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出戻りサチコのやり過ごし  作者: 泉とも
肝試し編2
211/518

・入ろうとするもの

・入ろうとするもの


 ※このお話は海さん視点でお送りします。


 海です。


 建物全体を打つ雨音と、遠雷と、荒ぶる潮騒。自然が生み出す重低音の即興曲は、荒御霊を喜ばせるための捧げものなのか。


 ダイナミズムの只中に、のこのこと飛び込んだ私たち四人は、いとも簡単に手持無沙汰になり、今はもう好き勝手しています。


 外は灰色に輝く空。窓を叩く雨。その光に薄らと照らされる館の中は、どこか幻想的です。廃墟に魅せられる人々が何に惹かれているのかが、そこはかとなく分かるような気がする光景です。


 入り口は幽かに明るく、少し先は仄暗く、深みに進めば真っ暗なほどの静けさ。その場所にあるかつての名残が、営みの匂いが消えていく最中が、あたかも長年をかけて培われた、思い出の呼吸にも似て。


 大風に躍動する山林と、豪雨に活力を取り戻す大海。確かに見ようと思って見られる景色ではないし、価値があると言ってもいいと思います。思いますが。


「暇ね」


 そう独り言を呟いても誰も返事をしてくれません。皆微妙に相槌を打たなくていい距離を設けて座ったり寝転がったりしています。


 開放感のある吹き抜けのロビーが、却って虚しさを助長しています。時刻は先ほど昼を過ぎました。


 寝起きドッキリのような悪質な不意打ちを、北さんから食らった私たち三名は、ここ旧本館へ宿泊プランの都合上やってきました。


『なんで自分がこんな目に』とは北さん以外の全員の顔に書いてあった文言です。


 その後すっかり元気が無くなった私たちは、さながらゾンビのように北さんに付いて、廃墟探索へと繰り出しました。


 昨日の下見に基づき、ハンディカメラを片手に進む北さんを先頭に、私、南さん、サチコさんの順で歩きました。


 このときサチコさんは、猫を連れてきていることを告白しました。


 本来ならば非常識を咎める所なのですが、この状況に限っては、非常にでかしたと思いました。


 急なことばかりで北さんが嫌いになりつつあった私たちの、ササクレ立った心を宥め賺すのには、猫の『みーちゃん』はとてもありがたかったからです。


 サチコさんとしては魔除けとして連れて来たらしいのだけど。


 そうして代わる代わる猫を抱っこしつつ、一しきり館を練り歩いた私たちはロビーへと帰って来ました。北さんが用意したカップ麺を食して、器を外で洗ってゴミ袋に入れて。



 今に至ります。もうすることがありません。



「この後どうするの」


 再度声を上げてみますが誰も答えません。無視ではありません。


 この場にいる誰もが答えられないのです。

 ここに一日寝泊まりする。肝試しの内容です。


 ですが今日が終わって明日の朝になるまでまだ十八時間くらいあります。


 肝心の夜までは時間があり、しかし一人でこの中をうろつくこともしたくないし、外は水着に着替えるなどという天気ではありません。


 テレビもパソコンもなく、電子機器を用いた娯楽は手持ちの携帯電話を使うしかありません。


 かといってそんなことのため、にバッテリーを浪費することも躊躇われます。


 ホラーにおける閉鎖空間が、怪物がいなければつまらない場でしかないことは、ちょっと考えれば分かりそうなことを、この年になって私は理解しました。


 高い授業料でした。

 タダより高い物は無しとは正に金言です。


「よしできた」


 我関せずとビデオカメラの設営をし終えた北さんが声をあげました。三脚を立てて、ロビーが広く収まるようにしています。


 ちなみに上の階にもこの場を収めるよう、もう一台設営されています。


「後は夜を待つだけだね」


 それまでどうするという私の声はどうやら黙殺されたようです。これは相手を絞って交流するより外ないようです。


 私は南さんとサチコさんを探しました。そろそろ窓辺に立ちっ放しなのも疲れてきましたし。


 サチコさんは刀を足元に置き、文庫本を片手に玄関の受付に座っています。


 椅子も粗方運び出されていましたが、二階のスタッフ用の部屋に、置き去りにされていたものを持って来たようです。カウンターの上では猫さんが丸くなっています。


「それ面白い」


 私は一応文庫本を持って来ていたので、それを二人に貸しました。私の分は無くなってしまいましたが、その分二人から本の評価が聞けます。


 まだ読んでいないので、面白くなかったら読まないことにします。古本屋で買ったものだから、お財布も痛くないし。


「つまらなくはないが、精神衛生にとてもよくない。この作者は古く正しい意味で、穿った物の見方をしているが、その焦点を人間に合わせたのが良くない」


「倫理的じゃないけどデキはいいってこと」

「そういうことだな」


 えっちなものとかやくざなものとか、そういうのに才能を発揮する人っているのね。


 都知事が書いた小説だっていうから、面白半分で手を出したけど、やっぱり偉い人って悪い人なのかな。そういう引き出しはすごく多そう。


「南さんはどう」

「海さんは読むべきじゃないと思う」


「え、でもそれロシアの大統領も好きだって言ってた奴よ」


「ああ……共産系ってそういう民族だものね……」


 南さんが何を言っているのか分かりませんでした。ただ南さんがため息を吐いて本を置いたので、試しに読んでみようと手を伸ばしたら、もの凄い勢いで取り上げられました。私の本なのに。


