049燃える船
俺はこの事態に、さすがに焦った。勇者2人が転覆寸前の船に乗り込んでいるなんて、危機的状況にも程がある。
俺がハラハラしながら見ていると、後ろから声をかけられた。
「カレイド様は向こうへ移ったようですね」
マンプク王国海軍総督、ジョナサンだ。さっき休むとか言ってなかったっけ? それに……俺は尋ねた。
「何ですか、その樽は」
両手に重そうに抱えるそれは、内部に液体が入っているらしく水の揺れる音が聞こえてくる。ジョナサンは笑った。
「水の樽に紛れ込ませておいた、別のそれですよ。……これをこうするんです」
蓋を取って傾け、中身を静かにこぼしていく。俺は目をしばたたいた。何をやっているんだ、こいつは?
液体は空になるまで注がれた。ジョナサンは樽を脇に捨てると、背中から羽を生やす。
え? 羽?
「お嬢さん、それでは地獄へどうぞ」
ジョナサンの顔が中央から割れ、紅色のまがまがしい悪鬼の頭部が出現した。上半身の筋肉が盛り上がり、シャツが破けてはがれ落ちる。これは……ガーゴイルという奴か?
元ジョナサンは羽をはばたかせて宙に飛び上がった。そして、さっきの液体めがけて火球を吐き出す。豪速球に似たそれが着弾するやいなや、猛烈な火炎が視界を赤く埋め尽くした。
油だ。謎の液体は油だったのだ。今やそれは消火しようもないほど燃え広がり、マストや帆にも飛び火する。白い希望が火の襲来に舐め尽くされていく様は、悪夢としか言いようがなかった。
ジョナサンたちは魔人で、やはり海上で勇者たちを殺しにかかってきたのだ。ガーゴイルは宙ではばたきながら失笑している。
「魔王様、このガーゴイルとクラーケンが果たした大役をご照覧あれ! もはや勇者はいなくなりますぞ!」
大変だ。俺は熱気にあぶられながら、炎の反対側を伝って走った。舵を任されていた女冒険者アヤツルが、疾走する俺に声をかける。
「何だいこの炎は! あの化け物は何なんだい?」
俺は1人笑い転げているガーゴイル目がけて大声を放った。
「黙れ!」
銀の波が虚空を貫き、悪魔を吹っ飛ばす。相手は炎の海に落ちていった。俺は呆然とするアヤツルを急かす。
「一刻も早く船を捨てましょう! 私は事態に気づいていない他の乗員を脱出させます! アヤツル様はボートの準備を!」
「わ、分かったわ!」
俺は船内に潜り込み、ランタンを提げてドアというドアを叩き回った。
「起きてください! 船が火事です!」
広い空間で雑魚寝していた従者たちも目覚めさせる。彼ら彼女らは夢から這い出るやいなや、恐怖と狼狽とで出口に殺到した。
冒険者のカパラウやナオスたちも混乱を鎮めながら、適切に脱出する。
だがアクジョの部屋は静寂に包まれていた。俺は扉を殴りつける。
「アクジョ! 起きろ! この船はもうダメだ、逃げるぞ!」
筋肉ダルマのウーザイが青白い顔でやったきた。船酔いで吐き尽くしたようだ。
「ヒロ、アクジョは?」
それでも好きな幼馴染を助けに来るとは健気な奴。俺は答えた。
「まだこの中にいるはずなんだが……。かんぬきをかけてるせいで入れないんだ」
「ヒロが例の声を使えば扉を破壊できるんじゃないか?」
「狭い室内だ。アクジョを負傷させてしまうかもしれない」
「それでも命よりは大事だろうが。ヒロ、アクジョを助けろ!」
ここはウーザイの意見を取った。俺は「出て来い!」と叫び、ドアをぶち破った。それでも無意識に手加減してしまったか、扉は半壊状態にとどまる。
ベッドの上にはアクジョが起き上がって、いきなりの轟音に目を白黒させてこちらを凝視していた。
「何なのよ、今の……。せっかくいい夢見てたのに」
ウーザイが扉の残骸を押しのけて中に入る。アクジョをお姫様抱っこした。
「ちょっと! 何すんのよ、ウーザイ!」
俺はデカブツの尻を叩いた。
「先に脱出してろ。俺は逃げ遅れを助けに行く」
「了解!」
ウーザイは身を屈めながら走り去っていった。俺は更に船内奥深くに進む。「火事だ! 逃げろ!」と叫びながら最深階を探索した。
「助けて!」
女の声がする。俺はその方向へ走った。鉄格子の窓から見える顔は――武闘家にして裏切り者のケルだ。ドアは鍵がかけられている。
「ケル、ちょっと下がってろ!」
彼女が引くのを待ってから、『音撃』で施錠を粉砕した。内部へ踏み入ると、足首を鎖で壁に繋がれたケルの姿がある。彼女は囚人なのだ。
「あたい、死にたくない! 助けて、ヒロ!」
俺はまた咆哮して鎖を分断した。俺のランタンの明かりを頼りに、彼女を連れ出す。もう誰の声も聴こえず、ケルが最後の1人だったと知った。
「ありがとう、ヒロ。あたい、感謝してる」
「その言葉は脱出できるまでとっとけ」
俺たちは階段まで戻り、甲板目指して駆け上がろうとする。だが――
「うわっ!」
炎で上の階が崩れ落ち、行く手を塞がれてしまった。黒煙が充満し、熱と合わさって進路を断つ。アクジョたちは逃げのびただろうか――俺はそんなことを考えながら、ケルの手を引き下の階へ舞い戻った。
「ど、どうする、ヒロ?」
彼女は涙目でうろたえている。俺は尋ねた。
「ケルは泳げるか?」
「え? うん……」
「ならカナヅチの俺を助けてくれよ」
そうして俺は手近の部屋に入ると、壁に向かって叫んだ。
「砕けろ!」
銀の波が船腹を突き破り、海水がなだれ込んできた。




