・交戦
・交戦
旧本館受付裏、地下へと続く階段が、隠されていた一室。ドアよりも明らかに大きな物体が、中からぬるりと這い出してくる。
這い出したそれは如何なる仕組み、理屈で以てか、僅かに宙を浮き、床に落ちたライトの光によって全身を露わにすると、ぐるっと向きを変えた。
向きを変えたというのは、物体の形状がどことなく人面に似てはいたが、その域を決して出ないものだったからである。
これが幽霊の正体と言われて、そうかと思えるものが果たしてどれだけいるだろう。一言で表現するなら物体は肉塊であった。
ぬらつく肌は『びらん』のように爛れており、不気味に震える生首の如き躰は、終始の点もないくせに、時折蠕動するかのような蠢きを見せる。
側頭部と思しき部分には、亀裂がばっくりと開いており、黒いもやが吸い込まれていく。その度に、老人の口のように、モゴモゴと気色の悪い動きをする。
その度に、呻き声や悲鳴の切れ端が鳴り、かき消すように鈴の音がする。
サチコたちはこれを見て、外から雪崩れ込んで来るやもと予想していた霊たちと、否、館を取り巻く他の霊たちと接触しなかった理由を察した。
自分たちが館内を走り回っている間、この肉塊が他の霊を、捕食して回っていたのだ。
そして今それが、サチコたちへと向き直り、ふらふらと近寄って来ている。
「とんでも無いのが出て来たな」
「え……え……あっう」
「ねえ、あれ、人の頭の形をした肉って感じに見えてるんだけど、合ってる」
サチコは悪意の塊と化した霊、と呼ぶのが相応しいかどうか定かでないものを睨み、南は肉眼で非現実的な存在を目視してしまったため、思考が停止した。
唯一蓮乗寺の言葉を、忘れていなかった海だけが、咄嗟に下を向いて直視を免れた。
「合ってる。見た目がどうであれ、することは変わらねえ。やろう。おい南、南!」
「えげっう、ふっ、ぐふん、げふ、は、は!」
サチコは南の胴体を平手で力強く打った。強烈な痛みが気付けとなって、恐怖に飲まれつつあった南を覚醒させる。
「下がってお札と銃の支度をしろ。こんな奴相手じゃ幽霊といえど、通じるかもしれねえぞ」
――携帯電話を一つはそっちの光景が映る会話状態にして、残りは通常の通話でいいわ。相手を見ながらお経を唱えるけど、他の子はなるべく直視しないようにして行動して。
オカルト部の部長こと蓮乗寺桜子から指示が飛ぶ。この場において人間側に立ち、怪異への言及が可能な唯一の存在である。
「よし、サチコ前へ! 他は後ろに回るよ!」
「分かった!」
斎の言葉にサチコが気勢を上げると、恐怖と現実感の薄れに、気持ちが上滑りしつつあった三人は、落ち着きを取り戻した。
良く分からないものが怖いという、ともすればなし崩しに混乱に陥るような事態は、この場においてサチコがいち早く、臨戦態勢を取ったことで回避された。
全員の気持ちが怪奇現象との遭遇から怪物との戦いに切り替わった瞬間である。
ロビーにて隊列を整え、玄関より少し先の受付から出た、肉塊と対峙する。サチコが前、後ろに三人の形である。
「ガアアアアアッ!」
危害を加えられたことの無い者であれば、忽ち竦みあがるであろう怒声を上げて、サチコが肉塊へと切りかかる。剣術を修めた者の動きではない、片手で大きく振り被り、叩き付ける畜生の猛り。
そも刀とは片手で振り回せるほど軽くはなく、元来重たい物は両手で持たなくてはならない。そして両手で物を持つことは即ち両手が塞がることを意味する。
斯様な危機的状態から攻防を行うための工夫こそ、両手持ちの武器を扱う際の要諦である。
荷物が武器であったなら、武器の使い方をすれば荷物にはならぬはず。そんな苦悩があったかは定かではないが、ともあれ両手で、大きな武器を振り回す際の合理、洗練された技をサチコは持たない。
然るに片手での振り回しは無理がある。無理があるとはいえ、無理をすればできる程度には、彼女の膂力は高まっていた。
「おお!」
「入った! ていうか切れたわ!」
サチコの妖刀は音も無く、袈裟懸けに肉塊の中へと埋まり、刃が切り裂いた場所からは、異臭と鮮血が拭き出した。しかしそれだけで、肉塊は何事も無く前進を開始した。
「血が出ているように見えるけど、見えるだけだね。床に染みてないし」
「生きてないんだからそりゃそうだ、手応えもほとんどない。何で止められたのかもよく分かんねえ。特にダメージだって無さそ……ぐっ!」
サチコは吹き付ける異臭と、地下で接近したときに肌が爛れたことを思い出し、顔をしかめた。進み来る霊は刀が突き刺さっている感触も無く、迫るに合わせて後退を余儀なくされる。
――サチコさんが保つ間に、通話状態の携帯をアレの後ろに置いて頂戴。あの子を頂点に三角形を描くように。それができたらサチコさんを北として、ここで剥がした八方避けのお札を、順次アレの足元に貼っていって。先ずはそこまでお願い。
「だそうだからもう少し我慢してサチコ!」
「早いとこ頼む!」
最初に飛び出したものの、あっさりと最初にいた位置にまで押し戻されたサチコだったが、そこで霊の動きが止まった。海が会話状態にしている携帯電話を足元に置いたからだ。
液晶画面に映るオカルト部部長と霊の目が合った。顔など付いていないはずの肉塊の、意識の線とでもいうべきものが、その瞬間確かにそこに向けられる。
そして異音が鳴り出した。
――※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※!
