・聖夜跨ぎ 後編
今回長いです。
・聖夜跨ぎ 後編
コンビニで飲み物と菓子類、使い捨てカイロと後はブルーシートを買って、俺たちはスクラップ工場の作業場へと引き返した。
例の客こと逃亡中の殺人犯は、シートは受け取らなかった。余程喉が渇いていたのか、あっさりと500mlのペットボトルを空にした。
それにしてもまさか本当にいるとはな。ミトラスに送還術の応用で、条件付けした相手の傍に送り込めないか聞いてみたが、流石は魔王子。思いついたことは大体できるな。
なお送還術とは、異世界から誰かしら誘拐する召還術という犯罪術に対する、平和的な解決手段の一つであり、異世界に人々を送り込むための、レジャー用の魔法(群魔開発)でもある。
「じゃ、話を聞こうか」
「え」
「聞いて欲しいことがあんだろ」
話していかないか、と言われても俺から話すことなどない。あくまで向こうから何かあれば、それを聞くというだけのこと。
今日までの関わりで、個人的に俺のことを知りたいとは思わないだろう。
で、あるならば、自ずと答えは限られる。自分のことを誰かに話したくなったとか、或いは目撃者の口封じをしたいとかだ。後者はたぶんない。
「ああ、そう、そうですね」
男は項垂れて沈黙した。
敷地内には光源が無く、星月夜だけが唯一なの灯りだが、それでさえお互いの顔は分からない。
「俺から聞くよ。それであんたが答える。繰り返していって、終わったら終わりだ。俺は帰るし、通報もしない。それでいいかい」
「……いえ、話が終わったら、いっそ呼んでもらってもいいです」
「そうか。わかった」
聞く、か。何を聞けばいいのやら。
こういうときは、内心を整理させるのが良いと聞くけど、事件の日からはゆうに、一週間以上が経過している。内心での整理なんか、とっくに出来ていても、おかしくない。
なら何が。いや、違うな。そうだな。
こういうのって、そういう問題じゃないな。
文章が出来ているなら印刷したいものだし、入力が終わっているなら出力したいよな。
「そうだな。先ず、なんで大家と揉めたんだ」
「それ嘘です」
「……そうか」
「驚かないんですか」
「流石に無理があったからな」
本当はかなり最初のほうで知ってたんだけど。
「喫茶店で警察から逃げたのはなんでだ」
「それは」
「やっぱ何かの犯人なのか。詐欺か、盗みか。または引ったくりか」
白々しいやり取りだとは思ったが、そんなことはどうでもいい。淡々と、聞いて、答える。
それだけの繰り返しが、何かの意味を持つのではないかと、問いかけというならそれこそが。意味ならその問い以外には。
「それは」
「答えたくないならいい。何処から来た」
「鴨宮」
「家族はいんのか」
「家族なのかな」
「聞き方が悪かった。同じ家には誰がいた」
「三人、父親、母親、兄」
「それはどうしてる」
「死んだ」
間。鼻で息を大きく吸ってから吐いて、ペットボトルのお茶を空けて、一口だけ飲む。まだ温かいお茶の熱が、舌に広がる酸味を押し戻す。
質問をしようとするが言葉にならない。急に強張った口は、二、三度声を出せないまま動いた。
「殺したのか」
震えと上ずりを抑えて聞くも、返事はない。
顔を見ても闇で真っ黒だ。
地獄に通じていそうでもあり、汚泥が吹き出して来そうでもある。
「……どうして死んだ」
「父親は、いつもお酒を飲んでいて、単に知能が低いだけのアルコール中毒って感じの人だった。部屋にはいつも、酒瓶が転がっていて、偉そうにしてたけど、何もしてくれなくて、恩着せがましくて、でも家のことや家族の悩みのこと、自分の落ち度からは、いつも逃げ回ってた。友達なんていう集り乞食みたいな人に囲まれて、いい気になってて、そのせいでいつもお金がなかった」
男が話し始めた。後はこれを聞くだけでいい。
しかし。
「僕のことも、兄のことも、母のことも、何か粋がって喋るときは、いつもお酒が回ってて、自分の言ったことは何も覚えてなくて、それを言うと、怒って手を上げる。共働きだったけど、本人は家のことなんて、全然しなくて、母親が過労で二回倒れたときも、全然役に立たなかった。病室でまで自分の妻をなじる姿は本当に恥ずかしかった」
「そうか」
またお茶を一口飲む。中身が減る毎に、冷えるのが早くなっていく。分かっていたことだが、苦しいな。
「兄が気を病んでからは、お酒の量を増やした。体を壊せば、周りが優しくしてくれると思った、なんて言われた日は、怒っていいのか笑っていいのか、分からなかった」
「死んだ日のことは」
