・思い出す:サチウスとミトラス
・思い出す:サチウスとミトラス
※この話は概ねミトラス視点でお送りします。
僕はミトラス。政体が君主政で経済が社会主義寄りな国の、政体が民主制で経済が自由主義寄りな地方都市で、区長を努める共産系男子。
魔王の息子で現在休職中。とても働きたい。
「うーん、ちょっと長いしくどいな」
「どうしたまた考え事か。何もしてない時間がつらいとか、人間失格だぞ」
「僕は人間じゃないから」
リビングで自己紹介の文を考えていると、最早長年の相棒と言っても差し支えない女性が、お茶を入れてくれた。彼女は通名サチウス、本名サチコ。
僕にとってはどっちでもあるから、どっちでも呼んでいる。ちなみに苗字は彼女が嫌がるので、呼ばないことにしている。
サチウスは僕の隣に座ると、今淹れたばかりのお茶を啜りながら、ズボンのポケットから文庫本を取り出した。
特に言うこともない三月の日中。
緩やかに時間が過ぎていく。
「もうすぐ五年目だね」
「ん、そうだな」
素っ気無い返事をして、僕の耳を撫でる彼女の顔は穏やかだ。不思議だ。体のほうは年を取っていないはずなのに、随分と大人びたように感じる。
前から僕よりはそうだったような気がする。勿論、僕のほうが年長者だって場面も、幾つかあったけど。
「俺たちが付き合い始めてもう五年目か。普通のとこなら籍入れろとか、言われる頃だな」
「え、結婚したいの!」
「まさか」
がっついた自分が恥ずかしい。僕としては結婚に関しては、したい気持ちもあるし、したくない気持ちもある。
僕にも番いの相手を孕ませたいという、雄としての本能もあれば、子どもなんか欲しくないという、男としての理性もある。
「ちょっとくらい考えてみたり」
「ないない」
サチウスにもそういう面が有るとは思うけど、天秤が釣り合っている僕とは違い、彼女は結婚と妊娠に対して秤が全力で『NO』に傾いている。
学業がどうとか以前に、感情論で嫌だと言っているのだ。なので僕からは『じゃあ止めておこう』というふうになる訳で。
「俺はそういうのはいいよ」
「あ、そう」
サチウスは生まれも育ちも良くない。
その反動なのか、それとも人間に対する気持ちが、削ぎ落とされただけなのか、魔物や他の生き物には大分優しい。
そしてここ四年でもっと優しくなった気がする。
「君は変わったよね。始めはどうなるかと思ったよ」
「そうかな」
「そうだよ、この前だってすごいおめかししててさ、びっくりしたよ」
異世界にいたときから『私服』の所持数と、概念に乏しかった彼女が、先日友だちと買い物に行き、別人みたいになって帰ってきた。
色っぽいというか、なんていうのかな、生贄感っていうのかな、供物っぽさが凄い出てた。
もしもサチウスじゃなかったらという閃きがなかったら、あの場で押し倒していたかもしれない。
もっと言うと彼女だと分かった上で、もう少し痩せさせていたら、部屋に連れ込んだ後、僕の体力が尽きるまで出さなかったかもしれない。
それくらいもう何か凄かった。おそらく僕で無ければ欲望を、抑えられなかっただろう。
それはさておき。
「俺だって気付かなかったくせに」
「あんまり綺麗にしてたし、髪型も変わってたから」
普段の姿が雑というか無造作というか、色々と乱れてるから、君があんなに整えられるなんて、想像できなかったんだ、などとは言うまい。
晩御飯がペットフードのカリカリと、猫用スープにされてしまう。
「そうなの」
「そうだよ」
「そうか」
サチウスはそう言うと、文庫本を閉じて僕を手招きした。椅子に深く腰掛けて、肢を大きく開く。
僕は猫に変身するべきか迷ったけど、そのまま間にお邪魔することにした。
「何気にこうするのって初めてかも」
「そうだっけ? よいしょっと」
僕が後ろからの柔らかな圧力に負けて、机に突っ伏すと、そのままサチウスが覆い被さる形になった。お腹を抱えられて、身長差から頭に彼女の頬が乗る。
「最初は胸ぐら掴まれたのになあ」
「寝起きで『というわけで』なんて言われたら誰だって怒る」
「そこは尻込みするんじゃないかな」
声を出せば、お互いの体の震えが響き合う。語ることを止めれば、呼吸が重なり合う。
練習なんかしてない。僕たちはもう、長いことこういう感じだ。それがなんだか嬉しい。
「色々あったな」
「本当にね」
思えばこの人を連れて、物語にあるような旅や冒険に連れて行ってあげたことなんか、一度もない。
気の利いたプレゼントもない。仕事仕事に明け暮れていた。そんな僕を、僕の大事なものを、この人は大事にしてくれている。
罪悪感がある。でもそれよりも、もっと。
「お前と初めて会った頃、公園でこんなふうに告らせたっけ」
「先にしたのはあなたでしょー」
「四天王たちとも会って、お祭りをして、あのときに初めてしたんだよな」
「歯磨きした直後に皆が帰って来ちゃって、結局朝方になっちゃったね」
それからがまた長かったけど……。
