・食後が不味くなる
今回長いです。
・食後が不味くなる
日曜日である。
今日は珍しく、バイトを休んでちょっとお出かけ。
早川駅よりバスに乗り揺られること約二十分。時刻はお昼。俺はアガタの家へと向かっていた。
そこはかつて小田原の街を、自身の膝元と称した会社一つと工場三つが近接する、一大工業地域だった。
会社と工場の敷地を合わせると、実に大学二つ分程になろうかという広さだが、それも昔の話。
今は分野の先細りを受けて規模を縮小し、工場の一つは別の会社に売られ、もう一つはまだ買い手が付いておらず休止状態。
下車したついでに立ち寄ってみた所、立ち入り禁止となっており、パッと見は廃墟と呼んでも、差し支えない雰囲気であった。
そこから通り抜け出来ない馬鹿でかい糞邪魔な敷地に沿って歩いていく。
観光名所小田原と聞くと、風光明媚な自然や歴史ある建造物を、思い浮かべる方もおろうが、中にはこういう寒々しい場所もあるのだ。
「片方は音楽機器のメーカーに買い取られたそうよ。今残ってるのは発電や、農水産用への活路を探して、開発を続けてる部門なんだって」
「へー。もう一つはまだ売れないままなんすよね」
「自社製品を量産するための工場だから、そこだけを買ってもらうってことは、難しいでしょうね」
地元のパンフレットを捲りながら、海さんが楽しそうに言う。今回の同行者にして、アガタの家に行ってみたいと言いだした、張本人である。
「会社が繁盛してたときは、周りの店も繁盛してたんでしょうな」
「ベッドタウンの定めよね……」
しみじみと言う海さんの目線を追えば、そこには在りし日の、面影を残すシャッター街。
当然だが軒並み店仕舞いされている。クリーニング店の扉は、シャッターが下りているのに、隣の受付用の窓口みたいなのは、閉じていない。
その窓口から窺える中は暗く、裸電球が一つ点いているだけ。明かりに照らし出されたのは、小さな一人掛けの椅子にぽつんと座っている、ガリガリに痩せたおばちゃんだけ。
周りにはビニール袋に入った、シャツらしきものが積まれている。怖い。
すぐ近くにある床屋では、暇を持て余した店主と客ではなさそうな人々が、談笑している。どちらにせよ仕事はないみたいだ。
「この近くにあるのよね、その後輩さんの家っていうのは」
「家っていうか店っていうか」
事の発端はバイト中での雑談だった。
そのときは部に入った新入生、つまりアガタのことを話題にしたのだが、御両親がこの辺で料理店を出しているらしいと言うと、海さんが行ってみたいと言い出したのである。
だからまあ、家というより店だろう。それを聞くなり海さんは、その店に連れて行って欲しいと、言い出したのである。
まるでデートのお誘いだ。何の店かは知らないが、もしかしたら敵場視察の意味も、あるのだろうか。
「どんな所か楽しみね」
『東雲』とは反対方向だけど、距離はそこまで遠くないし、飲食店の競争は厳しいからな。
地元の回転寿司も価格競争に敗れたほうが潰れた。残ったほうは『貧すれば鈍する』を地で行くような、美味しくない店が残ってしまった。
万に一つ、海さんが奇抜な方向に舵を切りそうなら、止めなくてはならない。そんな状況になればの話だけど。ていうか俺の場合、単に飯を食いに足を延ばしただけだなコレ。
「お、アレじゃないすか」
「アレって、中華料理のお店だけど」
海さんが指差した先には『日鬼楼』と書かれた、軒看板を掲げた一軒の大衆料理店。中国語が分からない俺にも、ディスリスペクトを感じられる名前だ。
焚書堂といい、攻撃的な名前の店に遭うのは、これで二軒目である。
しかし特徴的なのは看板くらいであり、店そのものはコンクリートと木造の、混合住宅。
周囲のアスファルトと雑草生い茂る道端、そして昼時なのに人もまばらという状況が加わって、何処にでもある乾いた匂いを、俺の鼻に届ける。
せめて飯作ってる音と匂いをくれよ。
「アガタは一応中国人だから合ってんじゃねえかな」
「え、ブラジル人とのハーフで、国籍上は日本人なんでしょ」
「でも聞いた限り名前と家柄は、もの凄くチャイニーズですよ」
