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出戻りサチコのやり過ごし  作者: 泉とも
肝試し編2
226/518

・誰も知らない人が死ぬ

今回長いです。

・誰も知らない人が死ぬ



 落ち着け。

 こういうときこそ色んなことを思い出せ。


 走馬灯とは自分の人生という容器を引っくり返し、目の前の危機を乗り越える、何かを探すための無意識の足掻きだ。


 これを意識的にやれ。今どうするべきかが見えてくるはずだ。出来る限り現状を言語化し、問題を文章化して課題を明確にしろ。


 焦りと不安に飲み込まれず、逃げ出さないことを、打克つというんだ。よしやるぞ!


 俺の名前はサチコ。またはサチウス。名字を名乗るつもりはもうない。今年の九月で二十歳を迎える高校二年生。


 セーラー服美少女戦士の最年長が、確か大学一年生だったから、それを越えて芋ダッサイ制服を着ている俺はいったい。


「うおおおおっっ!」


 心の中の苦しみと、現実への悲しみや恐怖が、俺の足を前へと突き動かす!

 

 受け容れろ! 確かにこれはつらい! でも異世界での暮らしや、高校生活の中の部活動自体は、悪くなかっただろう!


 そうだ、プリティでキュアキュアなほうだって現役引退したお婆ちゃんが若返って一度だけ復帰したこともある。だから今年齢が現役高校生とズレていたって大したことではない!


 まあ、そもそも論だがこのつらさは主に外見年齢のキツさに起因するので、俺が美女とか美少女の類ならこんなのどうってこと無くて。


「づああああっっ!」


 お札とお経の輪から逃れようとする霊の推力に渾身の力で抗う。危ねえ! 危うく意識を持っていかれる所だった!


 集中しろ。俺の略歴を思い返すのは長いから、この場に限ったことにするんだ。


 先ず皆の状態だ。


 オカルト部部長のお経、いや呪文を唱えたら反応をしなくなってしまった。呪文を聞くのではなく復唱すると掛かる魔法だとは。


 霊に効くが人間にも効くのが厄介だ。ミトラスも警戒したまま押し黙ってしまった。


 次、目の前のこの臭い肉塊だ。霊というよりモンスターに近い。禍々しいけどスピリチュアルな感じはしない。


 側頭部の口みたいなものから、呻き声が聞こえる。


 幸いこれが移動して、頭から噛みついて来るようなことはない。たださっきから表面の色が青黒くなり、段々と大きく脈打つようになって酷く不気味だ。


 分かるのは苛立っていることと、少しは弱っているということだ。確証はないが表面のぬめりが乾き始めている。


 ここまでの行動は無駄ではなかった。それは気持ちが挫けないための、好材料だ。


 ――※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※。

『※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※』


「こっからどうする。考えろ」


 現状の問題点はこの霊が、ここから逃げようとしていること。また霊自身に異変が起こっており、予測が付かないこと。


 それに対して判断材料はお経と刀だ。


 四人の声、携帯電話で水増しして六人分。この不気味な合唱は霊に効果があること。


 また俺が刀を刺して踏ん張ってるから、霊は身動きが取れない。故に刀を手放したり、持ち場を離れたりしてはいけない。

 

 以上のことを踏まえれば、俺のおつむで考え得る課題は。


 現状維持!

 逃げず逃がさず!

 なんとも保守的ィ!

 

「難しいことはねえなって、今思ったばっかりなんだけどなあ……」


 独りごちては、刀を突き刺した手に力を込め直す。霊の肉塊は今や、完全に表面がガサガサに罅割れて、萎み、痩せていくじゃないか。


 それでいて青黒い肉の感触を留めていて、だらしなく膨張した生首か、崩れた肉風船のようだった奴が、今は凹凸を浮かべながら、縦の楕円形に近い形へと移りつつあった。


 やがてそ凹凸は人の顔となり、肉の表面に走った無数の罅割れは人の顔へと変貌していく。


「随分それっぽくなったな」


 割れ目から雑草のように生え散らかした髪の毛は、黒いが艶がなく、目と思しき窩にも眼球は無く、落ち窪んだまま。


 ーー※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※!


 震えるように蠢く口は怒声や悲鳴、苦悶の数々を発する。


 中でも側頭部の位置が上面にズレ込み、上面から中ほどにかけて、一際大きな顔が浮かんでいる。椅子の背に掛けるタオルが、人の顔の皮ならこうなるんじゃないかって感じだ。


『ゆるさぬ……ゆるさぬ……ゆるさぬ……』


 大きい顔が呟く度に、周りの顔が怯える。今ではまるで葡萄の房のようになっているそれ。


 一粒一粒が人の頭、人の顔。

 青く、赤く、己が血と涙に濡れている。


 姿の変異が納まると、中央の大顔と目が合った。


『かえせ』

「うぅあ!!」


 下の顔面が真っ二つに裂けたかと思えば、自分の身に更に深く刃が刺さるのも顧みず、勢いよく噛みついて来る。俺の刀には鍔が無い!


