選択肢
抱かれた肩から伝わる体温。その確かな温もりに普通なら心満たされるはずが、ケルティの混乱は増す一方であった。頭の中でセリウスの言葉が何度も反芻される。その強い衝撃に、未だ動悸がおさまらずにいた。
ー どうしてこんなことが…やっと出逢えた好きな人とただ一緒になりたいだけだったのに…
俯くケルティの瞳から大きな涙の粒が零れ落ちそうになる。重力に抗えず頬を伝おうとする涙を、セリウスが親指の腹で優しく拭った。
「選択肢は二つ。どちらが良いか、ケルティに好きな方を選んでもらいたいんだ。」
ケルティの深刻さとは裏腹に、セリウスの口調には妙な気軽さがあった。真意が分からず、無意識に訝しんだ視線を向ける。
「選択肢って…?」
「このまま僕と結婚して共に暮らすか、結婚して隣国に移住するか。どちらが良いかな?僕としては引越した方が気兼ねないかなと思うけれど、ケルティは友人達と離れたくはないかな?だったらこのまま…」
「なっ…ちょっと待ってよ。」
「ん?」
一方的な言葉に、ケルティは思わず両手を上げて話を遮った。だが、セリウスの表情は変わらないどころか異様な甘さを帯びてくる。
このまま彼のペースに乗せられてしまいそうで、ケルティは焦って視線を逸らした。
「私たち血が繋がっているんでしょう…!結婚なんて出来るわけないじゃない。」
「あぁそんなこと」
にっこりと微笑むセリウスの瞳に光はなく、代わりに海の底に似た深い闇が窺える。
「!」
一瞬首筋にナイフを突きつけられているような冷たい感覚がして思わず首元に手を当てた。ケルティの内側から言いようのない恐怖が込み上げてくる。
だが不思議とセリウスの瞳から目を逸らすことは出来ず、むしろもっと見つめられたいとさえ思ってしまった。その矛盾した異常さに全身が震える。
「僕には些細なことだよ。自分に流れる血のせいで君を遠ざけることなんてしない。ましてや嫌いになるなんて。でももし君が望むのなら、全身の血液を他人の血と入れ替えてもいい。君のためなら僕はなんだってするよ。」
セリウスは雲ひとつない晴天の如く、晴れやかな笑顔を見せた。そこには何の憂いも迷いもなく、迷える大衆を導くような確固たる自信に満ちた表情であった。
「姉弟間の婚姻は禁止されてるし、常識的に考えても普通じゃない…と思う。」
「嫌な所があれば全て君の言う通りに直そう。出来れば君とお揃いのこの血を変えたくはないけれど…君がそうしてほしいと言うのならそうするよ。髪の色も瞳の色も肌の色でさえも、ケルティの好きなものに変えよう。大丈夫、僕にはそれこそが幸せだから。で、僕らの住処はこの国と他の国どちらがいいかな?」
「ええと、私の話聞いてた…?」
まるで話が通じず、ケルティは両手で頭を抱えた。一方のセリウスはニコニコした顔のまま、愛おしそうに彼女の頭のてっぺんに口付けを落としている。無論、今のケルティに頬を赤くする余裕はない。
「ごめん」
打って変わってひどく真剣な声音に視線を上げると、至近距離から真っ直ぐに見つめるセリウスと目が合った。ケルティの肩を抱く腕の力が強まる。
「もう離してあげられない。ちょっとそれだけは何を言われても無理。でもその代わり、ケルティが望むことならなんだって叶えてあげる。君のために僕の全てを捧げると誓おう。」
「……っ」
片手でするりと頬を撫でると今度はケルティの左瞼に口付けを落としてきた。肌に感じる艶かしい唇の質感に、彼女の両頬が真っ赤に染まる。
「一旦この国で結婚して、何か不都合が生じたら出国することにしよう。ふふふ。待ちに待った念願のケルティとの結婚生活、楽しみだなぁ。」
自分の世界に浸るセリウスは心底嬉しそうに目を細めている。
「でもっ……」
「着いたみたいだね。」
「え?」
その時御者が馬車のドアを軽く叩く音がした。目的地に着いた合図のようだ。
先に立ち上がったセリウスがケルティに手を差し伸べた。
会話に集中していたケルティはここが馬車の中であることも忘れ、走行していることにすら気付いていなかった。
セリウスにエスコートされて馬車の外へと降り立つケルティ。肌を撫でる夜風が冷たく、空いている方の手で羽織っていたコートの前を合わせた。
夜明けを待つ薄闇の中、目の前に月明かりに照らされ琥珀色に輝く邸が建っていた。
四本の石柱で造られた玄関ポーチや玄関まで続く大理石の石畳、左右対称に置かれた精巧な女神の石像、それら全て素人が見ても大金が使われているであろうことが分かる。下級貴族には到底手を出さない代物だ。
「ここって…セリウス様のお家?」
自分の家とはまるでスケールの異なる光景に、ケルティはぽかんと口を開けたまま見入っている。
「そうだよ。」
その様子に隣に立つセリウスがクスッと笑みをこぼした。
「物凄く立派…流石は侯爵家様。」
「ああ、厳密に言うと、」
セリウスは軽く繋いだ手を自分の身体の方に引くと、ケルティの耳元に唇を寄せた。
「僕とケルティ、二人の家だよ。気に入ってくれたかな?」
「はい……?」
予想だにしなかった言葉に、ケルティは理解が追いつかず頭の中が真っ白になってしまった。




