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出戻りサチコのやり過ごし  作者: 泉とも
二年生開始編
155/518

・紛れ込んでいるモノ

・紛れ込んでいるモノ


『地獄のような光景』というのは色々あるが、ここは差し詰め、獄卒の私室といったところか。


 玄関を開けて伸びる廊下と、その奥1LDKと思しき部屋。廊下自体は手前で左右に続きがあって、恐らくプラス二部屋。


 お高めでいい感じの部屋の正体は、一歩を踏み出すことさえ躊躇われる牢屋だ。


 正面に見えている部屋の中には、テーブルの向こうに座って、首をこちらに向ける女の人。


 目隠しとオムツをされている。俺は自分の胸を一発ぶん殴ってから尋ねた。


「生きてるのか!」


 大声を出す。野次馬でいいから、顔を出してくれ。座っている女性は泣いていたみたいだ。無理もない。


 詳しい事情は知らないけど、死ぬ順番待ちをさせられているような印象がある。


「はい。生きてます」

「よし、待ってろ。今行く」


 えらいことに首突っ込んじまったなあ。ともかく、あの女の人を介抱して警察を呼ばないと。


 そう思って玄関を上がり、靴を脱ごうとするとミトラスが邪魔をする。


「おい、なんだよ退いてろって、うわ」

「あ、気を付けてください。ガラスが落ちてます」


 彼女の言う通り、床には点々とガラスの破片が落ちている。ご丁寧にゴミ袋やシートが敷いてあり、その上に撒いてある。


 ミトラスがいなければ、靴を脱いでまんまと大怪我をしていただろう。


「いよいよ真っ黒だな。靴は履いたままでいいか」


 土足で上がり込んで廊下を進む。足元に注意して、十歩も歩かない距離を進み、中へ。


 ――これは。


「あの、どうしました」

「悪い。目隠しはまだ取らないほうがいいみたいだ」


「あ、はい」

「すまん」



 お姫様抱っこの形で女性を抱え上げる。彼女の体には所々、浅い切り傷があった。また手足を手芸用の皮紐のようなもので、縛ってあったので刀で切る。


 通路に運び出してから、目隠しを外す。


「申し訳ありませんけど、俺今携帯電話持ってないんです。通報はもう少し待ってもらえますか」


「あ、え、ええ。賢い選択だと思う」


 何のことだかよく分からんが納得してくれたようだ。俺たちは再び室内へと突入した。


 廊下の右側の部屋。ストーカー女の部屋だろうか。自分へ無関係だと、言わんばかりの小奇麗さだ。


 取りあえず中を物色して、衣服とクズカゴとティッシュを持って、外に出て女性に渡す。おしめの交換はしてやれない。


 そしてまたリビングへ。床一面にガラスがあって、椅子とテーブルがあって、それと。


「まだ生きてる、のか」

「うん」


 例えじゃなく顔の潰れた女がふたつ転がっている。胸が動いているから息はまだある。両方とも歯が無く鼻も潰れて腫れ上がっている。


 手足の指も爪が割られており、流れた血は拭われずそこだけ青黒くなっている。


 流石にこれは俺じゃ無理だな。


「直せるか」

「全快させたら話がややこしくなるけどいいの」


「もしかしたらこいつらを助けるのは間違ってるかもしれないけど、こんなことに巻き込まれて歯や爪が、無くなるなんてのは可哀想だよ」


 本当はここで死ぬのが、お似合いの外道っていう可能性もある。


 でも俺は本当のことなんて、知らないからな。悪いと言われる筋合いが無い以上、助けてもいいはずだ。


「いいよ。でも怒らないでね」


 ミトラスはそう言うと、いつもの姿に戻る。幻想的で爽やかな緑髪が、全体的に明るい風貌が、今は場違いだけど、この状況だとこいつ以外のものを、見たくなくなる。


「怒る訳ないだろ怒るぞ」

「分かったってば」


 ミトラスは物体になりかけの女性を抱き寄せると、静かに唇に口付けをした。その瞬間から相手の体は淡く光り始めた。


 血こそ拭われていなかったが、潰れて変色していた地肌はちゃんと肌色に戻り、割られて肉に食い込んだ爪も、抜けてから再生していく。


 彼の唇が離れた後、女性の血色はかなり良くなり、呼吸もはっきり確認できるまでになっていた。


 全身の浅い傷が残ったのは敢えて残したんだろう。全快させてもいいと思うけど、文句は言うまい。


「ちゃんと歯も治しておいたよ」


 ミトラスが相手の口元を軽く押し広げると、そこにはさっきまでなかった、健康的な白い歯が生え揃っていた。


「お前って本当に凄い奴だよな。ありがとう」

「あ、うん。じゃあもう一人も済ませちゃうね」


 何故か照れるミトラスをその場に置いて、俺は回復したほうの女性を外に運び出した。


 ――

 ――――

 ――――――


 期せずして救助活動をする羽目になった、俺たちのその日はとかく忙しかった。


