・それからどうする
・それからどうする
「他には?」
「え?」
「いっそ全部考えて喋ってくださいよ。そのほうが早いし」
一通り先ほどの話を記録した僕たちは、若旦那に更なる考察をせがんだ。こんなに便利なシミュレーター、使い倒さない訳にはいかない。
「ええ、君たちの問題じゃないか」
「いいからいいから。全部聞いてあげるから。ほら早く」
彼を苦手と言っていた西の勢いに押され、若旦那こと恭介は、顎に手をやりしばし考え込む。
着物の裾から伸びる白く細い腕は、華奢だがしかし艶かしい。やっぱり西より色っぽいな。僕もサチコに毒されてきたせいか、異性と同性の性的な魅力について、感性の垣根が一律に低くなってきたような気がする。
「仕方ないな。こういうのは自分で考えるから楽しいのに」
粗方喋っておいてそれはないだろう。思ったけど口には出さない。それは西も同じのようだった。
「そうだねえ。今言った三番目の失敗説なんだけど、これはあまり現実的じゃないんだ」
「他よりは説得力があったように思えましたけど」
「それは現実に依拠しているからさ。でもね、時間は可逆だけど事象は不可逆だとボクは考えるんだ。その理由はまさに、日ちゃんみたいな異世界もしくは、改変前の歴史の記憶を持っている人が、存在しているからなんだ」
おお、今度は持論を引っくり返し出したぞ。と、ここで先程から、ずっと立ち話をしていたのがつらくなったのか、彼は店の奥に急に引っ込んだ。
と思ったら、折り畳みのパイプ椅子を、一つ一つ持ってきた。レジ前の小スペースを占拠して、彼の語りは続く。
「例えば戦争の勝敗や有無が変われば、数えるのも馬鹿らしくなるほどの人生が変わるよ。まず死ぬはずの人が死なない。その人たちが結婚すれば、未来には本来いるはずのない人たちが生まれるだろ」
これは分かる。うん、という声が横からも聞こえる。それを見て若旦那も頷く。
「死ぬはずの人が死なないということは、元の歴史の誰かと結婚する可能性もある」
「私の父さんや母さんが別の人になってるかもってことね」
そう、と言って彼は足を組んだ。着物のスリットから覗く少年の、脛毛一つ無い陶器のような足が覗く。この場にサチコと北先輩がいなくて良かった。いたら前のめりになっていたに違いない。
「次に壊れるはずのものが壊れない。戦争での被害が出た場所は、その後の復興で街並みが変わるものだけど、それがそのままになる。でもさっき言った人たちの分、どこかに家が増えることになる。こういった人の波による皺寄せが、変わらない要素を押し退けていくはずなんだ。それなのにその影響を受けないとなると、これは最早信憑性に欠ける」
ん? やっぱりそれってご都合主義って言うのでは。
しかし実際のところ、この国はそこまで劇的な様変わりは、していないとのことだった。サチコも西も間違い探しというくらいで、歴史が変わったにしては、あまりにも違いすぎるということに、今のところ直面していない。
「しかし現実には、こうして変わらない人たちがいる。前の世界が有るから、なるべくそっちを元にして現実の、というか改変された時点から未来への擦り合わせが起きたからなのか。空想未来科学小説なんかでは、歴史の修正力というものがある。歴史を変えようとして過去を変えても、似たような出来事がすぐに起きるってことなんだけど、これが不可逆性の現れでね」
この世界だとSFってそういう言い方になってるのか。スペースとサイエンスとファンタジーとフィクションの組み合わせで、よくもまああれだけ多岐に渡ったものだと、今更ながらに感心する。
「私たちの記憶の保持は歴史の修正力だっていうの?」
「そう。そしてそれはやがて一つの大きなうねりとなって弧を描き、改竄された歴史に対して、揺り戻しを起こすはずだよ!」
「まるで選ばれた勇者みたいだ。話が大袈裟すぎる」
何だか頭が痛くなってきた。しかしこの仮定を積み木のように積み上げる話し合いの末、見えてきたような気がしないでもないことがある。