「こいつ!」


 咄嗟に右手を刀から離して、霊の顔面をぶん殴る。刀身動揺に肉に拳が埋まれば一巻の終わりだったが、幸いそれは無かった、いや。


『かえして』

「うるせえよ!」


 変な臭いがして、熱気が吹いて、右手が熱くなる。足元のライトが照らすのは、指に巻かれた髪の毛が、ぶすぶすと煙を上げている所だった。


 まさか本当にお守りになるとは。


「海さんには感謝してもしきれないな」

「サチウス」


 不意に足元でミトラスが声を上げた。見ればその目は金色に輝いている。


 この場の何よりも明るい輝きだった。


「このお経を唱えて」

「そんなことをしたら、俺まで操られちまう」


「大丈夫だから、唱えてあげて。君に死者を憐れむ気持ちがあれば、大丈夫だから」


 言われてハッとする。

 悪霊退治と意気込んでいたが、これは供養なんだ。


 厄除けの札を貼り、故人のためのお経を、待てよ。


「なあ、確かこいつにお経って意味ないんじゃなかったか」


「いいんだ。この人のために、唱えてあげて。それでいいんだ」


 ミトラスはそう言って霊を見上げると、悲しそうに眼を閉じた。


「そう言われても」


 こんな今にも俺を、食い殺そうとしてる奴を憐れむのか。あまり猶予はない。手が焼けるように熱い。


 指の髪の毛が焼切れたら、今度こそ食いつかれる。


 だが。しかし。


 ただお経を唱えるだけでは駄目なのか。俺まで操られてしまうのではないか。


『かえして』


 大顔が一言呟く度に、周りの顔が口々に言う。


『違う! うるさい! 嫌だ! 許して!』


 俺の不安を余所に、顔が次々に叫ぶ。必死に顔を背けようとしながら。


 その中でまた、正面の顔と目が合う。虚ろな表情、凍えた目が俺を睨む。見ず知らずの俺を、誰かの様に思って恨む。


 瞳の中に、何も映っていないのが見える。俺はこの目に見覚えがあった。


 忘れたくても忘れようがない、傷を負っては相手を見るときの俺の目。


 それはいつもの俺だったし、昔の俺だった。

 考えてることが、嫌でも手に取るように分かる。


 悲しみや憎しみを訴えかける目。

 諦めの入った、濁って固まった眼。


『どうして、どうして、どうして』


 そうか。何も変わらないんだな。何処の誰だって。俺も、こいつも。


『それおれなんだ。たすけてくれ。おれなんだよ』


 その呟きに、顔中が絶叫した瞬間、俺はお経を口にしていた。


「※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※」


 唱えると、霊はびくりと震えた。目を背けずにお経を繰り返す。


 霊は加害者であり、敵だけど、こいつ自身は被害者なのだ。誰を何人殺しても、誰もこいつに償わない。謝らない。慰めない。


 被害者のまま、いつまでも終われない。どれだけ加害者にやり返して追い払っても、詫びが無ければ許せない。


 許せなければ終われない。そこに時間は関係ない。ただそれだけが、自分の人生に、いつまでも横たわり続ける。


「※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※」


 そうであるなら、部外者の俺はどうする。

 見ず知らずのこいつに、何をしてやれる。


 目の前のこいつを弔ってやるだけか。


「※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※」


 不思議なものだ。唱える前は不気味で、邪悪ささえ感じたこのお経が、唱えてみれば何ともない。


 ただ人にそうさせようとする力がある。それが何故かを考えれば、この強制力は至極もっともだった。


 人を供養するのに、余計なことをやらせず、考えさせない。生真面目そのものだ。こういうときくらい、そういう気持ちでいろってことなんだ。

 

 それからしばらくの間唱えていると、霊にまた変化があった。顔中に亀裂が走り、黒いもやが間欠泉のように噴出す。


 噴出したもやは次々と人型を取り、どこかへと去っていく。


「※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※」


 葡萄の房は下から土か砂みたいに崩れ落ちていく。顔が崩れて、口答えもできなくなって行く。そしてその度に、中央の顔の両目に光が宿る。


 大きさも徐々に萎んでいき、今はドアから出てきたときの半分以下にまで小さくなっている。不意に刀を持つ手に衝撃が走る。刀が一人でに突き込まれ、脈動する。


 何かを吸っているのか、縮んだ顔の外に飛び出そうだった刀身が再び霊の体に食い込み、残る顔が断末魔を上げる。


「刀が、食ってる」


 刀身が青白く輝き、霊の中央以外の顔が見る見るうちに崩れ去っていく。


 持ち手の柄が割れるほど肥大化し、太く、長くなり、その成長とも捕食とも付かない動きが治まる頃、霊は、黒いもやをほとんど吐き出して、人の頭よりも少し大きい程度にまで、縮んでいた。


