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013イナーズ

 アクジョはイナーズとの再会に、何となくバツが悪そうだった。国王の息子であるカイザ王子の申し出によって、彼女はイナーズとの婚約を解消したのだ。身分のより高い相手への鞍替くらがえに、アクジョはどうやら後ろめたさを引きずっていたようだ。


「ひ、久しぶりね、イナーズ。奇遇だわ、冒険者ギルドで会うなんて」


 決まり悪そうな元婚約者相手に、しかしイナーズは何の恨みも抱いていないようだった。緑色の豊富な癖っ毛、ワシのような鼻、鎖かたびらに赤と白の鎧かけという出で立ちは、いっぱしの冒険者そのものだ。


 彼はにこやかに笑い、懐かしさと嬉しさに目を細める。


「アクジョとの縁がなくなってからも、ずっと君の安寧あんねいを青空に願っていたよ。カイザ王子殿下との結婚はいつだっけ?」


 アクジョは、これはどうやら怒っていないと踏んで、ようやく微笑み返した。ぎこちなさが際立っていたが。


「3ヶ月後よ。あなたも来てくださるかしら」


 俺は彼女の失言に、あちゃーと自分の額を手で押さえた。婚約破棄した元許嫁を、王子とはいえ別の相手との結婚式に普通招くものだろうか。イナーズが激怒したとしても不思議ではない。


 だが、貴族の次男はどこまでも鷹揚おうようだった。彼は底抜けの笑顔でこう返したのだ。


「もちろん! アクジョの晴れ姿、存分に堪能たんのうさせてもらうよ!」


 どうやらこのイナーズ、とんでもないお人よしらしい。それともド天然なんだろうか。


 アクジョはようやく愁眉しゅうびを開き、俺も気にしていた疑問をぶつけた。


「ところでイナーズ、なぜあなたが冒険者ギルドに? 何か御用でもあったのかしら」


 イナーズは両手を開き、何なら一回転でもしそうな勢いで、自分の格好へ注意を喚起かんきした。


「見て分からないかい? 俺は婚約破棄となった後、志願して冒険者ギルドに登録したんだよ。職業『戦士』としてね」


 へえ、この人冒険者になったんだ。アクジョはツインテールの金髪を揺らして内心の驚きを示した。初耳だったらしい。


「そんな、イナーズ! 貴族のあなたが冒険者だなんて……。今すぐやめなさい。危険過ぎるわ」


 純粋な心配に、戦士は感激したようだ。頭をガリガリかきながら、その端整な顔をほころばせた。


「いや、俺もアクジョとの婚約が破れた時は、なかば自暴自棄じぼうじきになってね。親の反対を押し切って一介の冒険者になろうと決意したんだ。それで魔物に殺されても構わない、といった具合にヤケクソでね。そうしたらどうだい」


 イナーズは誇らしげに胸を張った。鎖かたびらの下でも分かる、胸板の厚さが頼もしい。


「戦士として百戦百勝。もちろん他の冒険者とパーティーを組んでの戦闘だったけど、魔物たちに遅れを取ることは一度もなかったよ。剣術や格闘術で化け物たちを退治すること1年、怪我したことすらないんだ。すごいだろう?」


「まあ……」


 まるで異次元をのぞき込むように、アクジョは目を丸くした。俺も同じ顔をしていたかもしれない。だがそれは彼女の驚愕きょうがくとは異質なものだった。


――このイナーズって人、勇者候補なんじゃないか。


 ダメでもともと、尋ねてみた。


「あの、イナーズさん」


「何かね、お嬢ちゃん」


 ぐっ。俺は男なのに……。この女装が悪いんだ。


「勇者の試験を受けてみたことはあるんですか?」


 彼はかたわらに落ちている自分の荷物を拾った。


「それほどうぬぼれていないよ。多分俺ぐらいじゃ落とされるだろうね。テストで必須ひっす課題とされている、『治癒ちゆの法術』も、俺は使えないからね」


「『治癒の法術』?」


「職業『僧侶』の冒険者が使用する、傷の手当てや毒の浄化といった、神の奇跡のことさ。聖なる書物を暗記して、信心深くて毎日祈りを捧げているような、そんな生粋きっすいの信者にしか使えないんだ。俺にはとてもとても……」


 そういや『ブレードパラダイス』の世界では、俗に言う『魔術』はなく、従って冒険者職業『魔術師』もないんだっけ。ゲーム雑誌の紹介記事を、今さらながら思い出した。


 うーむ、法術か。するとこれから俺が当たるべきは、この街各所の教会の司祭や助祭たちか。でも彼らの中に、勇者足りうる身体能力の高い人材がいるかというと――おそらく絶望的だろう。


 冒険者『僧侶』から、勇者候補を探し出す。んで、一応教会も調べてみる。次に俺がやるべきことは、だいたいそんなところか。


 イナーズは俺が沈思黙考ちんしもっこうしている間、アクジョと雑談を交わしていた。話題がカイザ王子暗殺未遂に差しかかると、彼は顔を真っ赤にして激怒した。


「カイザ王子の命を狙うとは、何と不届きな……! 徹底的に尋問じんもんして、黒幕を吐かせなくてはな。何なら俺がそいつをぶん殴ってやりたいくらいだよ」


 そこでイナーズのお腹が鳴った。


「おっと、もう昼時かな。すまんアクジョ、俺は魔物の牙と羽を換金しないといけないんだ。列に並ぶから、今日はここまでとしよう」


「そうね。体に気をつけてね、イナーズ」


「ああ、ありがとう」


 イナーズは受付へと続く列の最後尾に加わった。俺とアクジョはギルドの建物の外に出る。日は高く、快適な風が道ゆくものをなぶっていた。雑踏ざっとうの中、メイドのメシツとカイを引き連れて馬車乗り場へ歩いていく。


「ヒロ、『治癒の法術』に興味があるなら行ってみる? 施術院しじゅついんに……。そこなら法術師たちが患者に神の奇跡を与えている光景が見られるわよ」


 俺は一も二もなくうなずいた。

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