してある部分を指差した。
「ここ?」
「そこ。今から約三年後だわ」
「誤字じゃないの?」
自分でも最早どっちに転べばいいのか、分からなくなりつつあったので、正直に疑問をぶつけてみることにした。しかし西は力強くこれを否定した。
「違うわ。これを見て」
そう言って彼女はスマホを取り出すと、参考書の表紙に書かれた、大学のホームページを出した。大学かあ。いつかは群魔にも、魔物たちの大学を築き上げたいとこだけど、果たして何時になることやら。
「ここから過去問をダウンロードできるの」
「便利だあ。それで」
「この本と同じ問題はまだ出てないのよ」
なんてことだ。僕が漫画に気を取られている隙に、彼女はこの数時間、ずっと過去問の検証をしていたというのか。僕の不甲斐無さを差し引いても有能だ。
「西さんってさあ、素直なのに頭いいよね」
「え、やだな急に、てかえ? え、それ褒めてるの」
「そうだよ」
しかしまだ可能性はある。それは歴史が変わってるんだから出題内容も変わっているだろうということ。それを尋ねてみると。
「良く見て。この世界では途中までイギリスもフランスもあったけどアメリカは存在してないの。だから出題されるはずがない。皆メキシコになってる。でもこれ! この1点の問題」
西は僕の手からそれを引っ手繰ると予め端を折っておいた頁を開く。そこにはこう書いてあるあった。
「どれどれ『ジョージ・ワシントンの大統領の任期として正しいものは次のうちどれか』」
自分の飼ってた奴隷から逃れたくて戦争に打って出たかっぺの大将のことなんかどうだっていいよ。ん、待てよ。
「アメリカか」
「そう。有り得ないのよ。この問題は。この世界では」
「でもどうしてこんなものがここに。いや、そもそも未来から来てるじゃないか。この本」
このことに関して西は首を捻った。それもそのはず。三年後の異世界人が、同じく三年後のこの世界から取り寄せて、三年前のこの時代に持ってきたなんてまさか夢にも思うまい。
あれ。話をややこしくしてるのって、もしかして僕たち?
ともあれこれで誤植の線は消せたな。
「いやまさかそんな」
「そっちは有りえなくないの」
「え、そうなの」
最初のほうの賢くて早口で美形だけど、ちょっとキモイ若旦那にびびってたときとは違い、西はまるで物語の主人公のような、意思の強さを秘めた瞳をこちらに向ける。今更ながら罪悪感がやってきた。
「歴史を変えるなんて、未来から来なければ出来ないことだもん。犯人はきっとこの時代にも存在していて、今よりももっと未来から、事を起こしたに違いないわ。そのときに、この時代にも一度寄ったのよ。これはその犯人の私物の可能性が高い」
想像力が逞しくなっていく。
「なんでそんな無駄なことを」
「時間に干渉できるようになるタイプの物語だと、主人公の周りの不可解なことは、全て未来の自分がしていたことだって、後で分かるのがお約束でしょ」
それはそうだけど、もうちょっと地に足の着いた言葉で説明して頂きたい。
「見方を変えると、簡単に色んな事に手を出せてしまうから、今の自分に至る道を、固定しないといけないのよきっと」
特定の事柄を必ず起こしていないと、過去が変わった瞬間、自分が変かしてしまう恐れがある。つまりは自分の存在に、楔を打っておかないといけないということか。
「歴史は変えても自分を変えてはいけないという決まりがあるってことか」
「そう。だからこの参考書は、犯人がこの時代に捨てて行ったのよ。これが自分の手元にあったら困るのかも。だから絶対に手が届かない遠くへ捨てに来た」
すごいな。どんどん犯人像を創り上げていく。これはこれで見ていて楽しい。西の背中に追い風が吹き始める。
「参考書を熱心に使う時期と人種は限られてる」
「受験生だね」
「そう、三年後の受験生の中に犯人、正しくは将来何らかの理由で犯人になる人間がいる」
歴史改変に端を発したこの狂言が、まさかこのような形に着陸するとは思わなかったが、どうにか無事に事無きを得そうだった。
ここまでを語り終えた西の顔は、夕映えに照らされて輝いていた。
「それで、これからどうするの?」
「一応恭介くんにこれを持ち込んだ人のことを聞いて、それで……後は待つしかないかな」
「三年も?」
ここまで来て何とも尻すぼみな感じがするけど、それは彼女も同じだったのか、少しだけ寂しそうな笑みを浮かべた。
「だって、私たちは未来になんていけないもの。しょうがないじゃない。そのときが来て、お互いにまだ覚えてたら、何とかしましょう」
そう言って髪留めを外すと、頭を少し降振る。それほど長くもない髪の毛が散らばって、彼女の顔にかかる。額も大半は隠れて、髪の隙間から僅かに覗くばかり。
「……これが私にできる精一杯だと思う。だから、ここまで」
どこか悔しさの滲む笑顔には、出来る限りのことはしたという達成感があった。僕も、何も言えることはないので、少し俯いて、ちょっとだけ笑顔で首肯して、それで終わる。
これで後は。
「すげえな。最近の小学生って俺より頭いいんじゃね」
「世の中あなたより賢い人なんて山ほどいるわよ」
「お前より真面目に働く女も山ほどいるけどな」
そろそろかと空気を読んで焚書堂から二人の女性が台詞と共に現れた。
南さんとサチコだった。
僕はこの段を迎えて、ようやく自分の仕事が終わったのだと内心でほっとしていた。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




