・クローズド・サークルへ行こう
今回長めです。
・クローズド・サークルへ行こう
明けて翌日。
雨戸のない部屋の中は、本来ならば周囲の明るさ、時間によって訪れるだろう、朝の光によって目を覚ますはずであったが、朝食を終えても暗いままだった。
そろそろ十時になるが、この部屋の明るさは天井の電灯頼みである。
嵐が来て地域一帯が暗いことに加え、この部屋は海とは反対方向を向いている。日光が入って来ないのである。
窓の外には雨に打たれる山と木々、そっと窓を開けると、新鮮な冷たい空気が入ってくる。
まあ潮の香りが混じった山の匂いというのも、この部屋ならではの、売りと思えば悪くはない。
食事も家のものより上等で、わざわざ旅行に来た甲斐があったというものだ。
米と味噌汁だけでいいくらい美味い。むしろ海だからという理由で出される、魚介やその他のおかずも、この二つがあるけど、食べてもいいという程度だ。
「帰ったら絶対、大豆の栽培始めてお味噌を作るよ」
「醤油蔵も作ろうな」
鞄から出て人型に姿を戻したミトラスは、俺の食器を使ってご飯を食べている。俺が半分を食べたら箸は熱々のお茶が入った湯呑に突っ込んで洗い、おしぼりで拭いてから渡した。
このとき彼は旅館の味噌汁の味に深く感じ入っては『おいしいなあ』しか言わない生物になっていた。
うーん、内緒で連れて来たとはいえ、侘しい思いをさせていないだろうか。
そんなこと無さそうだからいいけど、余計なものが引っかかっていると、心の底からは楽しめなくなる。これはいけない。
「まだ手付かずの場所もあるし、全部住む場所にはできないし、働く場所も用意しないとだし、そこに行けば加工食品の工場は、僕の目標にも合う。問題は寒天工場とどちらを取るかだけど」
ミトラスは異世界に帰ったときのことを考えているようだ。この世界で得た知識やら何やらを、持ち帰り故郷で役立てようとしている。
向こうの加工食品はバターとかヨーグルトとか酒みたいなもので、俺が見た中では大豆製品は、確かまだ無かったはず。
「人種はどれだけあっても、どうせお米か小麦を食べられるけど、魔物はそうはいかないからね。食べ物の種類と数を揃えるのに、越したことはないよ」
「なんで寒天なんだ」
「虫系の魔物たちも食べられる、食品の一つだからですね。彼らは味覚、引いては食文化に乏しいので幸福度を底上げしたいのが一つ、それと今はまだまだですけど、食物繊維の大事さが広まるのも時間の問題ですからね、そこも抑えておきたいんです」
仕事のことを考えて、口調が丁寧になるミトラス。彼にとってこの世界は、良い所も悪い所も山ほどあるから、知るのが楽しいだろう。
勉強を楽しめる奴は人生がお得だな。
などという一幕を経て今は十時、お膳を下げられて束の間の自由時間だ。恐らくもう直ぐ先輩が来る。
「ところでサチウス、本当にこの天気の中行くの」
「去年は行ったし」
控えめに言って大雨であり、更に時間が経てば嵐になる。流石に歩きでは行かないだろうが、旅館のタクシーを使うにしても、出してもらえるかどうか。
出ても今日は片道になりそうな予感しかしない。
「一応聞くけど大丈夫そうかな」
「天気は大丈夫じゃないし、あのもう一つの旅館だったら、やっぱり大丈夫じゃないよ」
「斎に言ってあの場所のことを、よく調べてもらったほうがいいかな」
「そもそも行かないという選択肢を取るのが、一番というか最善なのでは」
「でもあいつは行こうって絶対言うし、言い出したら聞かないと思う」
などと話している部屋のドアがノックされた。噂をすれば影が差す。
ミトラスは咄嗟に押入れへと逃げ込み、それを見てから俺は返事をした。