 先ずリビングがあり、そこに三人いた。廊下を左に曲がった先には、突き当たり片側にトイレ、洗濯機、浴室があり、もう片方には物置のような、細長い一室があった。


 そしてその物置みたいな部屋に、さっきと似たような状態の女性が三人。どっから持ち出してきたのか分からない点滴を、打たれていた。


 きつい。疲れた。


 頭が回らなくなりそうだった。


 点滴の外し方も、外していいかも分からない上に、動かしたらいけないから、救急車が来るまでそのままにした。


 そう、救急車だよ救急車。あとは警察。幸いなことに野次馬の高齢者が、数人部屋から出てきてたから、頼んで警察と救急に電話して貰ったんだよ。


 もうね、警察の事情聴取も正直しんどかった。俺は第一発見者。去年の師走には行かなかった、警察署に行った。


 初めてパトカー乗った。ドラマみたいな取調べ室ではなくて、何か特に名前もない一室に通され、お巡りさんたちが来た。今年の二月に不審者を引き渡したときの人たちだった。


 先ず学校はどうしたという問いに、後輩の店が嫌がらせ受けてるから、一発文句言ってやろうと思った、見栄を張りたかったなどと供述した。


 刀を護身用に持っていたことについては、特に突っ込まれなかった。ありがとう歴史改変者。


 次にどうしてあの場所を知っていたのかを聞かれたので、素直に後輩から聞いた、後輩はストーカー相談の際に、警察から聞いたということを言っておいた。


 そこも突っ込まれなかった。

 ありがとう神奈川県警。


 最後に鍵はどうしたと聞かれたので、正直に一緒に付いてきてくれた猫のミーちゃん(仮名)が、途中から駆け出して、追いかけたらドアの前から悪臭がして、中から悲鳴が聞こえてきて、ドアノブを回したら開いちゃったといいました。


 あ、拉致されてた女性たちだけど、命に別状はないらしい。点滴打たれてたほうも衰弱してるけど、外傷は重くないそうだ。知ってるけど。


 そこまでを聞いて、ようやく俺は疲れを受け止めることができた。


 そうこうして昼が終わる頃に、事態は一先ず落ち着いた。俺は身元が判明していることもあって、帰って良いことになった。


「じゃ、また何か聞くことがあれば連絡しますので」

「はい。ありがとうございました」


 俺は運転手のお巡りさんに挨拶をすると、家に入り刀を玄関横に立てかけた。


 そして今度は届けてもらった自転車に、またミトラスことミーちゃんを乗せて学校へ急ぐ。


 目的はアガタだ。時間で言えばそろそろ昼休み明けの授業が終わる頃だから、移動教室でもない限り会えるだろう。


 行き違っても嫌なので、急ぎ足で向かったところ、果たして彼女はいた。


「おーいアガタ、すまん。ちょっとこっち来てくれ」

「あれ、先輩どうしたんですか」


 アガタの教室はいたって普通で、俺が姿を現しても特に誰も嫌そうな顔をしない。変な物を見るような目はしたが。


「すまん、何ていうかすまん。いや、結論から言えば俺は全く悪くないんだけどごめん、その、大変なことになった」


 俺はアガタを廊下の片隅に招き寄せると、小声で只管謝った。いや、俺は褒められることをしたんだよ。間違いなく。


 ただ褒められないことも有ったってだけで。


「落ち着いてください。何があったんですか」


「詳しい話は部活でするが、スト、椎茸女の件に動きがあった。それでちょっとな」


 こういうことが校内で噂になると拙い。ストーカーだと周りが引いてしまうが、椎茸女だと頭がおかしい奴にしか聞こえない。


 機転を利かせて咄嗟に配慮ができたのは、我ながら上出来。


「え、あの人とうとう何かやらかしたんですか」


「いや最初からやらかしてる人だったんだよ。まさかこんなことになるとは、思わなかったんだ」


 俺だって日常にあんなのが潜んでいるなんて知らなかったんだ。


 相手がストーカーだからって、気を引き締めたつもりでいたら、予想よりもずっと上の事態に発展して、途方に暮れそうだ。


 今まで敵でも味方でも頭が大なり小なりおかしい奴をいっぱい見てきたつもりだった。


 人の殺し合いだって、異世界で少しだけど見たよ。この世界でだって悪意のある奴とは、結構接触してきたし、背中にシャーペン刺されたことだってある。


 だからね。ちょっとね、侮ってたね。


 蓋を開けたら、これは見て見ぬ振りをするわなあって思ったよ。


「でもな、たぶんあの椎茸女は警察に捕まるだろう。だからその辺は安心して欲しい」


「あ、じゃあ身の安全は大丈夫なんですね」


 え。それは。その。


「…………」

「先輩? 大丈夫なんですよね、先輩!?」


 何故だろう。このとき俺はアガタの責めるような問いかけに、うんともすんとも言えないのであった。

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