・古本屋のシンボルエンカウント
・古本屋のシンボルエンカウント
『焚書堂』は個人経営の古本屋さんである。店の中は薄暗く、外の明かりもあまり入ってこない。本が日に焼けるのを防ぐためだろう。古本なんだし、あまり気にしても仕方ないとは思うけど。
それはさておき、僕は店の玄関先で立ち止まっていた。西がずっと立ち竦んでいたからだ。
彼女はこれ以上進みたくないという意思を、頭の天辺から爪先までの、体全部で表現していた。棒のような体が硬直して石柱のようだ。
店内は本棚に圧迫されて狭苦しいものの、特に警戒心を煽るようなものはない。となれば先刻の言葉通り、変な店主とやらを意識していることになる。
じっとしてないで、さっさと他の客に紛れでもしたらいいのに。いないか。
「おや日ちゃん。久しぶり」
「あ、う、お、お久しぶりです……」
まだ声変わりを起こしていない音の主を認めて、西は一瞬だけぎくりと体を震わせた。
店の奥のレジが置いてある席から、更にその奥。そこからすっと姿を現したのは、僕と同じくらいの背をした少年だった。サチコのように腰まで伸びた長い髪、時代錯誤な若竹色の着流しから、覗く肌は白い。
そして柔和そうな人相は、男の僕からしても一目で美形と分かる。西よりも女の子に見える。
でもその狐目はいただけないな。本場の狐の魔物でもそんな目は滅多にしないのに、ごく自然なその線目は自分が曲者であると、白状しているようなものだ。
あれ? でもそれだとさっきの大人の声はいったい。
「今日は友だちを連れてきたんだね」
「はい。そうです」
敬語だ。彼女より年上なのかな。一応挨拶はしておこう。そのほうが印象に残らないからね。当たり障りのない人間関係でいないと、色々面倒に繋がりかねない。
「臼居っていいます」
「ボクは恭介。この古本屋の若旦那ってとこかな。あ、苗字は表札を見てね」
僕がお辞儀をすると彼は恭介と名乗った。どうして名前だけ言ったんだろう。胸を反らせて店主を自称する態度は、しかし尊大というほどでもなく、むしろ愛嬌がある。狐目だけど猫科を思わせる。本当は猫耳がある僕よりも、ずっとそれっぽい。
「調べ物かい。ごゆっくりどうぞ。でもできるなら買っていってね」
「あ、はい、お邪魔します」
何処を見ているのか分からない、若旦那の視線。それを逃れるように、西は僕の手を握り、店の奥へと歩き出した。
一つの本棚の前まで来て、大きく息を吐く。
「あの子と何かあったの?」
「苦手なの。何ていうか、こっちの考えてることとか、何をやろうとしているかとか、全部見透かされてるみたいで」
洞察力に長けるということだろうか。西が相当分かり易い部類の人間であるだけで、本人ばかりが、それを自覚してないだけのような気がするけど。
「頭がいいんだ。じゃこっちの状況を教えて、色々と聞いてみたらいいのに」
「いやよ、それだと私が頭のおかしい人みたいじゃない。臼居くんがやってよ」
「嫌だよそれだと僕が頭のおかしい人みたいじゃないか」
どやあ。
自分の嫌な事を他人に押し付けようとすると、全く同じ理由で突っぱねられるということが、これでよーく分かっただろう。
しばしの沈黙。
「……そもそも、生まれるよりずっと大昔から歴史が変わってるなら、私たちがそれに気づけるはずがないのよ。にも関わらず私たちがいる。私たちがもしもの世界から来たってのが、一番辻褄が合うの」
気を取り直して彼女はこれまでのことを整理し始めた。まだ併行世界の持論を押すつもりのようだ。でもそれももっともな話ではある。
「情報伝達が上手く行ってないだけじゃないの? 人間関係が希薄な人なら、世の中の流れから取り残されて、そのままってこともあるかも知れないし」
西は首を振った。さっきまでのへっぴり腰は何処へ行ったのだろう。真剣な表情で語っていくその様子は、まるで別人みたいだ。
「大きな歴史っていうのは、例えるなら私たちという小さな升目ごと塗りつぶしている、背景の色のことなの。それが別の色に塗り直されても、私たちは自分が前は何色だったか、なんて分かる訳はないの。同じ色なのよ。元の歴史っていう前の状態があっても、私たちは外からそれを眺めでもしていない限り、分かりっこないの」
この辺は南さんの存在、正しくはずっと未来で時間の流れまで掌握するようになった、他の国が外から眺めることにより分かったことだ。でもそのことを西は知らない。
「じゃあ、どうすれば一部のマスだけ、丸々前のままなんていうムラが出るのさ」
南さんとサチコはともかく、それだと北さんとか東さんの説明がつかなくなる。
「だからそれは……」
「塗る、というより貼るって感じだからじゃないかな。彫るでもいいけど」
声のほうを振り向けばそこには恭介こと若旦那くんの姿。何時の間に。
「図書館じゃないからいいけど、ちょっと声大きいよ」
「あ、すいません」
「で、話の続きだけどね」
