・ねたきりさちこ
・ねたきりさちこ
「うーんうーんくるしいよう。うーんうーんくるしいよう」
「大丈夫サチコ。ほらカルス粥」
学園祭翌日。俺は毒キノコの毒で苦しんでいた。
床に臥せって身動きもままならない。じっとしているのに、視界が定まらず平衡感覚も狂っている。
「ありがとうミトラス」
熱は引かないし下痢も吐き気も凄い。脱水しないように水を飲んだ先から吐くか出すという有様で、それぞれ二桁繰り返し、やっと落ち着いてきたところだ。
「カルスが食えるようになってて本当に助かった」
「効果を自分で確かめることになったね」
どうして俺がこんなことになったのかっていうと、どうやら先日食ったうどんのキノコが、件の毒キノコだったらしい。
食べた時点では鉄の胃袋によって、食中毒にはならなかったのに。
そう。『食中毒』にはならないが、それと中毒を起こさないのとは、話が違ったのである。
毒キノコを経口摂取して、胃と腸で吸収される際には中らないのだが、血となり肉となった際に、有毒性分が含まれていると、そこから症状が出るのである。
中るというかもう中毒状態。
ただの時間差攻撃。
消化器官というフィルターを素通りして、直撃している。完全に吸収されている。キマッている。
もしかしたらこれは、死ぬほどの毒だったのでは。
俺がミトラスに死なない呪いをかけてもらっていなければお陀仏だったのでは。
南と先輩は何ともなかったということは、俺が食った分だけ加熱が甘かったのか、それとも加熱しても意味がない類のものだったのか。何にせよ他に犠牲者が出なかったのは、不幸中の幸いだ。
「夜になったらまた血を吸って上げるから、それまで堪えて」
「あ、うん。夜、夜?」
いかん、時間が分からん。概念が薄まっている。
ともかくこの状態から一刻も早く回復しなければ。
しんどいとかいう次元ではない。便意が無いのに、腹の中から下半身の出す穴全部痛い。ズキズキする。大小に血便は見られないが異臭がする。
何ていうか高温多湿の中で薬品が揮発したような。
ようなじゃないなそのものだ。
「ほら、お粥、もう一口」
「う、うん」
本能的な閃きから俺は力尽きる前に、月の頭に強化できるようになった、カルスを使った。そしてそれを食った。形振り構わず口の中に出来る限り突っ込み、吐いた。
恐らく解毒とか殺菌とかの効果もあったんだろう。出せるだけ出したそれをミトラスに託した結果、彼はそれを煮込んでお粥にした。
更に彼は俺の首筋に噛み付くと、吸血鬼のように血を吸い出した。こんな状態だから、更に出血するのは不味いのだが、死なない前提もありいっそ毒の回っている分を捨て、新しく出来た血で薄めて行こうという判断のようだ。
自分が人間ではない存在に、片足突っ込んでる気がして来た。いや、もう片足どころか、全身丸呑みっていうか、これでまだ外見が、人間保ってるほうがおかしいっていうか。
「ごめんサチコ、僕が完全にアレを処分していれば」
「いやいい。気にするな。最終的に俺で止められて、良かったんだ」
ちくしょうちくしょう。何だってそこそこ感動的に終わった学園際の後日に、こんな目に遭わなければならないのか。
ていうか一日の終わりまでキノコ持ってぐずぐずしてた男も男なら、そのキノコを受け取って使う生徒も生徒だ。ちくしょう絶対お礼参りしてやる。
「しかしあのクラスに、毒キノコを持ち込んだ奴と、うどんにそれをぶち込んだ奴らも、絶対に許さんぞ。元気になったら絶対報復してやる」
「うん、うん、そうだね」
止めろミトラス。そんな回復の見込みのない患者のうわ言を聞いてあげる、看護婦さんみたいな対応は、止めてくれ、今の俺には心臓に悪い。
「お粥はもういい? そう、お水は? ゆっくり飲もうね」
ミトラスが水の入った吸い飲みを、口に付けてくれたので、何とか上体を起こして飲む。体が言うことを聞かない。
首筋や太股といった血管が集中しているところが、ヒリヒリする。手足の指先が痺れる。
いかんともし難いのが胸の苦しみだ。全力で体を動かした際の酸欠ではない、心臓が動かないから息が出来なくて陥る酸欠。
心臓の脈動が弱弱しいから苦しい。全身が停止へと向かっている感覚。
眠りから覚めて体が動かす感触の逆再生。うーん、死に体。
「ミトラス、俺変な臭いしてない」
「してないしてない、汗の臭いしかしないよ」
「なんか口の中が妙にいがらっぽいんだけど」
「あーんして、うん、喉も赤くないよ」
「目がゴロゴロしてるんだけど目やに溜まってない」
「溜まってないよ、さっき顔拭いたばかりじゃない」
いかん。弱気になっている。気が弱っている。英語で言うとI weaken.
