014ケル
アクジョと俺は行き先を変更し、メシツの先導で施術院に向かった。飯屋がパンを焼くかぐわしい香りが鼻腔をくすぐる。もう昼食の時間なのだ。
と、その時だった。
「どけどけぃっ!」
荒馬の背に乗った屈強な男が、遠くから駆けてくる。ほとんど槍のような棍棒を振り回していた。背後から迫り来る憲兵の馬の群れから、必死に逃れようとしている。
彼は前方をふさぐ民衆をかき分け、避難できなかった者は殴り飛ばした。辺りは大混乱におちいり、怒号と悲鳴が飛び交って、転がり逃げんとした人々が折り重なってなぎ倒される。
そしてその逃走者は、俺らのいるただ中へ馬首をめぐらしてきた。
「逃げて、ヒロっ!」
アクジョが悲鳴をあげながら俺の手を引き、通りの端へと引っ張る。迫り来る悍馬と、その手綱を引く凶暴なハゲ男は、みるみるうちにこちらへと近づいてきた。
どう見てもこいつはヤバい。俺はせつなの瞬間チート技『音撃』で撃退するか迷ったが、それより速く動く者がいた。
「はっ!」
蝶が舞った。いや、人だ。紺色のポニーテールをなびかせ、その女は軽々と宙を一回転し、禿頭の男の顔面に飛び蹴りを食らわせたのだ。
「ぎゃっ!」
歯が砕ける音がして、狼藉者は馬から転がり落ちた。その際手放した棍棒が、回転しながらこっちへ飛んでくる。
「痛っ!」
それはものの見事に俺の額へ命中し、俺は激痛と衝撃で倒れ込んだ。馬は荒い息を吐きながら、いなくなった主人を無視して停止する。
砂塵が漂う中、憲兵たちが男を引っ捕らえた。彼は前歯の抜けた間抜けな顔で、血をしたたらせながら大人しくお縄となった。憲兵の1人が、騒然としている周囲に理解を求めて叫ぶ。
「この男は殺人の罪で捕縛したところ、急に馬を盗んで逃げ出した。それで我々が追っていたのだ。怪我された方は申し訳ないが、こやつの処刑に免じて許してほしい。……そら、行くぞ、立て!」
犯人は手かせをはめられ、徒歩で連れていかれた。たちまち彼への罵詈雑言、憲兵への不平不満が雑踏を支配する。
「あんた、血が出てる。大丈夫か?」
事件解決に一役買ったポニテの少女が、俺の前にかがんでジロジロ眺めてくる。俺は自分の額を触り、生ぬるい液体の感触に愕然とした。
「いたた……。切れたみたいだ」
指を見れば赤い血潮がべったりと張り付いている。額を切るなんて生まれて初めてだ。それにこれ、結構な量じゃないか?
アクジョがハンカチで俺のおでこを押さえる。俺同様、騒ぎで傷を負った人々が、それでもフラフラと立ち上がった。
「施術院が近くにある。そこへ行こう」
口々にそう言い合い、負傷をおして歩き出す。ポニテの少女は立ち上がろうとする俺に肩を貸してくれた。
「怪我、あたいのせい。施術院、行く」
どうやら俺の受難を自分のせいだと思い込んでいるようだ。アクジョが俺に代わって説いた。
「別にあなたのせいじゃないわ。それよりあのハゲを撃退してくれて、逆にこっちが礼を言いたいところよ。あなた、強いのね。名前は何て言うの?」
ポニテ少女は――前で合わせて腰帯でしめる特異な緑色の服を着ている――はつらつと答えた。
「あたい、冒険者のケル。職業は『武闘家』。これでもキャリア5年、16歳。貴殿は?」
ケルには何だか周りを明るくさせる、そんな「陽」の力がある。アクジョはつられたように笑みを浮かべた。
「そう、ケルさんね。私はアクジョ。フゴー家の娘よ」
「フゴー家……」
ケルのその声に、何やら不穏なものが混じっている。だがアクジョは気付かなかったようで、彼女に頭を下げた。
「ケルさん、もう大丈夫だから。気に病まなくていいのよ」
ケルは強情な一面を見せた。俺の腰に腕を回して強引に歩き出す。
「気にしないで。すぐそこだし」
仕方ない、といった表情で、アクジョは俺とケルの横に並んで足を動かし始めた。
確かに施術院は間近だった。大捕り物で打撲やすり傷、俺と同様流血する者までいる中、法術師たちが大あわてで治療に走り回っている。その年齢は10代から50代までさまざまだった。皆んな「清貧」を絵に描いたような粗末なローブ姿だ。
俺のところにも20代の女性法術師がやってきた。ちょっと好みの顔だったので、その手が俺のおでこにかざされたときは、ちょっぴりドキドキした。
「神よ、祝福あれ……」
女の手が輝き、俺の傷口に――もうハンカチはどけられている――優しい何かでなでられる感触が伝わる。
時間にして1分もなかった。俺は痛みが消えていることに気がつく。女法術師はにこりと微笑んだ。
「終わりました。お代はこの紙と共にあちらのカウンターでお支払いください」
そう言って緑の紙を手渡してくる。どうやら治癒の法術の使用料金は、傷の度合いで変わってくるらしい。俺は多分安い方なのだろう。
彼女が他の患者の元へ向かったので、俺はメシツの差し出す手ぬぐいで額を拭いた。アクジョが自分の口を手で押さえる。
「すごいわね、本当に治ってるわ。久々に見たけど、やっぱりあざやかね、施術院の職員は」
ケルが俺のわきから頭を抜いた。俺の血が彼女の服に若干着いてしまっている。何だか申し訳ないな。
「ありがとう、ケル。お……私はヒロ。またいつか会いましょう」
「どういたしまして。ヒロ、あたい、ここで失礼する。アクジョも、また」
「ありがとうね、ケルさん」
ケルは元々用事があったらしい冒険者ギルドの方へ、道を戻っていった。