「よしなさいこんなもの! お金なら後で払ってあげるから!」


「ええ、あっはい」


 こんな剣幕で心配してくれる南さんは初めてです。そんなに酷い内容だったんでしょうか。


 でもサチコさんの反応と照らし合わせると、本当に読まないほうが良さそう。


「海さん」

「なにサチコさん」

「これ、ありがとう」


 サチコさんのほうを振り返ると、読み終わったようです。短編とはいえ彼女は本を読むのが本当に早い。


 私は受け取った文庫本を鞄に仕舞うと、することがないので、猫のみーちゃんを撫でることにしました。


 鼻がぽちっと大きくふっくらとしています。預ける相手がいないというのもあったのでしょうが、連れて来たのは正解だと思います。


 実際この子がいるおかげで、空気は和らいでいるのを感じます。ペットは偉大です。子はかすがいという言葉があるけれど、今の時代では子どもではとっくに力不足です。


「暇だね、みーちゃん」

「まあう」


 受付のカウンターに手を付き、猫を撫でると今一つ綺麗ではない声が出ました。小動物は可愛くないという一線が、一番可愛い生き物だと思います。


「ここ座っていいよ」


 サチコさんが席を譲ってくれたので、ありがたく座らせてもらいます。


 外は何かを吹き付けるような風の音。しかし建物はびくともしません。


 何か恐ろしげなことも起きません。


「初日のアレは何だったのかな」

「アレって」

「浜辺の黒い人」


「アレは旅館のじゃなくて、たぶんその辺の霊だろ」

「そんな野良犬みたいな」


「でもここまでは付いて来てないし、あの浜が縄張りなんじゃないか」


 私が見た幽霊らしきものは、旅館由来のものではないそうです。嬉しいような悲しいような。


「じゃあここのエレベーターで南さんが見た白いのっていうのは」


「さあ、ここの歴史を調べれば分かるかもしれない」


「そんな都合よく怪談なんて、あちこちに転がってる訳ないでしょ」


 自分の分の文庫を読み終えたらしい南さんが、話に加わってきました。


「ここだってあくまで老朽化した建物を、見世物にしようってだけで、事故物件になったから新しく立て直そうって訳じゃないんだし、ね、いっちゃん」


「そうなんだよねえ、事前に軽くは調べてみたけど、そこまでお誂え向きなことはなかったんだ。一応栄にも調べてもらって、何か発見があれば報告が来るはずなんだけど」


「何でそう一つ一つ丁寧に、フラグを繋げ直すような真似をするんだお前は」


「無ければ無いでいいじゃないの。何で妹さんに引き継ぎしてんのよ」



 これがフィクションなら、空気を読んで北さんの妹さんからの電話が入ってしまうのでしょうが、ここは現実です。そういうことはないでしょう。


 と言い切れないのが、既に私たちが見てはいけないものを、見てしまったからで。


「そういえば、どうして私たちには、変な物が見えたのかな」


「止めろ、詮索するな!」


「そこから怪しい歴史やら幽霊やらが、私たちと関連付けされる恐れがあるわよ!」


 南さんとサチコさん両名による必死の説得により、私は思考を中断しました。私たちに都合の良くない真相なんてはっきりさせてはいけない。


 理解や解明にどれほどの価値も意味もありませんし特段素晴らしくも無い。


「そんなこと言わずにさ、この旅館の起源を知ったりきな臭い事件を考えたりしようよ」


「やってみろ。お前を鬼門に当たる部屋に閉じ込めてやるからな」


「今日の占い見たけど、あんたの星座は最下位だったわよ!」


 仲良し三人組は本気で口論を始めてしまいました。こんなので本当に大丈夫かと心配になりますが、元気に騒いでいる間は悪霊も寄ってこないと言いますし、放っておくことにしました。


 そんな時です。


 ふと玄関のほうを見ると、両開きの硝子製のドアが、じりじりと小さく開いていくのが見えました。


 元は自動ドアだったのでしょうが、ここには電気が通っていないので、今は手動ドアです。


 それが風に押されて動いたのかな、と思って見ていると、表側を濡らす水の動きが何、だかおかしなことに気が付きました。


 目の錯覚かな、真ん中辺りで絶え間なくドアを濡らす水の波紋が、人の手みたいな形になったような。


 うん? あれ、真ん中だけじゃ。


「にゃあ」


 みーちゃんが鳴くと、それは形を失って床へと崩れ落ちていき、そのままドアはぴしゃりと閉じられたのです。水の流れは正されました。


「みーちゃん、大丈夫」

「ふす、ふるるる」


 彼は答えずにしばらくの間、外をじーっと睨み続けていました。

脱字脱字を修正しました。

文章と行間を修正しました。

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