「サチコさんの言い方って危なっかしいから、改めたほうがいいよ」
なぜか海さんが辺りを警戒して、俺にそんなことを言う。褐色の肌に標準的な女性の背丈と、体型である彼女だが、外見に反してそこまで笑わない。
色々なことに気を遣う性質だからか、たまに躾けるようなことを言う。
「そんなことより中に入りましょ。ここまで来て食わないってのは無しですよ」
「ああ、うん、そうね。うん、正直客層が被らなくて良かったって思ってる」
海さんがさらっと本音を白状するの横目に、店のドアというか引き戸を開ける。
中にはサラリーマンがぎっちり詰まっている。近場の工場一つ閉鎖になった所で、勤め人はまだまだいるということか。日曜日なのにな。
「混んでますね」
「そりゃお昼だもの」
わざわざそんな時間帯を指定してきたのは、海さんである。書き入れ時の繁盛具合も、知りたかったのだろう。
とはいえ大衆向け中華料理屋と、喫茶店では客層が違う。
喫茶店入ろうって奴が同じ気持ちで中華屋入るか。同じように中華食いたい奴が喫茶店行くか。心なしか隣の人の表情は、晴れやかである。
「いらっしゃいませ。二名様ですか」
「あ、はい」
「もうちょっとお待ちください」
お盆に料理を載せて運んできた美人の中年、中年だろうか。俺はこの人がアガタの母親と思って年を考えているけど、違ったらただの美人だ。とにかく美人が出てきたんだよ。アガタに似てるし美人だ。
「日本語が片言ね」
「アガタは普通に話してたんだけどな」
※片言を表現すべく半角カタカナの使用を考えましたが、非常に読みにくいので通常の表記となります。きっとカタカナっぽい喋り方を、しているのだろうと思ってください。
「あ、蘭のお友だちですか」
「ええ。そんなとこです」
「ごめんなさい、今ちょっといないです」
そう言って奥さんはお客さんに料理を出して奥に、恐らく厨房へと戻って行った。
店内に入ると、ちゃんと調理の音と料理の香りとがあって安心する。
別に仲が悪いって訳でも無さそうだな。良かった。
「どうします」
「待つ場所もないし外で待ちましょう。お昼が終わったら、お客さんも帰るだろうから」
「そっすね」
そうして待つこと十五分。背広姿の人々がばらばらと店から出てくる。全部で十人くらいだろうか。
彼らが立ち去った後に、俺たちは改めて入店した。中では食器を慌しく片付ける、奥さんの姿が。
「こんな風になってるのね」
店の中は全体的に赤い。テーブルも椅子も真っ赤。壁に貼られたメニューも赤が基調で、たまに黄色と些か目に痛い。
残った客は顔色の悪い男性と、女性客が一人。
男は無造作風の髪に、特徴のないワイシャツとネクタイと黒ズボン。
女は何ていうか、普通。長くも短くもない髪。社会人用のメイク。スーツ姿だから会社員なんだろうが。
ただ不気味なのは携帯電話を弄りながら、もう片方の手でチャーハンから、何かの具をしきりに横に選り分けてることだ。
「椎茸分けてる……」
「入ってるの知らなかったんですかね」
海さんが顔を顰める。女は笑顔のまま頼んだチャーハンから椎茸を取り出し続けているのだ。食べる様子はない。
いつからそうしているのか知らないが、料理はとっくに冷め切っているみたいだ。食えよ。
何か見ないほうがいいものを見たような気がする。俺たちは女性が視界に入らない席を選んで座り、テーブル備え付けのメニューを手に取った。
料理の材料もちゃんと日本語で表記されていた。
「何頼むの」
「折角遠出したから、この際奮発しようかな」
「私この桃饅って食べたことないの」
「それ餡饅ですよ。桃っぽい見た目ってだけで」
「ああ、そうなの。じゃあどうしようかな」
二人でしばらく悩んだ末に俺はおこげを、海さんはチャーハンを、そして割り勘で麻婆豆腐と野菜炒めを頼んだ。
注文した際に奥さんが日本語ではない、たぶん中国語かポルトガル語なのかな、を大声で言うと、厨房から同じく外国語が返って来る。
「何語なんだろう」
「スペイン語じゃないみたいね」
「分かるんですか」
「巻き舌が少なめだったからそうかなって」
