第3話 村人Aになるには、まず壺を卒業しなければならない
方針が決まると、少しだけ気持ちが落ち着く。根本的な問題が何一つ解決していないのに、目の前にやることが見えるだけで人は案外どうにかなるらしい。たとえば夏休み最終日に山積みの宿題を前にした時でも、「まず数学のワークの最初の五ページだけ」と決めると、全体の絶望感がほんの少しだけ薄まる。終わる見込みはなくても、手順が生まれると呼吸がしやすくなる。いまの俺に必要なのも、まさにそれだった。
都市へ行く。そのために、壺の姿をどうにかする。方法として有望なのが、内側の空間に浮かんでいた擬態系の魔法。ここまではいい。問題はその「どうにかする」が、現代日本の感覚で言うところの着替えとか身だしなみの調整とはまったく別次元の作業だということである。俺がいま抱えている問題は、髪型を変えれば印象が柔らかくなるとか、眼鏡を外すと垢抜けるとか、そういう可愛げのあるやつではない。そもそもの種族欄が壺寄りの魔物なので、対処法も必然的に大がかりになる。
丘の上に立ったまま、俺はまず周囲を見回した。さっきまで命がけで逃げていた影響で、視野が狭くなっていたらしい。よく見れば、都市へ向かう街道の手前には、小さな集落がいくつか散っていた。畑を囲う柵があり、藁ぶきに似た屋根の家が四、五軒ずつまとまり、その横には井戸らしきものと、納屋か倉庫のような低い建物がある。ひとつひとつは小さいが、生活の匂いははっきりしていた。洗濯物らしき布が風にはためいている場所もあれば、畑で人影が動いている場所もある。都市の巨大さに目を奪われていたが、擬態の見本を探すなら、むしろああいう集落のほうが都合がいい。
都合がいいと言っても、壺のまま近づけば通報される未来が濃厚であることは変わらない。俺は低い草むらや灌木の陰を選びながら、丘の斜面を少しずつ横へ移動した。幸い、いまの体は身長が低い。壺としてはそこそこ目立つが、草丈の高い場所に紛れれば、遠目には石か変な置物くらいに見えなくもない。いや、楽観的すぎるか。少なくとも堂々と街道を歩くよりは隠密性がある。
移動しながら、俺は内側の空間へもう一度意識を沈めた。これから使おうとしている擬態系の魔法について、少しでも理解を深めておきたかった。さっきは「使えそう」という感覚だけをつかんだにすぎない。実際に発動した時、壺の表面だけが村人柄のラッピングになりました、みたいな悲惨な結果になったら目も当てられない。遠くから見て「あ、なんか変な人いるな」くらいで済むならまだしも、近づくと下半身が壺でした、では潜入どころか怪談の新作である。
内側の空間は相変わらず広かった。広い、という表現そのものが負けている気がする。広がりが空間の広さだけを意味していない。奥行きだけでなく、情報の重なり方、意味の層、触れた時に分岐していく理解の方向まで含めて、外の世界の一歩先にある感じがする。ここへ入ると、草の匂いや風の音が薄れて、代わりに自分の思考そのものがくっきり輪郭を持つ。外での俺は、壺の身体をどう操るか、追手が来ないか、足元の石で転ばないか、そういう現実的な問題に意識を割かれている。内側の俺は、それらをいったん棚へ置き、もっと俯瞰で順序立てて考えられる。壺の中のほうが頭がいいという事実は、冷静に振り返るとかなり嫌だ。何度も言うが、前世の成績にこの空間を導入してほしかった。
擬態の断片は、前より見つけやすかった。こちらが目的をはっきり持ったせいかもしれない。無数の粒のなかから、輪郭を借りる感覚、皮膜を被せる感覚、他者の形をなぞる感覚が、薄い銀色の糸みたいに一本つながって見えてくる。その周辺には似たような魔法も浮いていた。幻覚で見かけだけを誤認させるもの。影の位置をずらして輪郭を曖昧にするもの。衣服だけを模すもの。声だけを借りるもの。擬態ひとつ取っても、手法がずいぶん多いらしい。