ドアが開かれるとそこには、昨日と変わらず元気一杯のこけしが、満面の笑顔で立っている。
「おはよう行こう!」
本当に言い出したよこいつ。行動が予測できるけど制御できないっていうのが、厄介極まりない。
「行こうじゃないよ。お前こんな状態で旅館側がGOサイン出してくれるとでも思ってんのか。テレビだと地元のニュースでも大荒れって出てたぞ」
「確かに普通はそうだろうけどその辺は大丈夫。今日は向こうに泊まることになってるから」
先輩はそう言ってポケットからクシャクシャになった紙屑を取り出すと、俺の面前で広げて見せた。
どうやらこの旅行で組んだ、俺たちの宿泊プランのお客様控えのようだが、そこには『旧本館お泊り納涼プラン』と書かれている。
「何これ」
「これぞ第二の真実!」
無言で受け取った控えの下部には米印と共に『この旧本館を訪れて幽霊等を見かけても当旅館は一切責任を負いかねますので、予めご了承ください』とある。
また『本プランには二日目のお夕食は付きません。ご了承ください』という注意書きも。
一見すると、二段目を誤魔化すための一段目だが、いかにも悪霊といった風情のものを見てしまった今、両方が正しく注意書きであると分かる。
しかし。
「えっ夕飯ないのか」
「大丈夫行く前に売店寄ってくし、充電済みのバッテリーと電気ケトルも持って来てるから!」
この手回しの良さと斎の羽振りの良さ、裏があると見て間違いないが、こいつにパトロンのような存在がいるだろうか。
漫研やそのOGたちが面白半分で出資していたとしても、いや待てよ。
「おい斎、このプラン幾らだ」
「え、な、なんでさ」
「具体的な金額は示さなくてもいい、今までの恩もあるから、今言えば先輩呼びに戻してやる」
「大人女性三名二泊三日の正しい金額は六万オーバーで無理でした」
「俺の部屋は」
「一万二千円ぴったしです」
なんで俺のだけ具体的な金額を示したんだよ。
だがやはりそうか、幾らこいつでもこれだけの金額はポンと出せないし、そのお金で出来ることと秤にかけたら、この旅行を選ぶ可能性は低い。
「廃館お泊りプランは実質一泊二日に一食加えるだけだし、部屋に荷物置いておけるっていうのも、サチコみたいに手ぶらに近い客には通じないから、料金のかさ増しには使われてないみたいで」
「そこに台風でのキャンセルで開いた部屋に、格安プランを突っ込んで、親譲りの優待を捻じ込んだ結果、出来る所まで漕ぎ着けてしまったということだな」
先輩は小汚く弱々しいジャパニーズスマイルを浮かべた。
運が良かったのか不運が重なったのか、ここまで人生やり込んでる奴ってそうはいないんじゃないかな。
「変な時ばっかり妙な本気出しやがって。おかげ様でまんまと釣られた訳か」
「ごめんね。でも旅館からしたら、もう私たちがあっち行かないと困るから」
「これが一般的な客なら止められるしタクシーも断られるんだろ」
「そりゃまあね」
二泊三日じゃなくて一泊二日の二本立てとか、酷えツアーもあったもんだよ。
「念のため聞くけど、今から料金払うから勘弁してくれってのは無し」
「無し無し全然無し。みなみんが抜け駆けして旅館に確認して項垂れてた」
「駄目」
「駄目駄目全然駄目。海さんが消費者センターに電話して落ち込んでた」
これだから日本って嫌い。先輩は悪びれもせず頭をかいている。
こういうときってさ、旅館のほうが『危ないから旅館にいてください、通常のプランに切り替えますが、お代はそのままで結構です』っていうのが人道的ってもんじゃないの。
そうでなくともプランの変更は別にいいだろ。俺と南はともかく、海さんと先輩は身元がしっかりしてる人間だぞ。
申し込んだ俺たちに非があったとしても、命の危機を拒めないほどの強制力はないはずだ。