「母親が体を壊して、病院に通わなくちゃ、いけなくなったとき、兄の精神科に変わりに行って、話を聞いてくれと言われたんだ。父親がね。そうしたら急にキレ出して、猛然と言い訳した挙句に、最後に嫌だって言ったんだ。自分の子どものことなのに」
目の前の影が小刻みに、落ち着かなげに揺れる。
早まっては抑えられる話し方に、苛立ちと憎しみが染み出すような、それと引き換えに輪郭が萎んでいくような、奇妙な錯覚を覚える。
「あんまりだって思ったから、言ったんだ。頼むから行ってやってくれって。父親だろって。自分が医者にかかる訳じゃ、ないんだからって」
「そうしたら」
「自分が悪く言われるに決まってるから嫌だって。間違ってるのが指摘されるのが嫌だって。それを直すのが家族のためだろって言ったら、こんな家放り出したいって、酒煽ってるだけのくせして、自分のことを悪く言うって。他の人に迷惑かけたら人生おしまいなんだって、身内にしたら何してもいいし、簡単に偉くなれると思ったのにって」
「それで」
「お前最初から父親なんてやる気なかったんだなって言ったら、そうだよって。最後には自分が悪いのに、他の家族全員がグルになって、自分を追い詰めてるとか言い出して、お前らは母親の子で自分の子じゃないなんて言い出して、もう我慢できなくなって」
「どうした」
「転がってる酒瓶が全部割れるまで殴った」
お茶を飲む。だいぶ冷めたように思う。
「母親は」
「仕事人間。一挙手一投足が、人の神経を逆撫でする人で、働き者の自分が大好きだった。だから仕事が楽になるようにするのを嫌がったし、その割に家のことは大嫌いだった。家事と育児と仕事を遅らせるため、それぞれを言い訳にする人だった」
「そうか」
風が止んで気温が下がり出す。寒さに身を切るような冷たさが、肌に伝わり始める。
「国籍こそ日本だけど中身は大陸出の偽者で、絶対に人に謝らないんだ。相手も見ずによく分からない正しさをずっと押し付けてきて、嫌がられてもそれを相手のせいにする。それどころか構わず調子に乗るけど、自分が言われると直ぐに逃げる。自分の不利益を信じないのは、父親とそっくりだった」
「そうか」
「兄が僕に手を上げて、お金を取ったときも、家の物を壊したときも、目を背けてた。それが本当のことだと分かったときも、謝らなかったし、結局どうもしなかった。自分の不安から兄のためだって、医者に行くようになって、人を頼らないけど人を支配したいような人で、誰もいないのに世間を味方にした気になって人を責めてた。人に謝るときは肩を怒らせてね、本当に屈辱的だって顔してた」
「どうして死んだ」
「父親が死んでいるところに帰ってきて、責められるのか庇われるのか、どっちだろうって思った。もしこれで怖がって、少しくらい言うことを聞いてくれるようになったら、改心してくれるかなって。でもあの人言ったんだ」
「なんて」
「もっと早くに殺してくれてたら、私は人生やり直せたんだって。なんてことをしてくれたんだって。私の人生帰せって。この人の人生には、僕たちは誰もいなかったんだなって思ったら」
お茶を飲む。一本目が空になる。影の輪郭が崩れ、夜と同化したように感じられる。
声が正面から聞こえているのか、後ろから聞こえているのか、分からなくなってくる。
「ずっと殴ってた。動かなくなってもずっと」
「そうか。兄ってのは」
「クズ」
くすりと、夜が嗤う。空気が張り詰める。頬に刺すような冷気と共に、濡れた雪が降り始めた。
空が雲で埋め尽くされていく。
星と月の光が失われていく。
「両親を見て育ったからかな。ずっと誰かに偉そうにしたがって。その癖努力が嫌いでね、頑張って人よりも上に行こうとは思わない人で、手近なところで自分より下だと思った人を探す奴だった。何処にでもいるでしょ、そういう人」
「いるな」
「僕より頭が良くてね、器用で、絵も上手くて、やればだいたいのことは出来た。でも性格かな、人に負けるのが嫌いだから競争はしない、初対面には挙動不審なのに、のけ者の集まりに自分から入って、指導者気取りになってた」
菓子の袋に手を伸ばしかけて止める。
食欲が出ない。
長時間こいつから目を離してはいけないと、第六巻が告げている。
「でもね、そんなことしてるから、段々色んなものに付いていけなくなって、落ち零れていって、そんな自分を受け容れられなくて、知り合いにも友だちでいてやってるなんて言ってたら、相手も同じことを考えてたらしくてね、直ぐに絶交して一人になった。本当に馬鹿でしょ」
「そうだな」
