側近エルグリッド
深夜というより早朝と呼んだ方が適している時間帯、邸の一角に一晩中灯のついた部屋があった。
館内がしんと寝静まり返る中、紙の束をめくる音と時折りペンを滑らせる音が部屋に響く。
「お前、ほんと性格悪いよなぁ。」
ドアを開けた音も気配もなく、突如ハハっと笑いながら小馬鹿にしてくる声がした。同僚から命知らずと呼ばれているセリウスの側近、エルグリッド・レイモンだ。
普通なら悲鳴を上げてしまいそうな深夜の出来事だが、部屋の主人は眉ひとつ動かさず手元の資料に視線を落としたままである。
あまりに動じない雇い主に、僅かに苛立ちを感じたエルグリッドが意地悪い笑みを浮かべた。
「そこまでしてお嬢が欲しいんかねぇ?」
「当たり前だ。」
揶揄したつもりのエルグリッドだったが、あっけなく肯定されてしまい驚いて口笛を鳴らす。そこまで御執心なのかと隠すことなく呆れ顔をした。
「いやぁ、それにしてもよぉ?お嬢の大事な侍女を脅して利用するなんてクズのやることじゃん?」
「脅してなどない。それに、スロットル家の愚息を値引きしたのはアイツだ。多少は役に立ってもらわないと生かした意味がない。」
「『アイツ』呼ばわりねぇ。この本来の姿を知ったらおじょ…いやいや、冗談!本気にするなって。早くその物騒なものを仕舞えよなぁ。ははははっ」
物凄い勢いでエルグリッドの顔を掠めた羽ペンが彼の後ろの壁に突き刺さった。そして間髪入れずにペーパーナイフを手に取り二投目を構えたセリウスに、エルグリッドは両手を上げて降伏の態度を取った。
「まぁ、お前に言われた通り証拠の捏造と証言の聴取は済んでんだ。この俺の完璧な仕事に感謝しろよ。」
「ああ。これで漸く断罪出来る。念願だった陞爵を目前にして、身に覚えのない罪で裁かれるのはどんな気分だろうか。是非感想を聞かせて欲しいものだ。ふふふ。」
「お前、悪魔みてぇな奴だな…」
口元に手を当て、優雅な仕草で笑みをこぼしたセリウス。勘違いしてしまいそうなほど整った美しい微笑。だがそれは純粋な喜びとは程遠く、ひどく歪んだ感情が押し込められていた。
ある種の狂気を感じさせるゾッとする笑みを向けられたエルグリッドの顔が歪む。全身に寒気すら覚えた。
セリウスとは彼がアレースト家を出た後の孤児院で知り合い、昔馴染みの間柄だ。捨て子とは思えない高貴な雰囲気に、エルグリッドは金の匂いを感じ取った。『アイツといれば将来大儲け出来るかもしれない』そんな邪な気持ちで近付き、晴れて友人の座を得たのだ。
だが実際は違った。
早々にエルグリッドの素質を見抜いたセリウスが、将来の手駒にしようと彼の野心を利用して懐柔していたのだ。
そんなことも知らず、エルグリッドは時折り見せるセリウスの猟奇的な側面に怯えながらも付き従う関係となっていた。
「今回のこれ、侯爵にバレたら大変なんじゃねえの?足がつかないように細工したつもりだけどよぉ、そこまで責任取れねえからな。」
「ああ、バレてるだろうな。」
「は。。。。。。」
またもや速攻で肯定され、彼の意図を読めないエルグリッドが困惑顔で固まっている。その間も、サラサラとセリウスがたまった書類にペンを走らせる音は止まらない。
「この国で侯爵の立場にいるんだ。『息子』のやってることくらい全てお見通しだろう。それでいてこちらの支援を申し出てくれるのだから、立派な父親だろ?俺も相応の『息子』でいないとな。」
「うっげ…義理のくせに似たもの同士かよ…」
道理であんな大胆な作戦を決行したのかとエルグリッドが遠い目をしている。なるべく秘密裏に事を運ぼうと慎重になり過ぎていた己に腹が立つ。
「ってこれ、このまま公にしていいのかよ?お嬢の醜聞になるんじゃね?」
「『スロットル家は侯爵家を潰そうと子息の婚約者の邸を襲撃。彼女を人質にして侯爵家の弱みを握るつもりだった。だが、襲撃班は配置されていた侯爵家の護衛により捕縛。当日ケルティ嬢は婚約者の邸に滞在しており無傷。一方現場に居合わせた伯爵は精神的ショックを受け、地方で療養中。』」
「よくもまぁそんな真っ赤な嘘をスラスラと…」
「あの侍女に証言させれば事実になる。」
「うっわ…」
「そんなことより」
一歩後ろに下がりながらドン引きしているエルグリッドに、セリウスは手元の作業を止めて涼しげな表情で視線を向けた。
「いつまでここにいるつもりだ。」
「言われなくてももう部屋に戻って寝る。ってもう朝じゃねぇか…ふわぁー」
「は?」
一段と低い声がセリウスの口から漏れ出る。並々ならぬ怒りを滲ませた声音に、エルグリッドは恐る恐る視線を向けた。
「…んだよ」
「誰がここに滞在していいと言った?即刻この邸から出て行け。今すぐだ。」
「は…明日も仕事あんだろ。ここが俺の仕事場だし、部屋はいっぱい余ってんだろうが。」
「誰がケルティと同じ邸で夜を明かすことを許すか。」
「・・・・」
公爵邸と変わらない規模にしては人の気配がほぼないなと感じていたエルグリッドは、腑に落ちたと同時に呆れた表情になる。
『なんて狭量なやつ…』そう思ったが、セリウスの鋭い眼光に圧倒され口に出すことは出来なかった。




