先を照らすもの
『今日はもう遅いからゆっくり休んで。必要なものは一通り揃えてあるはずだけど、何かあれば遠慮なく申し付けてね。』
そう言ってセリウスに案内されたのは二階の最奥、重量感のある両扉で守られた部屋であった。
重々しい入り口とは裏腹に室内は女性向けの明るい色で統一されており華やかな雰囲気がある。窓はそれほど大きくなく、窓枠に取り付けられたレースのカーテンのせいで外の景色が見えにくい。代わりに採光用の天窓が高い位置に置かれていた。どことなく閉鎖的な雰囲気が漂っている。
「一体これからどうしたらいいの…」
一人になったケルティは、天蓋付きのベッドの上にうつ伏せで倒れ込んだ。
セリウスのコートを肩にかけたままだったことを思い出し、上体を起こして部屋の隅にあるウォークインクローゼットを横目で見る。彼のことだから十分過ぎるほどの衣服を揃えているに違いない…そう思ったが、着替える気力は見当たらなかった。
「ああもう…一気に色々あり過ぎて何も考えられない…甘いもの食べたい…」
ー コンコンコンッ
「………………誰?」
突然のノック音に、一瞬セリウスが来たのだと思い寝たふりをしようとしたが、すぐに思い直す。その音に聞き覚えがあったからだ。
「…ケルティ様、私です。」
「ミカ!!?」
想像した通りの人物に、ケルティはベッドから飛び降り両手で勢いよくドアを開け放した。予想通り、そこには深く頭を下げ、微動だにしないミカの姿があった。
「大丈夫!?怪我はない?」
どこか具合が悪いのかと焦ったケルティがミカの両腕を掴んで顔を覗き込むが、ミカは頑なに目線を上げないまま大きく首を横に振った。
「大変申し訳ございません。ケルティ様を大変な目に遭わせてしまいました。このようなこと許されるはずもなく、お詫びのしようもございません。本当に申し訳ありませんでした。」
「え?いきなり何?」
「私がダリク様と二人きりにさせてしまったせいでこんなことに…自分のせいで…」
声を震わすミカはケルティの手を振り解くと、両手で顔を覆い崩れ落ちるようにして床に膝をついた。肩を上下させて必要以上に空気を吸い、苦しそうに息をしている。
「ねぇ、まずは話を聞かせて。お腹も空いたし、一緒に甘いものでも食べながら。」
ケルティも膝をついてミカと目線の高さを合わせ、出来るだけ優しく声を掛けた。余計なプレッシャーを与えてしまわないよう、そのままの姿勢でじっと待つ。
しばらくしてゆっくりと立ち上がったミカは、言われた通りお茶の用意を始めた。
「ダリク様から事前に指示がございました。二人きりで話がしたいから翌朝まで部屋に近づくなと。」
湯気の立つティーカップと皿に乗せた焼き菓子が並ぶ楕円型のテーブルを挟んでソファーに座るケルティとミカ。
ケルティが焼き菓子を食べ終えた後、ようやくミカが話し始めた。
「それは使用人の立場なら従うしかないし、ミカは何も悪くないよ。」
「いいえ、ケルティ様。私は相手が掲示した条件を承諾してしまったのです。」
「条件?」
ミカは空になったケルティのティーカップに紅茶を注ぐ。はちみつを加えてくるくるとかき混ぜた後、彼女の前に差し出した。
「『言う通りにすればスロットル家に迎入れ、相応の立場をケルティ様に与える。この結婚を推し進めたいのなら黙って自分の言うことを聞け』と。スロットル家に輿入れすれば安泰だと、安易に考えてしまった私の愚かさが招いた結果です。」
「そんなこと、」「それともう一つ」
否定しようとした言葉を即座に遮ったミカ。険しい表情でケルティのことを真正面から見据える。
「セリウス様が実の弟君であること、以前から気付いておりました。それを敢えて黙っていたのです。」
「だからあの時…」
ダリクにけしかけられ、ミカに弟の存在を尋ねた時のことを思い出した。あの時曖昧にされたこと、その時から急にセリウスを貶める発言が増えたことも。
あの言動はすべてセリウスから自分を遠ざかせるためのものだったと気付いた。
「ええ。セリウス様との結婚をやめさせ、ダリク様と結婚させようと動いたのはこの私です。ケルティ様の御心を無視して勝手をし過ぎてしまいました。」
「それは…事前に教えて欲しかったなとは思うけれど、知っていたらやめさせようとするよね。私でもそうしたと思う。」
「今更私がお尋ねすることではないかもしれませんが…ケルティ様はセリウス様とのご結婚をおやめになるのですか?」
「やめるも何も、姉弟同士の結婚なんて無理に決まってる。そんなのしちゃいけないことだよ。」
「姉弟と知ったから嫌いになるのですか?」
「そうじゃない、けど…」
押し殺そうとしていたケルティの心がざわつく。人としてあるべき方向に進もうとしていたのに、それが本心と異なることに気付かされる。
ケルティが逡巡する様子を見て、口元に薄く笑みを浮かべたミカは畳み掛けるように語気を強めた。
「跡取りのことなら問題ございませんよ。二人の間に子は作らず、養子を取れば良いのです。単に夫婦という形を取るだけであれば、実姉弟同士でも倫理に反することはありません。」
「それは…」
反論しようと口を開いたが結局言葉が続かず、ケルティはティーカップに手を伸ばす。
焦りで乾く口に紅茶を流し込みながら、必死に『セリウスと結婚できない理由』を考えた。何度も何度も思考を繰り返す。
だが、他に理由は思い付かなかった。
思考が停止し、モヤがかかっているかのように頭が重くなる。
鈍痛すら覚える中、ケルティの中で唯一はっきりと認識出来るのは、セリウスに対する変わらぬ想いだけであった。




