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出戻りサチコのやり過ごし  作者: 泉とも
バイトヘル20XX編
23/518

・蟻地獄

・蟻地獄


 あれから早一週間。特に何事も無く時間は過ぎていった。俺たちもまた、平和な時間を謳歌していた。場所は自宅で、時間は夜。


 家の庭に出て、その辺に落ちている石を拾って投げる。木に当たって落ちる。また石を拾っては投げる。木に当たって落ちる。


 距離は五メートル程度なのだが、かれこれ三十回程投げて一度も外れない。一般的な女子高生なら二十回くらい外している。


「結構有用な特技だったなこの『投擲強化』。なんかまた体も強くなったし」


『投擲強化』:より強く、早く、遠く、正確に物を投げられるようになります。


 ※これ以降は肉体のタブにて体を強化してください。


「特技と言っても、要はそう呼べるくらいに、筋骨や神経を鍛えている、ということですからね」


「ということは、下手に他のパネルを取るよりも、特技で鍛えたほうがお得だな」


 しかしながら不思議なのは、特技のタブにあるパネルが、特技の成長点を使わないと、取得できない点だ。


 その特技が肉体を使うもの、頭を使うもの、魔法を使うものと分かれていても、それらの成長点を要求しないのだ。


「なんで特技なんだろう」


「これは推測ですけど、特定の技能が得られる程度に注力した、ということなのではないでしょうか。力を上げるだけでは、物を投げることが上手にはなりません。一つの要素を強化するだけでは、恐らく得られないであろう複雑さ、その訓練が特技とその成長点なのではないかと」


 他のタブの項目がステータスなら、特技は文字通りスキル枠ということか。そして特技を取得すれば、それだけの体になると。


 あれだ。トレーニングしても技を覚えるには修行に出なきゃいけないっていうやつ。いや、話の合間にポイントを消費して、技能を覚えるやつのほうだな。


「サプリで点数取ってるだけだから、本来なら一日一点ってのと、練習すればした分野の点がそれよりは多く入るってだけなんだよな。効率悪いな」


 こんなのを地道に毎日繰り返して職業人になるのか。うーん。ズルできて良かった!


「サプリが切れたらそれまでだから、成長点は大事に使ってね」


「なら効率良く点数を稼ぐ方法も考えないとな。他の成長点は粗方『○○ができる』ようにして終わっちまったし」


 勿体ない使い方をしたと今では反省。こういうのって、人によってかなり違ってくると思う。俺は全要素解放したい派だけど、中には必要な物だけとっていく人もいるし、趣味に走る人もいるだろう。まあ俺の体だけどな。


「基本方針は健康体を目指して、それが済んだら追々必要に応じて取るか」


「それだと魔法枠なんかは、ほとんどいらなくなると思うんだけど……あ、電話だよ」


「どうせ詐欺だろ。うちは人との繋がりが殆どないからな」


 パジャマ姿のミトラスに言われて家の中へと戻り、リビングの壁に掛かった固定電話へ手を伸ばす。


 電話会社の系列を名乗ってるくせにネットの回線料金がお安くなるから登録番号教えてとかホームページから申し込みしてくれという一度は摘発された詐欺まがいの電話だったら話を消費者センターに持って行ってやる。


 そんなことを考えながら受話器を取ると、意外にも聞こえてきたのは知った声。


『こんばんは。東です。こちら臼居さんのお宅でよろしいでしょうか』


「あ、こんばんは。海さん、あれからどうなりました。また何かありましたか」


 相手は喫茶『東雲』の看板娘であり、違う学校の先輩であり、先日いじめから解放されたはずの海さんであった。


 バイトに就くに当たり、確かに連絡先としてうちの番号を書いたけど、まさか知人からかかってくる日が来ようとは。


『う~ん、問題といえば問題なんだけど、ちょっと困ったことになってね、その、バイトのシフトのことなんだけど、土日以外も出られる日ってないかな』


 海さんが切り出してきたのは、この前とはまるで無縁そうな内容だった。もうすっかり日常といったふうな調子で、彼女は続けた。


「シフトの? ええはい。流石に辛いものがあるので月金以外でなら。誰か辞めたんで?」


『そうなの! それにお客さんも増えて、手が足りなくなっちゃって』


「そういうことなら喜んで。何曜に出ますか」

『そうねえ……』


 突然のことに驚きもしたが、どうやらこの間のことのような、剣呑な事態じゃなさそうだ。俺たちはその後細々とした打ち合わせをして、電話を切った。


「なんだって?」

「バイトのシフトが一日増えた」

「そっか。じゃあ、その日は僕が家事をするよ」

「悪い、頼む」


 うむ。すんなり話が済んで何よりだ。オチとしては弱いが平和が一番だしな。これで今回はめでたしめでたし。



 とはいかなかった。


「アイスコーヒーとクロワッサンのお客様―」

「はーい」

「ありがとうございましたーごゆっくりどうぞー」


 どっかで見た金髪と直毛がトレーを持って席へと歩いて行く。奴らは海さんをいじめていた人物だったが、今はそんなことを忘れさせられて、一介のお客になっていた。


『東雲』は変わっていた。どこがどう変わったかというと、この店は放課後に、学生がたむろするような雰囲気ではないので、その時間帯は客足もまばらだったのだが、今ではうざいことこの上ないくらいに、女子高生が詰めているのだ。