俺がいま必要としているのは、完全変身ではない。社会に溶け込めるレベルの「遠目に見ておかしくない姿」だ。集落や都市での聞き込み、買い物、観察ができればいい。冒険者ギルドに登録してランクを上げるつもりもなければ、貴族の屋敷に潜り込んで政変を起こす予定もない。誰からも特に注目されない、道端にいても風景の一部として処理される、そういう薄い輪郭が欲しい。
内側の空間に意識を伸ばしていると、その欲求に応じるみたいに、ひとつの断片が少しだけ前へ出た。色で言えば灰に近い。質感としては、水面に浮いた薄い膜みたいな感じで触れると冷たくすぐにほどけそうなのに、芯の部分だけ妙にしっかりしている。そこへ意識を近づけると、言葉が浮かんだ。
《ドッペルゲンガー》。
ずいぶん物騒で大仰な名前だな、と最初に思った。もっとこう擬態とか外皮模倣とか、そのくらいの地味な名前を想像していたので、急に中二病の教科書みたいな単語を出されると心構えが揺らぐ。いや、実際の効果はそこまで大げさではないのかもしれない。内側に流れ込んでくる情報を読む限り、これは「他者そのものになる」魔法ではなく、「他者らしさの表層を自分へ貼りつける」魔法に近い。コアまでは変わらない。記憶も習慣も持ち込めない。借りられるのは主に外見と、大まかな体格、輪郭、気配の薄い揺れ方、その程度である。
そう聞くと少し安心する。大袈裟な名前のわりに、用途としてはわりと堅実だ。もちろん危険はある。見本とした対象に近づかなければ精度は落ちるし、複雑な顔立ちや特徴の強い相手を真似ようとすると綻びも増える。長時間の維持は負担になるし、強い観察眼や魔力感知には見抜かれる可能性もある。要するに完璧な成りすましではなく、一般的な日常空間へ滑り込むための便利な偽装だ。村人Aを目指すには、むしろちょうどいい。
問題は、その見本である。
俺は内側の空間から意識を半分だけ引き上げ、集落の方向をのぞいた。丘の中腹から見ると、いちばん近い集落まではそこそこの距離がある。真正面から近づくわけにはいかない。草むらと低木を使って迂回し、上手く死角を保ちながら近づく必要がある。思考能力が格段に上がる空間の中ではそのへんの経路計算も妙に滑らかに進んで、「右の岩場を回って、乾いた溝を伝えば、柵の外の納屋裏へ出られる」みたいな見取り図が頭の中に自然と浮かんだ。怖い。便利すぎて怖い。壺の中に地図アプリまで入っているのか。
俺は慎重に移動を始めた。途中で二度ほど足をもつれさせ、壺らしい転び方をしたが大声を出すほどではない。草のあいだをくぐり、少し乾いた土の溝へ入り、低い石垣の陰を伝って集落へ近づくと、生活音が少しずつ大きくなった。鶏に似た鳴き声。木槌か何かを打つ音。誰かが遠くで呼びかける声。土と藁と家畜の匂い。家そのものは素朴な造りで、壁は白っぽい塗り壁、屋根は木と草の混成、窓は小さく、戸口には布がかかっているところもある。文明レベルとしては中世ファンタジー寄り、というやつなのだろう。詳しくは知らないが、少なくとも自動販売機と電柱は見当たらない。
納屋の陰へたどり着いた俺は、息を殺しながら人影を観察した。観察、と言っても、変質者っぽく見えない程度にである。壺の時点で十分怪しいので、今さら何を気にしているのか自分でもわからないが、気持ちの問題だ。