 ゆらゆらと今にも燃え尽きそうなくらいに、力なく揺れている。


 最早食い付こうとした口はなく、大顔だった部分が呟いても、それにヒステリックに叫び返す者は、いなくなっていた。


『かえして、たすけて』

「お前」


『かえしてくれよ、それ、おれなんだ。そいつはおれなんだ。かえしてくれ。おれはおれなんだ。おれ』


「お前、○○か」


 思わず、地下のナップサックから見つけたメモに、書いてあった名前を言った。


 霊の顔はこのとき一番人間の顔を見せた。俺を見てしきりに語りかけてくる。


『あ、そうだ。おれ、○○。おれ、○○なんだ、でもちがうやつが、おれになってて』


「……何を言ってるんだ。○○はお前じゃないか。見ろよ。周りには俺たちしかいない。もう帰っていいんだぞ。お前は自由になったんだ」


『でもおれ、おれじゃない、だれかがおれになって。おれは』


「しっかりしろ。もうそんな奴はいない。お前は○○に戻ったんだ。俺がずっとそう言ってるだろ。分かってるんだ。お前が○○なんだ。もう自由だし、助かったんだぞ」


 譫言のよう繰り返す霊に、こっちも何度も繰り返して言うと、彼は自分を思い出せたのだろうか。少しずつ言葉が減って、静かになっていく。


「家に、帰れるんだぞ◯◯」

『かえる。いえに、かえる。ああ』


 霊の顔は消えて、今にも消え入りそうなほど、薄く小さくなる。俺は刺さる場所を失っていた刀を、床に置いた。霊はやや黒ずんだ青い人魂となって、玄関へと流れて行く。


 後を追って外に出ると、激しい雷雨が俄かに俺たちを脅かしにかかる。


 あっという間にずぶ濡れになるが、今はそんなことはどうでもいい。


「大丈夫か。家、分かるか」

『わかる。かえる』


 どこに、そんな言葉が頭を過るけど、言えるわけがない。義理も立場もない。ただ見送るだけ。


 雨風の中を頼りなく漂う人魂が、自分の故郷を目指して、彷徨おうとしている。


『ありがとう』


 最早顔も分からなくなった人魂から、そんな音が聞こえた。炎が揺らめいたのは振り向いたからなのか。彼はゆらゆらと漂っていたが、館から離れ始めた。


 成仏するんだろうか。できるんだろうか。

 した所で、また別の生き物になるだけなのに。


 それで本当にあの人は救われるんだろうか。もう何も残ってない人が、どこに行くっていうんだよ。


 止そう。今とはともかく、この地からようやく離れられるんだから。それだけは良しと思おう。


 そう思った瞬間、空が瞬いて、俺の目の前に、雷が落ちた。次いで炎が爆ぜる。


「なっ!」


 近くの木に落ちたのではない。でも何かに落ちて、その何かが眼前で燃えている。何かが地に落ちて燃え尽きようとしている。


「そんな……なんでだよ……」


 慌てて駆け寄って、燃えているものに手をやるが、そこからどうすればいいか分からない。雨に打たれて火が消えてしまわないか、魔法の火を足せないか。


 燃えている。消えてしまう。どうしようもない。


「こんな、こんな馬鹿なことが……」


 魔法で火を足せないかと試しても、最早ただの火。さっきまでの人魂の、顔も気配も無く。


 そのことに気付いて濡れた髪と手を被せれば、火傷をし、髪が少しばかり焼けただけだった。


 火は消えてしまった。

 

 例え帰る家が無かったとしても、せめてそこまでは待っても良かっただろう。


 仮に行き場が無かったとしても、せめて故郷に帰らせても良かっただろう。

 

 どうしてだ、天罰だとでもいうのか……。

 

 音もなく消えた炎の跡には、錆びて汚れた鈴一つ、落ちているだけだった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 サチウスは力なく項垂れていたが、やがて鈴を握り締めると、ぶつけようのない憎しみに叫んだ。


 どれくらい叫び続けていただろう。彼女が声を上げるのを止めると、次第に嵐は止んで、気が付けば朝になっていた。


 天気予報では雨のはずだった。しかし今、確かに雲は晴れ、彼女の背中には太陽の光が差し込もうとしていた。


 サチウスは疲れたように振り向くと、静かに上りくる白い光を、無言のままに、睨み続けた。

誤字脱字を修正しました。

文章と行間を修正しました。

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