「それで不良にも目を付けられて、お金を全部取られちゃって、もう払える物がないから、僕のお金もゲームも、何から何まで手を付けて勝手に渡してさ、そのとき初めて僕は反抗して親にこのことを訴えたんだ。でも母親は余計なことをしたって嫌がって、父親は兄を罰したけど、相手のところには行かずで、僕の手元には何も帰って来なかった」
彼は大きく息を吸って、吐いた。まだそこにいるらしい。静かに積もっていく雪が、目の前の男を封じ込めようと、輪郭を定めようとする。
「それから兄は僕をずっと逆恨みするようになって、大学受験は頑張って難しいとこ受かったけど、勉強に付いていけなくって、その年で不登校から退学して、自分の現状を受け容れられないでいたら不安神経症になって。精神科でもないのに、ふらっとかかった医者に小遣い稼ぎに抗精神薬を処方されてね、薬漬けにされた挙句廃人になった。もう何年も前の規制前のことなのに、診断を貰えたのは最近だった」
「どうして死んだ」
「薬を食事にありったけ盛った。飲み物にも、汁物にも、米にもおかずにも、砕いて粉にしたものを溶かし込んだ。家にいるときは引きこもってて、食事の時間だけ、叫んだり暴れたりして、人を呼びつけるんだ。まさかとは思ったけど一番簡単に死んだ。自分の状態を改善したくないからってさ、精神科から貰った薬は飲まないのに、何処で買って来たのか、変な薬ばかり飲んでたから、それもあったんだと思う」
話せば話すほど、彼の疲れや背負っていた苦しみが軽くなっていくようで、少しずつ、声の調子が明るくなっていく。反面、存在感が薄くなっていく。
「そんな家、逃げようとは思わなかったのか」
夜が人の形に戻ってくる。これは残響なのかも知れない。
「この体だったし、僕には無理だって、何年も言われ続けてたし、実際に断られることも、多かったから。でもね、それだけじゃないんだ」
「そうだろうな」
「いつか自分の家族が、ちゃんとした人間になって、普通の家族になれたらって期待してたんだ。ずっとそのために、家族に気を遣って、彼らの言うことを守りながら、彼らの真似をして、仲を取り持とうとしたこともあった。行動を観察して、いい方向へ誘導しようと頑張ったこともあった。本当は無理だって分かってたけど、信じてた」
人間はどうせ駄目だと思うと、理想が観念的になるとは、誰の言葉だったか。
どうせ駄目だと知りつつも、子どもが思い描いた理想郷は。
「お前は何が欲しかったんだ」
ほんの僅かな時間、雲に切れ目が出来る。差し込んだ光が、乾いて罅割れた目を照らし出す。
男は自らの息の根を止めるように、言った。
「幸せな家庭」
それからしばらく、俺たちは無言のまま、その場に居続けた。そうして何度目か、肩と頭に積もった雪を叩き落としたときだ。男が再び口を開いた。
「今になって思い出すんだ。父親は、よく格好を付けてクラシックを聞きたがったな、とか、母親はよく旅行に行きたがってな、とか、兄はレースゲームが上手かったな、とか」
寒さで体が振るえているが、彼はやはり指し出されたシートもカイロも受け取らなかった。
吹き付ける風と、降り積もる雪だけが、男を包もうとしている。
「思い出もあったなって。でも、それ以上は出て来なかった。もう二度と作れないんだって、後悔しようとしたこともあったけど、もうずっと前から、オレたちには」
声が震え、鼻を啜る音がした。
「オレ、ずっといい子にしてたのにな」
そこで言葉は途切れた。
……帰ろう。俺にできることはもう無い。
「帰るよ。いいかな」
「ああ、うん。ごめんね、引きとめて、えっと」
「祥子だ。俺は祥子だ。あんたは」
「え、あ、坂田、坂田○○」
「さよなら、坂田さん」
「うん、さよなら、サチコさん。ありがとう……」
そう言って、俺たちは別れた。今日と明日は、街の灯りが尽きることは、ないだろう。遠くに見える光を目指して歩き出すと、更に風が勢いを増す。
いったい今は何時なのだろう。
早く帰らないとと思うのに、足が思うようには動かない。前に進めば進むほど、風は俺の後ろへと、まるで何かに殺到するかのように、流れ込んでいく。
絶えることなく、スクラップ工場の中へと潜り込んで行く。あれは風の音だろうか。
不意に、人間の叫び声にも似た音が、聞こえたような気がした。
振り返って鉄扉の隙間を見ていたが、とうとう誰も出て来ることはなかった。それから駅へ向かい、俺は日付が25日になったことを知った。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




