・進路に異常有り
お食事中に読むことはお控えください。
・進路に異常有り
さして休まった感じもしない、二週間の冬休みが明けて、今日は始業日である。
学校の教員同士で打ち合わせもしないで出したような量の宿題も、今日提出の分は終わらせた。
風も無く天気も悪く妙に寒い朝の中を、自転車で急げば触れる空気は、肌を切り裂くような冷たさ。
寒いだけとか暑いだけで、幾らでもダメージを与えられるお天道様は、本当に恐ろしいお方である。
特に身長が十cm伸びてしまったことで、相対的に制服が小さくなってしまった、今の俺に冷気は効く。
腹と足回りが以前よりも冷えるので、おなかも下しがち。
通治は良くなったけど、割りに合わない。タイツとジャージと腹巻をしているけど、これがトイレのときにまあ邪魔のなんの!
脱ぐという動作が出すという動作を補助するので、個室に駆け込んでからも、最後の一瞬まで決して気が抜けない。
今のところ漏らしてないけど、何か改善策を見つけないといかん。真面目な話、最悪おむつも検討しないとならんだろう。
笑い事ではない。
世の中には世界史の教科書に書かれるように、古代から漏らした話が、糞の如く転がっている。
なんでかっていうと、一つは相手を貶めるためで、もう一つは暴露することでスッキリするからである。
漏らしたことで心に澱のようなものが溜まり、ソレを出してスッキリするために、何処かに書くなり誰かに話すなりするのだ。俺とて漏らしたらそんなことをするかも止そう。こんなことを考えるのは。
朝っぱらからこんなことを考えてしまうのは、寒さのせいであり、間一髪間に合ったおかげだろう。冷たい便座のせいでしにくいが、和式よりはましだ。
急な差込にも怯まず、極めて冷静かつ迅速に駐輪場からここまで来れたのも、道中をほぼ無心で歩けるだけの集中力と、自制心の賜物か。
「本当に危ない所だった」
女子トイレは全部個室だから、大でも小でも生徒は入るし、携帯電話を使うために入る者も多く、校内において比較的平和な場所である。
普段なら立て込む厠長屋とでも形容すべき女子トイレだが、休み明けのせいか他の人がやってこない。
男子は個室に入るといじめられるので『学校行ってたとき一度もうんこしなかった自慢』というのがあるらしいが、6・3・3・4制の内十二年、最長十六年もの間我慢してると、やっぱり心が壊れてくんだな。
排泄は我慢すればするほど健康を害する。健康を害するということは、心身を害するということである。
もっとも今回のように、寒さで体が冷えたという力で抗うのが、不可能な事態が発生することもあるし、話が単純な分対処の難しいこともある。
ともかく間に合ってよかった。
そんなことを考えつつ、用を足した俺は女子トイレを出る。すると丁度そこへ誰かがやって来た。
「お、サチコじゃん明けましておめでとー」
「あ、先輩。明けましておめでとうございます」
米神高校きっての問題児こと北斎先輩だった。このこけしのような頭を見るのも、久しぶりだなあ。
「今日部活ですか」
「そうそう。休みに入るときは一度部室を片付けないといけないからね。また荷物を置きに行かないといけないんだ」
長期休暇に入る前は、部室を白紙化するのが愛研同の決まりである。他の部も同じだけど、他の部よりも格段に物が多いので、手間もかかる。
今更だけど時刻はまだ始業のチャイムが鳴る前だ。することのないオタクは学校に早く来るものである。
そして本当は来たくないけど、朝練に借り出された体育会系に、いちゃもんを付けられるのだ。
「なんか先輩の顔見るのって、すごい久しぶりの感じがする」
「そりゃ二週間も顔合わせなかったら忘れるって」
「そんなこと言って、どうせ全員覚えてんでしょ」
「あくまで一般論だよ。一般論」
女子トイレの前から、彼女の歩幅に合わせて歩く。俺の一歩が彼女の二歩に相当する。ゆっくり歩く俺の隣で、とことこ歩く先輩がいる。不思議な光景だ。
現在地は一階女子トイレ前、お互いに教室は上なので階段までは一緒だ。
トイレの前にも階段があるけど、そっちを上ると職員室前に出るので、反対側に回り込む。
「でも先輩に合うのは久しぶりなのに、部活は休んだ感じしないなあ」
「仕事とか作業って時間の感覚が開かないよね」
俺の場合は邪魔が入って、気持ちが晴れるまで時間が掛かったり、奇妙な横槍が入ったりで、休みを満喫できなかったからなんだけど。
「なんか宿題やってたら、休み終わってたような気がする」
「私もコミケの戦利品読み漁って、遊び倒して、感想送って自作してたら終わってた」
「いつも通りだなあ」
「サチコは冬休みどうだったの」
「ちょいちょい邪魔があったくらい」
「あー、サチコ一人暮らしだもんね」
それがどういう意図で言っているのか、良く分からないけど曖昧に頷いておく。