「滅んだ街を西へ東へしてさ。密猟者に襲われたり、天使に襲い掛かって拳を傷めたり」
「あのときはよく無事に済んだと思ったよ」
「心配かけたな」
「今もちょいちょいかけてるじゃないか」
でもそれは僕の落ち度だったこともある。責められないなあ。ディーとの距離が埋まって、パティと知り合って。
そういえば最初はこの人を、特殊な階級の奴隷だと勘違いしてたっけ。この世界に来て、あまり違いはないと知ったけど。
「面目ない。どの道危ない目に遭うなら、異世界にお前を誘って冒険にでも行けば良かった」
「ふふ、せっかくその為の道具を作ったのに、結局仕事にしか使わなかったね」
「地域振興の会議ばっかりやってたしな」
元の世界に帰ったら、休みの日に誘って冒険にでも出かけてみようか。
あの頃は彼女がまだ、普通の人間だったから、そういうのを避けてたけど、今なら大丈夫そうだし。
「サチウスも昔は弱かったなあ」
「お前たちがそれを気にしないでいてくれたからな」
体をもぞもぞさせると、彼女が察して手を離してくれる。僕は体の向きを変えて、サチウスの胴体にしがみついた。
コアラという動物みたいな構図になって、みっともないけど離れたくない。しかし体勢は変えたい。
「それにやっぱりさ、何となく魔法を覚えたり、役所を襲われたときに応戦したりして、俺も『つもり』が変わってきたっていうか」
自分なりに役に立ちたいと、思ってくれたんだね。
「ねえサチウス。今はもう、うなされてない」
魔法を覚えるときに、サチコは一つの通過儀礼を、済ませた。自らの血を流す過酷なものだった。
僕はこの子が夢にうなされていたときの、苦しげな寝顔を、そしてそれを見守った日々を、この先も忘れないだろう。
「……うん」
「ならいいんだ」
去年もそういう日があった。この先もきっとあるだろう。つらい思い出が増えればその分、いつかまた思い出すだろうから。
背中を擦られて、首筋を指で浅く引っかくように、とんとんと叩かれる。くすぐったい。あやされてる。
思わず笑い声が漏れると、くすり、という音が聞こえた。
「今は平気だから」
「そう」
「色んな魔物と出会って、色んなことがあって、この世界に戻ろうって思えた」
最後の一押しは、異世界転生をしてきた人たちとの接触だろうけど、その前からサチウスは、自分の状態について、ずっと考えていたみたいだった。
自分自身と向き合うようになっていた。
「それで嫌なこともあったけど、でもそれだってもう距離が空いて、友だちも出来た。俺にだよ」
魔物の友だちじゃなく同族の、ってことだろうな。人間嫌いだったこの子が、群れに戻ろうと思った。
その理由も、群れに戻りたいからじゃなくて。
「立派になったね」
「偉そうだぞ。俺が帰るって言ったときは、泣いてたくせに」
「今でも泣いちゃうかもね」
始まりは同情だったかもしれない。共に過ごすうちに友情も芽生えた。彼女に助けられているうち、すぐにそれ以上の気持ちになって。それから……。
「ねえサチウス」
「なんだ」
「一緒に付いてきたけど、ううん、それよりもずっと前からなんだけど」
「なに」
「僕ってさ、その、役に立ててるのかなって」
案外僕がいなくても、君ならきっと大丈夫だったんじゃないかって、思うときがあるんだ。
「我がまま言って付いてきたけど、君が日に日に成長していくのを見てると、お節介だったかなって」
不意に彼女の抱きしめる力が強くなった。それでも触れている体は柔らかくて、良い匂いがする。
「ミトラス」
サチウスが、僕の名前を呼んだ。振り向くと彼女の顔があった。
「何処にも行けず、誰にもなれないはずの俺が、ここに来れたんだ」
今にも触れそうなほど近くに、サチウスの黒い瞳があった。少しも揺れることなく、金色の瞳を見つめている。何度も何度も見詰め合った眼だ。
「俺を、浚ってくれてありがとう」
――彼女の顔が、少しだけ近づいた。
繋がったままサチウスが体を動かす。下にいる僕はテーブルに、押し倒されたようになった。急に辺りが暗くなった。髪の毛で光が遮られたんだ。
一瞬だけ離れたと思ったら、口の中に注ぎ込むように、言葉が降ってきた。
「幸せだよ。ミトラス」
飲み込ませるように、また繋がってくる。
不思議だな。ずっと一緒にいるのに、この子とは、この人とは、彼女とは、もっと一緒にいたい。いつもそう想う。
だから、ちゃんと言い返さなきゃ。唇を逸らして、頬を両手で包んで。光が差し込んでくる。
「……ねえ、サチウス」
――
――――
――――――
僕もだって、ミトラスは言ってくれた。
もう一度顔を落とすと、再び光は遮られて、景色は真っ暗になる。
そうやって、二人の時間を過ごした。
<了>
これにてこの章は終了となります。ここまでよんでくださった方々、
本当にありがとうございました。嬉しいです。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




