051上陸
魔王側はお待ちかねのようだった。強くなってきた風に押されて帆船が近づくと、空を羽ばたくドラゴンや小型翼竜、合成怪物に地獄の番犬が海岸で待ち受けているのが分かった。その他、俺の知らないような怪物までゴチャゴチャと……
カイザ王子が剣を抜いた。洗練された野性味あふれる赤髪の男は、自分の失点を取り戻すべく張り切っている。
「カレイド、サポートよろしく。僕がここから全部叩っ斬ってやる」
「出来ない方に朝食のパンを賭けます」
「なら僕はたらふく食えそうだ」
王子が剣を振ると、遥か離れた龍が真っ二つになって墜落していった。二撃、三撃。彼が剣閃を放つたび、魔物の影が切り裂かれていく。刃が空を切る衝撃波が、あんなに離れた場所まで到達しているのだ。
勇者カレイドがぼやいた。
「今日は俺、腹が空きそうですな」
「代わりに魔物の肉を焼いて食べろ。食材は僕が用意してやる」
船が帆をまとめ、海岸に到達する頃には、待ち伏せていた化け物たちは皆んな逃げ散っていた。あとに、大量の仲間の死骸を残して……
「やっと陸か。陸はホッとするな」
船酔いしまくっていたウーザイが、今はすっかり元気になって飯をかっ食らっている。皆で焚き火を囲み、朝食をとっているのだった。リーダーが口を開く。
「海では襲撃にあったにもかかわらず、死者は1人も出なかった。皆んなの頑張りのおかげだ。ありがとう」
カイザ王子は2個のパンを食べながら語った。
「その代わり、馬は数頭が海の藻屑となってしまったが……。まあ仕方ない。これからは徒歩で行軍していくことになる。案内人は彼らだ」
彼が視線を向けた先に、悄然と縄につくオヨグとミズカクの姿がある。勇者カレイドは彼らの背中を爪先でつついた。
「魔王のダンジョンの場所、さっき吐きましたからね、こいつらは。行った経験があるとも」
オヨグたちはすがるようにゲップ国王を見た。枯れ木のような老人は、しかし憔悴し切っていて黙々と食事を進めるばかりだ。ミズカクは観念のため息をついた。
「私たちが先導しましょう。ただ魔王様は裏切り者として我らを許してくださりません。絶対に、絶対に私たちをお守りください。お願いします」
「調子のいいこと言いやがる」
カレイドは髭を撫でる。カイザ王子が杯で水を飲み、食事を終えた。
「それにしても、魔王の大陸というからもっと陰惨な景色を想定していたんだが……。僕が倒した魔物たちの死骸をのぞけば、ゼイタク王国やマンプク王国と大して変わらない。むしろ暑くもなく寒くもなく、快適とさえ言える。不思議なものだ」
広院は彼のかたわらでうっとりとその一言一句に耳を傾けている。アクジョはもはや嫉妬することもなく、上品に竜の焼肉をナイフで切り取っていた。彼女の元許嫁イナーズは、狩人のシトメールと談笑している。武闘家ケルは俺を助けた功績で囚人扱いから解放されていたし、僧侶ナオスは探検家カパラウの口説き文句を聞き流していた。アクジョの幼馴染ウーザイは船乗りコグやアヤツル相手に恋愛相談している。他にも冒険者や従者たちが魔物の肉を頬張り、楽しそうに笑っていた。
この50名弱で、いよいよ魔王のダンジョンへ入る。一体どれだけが生還できるのだろう。……いや、歴代の勇者は――謀殺されなければ――全員魔王を倒している。案外誰も死なないんじゃないか?
忘れないでおきたいと思うのは、今の魔王に魔神ワルイが憑依していること。100年以上という月日を過ごした今の魔王は、相当強いかもしれないこと。奴の側近にはソーキンという実力者がついていること……
「行くわよ、ヒロ」
アクジョが俺の頭を軽く叩いた。何だよ、と思ったときにはすでに荷物を取りに歩き出している。颯爽とした背中を追いかけつつ、俺も従者らしく職責を果たそうと、自分の両の頰をはたいた。
軍隊と違って自由気ままな野放し暮らしの怪物たちは、カイザ王子とカレイドの『格の違う』強さを感知したものらしい。行く手に現れたのは小さな魔物ばかりで、勇者が出るまでもなく冒険者たちによって倒されていった。その亡骸は一行の食事に活用される。強い魔物ほど美味だった。
森を抜け、浅い川に到達したところで日が暮れる。ここまで雨に降られなくて良かった。カイザ王子は指導者としてここでの野営を通達した。魔物の総本山と言うべき土地で、果たしてまともに夜明けを迎えられるのか。
そう言えば俺はつい先日、目の前でマンプク王国のハンニバルに――あいつには一発『音撃』をかましとけば良かった――広院をさらわれたんだっけ。あれは失態だった。結局それが原因でマンプク王国通過にルート変更がなされたのだ。
もう広院もアクジョも奪われない。俺が守ってみせる。ま、広院はカイザ王子が全力で警護するだろうけど。
勇者カイザとカレイドは、交替で休みながら見張り番をするようだ。俺は頼もしい彼らに安全を委ねつつ、アクジョのテントからはやっぱり追い出されて、仕方なく外で寝た。焚き火から近からず遠からず、木が爆ぜる音を子守唄に、次第に意識が暗黒に飲まれていくのを感じる……
突然叩き起こされた。
「ヒロ、大変だ! 敵襲だ! それも、ものすごい数の!」
俺はウーザイの声と共に、周囲が戦場と化していることに気づいた。




