・追え!
・追え!
「ちっくしょおおぉぉぉーーー!!」
痛エーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!
臭エーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!
絶対ぶっ殺してやる!!
ストーカー女に吹き付けられた謎のスプレーで目が痛い! 鼻が痛い! 臭くて息がし難い!
まるで焼いたゴムとプラスチックに、冷蔵庫の中の臭い食い物を混ぜくったような悪臭。刺激物が入ってるのか涙が止まらん。
ぼやける視界で車が動き出す。落ち着け俺! 痛いだけだ! 体に力は入る!
「こんの糞野郎っ!」
何とか魔法で作り出した、大きめの石を力一杯ぶん投げたが、駄目だ、狙いが逸れてサイドミラーを割るだけに留まった。
せめてリアガラスくらい割っておきたかった。
「大丈夫サチウス!?」
「やられた、やっぱり武装してやがった」
これアレだ、たぶん、痴漢撃退スプレーの類。
痴漢撃退なんて言っても早い話が凶器だ。市販で買えるなら当然持ってるだろう。眼鏡のおかげでなんとか深手を負わずに済んだが、もろにやられたアガタが心配だ。
「ミトラス、お前は自転車のカゴに乗ってろ」
「追うの」
「追う。けど」
校舎の外に停めてあった自転車を取りに戻る。
とはいえ車の速度に追い付くのは無理だ。
俺のテレポートでは、個人に合流するようなことはできないし、こうなったらアガタだけでも、ミトラスの召喚魔法で取り返すか。できるだろうか。
『サチコ!』
そう考えたとき、横から声がかけられた。荷物と武器を持って走ってくる、先輩と南だった。
「大丈夫、う、臭!」
「嗅ぐな、防犯スプレーだ。目と鼻をやられるぞ」
「そうだったの、じゃあこれ使っていいわよ」
南が鞄から水筒を差し出してくれる。礼を言って受け取り、俺は栓を外して、それを頭から引っ被った。
中身は緑茶で幾らか臭いが取れる。軽く目も洗ってかなりすっきりした。
「カトちゃんは」
「拉致されて女は車に乗って逃げた。追いたいが行先に心当たりがない」
「あ、私カトちゃんの鞄持って来てるよ」
先輩は持って来ていた、アガタの鞄を物色すると、中から真新しい、一台の携帯電話が出てきた。
ご丁寧にも電話の裏には、マジックでロック番号が書かれている。公共品か。
「あいつ携帯置いてったのか」
「どうかしら、親に持たされた機種が気に入らなくて使ってないのかも」
「それでも一応持っていてくれて助かったよ」
先輩はそう言うと、アガタの電話を使い出した。
「どこにかけるの」
「待って、今漁ってるから。例の男の人の名字って、分かる」
「確か山本」
先輩は携帯の液晶に移る連絡先の頁を、指で繰りつつ尋ねてきた。例の男、サイアス山本か。
考えてみればそうか、潜伏先であろう拉致した女性たちの家、自宅、職場が無理となれば、後は一人でも寝泊まりできる場所しかない。
簡易宿泊所、漫画喫茶、そして男の家。
「あればいいんだけどー」
「車のほうはアガタがスプレーを吹き付けたおかげで目立つ。これで奴は足を手放さざるを得なくなった」
サイトミラーもぶち壊してやったし。
「汚れを落としてる時間もないし、逃げる先に車庫や駐車場があることって条件が、外れてしまうわね」
乗り捨てされるといよいよ追跡は困難だ。今日明日にでも捕まえられなきゃ、アガタとついでに山本の命も危ない。
知り合いの知り合いが気違いだなんて、これだから人間社会は嫌なんだ。
「いっちゃん、そこに無ければ男の会社に電話して、正直に経緯をお話して連絡先を聞きましょ。会社だから社員の携帯くらい抑えてるでしょ」
「望みは薄いが……」
「お、あった」
「でかしたわよいっちゃん!」
先輩が見せてくれた液晶画面、そこには確かに山本某と書かれた電話番号が映っている。
俺は財布に入れておいた名刺のコピーを取り出し、名前を照らし合わせた。同じだ。
「それで電話をかけたとしてどうするの」
「先ずさっきの女が発見されて、逃走しやがったことを教える。そして男の現在地と女の電話番号を聞く。俺たちはそれをまだ持ってないからな」
これ以上長引かせる気は無いが、手に入れておいて損はしないはずだ。
「もし消してたり、忘れてたりしたら」
「その時は仕方がねえ、警察に女が男の所に向かったと言うだけだ。俺たちが向かったほうが、間違いなく早いがな」
「番号の登録日時は、まさに今日じゃん!」
「よし、アガタは余計なこと以外もやってたんだな」
「どういうこと」