へえ。そんな特徴があるのかスペイン語。じゃあポルトガル語と中国語の特徴は。聞こうかとも思ったけど止めた。別に覚えようとは思ってないからだ。
待ち時間の間、もう一度店内を見ると玄関側、レジの真上にテレビがあった。小さいテレビが付けっぱなしになっている。いかにも大衆食堂といった風情だ。
「そういえばサチコさん、ブラジル料理頼まなかったのね」
「食べたこと無いから警戒しちゃって」
メニューの中には中華料理に混じってブラジル料理があったんだけども、挑戦するのはまたの機会にでもしよう。
食べ歩きの挑戦は、無料じゃできないんだから。
「お待たせしました」
「あ、ありがとうございまーす」
「いただきます」
特に何事も無く出てきた料理は普通に美味そうで、そして普通に美味かった。全体的に塩と油が良いのかよく炒められていて、あっさりしている。
ボリュームもたっぷりで、値段相応か、それ以上といった様子。
『ごちそうさまでした』
「ありがとうございました」
お会計を済ませて退店する俺たち。
終わってみればただの食べ歩きだったが、大成功と言っていいだろう。海さんも満足そうだ。
「特に何も無かったな」
「いいじゃない。美味しいお店なのはいいことよ」
「それもそっすね」
そんなことを言って帰路に着く我々。その時、来た道から誰かが、自転車に乗ってくる。
店の前まで来て停まると、乗っていた人物がこっちにやってくる。アガタだった。日曜なのに制服のままである。
「あれ、先輩、どうしたんですか」
「何って挨拶代わりに、飯を食いに来たんだよ。ごちそうさまでした」
「入れ違いにならずにすんで良かったわね」
「えっと、こちらの方も部の人ですか」
「いや、俺のバイト先の先輩の海さん」
「こんにちは」
アガタに海さんを紹介するも、二人とも日本的なお辞儀を済ます。そして会話が終了した。
特に用が無い上に、飯も食べ終わって、長居する理由もない俺たちには、それ以上話せることが無かったのである。
「先輩たちはもう帰るんですか」
「うん、もう飯食い終わっちゃったしな」
「そうだったんですか。どうもすいません」
アガタは申し訳なさそうにしている。
ただ、何だろう。変に落ち着かないような、挙動不審というか、妙にそわそわしてるというか。
「いいって、ただの客に謝る理由なんかないだろ」
「またその内食べに来るから、その内会えるでしょ」
俺たちはそう言って帰ろうとする。店の前でアガタと別れて、改めてバス停へ向かおうとした。
向かおうとしたんだけど、少しして足が止まった。
「どうしたの、サチコさん」
日鬼楼へ振り返ると、変わらずアガタの姿がある。なぜか店の中を窺うばかりで、一向に入らない。
胸騒ぎがする。店の前まで駆け戻ると彼女は明らかに狼狽し始める。不安がいや増す。
「どうかしたのか」
「先輩、忘れ物ですか」
「何があったんだ」
俺たちが出たときには、特に何も無かったはずだ。火事じゃないし、喧嘩もない。親子喧嘩って雰囲気でもない。唯々この後輩の顔には、不安と怯えの色があるばかり。
アガタは手ぶらだ。この年になれば中身が空だって鞄の一つも持って出る。無手である以上、買出しの線も薄いだろう。
「いいから言ってみろ。お前の顔を見れば何かやばいことが起きてるのは分かる」
駄目押しのつもりで迫ると、彼女はもう一度店内を見やり、観念したように溜め息を吐いた。
自分の耳を指差したのを見て、俺は片耳を寄せた。アガタの吐息が耳にかかる。
「お店の中にその、まだお客さん、いますか」
その言葉にピンと来るものがあった。どういうお客さんを指しているのか。思い出すのは違和感のあった二人の客。
一見普通の女と顔色の悪い男。静かに戸を開ける。戸を閉じる。
「いる。女と男。どっちだ」
その二文字を告げると、アガタの顔に一層の苦悶が浮かび『両方……』という声が、小さくこぼれた。
嫌な予感が現実のものに変わっていくのを感じて、唾を飲む。口の中にあったはずの料理の後味が、急速に消え失せていくのが分かった。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