「観念して行こう! 大丈夫だって!」
「お前って俺たちの中で一番早死にしそうだよな」
「できなくなる日までは調子こいてようって心に決めてるから、それまではずっと絶好調だよ」
図太い。四十路を迎える頃には死んでる奴の生き方だぞそれ。
「分かった。用意してトイレ済ませたら行くから待ってくれ」
「そうこなくちゃ」
俺は先輩を部屋に入れると、押入れの前まで歩く。何故か先輩は風呂のほうへ入って行った。
また何か煩悩に基づいた、悪巧みでもしているのだろう。
仮に超能力で読心を試みた場合、その人が強く思っていることほど大声で聞こえるのだが、先輩の欲望はたまに飛行場の騒音もかくや、ということがあるので極力やりたくない。
それに好機でもあったし。
押入れの戸を開けて、猫に変身を済ませていたミトラスを鞄に入れる。その上に着替えと古い肌着、旅館のタオルを幾つか入れて、蓋を閉める。
壁に立て掛けておいた妖刀も持ってと。これでまた役に立たなかったら、今後二度と持って行かないようにしよう。
風呂の向かいにあるトイレに入って、出して流して出る。手を洗って、先輩に声を、あれ。
「いない」
さっきまでゴソゴソしてたのに。
結局今度は俺が先輩を、部屋まで呼びに行くことになった。奴は部屋の金庫から貴重品の類を取り出すのを忘れていたらしい。
文章がおかしいな。まるで旅館に置いておくと心配みたいな、事実そうなんだけど。
「おはよう二人共」
「サチコさん」
「ああ、おはようサチコ」
旅館の玄関まで行くと、既に虚ろな笑みを浮かべて立ち尽くす南と海さんが待っていた。
恐らく先輩から俺と同じことを聞かされ、まだ開き直ることも立ち直ることも、できていないのだろう。
こんな芸人みたいな理不尽と、世の中の冷たさを一度に味わうことになるとはな。可哀想だな。
俺も可哀想だな。皆可哀想だよ畜生。
一名を除いて。
「出発するか」
二人の後ろには手配されたタクシー。荷物はトランクに入れて三人は後部座席に座り、俺だけが帯刀して助手席に。何か変じゃない?
「じゃあよろしくお願いしまーす!」
「はい、それでは皆様、どうぞお気を付けて」
運転手のおっさんが、発車時にするには些か相応しくない挨拶をしてくれる。嬉しくねえ。
白い車の窓ガラスは、大雨が降って絶えず水の幕が下りているかのようで、景色もろくに見えない。
雨脚も途中で更に強くなり、幾らも経たないうちに土砂降りとか豪雨と言って差し支えない勢いに、変化していく。
そして到着してしまった。
心なしか昨日来たときより大きく見える。白塗り長く大きな箱状の建物。暖簾は外され所々に木造の部分が見える、現本館とそっくりの廃館。
「では、また明日お迎えに上がります」
車から降りる際に、運転手さんはそう言うと、振り返ることなく来た道を戻って行った。
「こんなはずじゃなかったんだけど……」
「私も……」
南と海さんは呆然としながらも、荷物を持って館内へと避難する。後には俺と先輩が続く。
「今回の肝試しはここで一夜を明かすことだよ!」
雨にも負けじと元気な声を出すこけしを、俺たちは冷めた目で見てた。
遠くに雷が落ちるのが見えたけど、たぶん三人ともアレが目の前のコイツに、落ちないかなって思っていたに違いない。
「先輩さ、罪悪感とかない訳」
「あるけどこの場を乗り切るためにはテンション以外持ち込んだらだめだよ」
それはそうかも知れないけどお前が言っちゃいかんと思わないのか。
先輩は顔こそ笑っていたが、目線は何時になく遠くへと向けられていた。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