畑の畦を歩いていたのは、五十前後くらいの男だった。日に焼けた肌、無精ひげ、土のついたズボン、腰に縄。顔の特徴はそれなりに強い。こういう相手を見本にすると、真似しきれなかった時に違和感が出そうだ。井戸のそばで洗濯物を絞っていたのは、年若い女で、髪を後ろでまとめ、袖を肘までまくっている。こちらも印象がはっきりしている。納屋の前を横切った少年は細くて背が低く、年齢的には真似しやすそうだが、子どもに化けて街へ入るのは別の意味で危険な気がする。保護される。いろいろ聞かれる。身元を詰められる。村人Aを目指すなら、むしろ一番避けたい立場だ。
何人か見ていくうちに、俺はようやく「ちょうどいい薄さ」の見本を見つけた。荷車の脇で袋を抱え直していた、二十代前半くらいの若い男である。背丈は平均的。体つきも特別大きくない。髪はくすんだ茶色で短め、顔立ちは整っているわけでも崩れているわけでもなく、服装は麻のシャツにくすんだ上着、膝丈のズボン、くたびれた靴という、目立たなさの教科書みたいな構成だった。遠目に見れば、どこの集落にいても成立しそうな普通さがある。申し訳ないが、俺の当面の理想像である。
見つけた瞬間、《ドッペルゲンガー》の断片が内側で薄く震えた。外の対象へ照準が合う、という感じが近い。俺は納屋の陰から慎重にその男を観察した。歩幅。肩の高さ。髪の長さ。首の太さ。顔の縦横比。衣服の重なり方。風に揺れる上着の端。顔の細部まで完璧に覚える必要はないらしい。むしろ「印象の総体」を拾うことが大事で、細かな傷や表情筋の癖まで追おうとすると、術の負荷だけが上がる感覚がある。
こんなところで勝手に見本にしてすみません、と内心で謝りつつ、俺は意識を内側へ戻した。《ドッペルゲンガー》の断片へ触れる。冷たい膜のようなそれが、今度は俺の中心へ溶け込むように広がった。見本にした男の輪郭が、記憶ではなく現時点の外見情報として術式の中へ取り込まれていく。俺の表面へ何かがかぶさる気配がある。皮膚の上にもう一枚薄い皮膚が貼られるような、いや、皮膚どころか壺の外側全部に別の輪郭が流し込まれるような、妙にくすぐったい感覚だった。
ここからが問題だった。魔法の発動というのは、もっとこう、パッと光ってシュンと変わるのかと思っていた。現実はもう少し地味で、もう少し気持ちが悪い。俺の丸い胴体の感覚が、じわじわと引き伸ばされていく。上に開いていた口の縁が閉じるのではなく、位置そのものがずれていく。短い腕が伸び、関節の数が増えたような感触があり、脚の長さが変わる。視線の高さがぐっと持ち上がる。表面の艶が薄れ、模様がほどけて、代わりに布や肌や髪に近い質感が上から重なっていく。痛みはないのだが、自分の身体の設計図がその場で差し替えられているようなへんな落ち着かなさがあった。
思わず「うわ、うわうわ」と声が出た。いまのはちゃんと声だった。こぽ、ではない。喉の奥を空気が通る感覚がある。舌の位置もわかる。顎がある。歯まである気がする。感動している場合ではないのについ感動してしまう。これだ。これだよ俺が求めていた「普通の口でしゃべれる状態」は。壺であることの苦しみは、見た目だけではない。音声出力の頼りなさもかなりきつかった。
変化はすぐには終わらなかった。視界が高くなったぶん、重心の位置も変わる。いままで短い脚で低く構えていた身体が一気に縦長になったことで、バランスの取り方がわからない。感覚が落ち着いたあたりで試しに一歩踏み出したところ、俺は見事に横へよろめいて納屋の壁へ肩からぶつかった。痛い。肩がある。肩が痛い。これも感動している場合ではない。
とにかく、外見がどうなったか確認しなければ話にならない。納屋の陰には幸いにも水の溜まった桶が置いてあった。俺はふらつく脚でそこまで近づき、そっと中を覗き込んだ。
覗き込んだ先にいたのは、見覚えのない若い男だった。
