041脱出
「カイザ王子……殿下……?」
広院はぼんやりとした焦点の合わない瞳で、恋人の名を呼んだ。王子の顔に喜色が走る。
「そうだ、僕だ、ヒロイ。ヒロもいるぞ。もう大丈夫だ」
妹はようやくかたわらのカイザ王子の存在に気がついたようだ。そちらへ視線を向けると幾度かまばたきし、そうと確かめたか涙を流す。
「殿下!」
「ヒロイ!」
2人はここがどこでどういう状況かも忘れたらしく、抱き締め合って熱い口付けをかわした。どうやら広院の魂とやらは無事元の体に戻ったらしい。俺はやれやれとばかりに立ち上がった。王子たちを置いてゲップ国王ににじり寄る。
「国王。魔物でもないあなたがどうやって、人間の魂を抜き取って首飾りに閉じ込めたんですか? あなたもエライングのように、正体は魔物なんですか?」
ゲップは俺の『音撃』とその威力を目の当たりにしていた。それを思い出したか、おびえた小動物のようにすくみ上がる。
「よ、余は人間だ。ただエライングのように、魔物が人間を装って、この国の重役についている場合もある。『魂移し』はそうした『魔人』の呪術師が施したもので、魔王様に生け贄を捧げる際に用いられてきた」
「やっぱり魔王側とずぶずぶの関係だったんですね、マンプク王国は。魂と肉体は別々に差し出すのですか?」
「そうだ。というか、魂を食らうのが魔王様で、肉体を食らうのが側近のソーキン様だ」
初めて聞く名前だ。
「ソーキン?」
国王は俺に対してとにかく恐怖し、聞かれたことには何でも答えるスピーカーだった。
「魔人の中でも最強の存在で、魔王様の片腕だ。余も又聞きで知るに過ぎん」
そんな奴がいるのか。ちっ、面倒だな。
背後からカイザ王子が声をかけてきた。ひどく落ち着いた声音だ。
「ゲップ国王、あなたは今から僕たちの人質だ。マンプク王国圏内を脱出し、魔王の大陸に渡るまで、我々の道連れとなってもらう」
振り向けば、勇者は恋人と共に毅然と仁王立ちしていた。広院は憤慨している。
「よくもカイザ王子殿下に傷を……! それにあたしの服! 許さないんだから!」
「国王、そのマントを寄越してもらおう。ヒロイ、しばらくはそれをまとって我慢してくれ」
俺は広院が純白の布で下着姿を隠すのを見ながら、一応尋ねておいた。
「体は大丈夫か? 殴られたりしなかったか?」
妹は今頃俺の存在に気づいたように、
「ああ、うん。助けに来てくれてありがとう、ヒロ」
と返してきた。カイザ王子に夢中で、俺に対しては上の空のようだ。まあ、これが我ら兄妹さ。
王子、広院、ゲップ、俺の並びで、天守閣を出る。エライング隊長を失った首都警備隊の兵士たちは、ときたま無謀な馬鹿が飛び出てきては、カイザや俺に倒された。
俺は何度か国王の尻を蹴り上げ、その度に「余はこやつらの人質だ。こやつらの邪魔をしたり行く手を阻んだりしてはならぬ」と喋らせた。そうすると決まって衛兵たちは道を開けた――いかにも悔しそうに。
さすがに深更となって、いい加減眠たかったが、王子も俺も緊張感を切らすわけにはいかなかった。敵地の真ん中から早く脱出しなければ。
俺たち一行はそうして街並みを下っていった。目指す城門辺りが異様に明るいのに気がつく。カイザ王子は――奪われた兜の奪還はあきらめたらしい――ぼそりとつぶやいた。
「カレイドが派手にやってるな。まあマンプク王国が僕を眠らせて殺害しようとした時点で、外で待つ魔王討伐隊もマンプクの軍隊に襲撃されていたと思うが……。無事であってくれ」
その後は焦りのためか少し早足になる。伝説の鎧を着込んでいるカイザ王子は、ついそのことを忘れてしまいがちで、俺はたびたび静止の訴えを投げかけなければならなかった。
門が近づいてきた。燃えているのは塔と城壁の上のやぐらだ。恐らくドラゴン使いあたりがカレイドと戦い、誤って引火したものと見られる。実際斬殺された竜の死骸があちこちに転がっていた。ユニコーンや、また別の魔物らしきものもある。屈強な勇者カレイド相手に、もはや魔物を隠そうとも出し惜しみしようともしなかったらしい。
落とし格子は落ちている。縦横に走る大木が扉の役目を果たしていた。その向こうに上げられたままの跳ね橋がのぞけた。
カイザ王子が俺に頼んだ。
「落とし格子を粉砕してくれ、ヒロ。僕の剣では跳ね橋も切断してしまいかねないからな」
「承知しました」
勇者、広院、ゲップ国王が離れる。俺は大声を出した。
「砕けろ!」
銀の波が宙空を貫いて格子を爆砕した。遠巻きに見守る兵士たちが驚嘆してざわめく。広院は俺に近づいて耳元でささやいた。
「何よ、その技! あたしは使えないわよ、それ」
「女神シンセにもらったんだ。いいだろ」
そうこうしているうちに、カイザが跳ね橋の両端に繋がれた鎖を断ち切る。橋がゆっくりと、次第に速くなって、轟音と共に堀に架かった。
俺たちはそれを渡り、マンプク王国首都を脱出する。跳ね橋を破壊して、追っ手が来られないようにするのも忘れなかった。
外はめちゃくちゃな有り様だった。大軍の死屍累々が血流と共に横たわり、大小の魔物も落命して転がっている。俺たちの部隊は――
野営地で数十人が生き残っていた。イナーズ、ウーザイの姿も見える。皆んなどこかしら怪我しており、倒れている数人は息絶えていた。
すでに戦闘は終わっているらしく、カレイドが無傷で王子を出迎える。