「あ、そうだはいこれ」
「何すかこれ。USBなんか渡して」
「お年玉。中に自作のゲーム入ってる」
先輩がレンズを指でつまんでクイっと持ち上げる。心なしか光って見えたような、いや気のせいだな。
しかし自作のゲームって。
「先輩何してたんすか」
「何って、ゲーム製作用ツールや素材をかき集めて、ゲーム製作用ツールをツクッたんだよ。なるべく軽くて快適に、かつ出来ることを減らさないようにしたから、自分で言うのもなんだけど、かなりの力作」
大人しくゲームを作れよ。滝を遡る鯉みたいな芸当しやがって。このUSBの中に入っているのはビルダーかはたまたツクールか。
「先輩何してたんすか」
「何って将来のことを考え遺産をこさえてたんだよ」
「ほほう」
自分の進路のことには、なるべく触れないようにしてきた彼女に、いったいどういう心境の変化があったのか。彼女は薄い胸を張り不敵に笑った。
「とりあえず学生が自作のゲームを作っているというのは、それなりに実績アピールになるからね。お偉い先生はゲームの歴史というか価値観が止まってるし、そうでない先生は時代を追うにつれて、ゲームに慣れ親しんだ人が増えてくるからね。ネットに繋げてエロサイト見る訳でもないし、健全健全」
「なんか今更感のある政策っすね」
「学校が時代に取り残されてるからね。社会に出るのは概ね時代に取り残された若者だよ。ただそのおかげで私たちは、彼らの目を眩ませるための選択肢を、山ほど持ってるんだ。全ての今更が、学校では新しいと言っても過言じゃないね」
こうやって調子に乗っているときの先輩は、足元を掬い易いが、事実として調子がいいときである。
でもこのUSBに入ってるのって、たぶん俺には使いこなせないんじゃないかな。
『何が分からないのか分からない』という状態になると思う。
「後はこれでちょっとしたフリーゲームを作って発表すればいい。愛研同の中心であるうちらは、現状他の部に顔を出す、帰宅部みたいなものだったから、活動内容が必要かと思ってね」
「よく考えましたね」
「いやいやなんのなんの」
とっくに階段に付いているが、二人とも教室に行きたくないので、下駄箱傍の自販機へ移動。紙パックのお茶を買って、時間一杯までお喋りする。
「やっぱり自分が始めたことだからね、後は当事者たちの勝手だとしても、最低限やることやらないと、責任が取れないでしょ」
「あんたが言って周りが乗ったってだけだし、そんなものは無いと思うんだけどねえ」
「まあその辺は私の勝手ってやつにしといてよ」
「うっす」
紙パックのお茶の中身が尽きたことを示すストローの啜る音が二つ鳴り響く。
「私も今年で三年だからね。引退まで秒読みだし、何かしたかったんだよ」
「これだけ色々やってきたのに」
「全然足りないね」
そうだろうな。この人には時間が一番の邪魔者って感じがする。探求者とか趣味人としてみれば、不老不死が一番入用なのは、きっとこの人だろう。
「そういえば先輩、三年で思い出したんですけど」
「何」
「結局進路はアレで本決まりになったんですか」
斎は沈黙した。
三年になることを意識している割には、そのことを口に出さないから、おかしいとは思ってたんだよな。
「あ、そろそろ時間だね。随分長く話し込んじゃったね。それじゃねサチコ。また放課後ね」
「え、あ、はい」
「お互いに進路頑張ろうね!」
途端に白々しい打ち切り方をすると、彼女は去って行った。あいつさては自分の進路から目を背けたくて、これに没頭してたな。
しかし進路か。俺は卒業したら異世界に戻ることが決まってるけど、それを知る者はいない。先輩も南も海さんも知らないことだ。
話しておくべきか、それとも知らせずに、さよならをするべきか。
俺は俺でこの問題をどうするかを、決めないといけない。不意に溜め息が漏れると、見計らったかのようにチャイムが鳴る。
顔を上げず、教室へ続く階段に足をかける。目的の階に着き、冷たい空気の満ちる廊下を進み、何枚目かのドアを開ける。
冬休み明けの学校なのに、中は静まり返っていた。クラスの中は珍しく全員揃っている。その視線が集中してくる。こっちも変わりがない。
そう、良くも悪くも変わらない日々がまた始まる。俺にとっても、彼らにとっても、そのはずだ。
ただ俺は、この日々が本当は変わっていることを、知ってる。この次は俺も彼らの様に、いつもではない日々とは気付かずに、いつも通りと思って過ごしているかも知れないが。
いつ時間から取り残されても、おかしくない中で、俺たちは生きている。
そんなことを考えながら俺は、明日もきっとそうする様に、いつも通り自分の汚く、傷んだ席に着いたのだった。
<了>
この章はこれにて終了となります。
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