いや、見覚えはある。さっき見本にした村人だ。完全に同じではない気もする。髪の流れや目元の細かな印象に少し揺らぎがあって、鏡写しのような一致にはなっていない。それでも「壺」ではない。陶器の胴も、短い取っ手みたいな腕も、模様の入った表面もない。そこにいたのは。少しくたびれた上着を着たどこにでもいそうな村の若者だった。
俺はその場でしばらく固まった。固まる、という表現が、ようやくまともな意味を取り戻している。桶の中の顔が俺の動きに合わせて揺れる。眉が上がる。口が開く。目が見開く。どれもちゃんと人の顔の動きだ。頬がある。鼻がある。耳まである。手を顔へ持っていくとちゃんと指が五本あり、頬に触れる感触も自然だった。柔らかい。壺じゃない。すごい。当たり前みたいに見えることが、いまの俺にはとんでもなくありがたい。
…いや、真面目な話これは嬉しい。かなり嬉しい。泣いてもいいくらいのレベルだ。泣くと周囲に怪しまれるので泣かないが、内心では拍手喝采である。少なくともこの状態なら遠目には即討伐対象ではない。話しかけられても、こぽっと鳴くことはない。あとは不審な言動をしなければ、何とかなるかもしれない。
かもしれない、の部分がまだ大きいのを否めないのは、見た目が整っただけで、中身はこの世界の常識を一切知らない異世界転生壺であるからだ。身元を聞かれたら困るし、どこの村の者かと問われても答えられない。貨幣の種類も知らない。言葉が理解できるのは助かるが、それがどこまで自然かもわからない。服の着こなしが変で即バレする可能性だってある。村人Aになりたい、と簡単に言うのは自由だが、実際の村人Aには村人Aなりの蓄積がある。朝起きてどこへ行くのか、どんな顔で挨拶するのか、道具をどう持つのか、そういう生活の細部まで含めて背景と同化しているのだ。
つまり、見た目が整った今こそ、むしろ慎重さが必要だった。
俺は桶の水面の前で深呼吸した。ちゃんと深呼吸ができる。肺が膨らむ。肩が上下する。この普通さに感動してばかりいると時間が溶ける。落ち着け。状況を整理しろ。
第一に、擬態は成功した。精度も、少なくとも自分で見た範囲では十分高い。第二に、維持にかかる負担はゼロではない。内側の空間と繋がり続けている感覚があって、術を解けばすぐ壺へ戻れる反面、集中が切れると輪郭がぶれそうな不安定さもある。第三に、見た目だけでなく体の構造もある程度それに引きずられているらしい。歩ける。しゃべれる。手で物を持てる。ただし完全変身ではないので、根本のコアは壺のままなのだろう。強い感知や干渉を受けたら危ないかもしれない。
この時点での結論はひとつだ。
目立つな。
派手な行動をするな。誰かに長く観察される状況を避けろ。余計な会話を増やすな。わからないことがあっても、いきなり「ここどこですか」「今年は何年ですか」などと質問攻めにするな。そんなの記憶喪失を通り越して、不審者のテンプレである。まずは都市へ入る。空気を読む。看板を見る。会話を盗み聞く。値段を確認する。冒険者らしき連中の出入りや、門の様子、兵士の装備、町の雰囲気を観察する。情報収集はそれからだ。
決意を固めたところで、ひとつ問題が残っていた。
服装である。
擬態魔法は、見本にした相手の外見を表層的に借りるため、衣服も一応再現されている。再現されているのだが、これがどこまで実体を持つのか正直怪しい。触ると布の感触はある。風にも揺れる。けれど、術が解けた瞬間に消えそうな雰囲気がぷんぷんする。門番に止められて「荷物を確認する」とか言われたら詰む可能性がある。とはいえ、いまさら本物の服を盗みに行くのはリスクが高すぎる。集落の納屋荒らしからスタートするのは、今後の自己嫌悪に響く。
悩んだ末、俺は現状維持を選んだ。見た目が自然ならまずはそれでいい。術の精度確認も兼ねて、少し歩いてみる必要がある。
