ダンスの前の一波乱
向かい合って座り馬車に揺られる二人。
特に行きたい場所もなく、パーティーまでの間ゆっくり過ごそうというセリウスの提案により、二人の乗る馬車は王都内を回遊しながら走り続けている。
そう広くない王都を走ること半刻と少し、御者が二度手綱を引いた。そろそろ目的地に到着するという合図だ。
その音を耳にした二人は対照的な反応を見せる。
「残念…」
「助かった…」
ひどく寂しがる声と心から安堵する声の二つが重なった。
二人きりの馬車の中、真正面からセリウスに見つめ続けられるだけでなく、息を吐くように甘い言葉を囁かれた続けた結果、ケルティは恥ずかしさを通り越して疲れ切っていた。
対してセリウスは、余裕の笑みでケルティに更なる追い討ちを掛けてくる。
「言葉を尽くして君のことを讃えなければ、僕の気がすまないんだ。それほどまでに君は魅力的だ。分かってくれるだろう?もちろん、今日に限らずいつもだけど。」
「ほ、ほら!もう着いたみたいだから早く行こう!御者さん困っちゃうから!」
「ふふふ、慌ててるケルティも物凄く可愛い。」
もう何をしてもケルティのことが可愛くて仕方のないセリウス。
いつもの大人ぶった仮面はとうに消え去り、表情筋は緩みっぱなしだ。
「もうっ!先に降りるからね!」
密室では視線を外す先さえも限られており、耐えきれなくなったケルティが先に座席から立ち上がった。
「待って。」
「…………………………………っ!!」
その瞬間、ひどく真剣な顔をしたセリウスがケルティの後頭部を押さえ、自分の胸に抱え込んできた。
男性らしさを感じる分厚い胸板の感触とふわりと香る高貴な香りに、ケルティは目眩がしてキツく瞳を閉じた。
足元がふらつき、自然とセリウスに身体を預ける形になる。
「転んだら危ないよ。頼むから僕の手を取ってから動くようにしてほしい。」
「わ、分かった。」
「会場内でも僕の腕から絶対に手を離さないで。いいね?」
「うん。」
狭い馬車の中、抱きしめられる姿勢のまま耳元で話しかけられ、ケルティは頷くことで精一杯だ。
彼女の限界を悟ったセリウスは笑みを堪えながらケルティを解放し、改めて彼女の手を掴んだ。
「行こうか。」
セリウスのエスコートでケルティはゆっくりと馬車から降りた。
この時期の夕刻はまだ日が高く、日差しも強い。どこから現れたのか、ケルティの頭上には追従する侍女の差した日傘があった。
会場までごく僅かな距離だったが、強めにコルセットを締め付けて何層ものドレスを着込んでいるためありがたく享受する。
開始時刻が近づいており、停車場には何台もの馬車が停まっている。皆パートナーと共に来ているようだ。
同じ学園に通う生徒達がペアになって歩く長い列が続いている。
そのうち、前を歩く生徒達がちらちらとケルティ達のことを振り返り見ていた。すれ違った者達も同様だ。
ー なんか物凄い見られてる…??やっぱり私がここにいるのが場違いなんじゃ…
ケルティはすぐ隣を歩くセリウスの横顔を見上げた。
整髪料をつけた黒髪は濡れているような艶やかさがあり、青い瞳は相変わらず宝石のように煌めいている。
ー そっか。こんなに綺麗な人といるんだから見られて当然か。皆セリウス様のことを見てるんだ。それはそうだよね。制服姿だって常に注目を浴びてるのに、今日は普段の数百倍…
「皆、ケルティのことを見ているね。ちょっと腹が立ってきた。」
「は?みんなセリウス様のことを見てるんだよ。」
何を言い出すんだこの人は…とケルティは横に並ぶ麗人に白い目を向けた。
「まさか。僕なんて、良くてケルティの引き立て役、悪くて添え物か何かだよ。誰の目にも映ってはいない。それほどまでに今日の君は魅力的なんだ。」
打って変わって甘い表情をするセリウスに、ケルティはぎゅっと胸を締め付けられた。
思わず繋いでいない方の手で拳を握りしめ胸に当てる。こうでもしないと呼吸の仕方を忘れてしまいそうだった。
「でも、この手は誰にも渡さない。君に相応しいとか相応しくないとかそんなことを気にするのはもうやめたんだ。ケルティのことを必ず幸せにする、その覚悟は誰よりもあるつもりだから。」
不意打ちの言葉はいつになく真剣で、その瞳からその声から握った手に伝わる熱から、彼がどれだけ想ってくれているかが痛いほどに伝わった。
熱心な言葉と共に、セリウスは周囲に鋭い視線を向けて牽制することも怠らない。
「セリウス様…」
ケルティは瞳を馴染ませながら真っ直ぐにセリウスのことを見上げる。
ー ああどうしよう…物凄く嬉しいって思ってしまった。今日だけって、先のことは考えないようにしていたのに…こんな真っ直ぐな言葉、これから先のことを望まずにはいられなくなる…
「…ごめん、ケルティ。こんな大事な話、ここですべきでなかった。つい熱くなっちゃったけど、今はダンスの時間だった。君の前だとどうしても抑えが効かなくなってしまう。…僕らしくないな。」
セリウスは恥ずかしそうに目を逸らして横を向き、人差し指で右の頬を掻いた。
「まぁ、セリウス様にケルティ嬢。随分とお熱い展開ですわね。場所を厭わないなんて、流石は学園一の理想のカップルですわ。」
突然後ろからキャメリアが声を掛けてきた。
扇子で口元を隠しているが、ひどく蔑んだ目をしており、嫌味で言っていることが一目瞭然だ。
キャメリアのせいで周囲の視線が一斉に二人に集まり、ケルティは唇を噛み締めた。
つい先ほどまでの全身を満たしていた多幸感は消え去り、身体の奥底から不快感が込み上げてくる。
何より、セリウスの真摯な思いを馬鹿にされたことが我慢ならなかった。
そして、ケルティが沸き立つ感情のまま言い返そうと口を開きかけた瞬間、セリウスが優しく彼女の手を引いた。




