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050海上

 俺はケルにしがみつきつつ、もう一発『音撃』を打ち込み、壁の穴を拡大した。濁流(だくりゅう)に翻弄(ほんろう)されながらも、彼女は俺を見放さず、冒険者『武闘家』らしく高い身体能力を発揮する。


「…………!」


 俺は鼻の中に入った海水がもたらす痛みに悶絶(もんぜつ)した。それでも必死にケルの胴に抱きついて懸命にこらえる。彼女は水をかき、海面目指して全力を尽くしているようだ。


 勝つのはケルか、それとも海か――


「ぷはっ!」


 肺が爆発しそうに痛む中、俺はとうとう新鮮な空気にありついた。ケルが俺を引っ張り上げ、海上に頭部を導いてくれたのだ。ともすれば口中(こうちゅう)に群がってくる水を飲んだり吐いたりしながら、俺は肩越しに背後の帆船を眺めた。もはや火は巨体の全てに侵食(しんしょく)し、その命運を深淵(しんえん)へと引きずり込んでいる。


 ケルが叫んだ。


「ウーザイ! こっち!」


 ボートに乗り移って脱出した仲間たちがこちらに気づく。俺は手足をばたつかせてほとんど溺(おぼ)れていたが、ケルの立ち泳ぎに支えられてどうにか呼吸していた。そこへ舟が回り込んでくる。


「ヒロ! ケル! 無事だったか!」


 ウーザイは自分の巨躯(きょく)を考えてか、海中から舟の舳先(へさき)にすがりついていた。確かに奴が乗っていたら窮屈(きゅうくつ)だったろう。炎上する船は巨大すぎるかがり火として、まるで真昼のように辺りを照らしている。


 そんな中、とうとう俺とケルはデカブツたちに救助された。舟は他に2艘(そう)あり、どちらも乗員で一杯になっていた。


「カイザ王子の船は?」


 俺はアクジョに尋ねた。彼女は震えながら答えた。


「沈みかかってるけど、まだかろうじて浮かんでいるわ。巨大イカは倒されたみたい」


 ナオスが炎を映し出す海原へ視線を這わせ、大声で呼びかけた。


「もう他に生存者はいませんか? 声を、音を出してください!」


 しかし返ってくる音はなく、また溺れてあがいているような人影も見られない。全員助かったか、それとも何名か溺死(できし)したか――


 船乗りアヤツルがため息をついた。


「どうやらこれ以上の要救助者はいないようだね。王子の船へ行こう」




 クラーケンはプカプカと、海上に切り刻まれた死体を浮かせていた。まだ船体に引っかかっている触手が何本かある。帆船の乗組員はそれを撤去し海に投げ捨てる努力をしていた。ただ、それ以上詳しいことは甲板に上がらないと分からなさそうだ。


「ちょっと見てきます」


 俺は舟が縄ばしごのそばに着くと、そう告げて上り始めた。ウーザイもついてくる。結構腕力がいるな、これ。


 船上にたどり着くと、ほとんどの乗員が無傷で安心した。カイザ王子とカレイド、広院は――


 いた。伝説の装備に身を包んだ勇者2人は、イカの触手を皆と共に船体から引っぺがしている。広院は体育座りして、寝ぼけ眼(まなこ)で彼らを見つめていた。


「おい広院、お前怪我はないか?」


 俺が近づいて声をかけると、妹は不機嫌そうにうなずいた。


「せっかく王子といいところだったのに――無粋(ぶすい)なイカだわ」


 それで俺は、カイザ王子のクラーケン急襲への対応が遅れたわけを知った。この女、彼をベッドに引き込んでいたな。そのせいで王子は伝説の装備を外していたんだ。パリピの本性発揮か……。我が妹ながら怖っ。


「それよりあんたこそ大丈夫だったの? 何か全身ずぶ濡れだけど。向こうの船、燃えてるし」


「ジョナサン総督が魔物の一味だったんだ。……それで思い出したけど、こっちに乗ってるマンプク王国のオヨグとミズカクは?」


「あれ」


 広院が指差す方を眺めると、両手両足を縛(しば)られた2人が転がっていた。こっちは魔人ではない、普通の人間らしい。


「せーのっ!」


 かけ声と共に、最後の触手が持ち上げられ、船外に投げ捨てられる。冒険者『船乗り』のコグが、汗びっしょりで言った。


「王子殿下、カレイド様。あっちの船は燃えてるし、どうせならその火でイカを焼いて食っちまった方が良かったかも知れませんな」


 一同、どっと笑う。たくましいユーモラスな言葉に俺もつられて吹き出した。


 カイザ王子がひとしきり微笑んだ後、生真面目(きまじめ)に唇を引き締めた。悔恨(かいこん)の相をあらわにする。


「皆、済まない。僕が休んでさえいなければ、クラーケンごときすぐ斬殺できたものを」


 帆船は左右に揺動(ようどう)し、受けたダメージは計り知れない。このまま航海が可能なのか怪しい状況だ。幸いマストは折られなかったが、果たして再び帆(ほ)を張って耐えられるかどうか。


「浸水箇所はいの一番に塞(ふさ)いであるから、そっちで沈没する確率は低い。……というわけで、いざとなったらすぐ脱出できるように、舟は舟で曳航(えいこう)する。この帆船には操作する者のみが残ろう。そしてこのまま後わずか、何とか海を渡り切るんだ。協力してくれ、皆んな」


「おおっ!」


 とりあえず今甲板にいる乗員は、拳を突き上げて鬨(とき)の声をあげた。早速こちら側の舟を降ろしたり、綱を垂らして僧侶ナオスたちのボートにくくりつけたり、操舵輪(そうだりん)が効くかどうか点検する。


 置き去りにされた燃え上がる帆船は、いよいよ軋(きし)んで折れ砕け、海中へと没していく。オヨグとミズカクは総督が魔人だったことを認めたし、カイザ王子が寝室に引き取った頃合いを見計らって、特殊な笛でクラーケンを呼び寄せたという。そして自分たちは舟で逃げ出そうとしたが、そこをイナーズに捕まったらしい。『殺す価値もない』ということで、牢に繋ぐこととなった。


 そうして帆を張り進むことしばらく。とうとう魔王の大陸が、夜明けの水平線に浮かび上がってきた――

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