どうして記憶がそのままなのか。
それは、歴史が改変されたことによって発生した、歴史の修正力のせい。
それは、個々人への歴史改変の適用が、失敗するという不具合の発生。
「ていうことでいいんですかね」
尋ねてみれば若旦那はとても嬉しそうに頷いた。隣で西も同様なところを見るに、僕の答えが一番遅かったようだ。微妙に悔しい。
「そう。歴史改変が不完全となった今、これから君たちは歴史を元に戻すべく、君たちだけの大事件に巻き込まれたりするはずだよ!」
なんでこんなに嬉しそうなんだろう。というかこの子はどこまで本気なんだろう。一応確かめておいたほうがいいだろうか。
「あの、つかぬことをお伺いしますが」
「何?」
少し興奮が落ち着いて来たのか。彼は袖の中から安っぽい白タオルを出して、額に浮かんだ汗を拭う。そしてまたそれを袖に仕舞う。まだまだ何か入ってそうだ。
「どこまで本気ですか。それと、本当は前の世界の記憶とか、持ってたり……しません?」
「悪いけど持ってないよ。だから君たちの言うことは話半分か、創作として受け取って真に受けきらずに、でも出来る限り真面目に考えて喋ったつもり」
この人性質悪いな!
「え、じゃあ私たちのことを信じて、協力してくれた訳じゃない、の?」
「いや。ボクは面白そうだなと思って乗っかっただけだし」
自説の異世界転移論に対して、別の論を持ち出された上にそれを否定も出来ず、話したいだけ話して、熱が引いたらそれまでという身勝手さに、彼女は些か動揺していた。
表に出してないけど僕もしている。
「仮に君たちの言うことが本当だとしても、ボクに出来ることはないしね」
正直に答えられて、僕らの熱も急速に引いていった。外の風の音も聞こえるくらい意識が覚醒していく。冷めたともいう。
「臼居君。識者の話が聞けただけでも、よしとしましょう」
「そうだね、本来の目的に戻ろうか」
二人して席を立ってその辺の本棚の物色に移る。
「あ、もういいの? あ! ボクがどうして日ちゃんが調べ物に来たのが分かったのか、知りたい?」
「いえ、特には」
用が済んだので突き放したら、恭介は途端にしょんぼりし始めた。そりゃ困ってる相手に対して、そんな善意はありませんなんて、明け透けな態度を告白したらそうなるよ。
「で、何を探せばいいの」
「何でも。私漫画ってあんまり読まないから、違いが分からないの。だから本を調べるにしても、作者の名前やタイトルくらいで。臼居くんは男子だからそういうの良く読むでしょ」
偏見だ。でもサチコの影響でそこそこ読んでる自負はある。たぶん魔物の中で、僕よりも人間の娯楽に理解があるのは、バスキーさんとパンドラくらいだろう。
「人間の記憶がそうなら、記録だってどこかに残ってるかも知れないって思って。漫画や小説だって作者の創作の記録って言えると思うの」
「分かった。それじゃあ探してみよう」
そこからは分かれて、別々のコーナーを調べてみることにした。若旦那はお役ご免を覚ってか再び奥へと引っ込んだ。背中が小っちゃっかったなあ。
さて、周りからの視線が途切れた今のうちに、工作を済まさないといけない。僕は鞄の中に忍ばせておいた赤本を確認した。
この赤本を渡して、目処とか達成感とかを与えて、彼女の探検に節目を迎えさせるのが、この作戦の目的なんだ。まあ彼女から誘われた僕が、一番渡し易いかと思いきや、そんなことはなかったんだけど。
この世界の本屋には、正確には殆どの商品には、機械で読み取るラベルが貼られている!
こんなことならやはりサチコ経由で南さんに渡して、西と彼女らの接触時に、そのことに触れてもらって『西の考え自体は正しかった』という安全策を採ったほうが良かった。
「……ないなあ」
棚を挟んで向こう側から声が聞こえてくる。どうする。どうやってこの本を西に渡す。散々考えた案だけど肝心の渡す方法を考えていなかった。どうする! ミトラス!
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