納屋の陰から出る時、心臓が早鐘を打った。ちゃんと心臓があるのがまた困る。壺の時は鼓動の所在が曖昧だったくせに、擬態して人型になると急に胸の音がうるさい。見つかったらどうしよう。声をかけられたらどうしよう。怪しまれたらどうしよう。そういう不安が一気に湧いてくる。
ところが実際に集落の端を歩いてみると、周囲の反応は驚くほど薄かった。井戸の近くにいた女は俺のほうを一瞬見たが、ただそれだけで視線を戻した。畑の男も、荷車の若者も、特に気にした様子はない。もちろん凝視されるほど近づいていないからでもある。けれど、それでも壺のままでは絶対に得られなかった「風景の一部として処理される感覚」が、ちゃんとあった。
すごい。村人Aだ。俺はいま、村人Aの第一歩を踏んでいる。
内心では大はしゃぎだった。表情には出さない。出し方がまだよくわからないし、ここでにやにやしていたら別の意味で怪しまれる。俺はできるだけ無難な歩幅を意識し、集落を横切らず、その外れを通って街道へ向かった。都市は依然として遠い。けれどさっきまでの距離感とはまるで違う。壺として見上げていた時の都市は文明の塊であり、同時に巨大な脅威でもあった。いまの俺にとっては、大なり小なり確かな怖さは残っていても、ようやく「入れるかもしれない場所」へ変わりつつある。
街道へ出る前に、俺は一度だけ振り返った。納屋の陰も、畑も、井戸も、そこで暮らす人たちも、そのまま変わらず日常を続けている。その日常の輪の中へ、壺のままでは絶対に入れなかった。見た目を借りただけで、その輪郭に少し触れられるようになる。擬態というのは、思っていたよりずっと危うい力かもしれない、とその時ふと思った。見た目だけが変わるはずなのに、そこへ感情まで引っ張られそうになる。普通に歩くこと。普通に見られること。普通に景色へ溶けること。その甘さはかなり強い。
だからこそ忘れないほうがいい。中身は壺だ。いや、壺型モンスターだ。そこに前世の俺が引っかかっている。普通の村人ではない。勘違いして安心しきると、たぶん痛い目を見る可能性がある。
自分へそう言い聞かせながら、俺は街道へ足を踏み出した。土を踏む感触が靴越しに伝わる。靴まで再現されているのは地味にありがたい。遠くには荷車が進み、都市の門へ向かう人影がいくつも見える。旅商人らしき一団。籠を背負った老婆。羊を追う少年。俺はその流れの端へ、ごく自然な顔をして紛れ込んだ。
もちろん内心は自然ではない。心臓はうるさいし、背中は硬いし、歩き方が変じゃないか五歩ごとに不安になるし、誰かに話しかけられたら終わるという緊張もずっとある。それでも足は前へ出る。都市は少しずつ近づいてくる。高い城壁も、門の上の見張り台も、旗の色も、街道の轍の深さも、さっきよりくっきり見えてきた。
異世界で目覚めて、壺になって、冒険者に狩られかけて、青空の下で絶望しかけて、そこから擬態魔法で村人風の顔を手に入れて、いま俺は街へ向かっている。情報量が多すぎて、自分でもたまに置いていかれそうになる。前世の俺がこの状況を客観的に見たら、「設定盛りすぎでは」と絶対言っていたと思う。
…まあいい。
とにかくいまは、目立たず騒がず、村人Aとしてあの都市へ入る。そこから先のことは入ってから考えればいい。そういう行き当たりばったりが許されるほど、たぶんこの世界は優しくない。優しくないとわかっていても、最初の一歩を踏み出す時には、そのくらい雑な希望が必要なのだ。
俺は街道の先を見据え、誰にも気づかれない程度に小さく息を吐いた。
こうして壺から始まった俺の異世界生活は、村人Aとして本格的に動き出すことになった。