「お疲れ、もう休憩入っていいよ!」

「うっす。ありがとうございます」


 マスターからお許しを得て、休憩スペースである小テーブルへと移動する。そしてそこには、忙しなく携帯電話を弄る海さんの姿が。


 褐色の肌に短髪、健康的な肢体に平均的な身長。そんな彼女が目を細め、藪睨みのような視線を、液晶画面へと注いでいた。


「お疲れっす」

「あ、お疲れ様」


 こちらを見ずに何やらメールを打っている海さん。いったいどうしたというのか。


「これ、どうしたんすか」

「え、ああ、あれ」


 完全に上の空だったが、おかげで俺の質問に警戒するということもなかった。彼女は手元の操作がひと段落したのか、軽く溜息を吐いてから、こちらへと向き直った。


「ほら、先週南さんから借りたじゃない。あの棒」

「ああ、あのドルオタが持ってそうな」

「ドル? とにかくあの棒ね」


 海さんはどうもこっち方面の話に疎い。あまり反応は良くないし微妙に辛い。


「あれを使うと意識を吹き飛ばせて、その後のぼーっとしてるときに、こっちに都合のいいことを吹き込めるの。それで、今までの償いの意味も込めて、うちのお客さんってことにしたの」


 やることが案外えげつない。


「ということはこの店内にいる二十名近い連中は」

「そ、あの二人の携帯に入ってたアドレス、いじめグループのメンバー。全員呼び出してピカッてするの、大変だった」


 それが今やこの店の金蔓か。因果応報と思わなくもないけど、尊厳も何もあったものではない。


「随分思い切りましたね」


「もっといるのよ。学校中のいじめを相手に、これをピカピカさせてたら、うちに入り切れなくなっちゃって。まさかあんなにいるとは思わなくって」


「随分思い切りましたね」


 それはそうだろう。年齢が上がるにつれ、人数は増えるからな。一つの学校でいじめをする生徒は、体感的には三分の一から半分くらいだ。


 どう控えめに見積もっても、百人は下らない。店の諸々のキャパを越えるのも、無理からぬことである。


「今となっては嬉しい誤算なんだけどね。南さんも乗り気で協力してくれるし」


「まあ、治安も良くなるし、懐も温まりますからね」


「よりにもよって、うちのバイトの中にも内通者がいて、その子も辞めてもらったんだけど、そしたら人手が不足してしまったの」


 なるほどそういうことだったのか。ほくそ笑む南の顔が見えるようである。


「ごめんね臼居さん」

「別に俺に謝る筋合いはないっすよ」


 俺はジーンズのポケットに手を突っこんで、文庫本を取り出しながら言った。海さんは席を立つと以前のように、パンと珈琲をトレーに乗せて戻ってきた。


「うん、でも、あの日、臼居さんが一緒にいてくれて、私本当に嬉しかった。最初はいきなり何なのこの人って思ったけど、やっぱり怖かったし……」


 それはそうだろう。悪意のある人間や、そこから来る暴力に対して、向こうを張るのは怖いし疲れる。


 同じ場所に引きずり下ろすには、一に暴力二に暴力、三四が無くて五に大怪我をさせるしかない。


 今回は南のおかげで、非常に安全かつ、短期にことが治められたけど。こう考えると、あいつにお礼の一つもしないといけないか。嫌だなあ。


「臼居さんがいたから、南さんからアレを借りられた訳だし。本当に、助かった。ありがとう」


 ほっとしたように告げる彼女の表情は、不安から解放されて和らぎ、年齢相応の可愛らしい明るい笑顔だった。やってること自体は、やられてた分の反動もあるのか酷いけど。


「でも海さん、万一あいつらが記憶を取り戻して、同じように襲ってきたらどうするんですか。俺も二桁越えて人間と戦うのは、ちょっと」


 一抹の心配からそう尋ねてみた。たぶん無いとは思うが、もしものときの備えがあるか、確かめておきたかった。


「大丈夫! そのときはあの棒は十回でも二十回でも光らせて、脳みそ消し飛ばしちゃうから!」


 元気たっぷりにそういう彼女の笑顔は、太陽のように輝いていた。店のほうからは、女子たちの場所を弁えない、汚いモンキーボイスがここまで届いてくる。


「ほんと、思い切りますよね」


 それだけ告げて、俺は海さん手製の惣菜パンに手を伸ばした。いいや、俺には関係ないことだ。そういうことに、しておこう。


「海さん、あとでちょっと相談があるんすけど」

「あ、うん、いいよ! 何でも言って!」


 ちょっと小洒落た、小麦と珈琲の匂いが満ちた店内で、また一つフォーカスをぼかす案件が増えた。そのことに内心溜め息が溢れる。


 あまり考え過ぎても最早仕方がない。とりあえずはミトラスへの土産と、南へのお礼をとして、どういう珈琲を買うべきか、彼女に相談しよう。


 俺はそうしてお昼と、今聞いたことをやり過ごすことにしたのだった。

誤字脱字を修正しました。

文章と行間を修正しました。

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