「相手は同じ会社に勤めるストーカー女だ。誰だって着信拒否くらいするだろう。つまりその点に限って言えば、奴は男との通信手段を持ってないことになる。加えて男と近しい女を浚っていた。お前らだったら、その後どうする」
「とりあえず追い剥ぎするかな。お金とか、電話とか取り上げるよね」
「そうか、犯人は他の女性の電話を使わないと、男と連絡ができないのね!」
南の言葉に俺は頷く。俺がマンションで女の人を助けたときに、携帯を持ってないと言ったら『賢い』と言われた。
あの時は考えている余裕が無かったが、持ってたら奪われるってことだったんだろう。
「そうだ。だがそんな異常事態になれば、当然その番号も着信拒否するし、自分のも変えるだろ。だから時間が経過してると、役に立たない恐れがあった」
その心配が今だけは無いのが救いだ。俺たちは頷くと先輩が、画面の電話番号を指先で叩いた。
「んじゃかけるね」
そしてコールを待つこと数回、未だ周囲にパトカーの陰も形も見えない。夜の帳が迫り来るばかりだ。
まだアレから十分程度しか、経ってないんだから当然か。
『もしもし、山本です。カトレアちゃん?』
ストレスで顔を顰めたくなる様な、粘性とトーンの高い声が聞こえてくる。割りてえ。
「カトちゃんの友だちのサチっていいます。あの、今すごく大変なんです!」
おい何でそこで俺の名前出した。
「さっき変な女の人がカトちゃんを連れ去って、何か彼氏のとこ行くって言っててえ! カトちゃんが言ってたのって山本さんのことだって言ってて、あ、今カトちゃんの落とした携帯からかけてるんですが、すいません私たち今学校で、山本さんは何処にいますか」
『え』
とっ散らかったときの演技をする先輩に男、山本が沈黙する。何かを考えているようだが、ここで何をか疑われて、電話を切られては堪らない。
「警察にあなたの居場所に逃げたって通報すれば直行させられるでしょ、何処なの!」
『え、誰』
「誰でもいいだろ早くしてくれ、あいつが車に連れ込まれてから、もう五分以上経つんだ、つまりお前のとこに車で五分接近してんだぞ!」
先輩の顔を左右から挟みこむようにして、俺と南は電話に向って叫んだ。
頼む。不安から現実逃避して切らないでくれよ。
『え、っと、今電車の中なんだ。出先で』
「じゃあ会社に戻るのか」
『いや、会社はもうしばらく直帰でいいって、だからその』
「何処で降りるんですか」
山本は沈黙していたが、その間に俺はある一枚の絵を思い出していた。アガタのそれとは違う、汚い感じの画用紙を。
『小田原駅』
二人の女と一人の男の絵が、その瞬間にはっきりと記憶に蘇る。
「分かりました、今から警察に連絡しますんで、小田原駅ですね」
『オレ、降りる駅変えようか』
「それやると誰もお前を、守りに行けなくなるだろ。絶対小田原駅で降りろよ! 絶対だぞ! それと、ストーカー女の番号は、まだ持ってるか」
『え、いや』
そこで南が電話を切った。
あ、という声が隣で上がる。案の定役に立たねえ。
「いっちゃんはそのまま警察に電話をお願い、サチコは駅に行くのね。だったら私の携帯持ってって。私は一度いっちゃんと一緒に、家に戻って武器とか持って行くから」
「時間なくない」
「私が未来人だってこと忘れてるでしょ。私の携帯電話で私の家に転送して頂戴。そうしたら家にある予備の電話を使って、サチコに合流するわ」
「そういやあったなそんな機能」
しかしそうか、武器か。
「先輩」
「何」
「先輩は俺の家に行ってもらっていいですか、玄関に入ったらすぐそこに、立てかけてあるんで」
「ああ、私はサチコの武器を持ってくればいんだね」
「じゃあいっちゃんはサチコの家で待ってて、途中で拾ってくから」
俺は先輩に家の鍵を渡して、南の携帯電話を取り出した。去年に一度見て以来だし、操作方法もさっぱり分からなかったから、南にやってもらう。
流れる様な操作の後に、彼女たちの足元が光ると、次の瞬間には姿が掻き消えていた。
「後は俺だな」
「僕がいるから安心していーよ」
「ありがとよ、でもまだ大丈夫」
ミトラスの頭を雑に撫でてから、俺は自転車のペダルを蹴った。目指すは小田原駅。
そこではたぶんオカルト部部長の、予知した未来が待ち受けているはずだ。
果たして俺にそれが覆せるだろうか。はっきり言って自信がない。
だけどここで諦めるという選択肢は無い。逃げないという選択肢から目を背けたい。だからここで止めるという選択肢は無い。
しっかりしろサチコ! 怖気づいてる場合か!
お前もう今年で未成年じゃねんだぞ!
俺はまた胸を殴って自分に言い聞かせると、自転車を扱ぐ足に力を入れた。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