「大丈夫かなあ。お前に伝染ったりしないかなあ」
「だからこれは中毒であって風邪じゃないんってば。何回目だよそれ」
でもほらキノコって菌類だし胞子だすだろ。中毒起こしてる人間から、毒素が空気感染起こしたりしないものかな。
死体から病原菌が飛ぶことだってあるんだから中毒患者の汗や呼気から毒素が検出されても不思議はないと思うんだよな。
アルコールだって呼気から検出できるんだし。
「すまんミトラス、吐く。背中擦ってくれ。何とかトイレまで行く」
「いいからここでゲーしちゃいな。洗面器あるから」
「やだ、それだけは断る」
大切な人には裸を見せてもゲロは見せない。そういう意地が人生には必要であり、その意地を何時張るのかと聞かれたら、今がそのときだ。
拳に力を入れる。
痛覚と衝撃で不調を上書きして動かす。
腹は、駄目だ。顔、加減が今は難しい。足、これから使うんだ馬鹿野郎!
いかん、行動力を得るための自傷が行えない。そうこうしているうちにも、早くも吐瀉物が胸の奥からせり上がってくるのを、あ。
「っ」
「サチコ? 大丈夫、サチコ!? うっ」
――ミトラス。俺は今、超能力のテレパシーを使いお前に語りかけている。俺をトイレまで連れて行ってくれ。頼む。俺はもう両手で自分の口と鼻を塞ぐので精一杯だ。
「わ、分かったよ、もう」
――ありがとう、ごめんよミトラス。
最早手足を動かせず念じる以外の行動が、不可能になりつつある俺は、何とか頑張って、ミトラスの心に語りかけた。
逆流した胃液が鼻の穴の片方を焼く。痛い。
昨日の鼻血の傷が、まだ癒えていないので、とてもいたい。人間の胃酸は強力だというが、そんなもので自分の鼻粘膜を、焼かれては堪らない。
体が揺れ動く。ミトラスが俺を担いで移動を開始したらしい。ここで終わったら、こいつにもぶちまけてしまう。
それだけは舌を噛み切ってでも避けなければ。
――最悪の便器に顔を突っ込んでくれて構わん。
「君が構わなくても僕が構うよそんなの! ゲロしても洗えばいいけど、便器に頭突っ込んだことのある君とはチューしたくないよ!」
ミトラスが悲鳴にも似た批難の声を上げる。確かにそうだ。人によってはこれを薄情と思う頭のおかしい奴がいるかも知れないが、俺がミトラスの立場だったら同じく嫌だ。
人間誰しも無償の愛を求めがちだが、その実『愛されてもいい自分』というものを疎かにしがちである。
流石に便器に頭突っ込んで、ゲロ吐いた俺だって、愛してくれなんて、如何に相手がミトラスだろうと、いやむしろミトラスだからこそ、そんな悍ましいこと言わない。言えない。
お互いに愛し合えるラインを維持するというのが、大事なんだな。
ああ、これが文化の神髄なんだな。
「もうじきおトイレだから、それまで頑張って」
――うん。
しかしこうしてこいつに必死に看病してもらえるとなれば、この中毒症状も悪いもんじゃないのかも知れない。何せ体が強まってから、異世界にいたときみたいに、貧弱な体だった頃のように、頻繁に風邪引いたり体調崩したり、しないからな。
ミトラスはストレスで疲れることはあっても病気になんかならないし。
「着いた! サチコ、ほら、便器!」
――ありがとうよ、ミトラス。お前は下がるんだ。危ないぞ。
「大丈夫だから、気にしないで!」
――頼む、一人にしてくれ。もう限界だ。
「ぐっ、終わったら呼んでね、洗面所まで連れてってあげるから」
ミトラスが悔しそうに言って離れていく。涙で曇った目の前には、よく見慣れた便座があった。どうやらここまでのようだ。鼻水で塞がった鼻の穴で、呼吸をするのもそろそろ限界だ。
――ああ、ありが、うぐ。
「サチコ!?」
「う、おええええええええええええええええええええええ!!」
「さ、サチウスウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!!」
結局俺の体調が回復したのは、深夜二時を回った頃である、そうして苦痛の余韻から眠れずにいたまま、夜空が白み、月曜日の朝になってしまった。
人の命を救った代償はあまりにも大きかったが、得られるものも、あったはず。そう自分に言い聞かせたかったが、上る朝日は朧げで、むしろ『そこまでする必要あった?』と問いかけてくるかのようであった。
ああそうだ。無断でバイトを休んだことを、海さんに謝らないとな。
誰かの命がどうなったところで、俺が登校したり、働いたりすることに、変わりはないのだから。
キレイなままでは終われない日常が、今日もまた俺を待っている。
<了>
この章はこれにて終了となります。ここまで読んで下さった方々、
本当にありがとうございました。嬉しいです。
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