興味津々といったふうに恭介は話の乗ってきた。西はもう隠しようも無くSF好きみたいだけど、出処はたぶんこの子なんだろうな。
「歴史の塗り潰しがあったとして、升目の一つ一つは個人個人な訳でしょ。歴史っていう背景色が前提にあって、その上の升はその人ごとの色へと変わっていくんだ。人となりって奴だね」
なるほど。言われて見ればそんなような気もする。下地の上に生きている以上それはそうなる。
「歴史が変わるのは、この前提が変わるってことだけど、それにも関わらず、升の色が代わらない場合は幾つか考えられる。日ちゃんが言うように別の世界から来た。或いは元の世界から来た場合、これが一つ目」
人差し指を立てる少年若旦那。段々声が大きく早口になっていく。僕たち異世界組はこれに該当する。
「塗り替え中に不在だったから難を逃れたんですね」
「そう! そして二つ目が、あれ誰も何も変わらないという説。言い換えると歴史がどうであれ、人生がどうなるのか決まっている場合さ」
次いで中指を立てる少年若旦那。西の顔がちょっと暗くなる。これは前に公園で彼女が言っていたケースだ。
「運命って奴かな。誰が何をどうしたところでそうなるっていうの。それこそ歴史が変わっても、この人はこうだっていう設定が、貼り付けられてるみたいにね」
ああ、西が前に気にしていた『自分』が決まっているというのは、こういうことだろうな。彼女は自分の存在の根拠が気になっているのだ。
「でもそれだと塗り替えた後に、新しい設定が貼り直されないと、その、おかしいですよね」
「そうだけどこうも考えられる。世界や歴史がどうなっても、その人は決して変わらないんだってこと。その升は前提がどうあれ、必ず同じ色に染まる。指定というか固定というか、とにかく自分は自分のままってことだよ。ご都合主義にも見えるけど、実際は記憶と現実の不整合なんかが起きて大変だろうね。良いか悪いかは変わった世界次第だね」
ちょっとハラハラする。顔を上げ直して若旦那を見つめる西の表情から暗さが薄れているからだ。言うなればこれは『個人に貼られる設定という名のシールが自分』ではなく貼られるほう、つまり自分はどこでも『自分』だということになる。
少なくとも西はそっちのほうが良いみたいだ。お願いだ美少年。このままポジティブな意見を出し続けてくれ。
「で、三つ目! 今言ったことを踏まえて考えると、踏まえずともいいけど踏まえると、説得力が出るような気がする」
「いいから言って!」
焦れたように西が声を上げる。ここまで来ると僕も続きが気になる。若旦那わざとらしく軽く咳払いをすると、人差し指と中指と薬指を立てた。
「こほん。これはまあとても単純な話なんだけど、塗り直しが上手くいかなかった場合」
『?』
僕と西は狐に摘まれたような気持ちで、頭に疑問符を浮かべた。顔を見合わせたお互いの表情から、それがよく分かる。よく分かってないことがよく分かる。
「要するにそこだけ失敗しているってことなんだ」
「え、なにそれ」
「偶然そうなったってこと?」
そんな馬鹿な。文字通り世界が変わるような事態なのに『この人たちは上手くいきませんでした』ってこと?
「ご都合主義ません?」
「ご都合主義ません」
自分でも怪しい日本語を、オウム返しされてはぐうの音も出ない。
「規模が大きくなり、作業が複雑になれば、しくじりは増える。むしろ完璧に、綺麗に、皆一編に変わるなんてことのほうが、おかしいと僕は思うね」
「けど、なんでそんな失敗が起きるのかしら」
僕が口を噤んだ後に西が質問をする。そうだ何でだ。
不意に恭介の目が開かれた。好奇心や知性でピッカピカに輝く黒目。人間の中でも特に厄介な人種の証だ。
「だって人間の歴史だよ。相手有りきのものさ。それがずっと続いているんだ。歴史っていうのは人そのものなんだ。後から変えようとしたって変わりようのない、取り返しの付かない、替えが利かない人がいたって全然おかしくないよ。そういう人たちは元の歴史では、大勢の人や物との深い関わりが、あったんじゃないかな。どうやっても今の歴史に塗り替えると、存在はしても性格や生い立ちの辻褄が合わなくなる人たちには、塗り直しの力が及ばなかったに違いない、とボクは思うんだ」
『………………………………』
「あ、アレ…テ?」
なんだろう、こういうことに疎い僕たちは、この謎の若旦那の言に圧倒されて何も言えなくなってた。
「あ、いや、今のはあくまでも一意見であって、まだまだ君たちの創造の余地はあってね!」
「とりあえず、今言われたこと、書いとこうか」
「そうだね」
横で急に慌て始めた恭介を放置しつつ、僕らはこの考察をノートに留めることにした。この反応は恐らく素だ。西が彼を苦手とする理由が、なんとなく分かったような気がした。
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文章と行間を修正しました。