「効いてるな」
「凄い嫌がってるみたい、でもなんだか、変な感じ」
何語ともつかない発音が垂れ流しにされ、霊は汚らわしいものを、避けるかのように蛇行を試みる。
そこへすかさず南と斎が手筈通り、霊の後方に回り込み、同じく携帯電話を設置する。
「よし置いたわ! 次に移るわよ!」
「海さんこっちこっち!」
「え、ええ」
「なんだ、急に動きが、うお!」
携帯電話から聞こえる声を、嫌がるような素振りを見せた霊だったが、三方を囲まれたことで、方向性を明示するようになった。
つまり、暴れ出したのである。
「クソッ、どういう動きなんだよ、どういう力なんだこれは!」
刀に急な力が働き、男の悲鳴と鈴の音が狂ったように溢れ出す。
サチコの目の前には霊のもがく様がある。しかし相手の体の動きに合わせた力が、伝わっては来ない。
動きと重さは刀自身が、一人でにサチコを振り回そうとしているかのようであった。
その噛み合わなさが抵抗を難解なものにし、大きく一歩押し込まれてしまう。
「しまった!」
――刀に集中して。今それが引っかかっていることで身動きが上手く取れてないの。その刀を絶対に手放さないで!
「んなこと言っても、どんどん前に押し込む力が強くなってんだけど……!」
「お札貼り終えました! 次はどうすれば」
問答の最中に海が報告する。サチコを北としてその向こう、南側から追い立てるように、三角形に置かれた携帯電話。その間に並べられた八方避けのお札が、床に貼られている。
――また私がお経を唱えるから三人も続いて、失敗してもいいし、意味も分からなくていい。私の声を真似して頂戴。
「分かったわ」
「絵面が地味だけど、この際贅沢はいいね」
「大丈夫かしら、いえ、なんでもない」
暗闇の中、ロビーの一部分だけを照らす光の中で、窓ガラスが全て割れ、雨風が猛然と吹き込む館内に、女子たちの言葉というより、人間避けの鳴き声が一斉に唱和される。
携帯電話と合わせて延べ六人六方を囲むようにして唱えられたそれは、初めこそたどたどしく、やがてまとまりを持ち、響くようになる。
しかしその一方で、斎たち三人の様子が、おかしいことにサチコは気づいた。
一心にお経を唱えているが、どこか切り離されたような、希薄になったような違和感があった。
(これがお経とか冗談じゃねえぞ)
息が合っているのは、当人たちの必死さの賜物ではない。どちらかといえば操られているような統一感。
三人の友人と、剣呑な空気を纏って沈黙を通す猫の姿に、サチコはこれが禍々しきものであると勘付く。オカルト部の部長が唱えていたのは、呪文の類だったのだと。
幽霊といえど元は人間、人の霊魂を苛む呪詛があるのではないか。これがそうなのではないか。
眼前の物体が人間の、霊魂の成れの果てなのかと、疑問はあった。
口には出さないが、サチコにはこの場の、生と死の争いがその実、害と害、悪と悪の衝突の様相を呈しているような気がして、ならなかった。
「それで、この後は、この後はどうする!」
一人だけ理性を保っていることに堪らず問いを発したサチコだったが、誰も返事をしない。
ただ異様な鳴き声と苦悶の声と、鈴の音、荒れ狂う風雨の音がするばかり。人間の声は、俄にこの場から消え失せてしまっていた。
「この後はどうするんだ、これを朝までやるのか!」
再度の問いにも応えは無く、それどころか日中に絶頂を過ぎたはずの嵐が、力を取り戻し、今一度の雷を振らせ始めた。
そして、刀を押し込み急拵えの柵を破らんとする、肉塊と化した霊の、抵抗は益々強くなる。
一人この場に取り残されたような錯覚が、サチコの焦りを募らせる。
「糞ッ垂れ……!」
稲光が執拗に閃き、肉の蠢きを映す中で、彼女は今が土壇場と、怒りを吐き出した。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




